第31話

「んー、頭がキンキンする」


「そりゃ、かき氷だからな」


「あなたも食べればいいのに。レモン味、おいしいわよ」


「食いてえけど食えねえのは誰のせいかなぁ?」


「妖怪?」


「だいぶ古い引き出し開けてきたな」


 九重と絹衣は現在、屋台が並ぶ通りを歩いている。


 当然人でごった返しているのだが、ぎゅうぎゅう詰めになるほどではない。拳三つ分ほど距離を保って、人の流れに順応している。


 いつもより絹衣の声が聞こえづらく、代わりに屋台の鉄板から香ばしく焼ける音が騒ぐ。


 九重がかき氷を食えない理由としては、かき氷のカップを持てないほどすでに物を持たされているからだ。


 イカ焼きにフランクフルトにさっき釣ったヨーヨーをふたつ。


 絹衣がパクパクとかき氷を口に放り込みながら言う。


「それにしても便利ね、あなた。タダで色んなものが食べられるんだもの」


「人をキャッシュカードだと思うのは止めようね」


「だって行く先々で、店の人が『飆灯さんには前に助けてもらったから』って口を揃えて商品をくれるんだもの。もはやキャッシュカードより上の存在だわ」


「もう少し誉れある称号をくれないっすかね?」


 絹衣は思っていたよりも夏祭りを満喫していた。これでは普通に夏祭りを楽しみたかっただけで、九重はついでの存在なのではないかと危惧している。


 そんな不自由そうな九重の姿を見て、絹衣はいたずらっ子のように目を細めた。


「食べたいならわたしが食べさせてあげようか?」


「アホか、お前。こんな人前でやるようなことじゃねえだろ」


「冗談よ。そんな恥ずかしいことするわけないじゃない」


 再びかき氷に舌鼓を打つ絹衣。


(大学の食堂で堂々とあーん、してきた奴がよく言うよ……)


 内心で、九重は嘆息する。


 今まで見たことないほどキラキラした彼女の横顔を眺めていると、底知れない不安が襲ってきた。原因を解析できるほど、九重は経験豊富ではなかった。


 不安からひとつ問う。


「成り行きで夏祭りに来てみたが、何か思い出せそうか?」


「え? 何が?」


「や、何がって、二島の記憶のことしかねえだろ」


「あー、すっかりそのことを忘れていたわ」


「は? 忘れてた!?」


 九重は思わず素のトーンで聞き返す。


 絹衣は何食わぬ横顔のまま言った。


「今日はそういうのじゃなくて、ただ夏祭りを楽しみにきただけだから。あなた……九重もそうしなさい」


「楽しみにきただけって、そんなら俺なんかがいていいのかよ」


 行くかと言い出したのは九重のはずなのに、それを失念して自虐めいたことを言う。


 すると、絹衣はにへら、と笑った。




「ダメならあなたは今頃海の底に沈めているわ」




 彼女の純粋な笑顔を見たのは、これが初めてだった。


 太陽のような笑顔だった。


 にへら、なんて春の陽気にでもあてられたかのような笑顔があまりに意外で、九重は頬の緩みが我慢できなかった。とっさに手で隠す。


「何かしら? 急に笑いだして、変だわ」


「わ、笑ってねえし」


 本当に笑っているわけではなかった。ただ絹衣を心底可愛いと思ってしまっただけだ。


 だが、それが絹衣からすれば笑っているように見えたそうだ。それはそれで悪くないと思った。


 そんな会話を続けていると、もうすぐ分岐点というところまで来た。右に進めば屋台コース続行。左に進めば、花火の観覧席。


 花火の打ち上がりまであとどれくらいだろうか、と九重が時計を確認しようとした、その刹那。


「時計なんて見ないで」


 絹衣が唐突に、柔らかな声音で諭す。


「なんでだよ」


「終わりが近づいていくのが目に見えて、その……寂しいわ」


 考えすぎだろうか。


 それはまるで、この時間が――偶然にも九重が絹衣の隣にいるこの時間が終わってほしくないと訴えかけているようで。


「時計なんかより――」


 一呼吸置いて。


「いや、なんでもないわ」


 九重は固唾を呑んだ。とりあえず彼女に目で要求された通り、イカ焼きを渡す。


 イカ焼きを頬張る彼女の横顔が、何よりも愛おしく思えた。

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