第33話
絹衣が浴衣を着替えるために、花屋ラメダリへ帰る道中のこと。
すでに花火会場は遠く、ラメダリにいちばん近い駅まで来ていた。
すっかり夜の帳は下りている。
浴衣の擦れる音が耳に入るほど近い距離を保ちながら、九重と絹衣は閑散とした商店街通りを歩く。
ここらは辺鄙な街なので、夜になると本当に人が少なくなる。
九重はいまだに緊張感を拭えないでいる。ただし、それは絹衣と一緒にいるからではない。駅に着いてからずっと背後から誰かがつけてくる気配を感じるのだ。
そしてそいつは、現在進行形で九重に宿る童素に干渉し、存在をアピールしてきている。
そんなことができる奴を九重はひとりしか知らない。
もう二度と絹衣を危険な目に巻き込みたくないという思いを抱く。
どうやって絹衣を自分から遠ざけようか。
九重はノールックでスマホに文字を打ち込み、それを絹衣にバレないようにして、九重は背中に画面を掲げる。
『俺がひとりになるまで待ってくれ』
このメッセージを背後の誰かに伝えることに成功したのか、奴は花屋ラメダリに着くまでは襲ってこなかった。
結局、九重たちは終始無言だったが、苦には感じなかった。無言を受け入れてくれているという安心感が、九重に喜びを与えてくれさえした。
「おかえりなさいませ、飆灯様」
「お出迎えありがとうございます、三じい」
「盾鷲さん、浴衣ありがとうございました。おかげでとても楽しかったです」
「それは大変よろしゅうございましたな。それでは二島様、中へお入りください。お着替えの方、ご用意いたしております」
「はい」
そうして絹衣と帝三はラメダリの奥へと向かおうとするが。
「九重、どこに行くのよ」
ひとりラメダリに背中を向けた九重に絹衣が声を掛けた。
「ちょっと野暮用があってな。出かけてくる。二島は先に帰っててくれ」
「え、ちょっと……。待ちなさい、何か隠してるでしょ? って盾鷲さん、邪魔しないでください」
帝三は身体を入れて、出入口を遮った。
「三じい、助かります」
「飆灯様、お気をつけて」
「待って! わたしも連れてって!」
「二島様!」
帝三は語調をやや強くした。その後やさしく微笑んで、
「飆灯様を引き留めてはなりません」
「どうしてよ?」
「飆灯様は決してわが身可愛さに動く人間ではないことを、二島様ももうご理解なさっているでしょう?」
「それは……」
「では誰のために飆灯様がご決断なさったのか、ご理解いただけますね?」
「……」
「
帝三が物憂げな眼差しを絹衣に向ける。
「これ以上飆灯様を悩ませないでいただけますかな?」
言葉ひとつ流れない静寂な空気。
虫の音だけが空々しく鳴り響く。
絹衣はただ俯いて、唇を噛みしめる。ただ耐える。
そんな気遣いだけに支配された、空っぽの空間を九重が安易に切り裂く。
「あのー。盛り上がってるとこ悪いけど、俺ぁあと一時間で配信期間が終了しちまうアニメを観たいだけなんだが……」
「ふんっ!」
「おおぉぉい! ストップストップ! 剣山はお花に使うやつだから! メリケンサックみたいに人殴るやつじゃないから!」
「このアホ! 勝手にしろ!」
握りしめた剣山を引っ込める絹衣。
ズカズカと店内の奥へ消えていく。
完全に絹衣の姿が見えなくなるのを確認してから、九重は微笑した。
「じゃあ三じい、二島を頼んます」
「承知いたしました」
それだけ伝えて、九重は身をひるがえした。
夏にも関わらず、彼らのやり取りは、まるで冬の朝の、白い吐息のように儚かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます