第34話

 花屋ラメダリを出発して数分。

 駅前の商店街を素通り。途中の細い路地裏へと足を運ぶ。

 街灯どころか、月明かりすらまともに差し込んでおらず、道の隅にはゴミ袋や酒瓶がいくつか捨てられていたり、いつ乗られたのかわからない自転車が放置されていたりする。

 ポケットに手を突っ込みながら、気だるそうに歩いていると、前方から白コートの人物が接近してくるのがわかる。顔はフードで隠れている。

 だんだん距離が縮まっていく。

 ――十メートル。

 九重は身体中に仕込んでいるナイフの存在を意識する。

 ――五メートル。

 フード越しだが、白コートが口角を歪めているのが見えた。

 ――二メートル。

 射程範囲。九重は左手に童素を集中させる。

 すると、白コート――髑髏は狙い通り、九重の左手に集まった童素の力を抑え込んだ。

 それゆえ髑髏に付け込む隙が生まれた。九重は右手に仕込んだナイフをすばやく出現させ、髑髏の喉元を切りつけようとする。

 しかし、その攻撃を事前に読んでいたのか、身体を後ろに反らして、髑髏は避けた。

 すかさず反撃。

 髑髏は九重のナイフを捌いて、掌底を九重の鳩尾に打ち込む。

 が、九重もそれを左手で上手く受け流し、その勢いで髑髏の目元に手刀を見舞う。

 それを髑髏はまたいなす。

 そんな一進一退の目にもとまらぬ速さの攻防が十数秒繰り広げられる。

 肉弾戦では九重に利がある。彼のナイフが髑髏の肩に到達しそうになるのだが。

 ナイフは髑髏の肩を貫かずに、むしろ弾かれてしまった。刃が完全に折れた。

「童素操作が相変わらず厄介だな」

 九重は左手に作っておいた童素のエネルギー弾を髑髏の顔面に打ち込む。

 手ごたえのない爆発音の後、九重は一旦、髑髏と距離を取る。

 煙が晴れると、そこから世界を嘲笑っているかのような声が九重の耳朶を打つ。

「さすがに手強いですね、君は」

「どの口が言ってんだ、この脳筋野郎が」

「チェスプレイヤーとしては、脳筋と言われるのはいささか複雑な気分ですね」

「あんたの童魔『童素操作』を形容するのにピッタリの言葉だろ? 脳筋」

「まあ自分でもお気に入りの能力ではありますね。どこまでも単純な強さは、そこに小細工が介入する余地すら与えない。シンプルな力量勝負ができるのですから」

 髑髏の『童素操作』は文字通り、童素の量を操れる能力。

 相手の童素量を自由に増減させることができるし、自分の童素量を増やして、身体強化ができたりもする。

 きっと本物の脳筋がこの童魔を使ってもさほど脅威ではないのだろう。

 だが生憎、髑髏はどこまでも論理的で効率的だ。『童素操作』を最も所持してほしくない相手と言っても過言ではない。

 現に髑髏は、自身の身体能力を童素によって上昇させている。

 身体硬化は確認済み。九重の体術についていけていたことから、反射神経や動体視力、俊敏性など、ありとあらゆる身体能力が増加しているだろう。

 髑髏はおもむろにマッチを取り出し、擦る。

 着火したマッチをすぐに地に落とす。

 そしてマッチの箱ごと九重の足下に投げてきた。

「ルドベキア特殊部隊『琥珀』の証です。拾うのであれば、『琥珀』への復帰を許可しますよ?」

「嘘つけ。あんたは裏切り者がいちばん嫌いなたちだろうが」

 マッチの箱をグシャッと思いっきり踏み抜く。

「それは残念です。昔馴染みの『盲愛のハゲワシ』は結局使い捨ての雑兵にすぎませんでした。プロモーション(チェスの駒のひとつ『ポーン』が昇格して価値の高い駒に変化することを表す用語)してくれることを密かに期待していたのですが、やはり君の抜けた穴を埋め――」

