第43話
廃墟となった大型ショッピングモールの地上四階。元は立体駐車場だったためか、最も広いスペースを取っている。探す手間がかかりそうに思えたが、髑髏はわざわざ自分から九重の方へとやってきた。
「ようやく来てくれましたか。待ちくたびれましたよ」
余裕綽々で歩いてくる。コツコツ、とふたりの足音が不気味なほど静かに響いている。嵐の前の静けさとはまさにこのことだろう。
「おいおい、ちゃんと燃えるごみとして処分したつもりなんだが、……あぁそうか粗大ゴミだから燃えづらかったのか」
「その鼻につく口調や虚勢は弱者譲りですか? 残念ですが今の君を見ていると、負け犬の遠吠えにしか思えないのですが」
髑髏は九重が失った右腕の辺りを見据える。九重はニヤリと、挑発するように微笑。
「ハンデだよハンデ。てめえをぶっ倒すなら足の小指だけで十分だよ」
「だとしてもハンデの割合が大きすぎやしませんか? 昨日に比べてまた少し童素が減っている気がしますよ?」
膝の上で絹衣を泣かせてあげた時の代償だろう。童素の減りを感じれば感じるほど、絶対に勝たなければならないと鼓舞される。強くなった気になれる。ただでさえディスアドバンテージが大きい九重の背中を押してくれた。
唇を噛みしめる。息を整える。パチパチと目を瞬かせた。
「二島を利用し、俺の童素が減ってから戦おうとする辺り、てめえは相当ビビってたみてえみたいだな」
「慎重に事を運んだまでですよ。僕はいつだって最善手を心掛けます。本当は二島さんが君を始末する手筈だったのですけど、やはり彼女には無理だったみたいですね」
「二島は誰よりも他人思いで超現実主義者の良い奴だ。無理だったんじゃねえ。てめえの思い通りになってやらなかっただけだ!」
――パァン。
九重による銃声がひとつ。
背後に鈍色のワームホールを目視。そしてすぐに消失する。
髑髏の仲間が九重を後ろから奇襲を仕掛けようとしていたのだが、九重が察知。ワームホールの向こう側にいた黒スーツに銃弾が直撃したため、童魔が解除されたのだろう。
ため息を吐く。
「ったく。だせえマネしやがって」
九重は拳銃からナイフに持ち替える。
「最後にひとつだけ訊いてもいいか?」
「なんでしょう?」
「俺を殺した後、二島はどうするつもりなんだ?」
「僕のことを無童係に言いふらされても困りますしね。それなりの処分は下すでしょう」
髑髏は下卑た笑みを浮かべる。
「ご存じですか? 死体相手なら童貞を失ったことにはならないのを」
瞬く間に髑髏との距離を詰め、相手の盲点を突いた死角からの蹴りで、数メートル先の壁まで吹っ飛ばした。
すぐさま追撃。電撃のように走って、髑髏の懐に飛び込む。ギリギリで躱してきたため、踏みつけられなかったが、そのまま地面を抉り、生じた石ころが衝撃で弾け、その破片が髑髏を襲った。
「ングゥ!?」
九重は右足を軸に回転し、左足を髑髏のあご目がけて、下から突き上げた。
「ゴフォ!?」
クリーンヒットし、三歩後退する髑髏。フラフラと身体を揺らす髑髏に対し、九重は攻撃の手を止めない。
ナイフを大きく振りかぶると、髑髏はそっちを強く警戒した。だが、襲ってきたのはナイフではなく額。つまり、九重は頭突きを髑髏に食らわしたのだ。早すぎる攻撃に童素操作が追い付いていない。硬化していない鼻頭にまともに頭突きを食らった髑髏は鼻血を垂れ流しつつも、一旦後ろに距離を取った。
「昨日とはまるで動きが違う。一日経っただけでパワーアップしたとでも言うんですか!?」
髑髏は童素操作を行い、身体能力を強化する。それでも九重は止まることなくナイフで切りつけようとする。片手を失ったデメリットを物ともしないアクションに髑髏は焦る。猛攻を続けるナイフにばかり目がいく。だから唐突にナイフが九重の手から離れ宙に浮いた時、思考が狂い、動けなくなった。その隙に九重は左手の親指と人差し指で髑髏の両目を潰した。
「はぁああああぁっぁぁあぁ!?」
さらに、宙に浮いたナイフを空中で蹴り飛ばし、髑髏の腹部に突き刺した。その出血よりも速く、髑髏の右ひざを足払いし、体勢を崩す。後は拳で殴打しようとしたのだが、髑髏がそれを許さなかった。
体勢を崩しながらも、ナイトの駒を手に持ち、それを地面に向かって投げた。
「
