第8話【子供部屋の少女】

 遠くから聞こえるような細々とした声なのに、何故かすぐ後ろで聞こえたような気がした。


 フェイは思わず唾を飲み込んでしまう。

 あの部屋には誰もいなかった、何もいなかったはずだ。それはご主人様のユーリも確認済みだし、アルアやメイヴ、ドラゴやルーシーも誰もいないことは知っている。


 それなのに、だ。



「…………マスター」


「どうしたんだい、フェイ」



 フェイは泣きそうになりながら、ユーリのドレスの一部を摘む。



「俺の腰に、誰か抱きついてない?」



 視線をほんの少しだけ下にやれば、フェイの腰に小さな腕が巻き付いていたのだ。

 それは明らかに子供の腕である。背中からフェイにしがみつく少女は、会場へ辿り着く際に窓の外で見かけた人物と特徴が一致している、メルヘンなワンピースと金色の髪、落ち窪んだ瞳がフェイを見上げている。


 ヒュッと息を呑んだユーリは、



「――フェイから離れな!!」



 赤いドレスのスカートから銀色の散弾銃を取り出し、即座にユーリは銃口をフェイに突きつける。いつのまに対価を散弾銃に捧げたのか、引き金を引いた途端に少女の腕がフェイから離れていく。

 するりと自由になったフェイは、慌てて子供部屋から離れた。外れスキルである【鑑定眼】しか持っていないフェイに、幽霊の子供を相手にする技量はない。


 薄暗い子供部屋の隅では、金髪の少女が恨みがましそうな視線を送っていた。白くて華奢な腕にはユーリの願いによって強制的に引き剥がされた影響か、指の跡がついている。



「どうして」



 少女はカサカサになった唇を動かし、



「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」


「どうしたもこうしたもないよ」



 ユーリは銀色の散弾銃を子供部屋の隅で蹲る少女に突きつけ、



「コイツはアタシの奴隷さね。奪うことは許さないよ」


「ゆりたん、ゆりたん」


「何だいルーシー、今はそれどころじゃないんだよ」



 幽霊が苦手にも関わらず大切な奴隷が奪われる可能性に怒りを露わにするユーリだったが、ルーシーに肩を叩かれて振り返る。


 フェイもまた会場の雰囲気が変わったことに気づいていた。

 舞踏会で流れるような音楽は止み、それまで踊り狂っていたはずの紳士淑女の皆様は会場の奥にあった子供部屋の存在を暴く探索者たちをじっと睨みつけていた。仮面の下に隠された表情はなく、洞窟のように真っ黒な瞳がフェイたちを見据えていた。



「開けてしまった」


「開けてしまった」


「これはまずい」


「暴かれてしまった」


「ダメだ」


「閉じなければ」


「少女が出てしまう」


「少女が出てしまう」



 ボソボソと平坦な声で意味の分からないことを言い合う紳士淑女の幽霊どもは、一斉にフェイたちの背後にある子供部屋に殺到した。


 押し寄せてくる幽霊たちの波から慌てて回避すれば、幽霊どもを吹き飛ばして金髪の少女が舞踏会に足を踏み込んでくる。裸足で大理石の床を踏みしめ、虚な瞳をフェイに投げかけていた。

 少女によって吹き飛ばされた幽霊たちは「もうダメだ」「逃げなければ」と逃亡を試みるが、



「遊ぼう」



 少女の華奢な腕が、逃げる紳士の幽霊を掴む。襟首を掴まれて引き摺られた紳士の幽霊は抵抗するように手足をジタバタと暴れさせるが、



「んあ」



 少女の口が大きく開かれた。


 人間でも幽霊でも口の可動域は同じだろうと思っていたフェイだが、目の前の少女はあんぐりと大きな口を開けて紳士の幽霊を丸呑みした。

 丸呑みしたのだ。ジタバタと暴れる足が少女の喉奥に消えていき、そのまま少女は紳士の幽霊を嚥下えんかする。


 幽霊が幽霊を喰らうという異様な光景に、アルアが「まずいですね……」と告げた。



「あの幽霊は……おそらく同類を食って成長する類でしょう……幽霊に幽霊を食べさせてはいけません……」


「でも一人食べちゃったよ!?」



 赤い銃火器を携えて叫ぶドラゴは、少女の幽霊から距離を取る。彼女のスキルは複数の敵を怒らせて仲間割れを引き起こさせる【憤怒の罪サタン】であり、この状況では有利に働くだろうが、幽霊を喰らう幽霊が相手では逆効果だ。

 突撃させて食事を提供する羽目になれば、あの少女を討伐することが出来なくなってしまう。これでは面倒だ。


 アルアは眠たげに目をこすりながら、



「まあ落ち着きなさいドラゴ……ここにはルーシー殿がいらっしゃいます……食べるものがなければ弱いまま討伐できるでしょう……」


「んー? わたしが周りの幽霊を食べればいいのー?」



 カクンと首を傾げるルーシーは「まあいいよー」とアルアの提案を了承する。紫色の散弾銃を取り出した彼女は、あらゆるものを食べる希少スキルを発動させた。



「じゃあねー、いただきまーす」



 紫色の散弾銃を突きつけ、ルーシーは引き金を引いた。


 次の瞬間、少女の幽霊が捕まえていた淑女の幽霊の大半が食われてしまう。八割以上を食われたことで幽霊は強制的に昇天し、少女の幽霊から逃れることが出来た。

 ルーシーは赤い舌で唇を舐めると、恍惚とした表情で言う。



「あはー、美味しいねー。これならたくさん食べられそうだよー」



 ちょうどお腹も空いてたしねー、とルーシーは言う。

 彼女は空腹であればあるほど、より多くのものを食べることが出来るのだ。もう腹の方は限界まで空かせていたのだろう、幽霊を全て食べてしまう気満々だった。


 ご主人様のユーリも真似できないスキルを持つルーシーに、フェイは羨望の眼差しを送るのだった。



「フェイ、終わったかい」


「マスター、八時の方向に幽霊がたくさんいるから貯蓄しようね」


「どこだい」


「はい散弾銃を構えてー、俺が支えてあげるからねー」



 フェイの背中にピッタリと張り付き、少女の幽霊が他の幽霊を捕食する光景から全力で目を逸らしていたユーリの手を支えて、フェイはとりあえず【鑑定眼】を発動させるのだった。

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