第4話【甘やかしの時間】

「……マスター?」


「何だい」


「いつまでくっついてるの?」



 家に帰ってきた途端、ご主人様のユーリはフェイを長椅子ソファに押し倒してきたのだ。

 何が始まるのかと思えばフェイの胸板に顔を埋めて、グリグリと額を擦り付けてくる始末である。すぐ近くにご主人様のつむじと綺麗な銀髪が見え、ちょっと新鮮な気持ちになる。


 フェイはご主人様の頭を撫でてやりながら、



「そんなにリディさんが俺に変身してるのが嫌だった?」


「嫌さね」



 ユーリはフェイにしがみつきながら、



「だって、アンタはアタシの弾丸だろう。小さい頃から手塩にかけて育てた大事な弾丸さね、他の連中なんか誰も真似できるモンじゃないよ」



 奴隷商人から五歳という子供の年齢で購入されてからずっと、フェイはユーリ・エストハイムという最強の探索者シーカーに色々としごかれて育った。そんな大切な奴隷の姿形だけを真似てユーリからの寵愛を受けようと画策するのが間違っているというものである。

 まあ結果的に、ユーリはリディ・マクガフィンのスキル【嫉妬の罪レヴィアタン】をあっさり看破して変身を解除させていたが、やはり彼女からすれば思うところはあるのだろう。


 甘やかしの時間というより、これではご主人様がただただ得するだけの時間である。フェイは抱き枕兼ご主人様専用の玩具かクッションか何かだ。抱き枕とクッションは同じか?



「やっぱり本物が一番だねェ」


「マスター、マスターお願いだから匂いを嗅がないで」



 着古した襯衣シャツに顔を埋めてスンスンと匂いを嗅いでくるご主人様を引き剥がそうと、フェイは彼女の肩を無理やり押す。


 だがご主人様は意地でもフェイの胸元に顔を埋めたまま動こうとしない。むしろフェイの深緑色のつなぎを掴んで「意地でもここから離れない」と全身で訴えていた。それほど魅力のあるものではないと思うのだが。

 とにかく、外を歩いて少しばかり汗臭いので嗅がれるのだけはごめんである。「アンタ臭いねェ」などと言われた暁には一〇〇回は死ねる自信がある。



「いいから離れろマスター!!」


「断る」


「何でだよ!! 汗臭いから止めてってば!!」


「嫌だ」


「せめて汗を流してから抱きつけ!! 頼むからぁ!!」



 フェイが半泣きで訴えれば、ユーリは「そうさねェ」などと言ってフェイから離れた。


 ようやく汗臭いところを嗅がれるのが嫌だ、という若者の心境を察してくれたのだろうか。

 フェイとて奴隷だが、その前に一端の若者である。さすがに汗臭いところを嗅がれたくないのだ。


 安堵の息を吐いたのも束の間のこと、ご主人様であるユーリは素晴らしいことを思いついたとばかりのニヤリとした笑みを見せる。



「フェイ」


「な、何だよマスター」


「早く風呂に入ってきな」


「あ、うん」



 何か知らんが風呂に追いやられたので、フェイは洗濯した新しい襯衣シャツを衣装箪笥から取り出して浴室に向かう。


 最後に見えたご主人様のニヤニヤとした笑みが、何か嫌な予感がする。

 何を企んでいるのか大体予想は出来るので、フェイは浴室の扉に施錠をする。多分無駄だと思うけど、気休めである。


 さて浴室の扉に施錠をしたところを確認したところで、フェイは深緑色のつなぎを脱ぎ始める。ご主人様の手から渡された頑丈なゴーグルを外して洗面所に置き、それから下半身だけは下着に覆われたまま着古した襯衣を脱ごうとして、



「フェイ」



 ガタン、と浴室の扉が大きく揺れる。



「あ、鍵をかけているのかい? 小狡いことをするようになったねェ」


「覗いてこないでよ、マスター」



 着古した襯衣シャツを脱いで、フェイは扉の向こうにいるご主人様に言う。



「女の人に見せるものじゃないしさ」


「五〇〇〇ディール装填。《扉を開けろ》」


「あ」



 ガチャン、と扉の施錠が外れてしまう。


 フェイの予想はあっさり的中し、ユーリがスッと浴室の扉をほんの少しだけ開いて覗き込んでくる。変態か。

 現在のフェイの状況は下着一枚のみである。襯衣シャツはすでに脱ぎ去っており、ある意味でフェイの尊厳のつなぎは洗濯用の籠に入れてしまった。やだ、ガッツリ見られている。