赤黒い稲光と共に、激しい衝撃波を発生させ、髑髏と九重を磁石の反発のように吹き飛ばした。
無事に束の間の安全を確保した髑髏はよろよろと立ち上がりながら呟く。
「まさか昔の戦闘センスを取り戻し始めているとでも言うのですか、君は……」
両目に手をやり、数秒で応急処置を完了する。
「ですが、僕だって昔よりも成長しているのですよ? 君のように童素を奪われたわけではありませんからね!」
ぺっ、と血痰を吐く。
「童素操作『変換』――回避強化――筋力向上――身体硬化――五感進化――変換超加速」
グッと踏み込み、地を蹴る。一気に駆け出し、九重は迎え撃つ。異様なまでの変貌を九重は感じ取り、一度は髑髏の拳を避けようと試みるが、想像以上のスピードだったため、右頬への殴打を許してしまった。脳が揺れ、身体が思うように動かせない。もはや意識があるのかどうかも怪しいレベル。何とか後ずさって、殴打の雨をいなしているが、いつ致命的なダメージを負うのかわからない。ただわかるのは反撃の隙が一切ないということだ。
十数回ほど髑髏の攻撃を避けたところで、ついに一発の拳を鳩尾に食らってしまう。
「ウグッッ……!!」
そこからはなし崩し的に殴られ続けた。童素操作の影響で、一撃一撃の重さが尋常ではなくなっている。
「お返しです」
そう言って髑髏は頭突きを繰り出した。九重の額に直撃し、脳みそがごちゃ混ぜになる。一呼吸入れる間もなく、髑髏が童素のエネルギー弾を込めた右手を突き出してきた。
「ぶっ飛びなさい!」
爆発音と共に九重の身体は勢いよく後方の壁に激突し、破壊。別のフロアまで吹き飛ばされてしまった。
「……ぁぁっ!」
ボロボロの肉体を起き上がらせた途端、滝のように吐血した。
コツコツと、悠々とした足取りでこちらへ向かってくる。
「もう限界みたいですね――なっ!?」
仰向けになっている九重が髑髏に、スイッチをオンにした懐中電灯を投げつけたのだ。
今は夜で廃墟だから明かりが乏しい。髑髏が童素操作で視覚を鋭敏にした点を逆に利用したのである。髑髏の視界は暗視ゴーグルをしているようなもの。だから突然、眼前に光源を当てられたら、まるで閃光弾を浴びたかのように目がくらむのだ。
思いっきり振りかぶった拳を、髑髏の顔面にお見舞いする。三メートル先の地面に背中をつけた。髑髏が頭をもたげ、舌打ちをした。
「執拗に童魔を使わず、小賢しいマネばかり。弱者が嫌いな僕への当てつけですか?」
髑髏は手近にあった、建物を支える大きな柱の根元を蹴り壊し、ボウリングの球のように指を突っ込み固定。そのまま引っ張り、上部を引きはがした。
「くそがっ……」
巨大な柱をこん棒のように構える髑髏。童素操作で筋力を強化した長所を十二分に生かした戦い方だ。
慣れない光景に九重はいつもより集中して身構えるが、髑髏は予想だにしなかった行動を取った。投げたのだ。やり投げのように一直線に。とてつもなく巨大な柱が九重に向かってくる。不意を突かれたのと、そもそも避けられるサイズの柱ではないという条件ゆえに、九重は受けるしかなかった。
顔の前で腕を交差して守ったが、あまり意味を為さず、すべての威力が全身を押しつぶした。吹っ飛んだ先の壁で柱は乱雑に壊れ、まともに受け身も取れなかった九重はぐったりとした虚脱感に陥っていた。指先ひとつピクリと動かせる気配すらない。
虚ろな瞳には勝ちを確信し、口角を歪めた髑髏が映る。
「所詮、君は僕の弟子で弱者と同じ敗北者。けれど君は誇っていい。僕のような天才が相手だったから負けたにすぎないんです」
血液が喉をせり上がった結果、しゃがれた声で九重は言う。
「作られた天才のくせによく言うなぁ。クローン野郎」
「……そうですか、君も知っていたのですね。なら尚更お掃除しないといけませんね」
「汚物は掃除される側だろうがよ。悪事を働くクローンはいちゃいけねえだろ」
「悪事を働くのは人間も同じでは? むしろクローンこそ生きるべきでしょう。いずれ性交渉せずともクローン技術を利用して人類が繁栄していく時代が訪れますよ? そうなれば男女による醜い争いや諍いもなくなる。だから君の今の発言は実に滑稽です」
「ロクなこと考えてねえな、ルドベキアは。やめて正解だったぜ。お前らはなんで性別があるかまるでわかっちゃいねえ」