 髑髏がセリフを言い終わる前に、九重が童素のエネルギー弾を直撃させた。

 九重らしくない、怒りに任せた反射的な攻撃だった。

 けほっけほっ、と何ともないかのように咳き込む髑髏。

「ひどいですね。最後まで言わせてくださいよ」

「俺が言わせると思ったか?」

「思わないですね。なぜなら君はおそらくこう呼ばれるのを嫌っているでしょうから」

 ――ドゴオォォン。

 エネルギー弾を真正面から受け止めた髑髏は薄ら笑いを浮かべて、言った。

「『八丁荒はっちょうあらし』」

「ッッッ!!!」

 一瞬で間合いを詰め、仕込んでいた別のナイフで髑髏に斬りかかる。

 それを髑髏は二度躱し、三度目の斬撃を童素による身体硬化で防いだ。

 弾かれた反動で身動きが取れなくなった九重の腹部に、髑髏は目にもとまらぬ速さで張り手を繰り出す。

 決して張り手だけじゃない衝撃が九重の五臓六腑を震わせ、須臾しゅゆにして九重の意識を飛ばす。

 しかし、意識の喪失すら許さず、胸倉を掴んで、建物の壁に思いっきり叩きつけた。

 衝撃のあまり、壁が一部崩れ、九重の意識が再度戻ってくる。

 掴んでいた胸倉を離した。九重は壁を伝い、地面に滑り落ちる。

「誠に遺憾です。あの『八丁荒らし』がこれほどまでに落ちぶれていたなんて」

「……」

「君の取り柄は手数の多さでしょう。凪花火はどうしましたか?」

 髑髏はわかっていて訊いているのだろう。

 九重の童素が著しく弱まってしまうのも、すべて読んでいたということだ。

「……別に童素がなくてもあんたくらい問題なくぶっ倒せるさ」

「面白いジョークですね。さすがは八丁荒らし」

 のそのそと壁に寄り掛かりながら九重は立ち上がる。

「かと言って僕も油断するわけにはいかない。君の実力はよく知っているつもりですしね」

 髑髏は左の拳を振りかぶり、素直に顔面を狙ってくる。

 それを九重は顔をずらして避ける。

 即座に九重は髑髏の左手を右手で押さえて、拘束。そのまま上からナイフを突き刺した。

「んぐっ!?」

「ッッッ!?」

 ナイフの刃が九重の右手と髑髏の左手を串刺しにした。これで髑髏は身動きが取れなくなった。

 九重は余った左の掌を髑髏の腹部に向ける。

童魔転逆どうまてんぎゃく億悦愚楼おくえつぐろう

 白い綿毛のような光を纏った茨が次々と溢れだし、髑髏を襲う。

 通常なら対象の身体を貫くのだが、とっさの判断で障壁を張ったことで、髑髏が身体に穴をあけることはなかった。

 だが、ダメージを受けなかったわけではない。

 至近距離ということもあり、茨の衝撃が髑髏の全身を揺らし、吐血を誘った。

 血を口端から垂れ流しながら、髑髏は不気味に笑う。

「やってくれますねぇ、君は!」

 髑髏は反撃を開始する。

 九重は両手を防御に回せず、殴打を一方的に浴びることとなった。

 耐えきれずに億悦愚楼を解除し、左腕で顔面を守るが、今度は鳩尾を殴られる。

 何度も意識が飛びそうになるが、必死に堪える。

 堪えたからこそ、髑髏のナイフ攻撃を躱せたのだ。

 突き刺していたナイフを髑髏は抜いたのである。

 ナイフの突きを受け流した勢いを利用し、右フックをお見舞いするが、同時に髑髏から右ストレートをもらった。

 互いに一旦、後ろに退いた。

「『童素操作』ができる僕相手だとさぞ不便でしょうね、八丁荒らしさん?」

「不便だぁ? 笑わせるな。今まで培ってきた技術があれば、あんたくらい――グフォッ」

 せり上がる吐き気に負けて、血を吐く九重。

「やせ我慢もほどほどにした方が楽になれますよ。第一、誰のおかげで君は戦闘ができるようになったと思っているんですか?」

 どこからともなく、チェスで使う、白のナイトの駒を取り出し、眺めながら言った。

「命からがらに逃げていた君を保護し、世話をして、童魔の真髄をすべて叩き込んだのはこの僕ですよ? いわば君の手の内を知り尽くしている。そんな君がどうやって僕に勝つと?」

 消し去りたい過去を掘り返され、九重は顔をしかめる。

 それでも希望があるかのように、口角をニヤリと歪めた。

「でも、体術は『弱者じゃくしゃ』さんに教わった」

 刹那、髑髏の空気がピリついたのを認識した。

「俺ぁ『弱者』さんの意志を継いで生きていくんだよぉ。あんたみたいな三下に躓いてる暇はねえんだ!」

「すでに始末された裏切り者に興味は持てませんね。それがどうした、という感想です」

「その割にはずいぶんと顔つきが変わったように思えるが? あぁそうか、そりゃそうだよな。だってあんたは『弱者』さんにはずっと敵わなかったもんな。俺が知らないだけで、実は小便でもちびってたんじゃねえのかぁ?」

「もういい。死になさい」

 髑髏は持っていた白のナイトを九重の胸に向けて鋭く投擲した。

腹切芻霧死拾血蒼はらきりわらぎりしじゅうけっそう

 駒と身体が接触した直後。

 接触部位を中心に、放射状に赤黒い稲光が発生した。

 そして九重の背後の壁に赤黒い血液が、ナイトの駒の形になって飛び散った。

 九重は膝から崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。

「さて、とどめをさすとしますか」

 そう思い、髑髏が寄った時だった。

 ――ボウッ!

 路地裏の隅に放置されていたゴミ袋を中心に炎が燃え広がっていた。

「な、なんですか、これは!?」

 動揺しているうちにも、炎はますます拡散し、横の酒瓶に引火していった。

 炎の勢いがもっと強くなった。

 髑髏が出火原因を探るため、ゴミ袋を注視すると、中に穴の開いたスプレー缶が見えた。

 さらに一本の燃えカスになったマッチ棒もある。

 髑髏が捨てたものではない。

 ということは。

 髑髏が恨めしそうに九重を見下す。

「つまり戦いの最中にこっそりマッチ棒を抜き取り、捨てられたスプレー缶に穴をあけ火事を演出したということですか」

 猛々しく燃える炎は上空に焦げ臭い煙を放っている。それを歯噛みしながら髑髏は見上げる。

「うざったいですね。まるで『弱者』を相手にしている気分です」


 夜とはいえ、煙が上がれば、人は不審がる。

 駆けつけた町の人たちが「火事だ火事だ」と叫びだした頃には、すでに髑髏は姿を消していた。

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