第12話【奴隷は甘えた】

「順番ぐらい守ってください、ユーリ様ッ!?」


「うるさいねェ。雑魚に任せられないからアタシが踏破したんじゃないかい。絶対にあそこはその辺の探索者シーカーには踏破できない迷宮区ダンジョンだったよ」


「それでも順番ぐらいは守れますよね!? ガキ大将ですか!!」



 迷宮区案内所に受付嬢の金切り声が響き渡る。


 説教を受けている最強のSSS級探索者シーカーは、小指で耳掃除をしながら片手間に説教を聞き流していた。完全に聞く気はないらしい。

 まあ、彼女の言い分も理解できなくもない。入って激流に運ばれて、その先は巨大な滝なのだ。転移や瞬間移動のスキルがなければ攻略できない迷宮区ダンジョンを、この最強探索者様はいとも簡単に踏破したのだ。


 普通なら何人も犠牲者を出すはずだが、たった一〇〇人程度で被害が収まったのだからそれでいいだろう。



「まーたやってる。あの受付嬢も飽きないなぁ」



 迷宮区案内所の片隅に設置された奴隷待機所にてご主人様の帰りを待つフェイは、膝を抱えて受付嬢とご主人様の激しい舌戦を観察していた。


 案内所を訪れる度にあの受付嬢が突っかかってくるので、そろそろ本当にユーリがブチ切れそうだ。いつ暴力に走るか心配である。

 まあ、彼女に限ってそんなことはないか。いつだって殴られる時はフェイが関係しているのだから。


 フェイは「早く終わんないかなぁ」と呟きながらご主人様の用事が終わるのを待っていると、隣で膝を抱えるボロボロの衣服だけを身につけた少女の奴隷が話しかけてきた。



「ねえ」


「ん?」


「あなたのご主人様って、割と変人よね」



 少女の奴隷は受付嬢の説教を聞き流すユーリの背中を眺めたまま、



「私の次のご主人様まで見つけるって……普通は見殺しにするべきなのに」


「そこがマスターの優しいところなんだよな」



 フェイは少女の奴隷に笑いかけ、



「マスターはな、弱いものいじめをしないから」


「…………そうみたいね」



 少女の奴隷は少しだけ顔を俯かせると、



「ありがとう……私を見殺しにしないでくれて」


「どういたしまして。次は幸せになれるといいな」


「うん……」



 ちょうどそこにユーリが受付嬢から踏破報酬を強奪して、奴隷待機所まで戻ってくる。



「何してるんだい」


「奴隷同士の積もる話」


「変わったことをするモンだねェ」



 ユーリに「行くよ」と言われ、フェイは抵抗することなく立ち上がる。


 先に迷宮区案内所を出るユーリの背中を追いかけようとして、そこでふと足を止めた。

 待機所で次のご主人様が来るのを待つ少女の奴隷に振り返ると、フェイは快活な笑顔を向けて言う。



「またな!!」



 少女の奴隷は小さく手を振って、去りゆくフェイを見送った。



 ☆



 今日は家で食事を取る、とご主人様の希望に沿って買い物をすることになった。


 大量の食材を両手いっぱいに抱えて、フェイは何とか自宅に帰ることが出来た。非常に重かったが、途中で投げ出さずにいられたのは数々の迷宮区ダンジョン踏破で付き合わされた影響だろうか。