頭から血を流しつつも、九重は続ける。
「つっても俺も最近わかったばかりなんだけどよぉ。要は醜い争いや諍いがあるから人間として成長すんじゃねえのか?」
滴る血と汗を拭う。
「男なんてまさにそうだろ? 好きな女の前ならカッコつけたいって理由だけで歯ぁ食いしばって前向こうとするアホなんだからよぉ。気が付きゃ成長が後からついてくる」
九重は自分の両親や親としての弱者を思い出す。
「そんでいつの間にか家族っつう大切なもんができて、弱音なんて吐く暇なく、油断すれば守るべきもんが掌からポロポロと零れ落ちちまう。そーゆー奇跡と絶望の繰り返しでやっとひとりの人間が生まれるんだから尊いんだろうが」
そんな尊い人間を九重は、幾人も葬ってきた。消えない罪悪感に苛まれながら、最後の力を振り絞って叫んだ。
「童貞しか守ってねえ俺もお前も、人間語ってんじゃねえよ!」
「いいたいことはそれだけですか? であれば、ここらで終幕としましょ――」
「九重!」
髑髏が両手に八つのナイトの駒を用意した刹那。
あの甘酸っぱくて美しい、でも今は少し雨に濡れたような声が空気を切り裂いた。
瀬織津姫を持った絹衣が暗い廃墟を駆け抜ける。
「九重! 今助けるから!!」
瀬織津姫にかなり色濃い童素が集まる。大技の予感を抱くが――
「これでチェックメイトです。
ひとつでも致命傷を与えたナイトの駒が八つ同時に九重の身体を襲う。
神の血を啜ったような色の稲光が暗闇を走った。
「…………ッッッッッ」
九重を中心に、赤黒い血だまりが広がり始めた。
「九重! 九重!!」
名前を連呼しながら、絹衣が駆け寄ってくる。しかし、名前の主は目を開けない。
「どうしてよ。……どうして…………」
九重の顔の傍に膝をつき、かがんで語りかける。
「せっかくあなたのことを許してあげたのに……どうしていなくなっちゃうのよ。ねえ!?聞こえているのでしょう?」
返事がない。それどころか眉根ひとつ動く気配がない。絹衣は唇を引き結び、鼻を啜る。
「あなたたち童貞は触れられると童素が弱まってしまうのよね? 知っているわ。知っているのだけれど、それでも……どうしてもわたしは今、あなたに触れたい。ねえ? 触れたら実はその怪我も治るんじゃないの? それで触れる直前であなたはビクッと起き上がって『触るな。童素が弱まる』って言うのでしょう?」
わかっている。もう彼の身体が冷たくなり始めているのは、触れずともわかっているのだ。だが絹衣は頬に手を伸ばし、触れた。初めて触れた頬の感触は少し冷たかった。将来どれだけ怒りや悲しみの熱病に侵されようとも、その冷たさがいつ
九重の目元を隠す前髪を軽く払った。
「あなたの犯した罪はなかったことにはできない。でもわたしは許したの。あなたへの復讐よりも隣にいることを選んだの。この選択がどれだけ苦しかったか、わかる?」
ポタポタと涙が九重の顔に降り落ちる。
すると、絹衣の思いが通じたのか、ヒュー、と今にも消えそうな呼吸を再開した。きっと残りわずかの命を絞り出しているのだろう。まつ毛の隙間からほんのわずかだけ黒と紫色の瞳が覗いたのを確認して、絹衣は表情を作った。
泣きながら笑った。
笑って言葉を紡いだ。
「あなたって本当にアホね。アホ、アホ。本当にアホ……」
絹衣は自身の額と九重の額をくっつけた。
「こんな別れ方イヤだ! いちばん幸せに別れられるまで一緒に生きたい!!」
コツコツと背後から髑髏が迫ってくる。
「そろそろお別れのお時間ですね。ここまで待ってあげるなんて僕って結構慈悲深いのでしょうか?」
キッ、と睨みつける絹衣。懐の瀬織津姫に意識を集中させた時。
九重が口を開こうとした。
「何? どうしたの九重? わたしはここにいるわ!」
「…………しゃがめ!」
……? 思わぬ言葉に呆気にとられる絹衣。だが事態はすぐに動いた。
九重の姿が幻だったかのように光に包まれて消えた。状況もうまく飲み込めないまま、とりあえず反射的にしゃがんだ絹衣。
「桜の痛みを知れ」
心の奥底から聞きたかったその声が、髑髏の目の前の何もないはずの空間から現れる。
淡い光が弾け、そこには出血の跡が見当たらない九重が桜色の童素の剣を手にしている。
髑髏は目を大きく見開いて、驚愕していた。
「八丁荒らし!!」
九重は桜色の剣を横薙ぎに一閃。