 フェイは浴布タオルで自分の腰の部分を覆い隠すと、



「覗かないでって言ったじゃん!!」


「いいじゃないかい、減るモンじゃないし」


「恥ずかしいんだよ、見ないでよ!!」


「いい身体になったねェ、フェイ。自慢の奴隷だよ」


「褒めても何もしないし出ないからね!!」


「出さなくていいよ」



 浴室の扉を勢いよく開けたユーリは、清々しい笑顔で言ってくる。



「背中を流してやるさね。大人しく身体を差し出しな」


「やっぱりこんなことだろうと思ったぁぁ……」



 深々とため息を吐いたフェイは、ご主人様の華奢に見えて意外と強い力を秘めた腕によって浴室に引き摺り込まれるのだった。



 ☆



 ご主人様の背中を撫でる手つきが優しすぎる。



「うええー……」


「いつまでメソメソしてんだい」


「だってぇ、マスターが嫌がる俺を無理やりぃ……」


「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ」



 真剣に洗っている最中のフェイの背中をバシンと叩くユーリは、不機嫌そうに唇を尖らせて言う。



「アタシがやりたいからやってるだけさね。文句を言うんじゃないよ」


「文句は別にないけど……」



 密かに頭を抱えるフェイは「最近、こういうことが多くないか?」などと疑問に思う。

 前にも水着で一緒にお風呂へ入ったことがある。あの時も頭を洗われたし、フェイも逆にユーリの頭を洗ったりしたが、男女の肌が直接触れ合う感覚にまだ慣れないのだ。


 今回はフェイがユーリに背中を洗われている状況である。彼女を崇拝して止まないリディ・マクガフィンが見たら血涙を流しながら嫉妬してきそうな勢いだ。



「アンタは成長したねェ。背中なんて生っ白いものだったのにねェ」


「そりゃあ、毎日のように迷宮区ダンジョンへ潜っていれば鍛えられるよ」



 毎日のように命を削るようなやり取りをしていれば、嫌でも鍛えられるものだ。立派な探索者の男性と比べると見劣りする筋肉量だとは思うが、今のところユーリには何も言われていない。

 見苦しいと言われた暁には泣ける、大いに泣ける。一人で枕を濡らすぐらいは泣きたくなっちゃう。


 ユーリは鍛えられたというフェイの背中を丹念に洗いながら、肩甲骨の辺りに指を滑らせる。



「アンタの背中は広いねェ」


「身長もあるしね」


「安心感があるよ」


「次の迷宮区ダンジョンにミイラ系魔物が出てくるから、マスターは不安だったりする?」


「ゾンビ系魔物よりもミイラ系魔物の方が幾分かマシさね。汚いモンを見なくて済むよ」



 フェイの背中にお湯をぶっかけて泡を流したユーリは、



「ほら、身体を拭いて出てきな。アタシは先に出てるよ」


「あ、うん」



 意外とあっさり背中を流す行為は終了となった。これ以上は男の尊厳に関わるので、あっさり終わってよかったと安堵する。


 フェイはご主人様の指示通りに水気を纏った全身を浴布タオルで拭き、手早く下着と部屋着用の襯衣シャツを着る。濡れた髪を乱暴に浴布で拭いながら脱衣所を出れば、ご主人様が長椅子ソファに座って待ち受けていた。

 彼女の手には上等な浴布が広げられていて、さらに櫛まで常備されている。フェイの髪の毛を乾かす気満々だった。


 なるほど、だからさっさと背中を洗う作業を終えたのか。納得するフェイだった。



「そこまでするの?」


「するよ」


「分かった」



 もう何も言うまい。


 フェイは長椅子ソファに腰掛けるユーリの前に座ると、彼女が被せてきた浴布タオルの感触に「ふわあ……」と思わず声を上げてしまった。これは柔らかい。

 極上の感触をした浴布で丹念に髪の毛を拭かれ、力加減が心地いい。疲労も相まってウトウトと船を漕ぐフェイだったが、



「フェイ」


「ふぁい?」


「これをつけときな」



 首からは頑丈なゴーグルがすでにフェイの奴隷の首輪代わりに下げられているが、さらに上からチャリとかすかな金属音が聞こえてくる。

 見れば、昼間に購入したばかりの十字架がフェイの胸元で揺れていた。装飾品も何もない、単純な十字架だ。


 フェイは十字架を指先で触れながら、



「何で? マスターがつければいいのに」


「アンタはミイラ系魔物から身を守る術がないだろう? 可愛い奴隷で大切なアタシだけの弾丸が傷付いたら、アタシはまともに迷宮区ダンジョンを潜れないよ」



 フェイの髪を丁寧に拭くユーリは、密かに妖しく笑いながら言う。



「アンタはアタシの大切な奴隷なんだからねェ」



 何か不思議な感情が込められている気がしたが、ご主人様が機嫌良くフェイの髪を拭いているので何も言わないことにした。

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