 机に本日購入した食材の紙袋を置き、さて食料保管庫の食材を整理するかとフェイは台所に立つ。


 しかし、邪魔が入った。腰にご主人様が抱きついてきたのだ。



「どうしたマスター、飯はまだだぞ」


「……フェイ」



 ユーリはフェイの青い瞳を見上げると、



「脱ぎな」


「…………ごめん、マスター。俺の耳がおかしくなったかもしれない。今さ、脱げって言われたような気がするんだけど?」


「そう言ったんだよ」



 ユーリの白魚のような指先が、フェイのつなぎのボタンを外しにかかる。


 ちょっと状況が読めなかったが、釦が三個ほど外された辺りで正気を取り戻した。

 慌ててご主人様を引き剥がし、はだけた胸元を隠すフェイ。奴隷として買われた身ではあるが、さすがに羞恥心は人並みにあるのだ。



「なッ、ななな、何してんだマスター!? 何で脱がせにかかるの!?」


「決まってんだろう。アンタが怪我をしてないか見る為さね」


「怪我なんてしてねえよ、どこも!!」



 フェイは思わず絶叫していた。


 怪我などしていたら、大量の食材を抱えてユーリの背中を追いかけることなど出来ない。きっと途中で倒れていることだろう。

 幸いなことに、フェイはどこも怪我をしていないし痛い場所もない。完全に元気な状態だ。脱いだところで健康体なのは変わらない。


 残念ながら、頑固なご主人様には主張が通らなかったが。



「うるさいよ、フェイ」



 夕焼け空にも似た赤い瞳でジロリと睨みつけてくるユーリは、



「いいから脱ぎな。アンタはアタシの何だい?」


「…………脱がせていただきます…………」



 こうなると、どれほど怪我がないことを主張しても現物を見るまでは信じないつもりだ。


 フェイは渋々とつなぎのボタンに指をかけ、プチプチと丁寧に外していく。とりあえず上半身だけは脱いで、下半身だけは勘弁してもらおう。

 つなぎの下に着込んだ肌着も脱いで、フェイはご主人様の眼前に素肌を晒す。「頼むからこれ以上の脱衣は望まないでくれ」と心の中で懸命に唱えながら。


 ユーリはフェイの鍛えられた胸板に指を這わせ、



「どこも怪我はないね」


「だからそう言っただろ……」


「アンタは強がる時があるからね。油断ならないのさ」



 ユーリはフェイの肩を叩いて「もういいよ」と言い、居間に置かれた長椅子に座る。


 フェイは肌着とつなぎを着直して上半身の肌を隠すと、食料保管庫に購入したばかりの食料を入れる。今日は大きめの肉も買ったので、これで美味しい肉料理を作るのだ。

 ズボラなユーリに変わって長いこと台所に立ち続けたので、そこら辺の奴隷より上手く料理が出来る自信がある。故郷の家族にも自慢できそうだ。



(家族……)



 食料保管庫の食料を整理するフェイの手が止まる。


 フェイは外れスキル【鑑定眼】が発現した影響で、家族に「お荷物はいらない」と言われて奴隷商人に売り飛ばされたのだ。

 家族と過ごした期間よりもユーリと生活した期間が長くなった今でも、あの時のことを思い出す。お荷物はいらない、と突き放された時のことを。母親の冷たい目を。


 お荷物、という言葉が頭の中でよぎり、フェイの指先が震え始めた時だ。



「フェイ」



 名前を呼ばれて、ふと顔を上げる。


 長椅子ソファに腰掛けて銀色の散弾銃を磨いていたユーリが、食料保管庫を開けたまま立ち尽くすフェイを見つめている。

 彼の反応を見て、果たしてご主人様は何を思っただろうか。脚の低い長机に銀色の散弾銃を静かに置くと、ユーリはフェイに手招きをした。



「おいで」



 この時ばかりは、フェイもご主人様の言葉に感謝をした。


 手にしていた肉の塊を食料保管庫に放り込むと、彼女の命令に従ってユーリの足元に座る。

 動物の毛みたいだ、とご主人様が褒めてくれたフェイのふわふわの金髪を撫でるユーリの手つきは優しい。泣きついてきた子供をあやすような手つきだ。


 ユーリは鼻歌混じりにフェイの髪を弄りながら、



「アンタが何を思い出したのか知らないけどね」



 フェイの頬を掴んで強制的に上を向かされれば、そこには大胆不敵に笑うご主人様の顔があった。



「アタシはアンタをお荷物だと思わないし、途中で捨てたりしないさ。大切なアタシの弾丸で、アタシの奴隷さね」



 優しく頭を撫でるユーリは、



「忘れろなんて無理な話だと思うけどねェ、アンタを捨てた家族なんて考えるんじゃないよ。アンタにはアタシがいれば十分だろ?」


「…………うん、そうだな」



 フェイはユーリの手のひらに頬を寄せると、



「ありがと、マスター。元気出た」


「そうかい」



 フェイの頬を撫でていたユーリは、唐突にすっくと立ち上がる。


 何事か、と目を白黒させるフェイに構わず、ユーリは長椅子ソファから離れるとフェイの背中を膝で押してきた。

 訳が分からず前につんのめるフェイは「え、何!?」とユーリに振り返る。



「長椅子に寝な」


「ええ……どうして……」


「いいから。寝転がりな」


「はいはい……」



 特に理由のない命令に従い、フェイは長椅子に寝転がる。さすがに足が長椅子からはみ出してしまうのだが、これでいいのだろうか。


 すると、いそいそとユーリがフェイの上にのしかかってきた。

 羽根のようにとは言わないが、フェイからすれば十分に軽いと感じるほどの質量が襲いかかる。あと着ているものが露出の多い水着みたいな衣装なので、色々と目のやり場に困る。


 フェイは「マスター?」と呼びかけるが、ユーリはフェイに抱きつくと欠伸をする。



迷宮区ダンジョン攻略で疲れた。少し寝るから適当な時間に起こしな」


「ええ……だったら退いてくれよ……」


「うるさいよ、フェイ」



 ユーリはそう言って、フェイを抱き枕の代わりにして眠ってしまった。


 夕飯の時間が予想より遅くなるな、と思いながらフェイも眠気に抗えなかった。

 今日は厄介な迷宮区を探索したので疲れた。このまま眠ってしまおう。


 意外と温かなご主人様の体温に心地よさを感じながら、フェイはそっと瞳を閉じた。

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