第10話【怠惰の罪】

「ぎゃあああッ!!」



 フェイの悲鳴が星空の部屋に響く。


 迷宮区ダンジョン【スターダスト】の迷宮主の部屋は、もはやズタボロだった。これで崩れないのが不思議に思えてくる。

 壁は度重なる隕石との衝突でボロボロに穴が開き、床は凸凹していて走りにくいことこの上ない。光り輝く卵の殻を踏みつけて立つ少女には、部屋がいつ崩れるかという恐怖心はないのか。


 ぎゃあぎゃあ叫びながら走るフェイに、光り輝く少女は甲高い声で楽しそうに笑う。



「あはは。おにーさん、とってもいいはんのうをするのね!!」


「嬉しくない!! 嬉しくない!!」



 反応を楽しむ少女は、逃げ回るフェイを狙って隕石の雨を降らす。


 星屑の石が少女の指一本、意思一つで動く。流星の如く頭上から降ってくる星屑の石を「もったいない!!」と叫びながらフェイは回避し続けた。

 これはまずい、非常にまずい。このまま少女から逃げ回るだけでは勝てない。フェイの方が先に力尽きてしまう。


 クスクスと楽しそうに笑う少女は、ほっそりとした指先を振るう。


 壁に埋め込まれた大きめの星屑の石が、フェイめがけて飛んできた。他は全て小石程度の大きさしかなかったが、その石だけは握り拳ぐらいの大きさがあった。

 首に引っ掛けた頑丈なゴーグルを手早く装着し、スキル【鑑定眼】を発動。この場で絶対に逃せない大物の値段を算出し、その数値を出せる限りの大声で叫ぶ。



「二八四万ディール!!」



 フェイの顔面と正面衝突する寸前だった星屑の石は、横から吹いた風に絡め取られて軌道が逸れる。


 視線をやれば、銀色の散弾銃に星屑の石が飲み込まれていくところだった。

 散弾銃の主人であるユーリは二八四万ディールというなかなか高額な値段に「ひゅう」と口笛を吹いた。消費したばかりの一〇〇万ディールが、一瞬で回収できてしまった。



「やるじゃないかい、フェイ」


「上手くいってよかったわ……」



 最悪の場合だと鼻の骨を犠牲にするところだったが、上手く【鑑定眼】が発動されて安心する。


 これもユーリがフェイを見捨てずに育ててくれたおかげだろう。

 幼い頃よりも【鑑定眼】の精度と速度が上昇している。ほとんど毎日使っているおかげか、あんな荒技までこなすようになってしまった。


 膝から崩れ落ちそうになるフェイの脇腹を小突いたユーリは、



「しっかりしな。死ぬよ」


「マスターはトドメを刺せねえの?」


「刺せるには刺せるけど、アタシの【強欲の罪マモン】はあれを倒す金額に一〇〇〇万ディールを提示してきやがった。足元を見てやがるのさ」


「いッ!?」



 迷宮主を倒す金額にしては莫大すぎる金額に、フェイは眩暈がした。


 普段の迷宮主であれば高くても一〇〇万ディールがせいぜいで、一〇〇〇万ディールともなれば普段の一〇倍である。

 星屑の石を掻き集めればまかなえるだろうが、果たしてどれほどの時間がかかるだろうか。そもそも迷宮主の少女が許してくれるかが問題だ。


 星屑の石を掻き集めている隙に殺されれば元も子もない。この場にいる全員が、かつてこの迷宮区ダンジョン【スターダスト】に挑んだ探索者シーカーと同じ末路を辿ることになる。



「仕方がありませんね……」



 やれやれとばかりに肩を竦めたのは、ドラゴに担がれながら逃げ回るアルアだった。


 眠たげな緑色の双眸で星屑の石を操る少女を眺め、アルアはドラゴに「下ろしてください……」と細々とした声で要求する。

 御令嬢の命令に従って、ドラゴは文句を言わずに凸凹の地面へアルアを下ろした。星屑の石が何度もぶつかったせいで凸凹になった地面にペタンと座り込んだアルアは、こちらを不思議そうに眺める少女に言う。



