第11話
ワンルームの洋室は三分の一ぐらいが九重のベッドで占めている。真ん中にちょうどふたりが食卓にできそうなテーブルがひとつあるだけ。品数はそれほど作れそうにない。
洋室の端に各々が荷物を置き、夕食の準備に取り掛かる。
「エプロンある?」
「あいよ」
紺色のエプロンを絹衣に手渡し。
彼女はエプロンを着てから、ヘアゴムを手に持つ。それを口で咥え、なめらかな黒髪をポニーテールに結う。チラッと見えたうなじが雪のように白くて艶めかしかった。
キッチンへ赴き、何かのメモ書きを確認しながらカチャカチャと調理器具を漁る。
(なんだあのメモ書き……)
疑問に思いながらも九重は、何もしないで待っているのをよしとせず、絹衣に協力が必要かと訊ねる。
「なんか手伝えることあるか?」
「……いや、自分でやる。盾鷲さんは、わたしに作れっておっしゃったんだから」
「ああ……まあいいけど、二島って料理できるんだよな?」
沈黙。静寂。静止。
ゆっくりと彼女は口を開く。
「…………やろうと思えば」
「お前いまなんつった?」
九重の反応を無視して、絹衣は冷蔵庫から卵を二つほど取り出す。彼女は台の角でとてつもなく控えめに、チョンチョンと卵を割ろうとする。当たり前だが、威力が弱すぎて、とても割れそうにない。ちょっぴり細かなヒビが入っているだけだ。
「二島?」
「うるさい、今集中してるところだから」
卵を割るのに集中とか言っている時点で、という心の声は喉の奥にひとまずしまっておいた。
彼女は小難しそうに眉をひそめながら、今度はハンマーで鉄を打つみたいな勢いで卵を割りにかかる。当然、グシャっと潰れた。
すました顔を九重の方に向ける。
「たぶん今の卵は悪い卵だったわ」
「卵のせいにすんな」
「大丈夫大丈夫。つ、次はうまくできるから」
泳ぎまくった目で何とか次の卵は割るのに成功した。九重も絹衣も冷や汗をダラダラ流す。そのあと絹衣はコンロのつまみをひねって火をつけようとしたが。
「おいちょっと待て。ガス漏れしてるぅ!」
「え? ちょ、ちょっとどうしたらいいの? えっと一一〇番だっけ?」
「それは警察だバカ。あとそこまでせんでいい。普通に消せ、それを」
九重は割り込み、コンロのつまみをひねり直す。
はあ、と腹の底からため息をつく。
ジロッ。
いわゆるジト目で九重は絹衣を見据える。流れるように彼女は目をそらす。
「おいポンコツ」
「だ、だってぇ! これ! これ見たらサルでも料理できるって盾鷲さんが」
そう言って絹衣は先ほど注視していたメモ書きを見せつけてくる。そこには『サルでもわかる夕食の振る舞い方』というタイトルに、どんな食材を買えばいいかという情報から調理方法まで丁寧に記されていた。
「残念だな。三じいのやさしさがお前をサル以下だと証明してしまったぞ」
「最近のサルが進化してるんじゃないの?」
「ちょっとでいいから言い訳にプライドを添えろ?」
美人だから料理もできるだろう。そう思っていた童貞ふたり、帝三と九重の敗北の瞬間であった。
「仕方ねえ。とりあえず俺が作るからポンコツは向こうで待っといて」
「それはヤダ。わたしも何か手伝う」
ほんのわずかだが、むぅーと頬を膨らませて抗議の意を示す絹衣。ちょっと可愛いと思ってしまった九重の負けである。
「ったくわかったよ。んーじゃあそこにある砂糖をここに置いといて」
「あなたバカにしてるの?」
「してるが」
「くっ。あのねえ、わたしだってそのくらいは簡単にできるから。ほらっ」
絹衣がトンっとプラスチックのケースをこれ見よがしに置く。
「これ塩だが」
「……わかってるわよそれくらい。これはいったん混ぜたフェイントだから」
「嘘つくなガチで間違えたろ」
九重は眉間を指でつまむ。まるで残業終わりのサラリーマンのように。
「ねえ。このケースに『しお』ってひらがなで書いてるよねぇ? ひらがな読めないのでちゅか?」
「よ、読めるし。料理できないのに強がってるのがバレて動揺してただけだから」
「口調強いけど、言ってることが素直すぎな件について」
そう指摘されて、絹衣はキッと睨みながら歯噛みする。
九重はなおも続ける。
「最近のヒロインは料理できる系の方がウケがいいっぽいんだから、お前みたいなポンコツ系ヒロインは時代に置いてかれるぞ」
「何の話?」
「ラノベ読みの
「あなたの尺度でモノを語らないでほしいんだけど」
九重は手際よく調理に取り掛かりながら、絹衣に一言放つ。
「とりあえずもうお前は向こうで食事ができるようにテーブルの上を少し片づけといて」
「……わかった。がんばる」
役にたてないことを気に病んだのか、驚くほど素直な返事をする絹衣に対し、九重はやはりちょっと可愛らしいと思ってしまった。
だが九重が横目で窺うと絹衣は、意地の悪そうな顔をしていた。
「ついでに部屋も少し掃除しておくわね。あー、えっちな本見つけちゃったらどうしよっかなー」
白々しい言い方をする絹衣に、九重は棒読みで対抗する。
「あーたぶんポンコツが思ってる百倍は特殊な性癖が載ってるあの本が見つかっちゃうぅ」
「え!?」
ビクンと身体を硬直させる絹衣。何を想像したのか、紅葉のように頬を染めた。
「あーまぁポンコツは真面目でエロとは無縁そうだし、そういう本を朗読できちゃうんだろうなぁ。あぁ困るなぁ恥ずかしいなぁ」
「そ、そうね。わたしがそんなことでうろたえるわけないし。うろたえるわけないけど、今日はわたしのやさしさに免じて探さないでおくわね」
そそくさと片づけを済ませて、料理が出来上がるまで正座で待ち始めたのだった。
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