「お休みのところお邪魔をして申し訳ございません……お詫びにもう一度……心地よい眠りを差し上げましょう……」


「そんなのむりよ」



 少女はアルアを睨みつけ、



「わたし、もうすっかりめがさえてしまったもの。だからおにーさんとおねーさんをはらいせにころして、こんどこそぐっすりおやすみするんだから」


「私もそれなりに眠りの達人ですよ……ええ……眠る方ではなく……眠らせる方ですが……」



 アルアはそう言って、ほっそりとした右手を頭上に突き出した。



「来なさい【怠惰の罪ベルフェゴール】……可哀想な乙女に素敵な夢を見せてあげましょう……」



 その言葉へ応じるかのように、アルアの手へ緑色の輝きが集まる。


 緑色の輝きは徐々に形を変えて、やがて巨大な銃火器を作り出した。

 ユーリの持つ散弾銃と比べると規模が大きく、銃身は細く長い。部品らしい継ぎ目はなく、まるで玩具おもちゃを思わせるその銃火器は、全体が薄緑色に塗られていた。


 形式は猟銃と言うべきだろうが、猟銃にしては大きさが二回り以上もある。随分と威力の高そうな銃火器である。



「狙撃銃だよ、フェイ」


「え、この銃火器の名称?」


「そうさね。使う奴なんて限られてくるけどねェ、遠距離からの攻撃に最適なのさ」



 ユーリは形のいい鼻を鳴らすと、



「悔しいけど、今回はアルアの手柄みたいだねェ」


「本当?」


「あの迷宮主を眠らせるなら、アルアのスキルが一番最適さね」



 銀色の散弾銃で肩を叩くユーリは、早々に迷宮主の討伐を諦めた様子だ。フェイを軽く小突くと「そこら辺の星屑の石を集めな」と命じてくる。



「少しでも金額を稼いでおくよ。踏破報酬は七割貰える手筈になってるけど、アタシはスキルを発動させるのに金がかかるからねェ」


「了解」



 まだ無事な星屑の石を集めて片っ端から鑑定しながら、フェイはアルアの方を見やる。


 三つ足の台座に銃身を置き、首を傾げる少女に狙いを定めたアルアは迷わず引き金を引いた。

 銃口から放たれたものは大振りな銃火器に見合った弾丸ではない。フェイの目にも見えない透明な弾丸は、迷宮主たる少女を襲う。



「あら……?」



 少女の身体がグラリと傾ぐ。


 光り輝く卵の殻の上にその身体を横たえると、彼女は眠たげに欠伸をした。卵の殻を布団の代わりにし、モゾモゾと膝を抱えて卵の殻に潜り込み、そのまますやすやと安らかに眠り始める。

 アルアの透明な弾丸は一体何だったのか。確か【怠惰の罪ベルフェゴール】と言っていたが。


 薄緑色に塗られた狙撃銃を抱えたアルアは、深い眠りについた少女を見下ろして告げる。



「迷宮主の永眠を確認しました」



 それと同時に、どこからか声が聞こえてくる。



 ――迷宮区ダンジョン【スターダスト】踏破です。



 ☆



 アルア・エジンバラ・ドーラの雰囲気は明らかに変わっていた。


 霧の向こう側から聞こえてきそうな細々とした声ではなくなり、気品のある貴族の御令嬢らしい凛とした声となっていた。動きも機敏さが戻り、ドラゴに抱えられることなく眠った迷宮主の少女へ自分の足で歩み寄る。

 何が起きたのか理解できなかった。先程までのアルアは一体どこへ行ったのだろう?


 星屑の石を集めるフェイは、アルアのあまりの変わりように星屑の石を集める手が止まり、ご主人様のユーリに「とっとと星屑の石を鑑定しな」と言われてしまった。



「え、マスター……あの、アルアさんおかしくない?」


「何がだい」


「いや、何か……人が変わったようにキビキビ動いてると言うか」


「あれが本来のアイツさね」



 フェイが鑑定した星屑の石を銀色の散弾銃に飲み込ませながら、ユーリは言う。



「アイツのスキルは【怠惰の罪ベルフェゴール】――スキル使用者の睡眠欲を犠牲に、撃った相手を永遠に眠らせるのさ」


「永遠に?」


「殴っても蹴っても近くで爆発が起きても、何があっても起きないさ。それと同時に、アタシの【強欲の罪マモン】よりも面倒なものが対価になる」



 ユーリは眠る少女の身柄についてドラゴと話し合うアルアに視線をやり、



「アルアの【怠惰の罪ベルフェゴール】を発動させるには、眠りたいっていう欲が必要なのさ。自分が眠ければ眠いほど相手を眠らせる為の弾丸は増えるけれど、大抵は一発こっきりだねェ。一発撃っただけで今まで蓄積した睡眠欲が根こそぎ奪われるのさ。だからアイツは迷宮主戦でしか役に立たないよ」


「何だか凄いスキルだなぁ」



 他の戦闘はお荷物になるけれど、迷宮主との戦いで真価を発揮するとはまるで英雄みたいだ。おとぎ話でも見ているかのような気分になる。


 すると、ドラゴとの話し合いは終わったのか、星屑の石を集めるユーリとフェイの元にアルアがやってくる。

 もちろん眠気はなくなった状態だ。何だか慣れない。



「ユーリ殿、迷宮主の身柄はこちらで引き取っても構いませんね?」


「好きにしな」



 星屑の石を銀色の散弾銃に飲み込ませたユーリは、



「アンタが倒したんだ。アンタの好きにすればいいだろ」


「そういうところは嫌いではないですよ」



 アルアが「では迷宮主の身柄はこちらで引き取らせていただきます」と告げたところを見計らって、フェイが挙手で発言を求める。



「アルアさん、迷宮主がいた卵の殻はいりますか?」


「卵の殻ですか?」



 アルアは首を傾げ、部屋の中央に残る卵の殻に視線をやる。それから首を横に振った。



「いいえ、必要ありません。我々に必要なのは迷宮主だけですので、卵の殻は好きにしてください」


「マスター、あの卵の殻を回収して!!」



 必要ない、と聞いた瞬間にフェイはご主人様へ卵の殻を回収するように要求する。


 フェイの【鑑定眼】には、迷宮主の少女に価値はないと映った。むしろ卵の殻の方が価値があったのだ。

 ご主人様が迷宮主を狙ったらどうしようかと思ったが、討伐した迷宮主は討伐した本人の手柄とするというユーリの掲げる信条が功を奏した。



「あの卵の殻、五〇〇万ディールだ!!」


「何だって、フェイ!? じゃあ迷宮主の方は!?」


「一万!!」


「じゃあ必要ないね!!」



 卵の殻と比べるとあまりにも金額に差がありすぎる。


 ユーリは嬉々として迷宮主の少女を切り捨て、卵の殻を銀色の散弾銃に飲み込ませた。研究に迷宮主の少女が必要だろうが、こちらにしてみれば金にならないブツは必要ないのだ。

 光り輝く卵の殻を回収すると、ちょうど迷宮区の自動転送機構が発動してフェイたちは外に放り出されてしまった。


 今回もなかなか稼げる迷宮区ダンジョンだった。――それなりに危険ではあったが。

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