「
髑髏の胸部辺りに横一直線の斬撃が走る。だがそれだけではなかった。
桜色の斬撃は髑髏どころか、この廃墟ごと真っ二つに切り伏せていた。天井が切り口に沿ってズレ落ちていく。瓦礫の崩落音と合わせて、雨が上空から降り注いできた。
身体硬化を施していたおかげで身体が分断されなかった髑髏は、血を吐きながら言う。
「絶対殺す」
掌に生じさせた童素のエネルギー弾を九重に食らわせようとする。が、絹衣が遮った。
「瀬織津姫、眠りの時間よ――卯の
絹衣が一振りすると、降り注ぐ雨粒すべてに童素が宿り、それらが髑髏に向かって射出される。雨粒が塊となり髑髏の顔を覆う。溺死を誘う攻撃。
「ぅぅぅ……ッッッ!?」
溺れる前に、髑髏は童素を用いて雨水を払う。その隙に九重は絹衣の近くまで退く。
「いやぁてめえが馬鹿にしていた盲愛のハゲワシの幻術、すげえ役に立つな」
「まさか
「その通りだ」
――霊灯宮暗蕪鎧。
あらゆる人間の姿や声、スペックそのものをコピーできる能力。詠唱者の童素量にもよるが童魔もコピー可能。絹衣とバッティングセンターで勝負した時に使った『秋』の技だ。
「幻を見せるだけならともかく、実体があるように錯覚させるのはすげえ苦労したなぁ」
「もしや最初から僕が戦っていたのは幻だったとでも言うのですか、君は!?」
「ああ、そうだ。この幻術は対象者の視覚を媒介にしてから五感を狂わせるみたいでな。お前が殴ったり蹴ったりする分には問題ねえんだが、壁に激突した時とかは陰から俺が演出する必要があるのが難関ポイントだったなぁ」
つまり九重は髑髏にバレないように隠れながら、戦況を監視し、幻の姿による破壊音などを本物の九重が童魔で演出していたということである。
「九重って本当に凄い……ってことはわたしのさっきのセリフ、聞いてたってこと!?」
おずおずと訊いてくる絹衣。対して九重は気まずそうに頬を掻きながら答える。
「えっとまあ……同じ気持ちっつうか……そうだな。俺も幸福の中で二島と死に別れたい」
「~~~ッッッ!?!?!」
暗い雨の夜でもわかるぐらい絹衣は顔を赤くした。初めて一緒に恋心を共有できた気がして、ますます頬が熱くなった。
一方、髑髏は童素操作で自身の傷を治療しようとするが、どうもうまくいかなかった。
「斬撃を受けてから数分間は、いかなる方法でも治療不可となる。厄介ですね。君の『春』の童魔は――ウウッ……!!」
「幻術に比べればかわいいもんだ。わかっちまったよ、あの動画の正体が」
あの動画――とは九重の親が殺された原因に弱者が関わっていると疑惑が出た動画のことだ。
「あの動画自体に加工などの細工はされていなかった。そりゃそうさ。あれぁ盲愛のハゲワシが作った幻を撮っていただけなんだからよぉ」
「ようやく気が付きましたか。ええ、君をこちら側に引き込んで弱者を消すために必要な行程だったのです。ハゲワシはもう用済みになったので捨てましたが」
髑髏は童素操作で己の身体を黒いオーラで包み込む。
「ですがそれももう関係のないことです。君たちはまとめて消えるのですから」
髑髏の見た目は次第に骸骨と化していき格段に童素量が増えたのが目に見えてわかった。
「二島、気をつけろ。あいつは人の影を利用して攻撃を仕掛けてくる」
「わかったわ」
変身が完了した髑髏は、童素の塊を上空に打ち上げた。それはまるで月のような役割を持った。すなわち、九重たちの足下から影が伸びたのだ。
「
骸骨の顔で得意げに語る髑髏に対し、絹衣もしたり顔で返す。
「あら、わたしのことは眼中にないみたいで悲しいわ。今日が雨の日なのが運の尽きよ」
絹衣が瀬織津姫を切り上げると、髑髏の足下から大量の水が噴出した。激しい水圧に打ち上げられ、そして降りしきる雨粒が再び猛威を振るう。だが、髑髏もやられっぱなしでは終わらない。自らの影を伸ばし、己を球状に匿う。盾となりすべて弾いたのち、影の盾が消失すると、髑髏の姿も見えなくなっていた。
九重は殺気を感じ取った。九重の影から髑髏が出現し、童素を込めた拳が飛んでくるが、すんでのところで身をよじり、躱す。振り向きざまに九重は童魔を放つ。
「
またもや髑髏は影を伸ばして盾にする。その後ろから絹衣が髑髏を斬ろうとするが、絹衣の影から黒い棘が伸び、彼女を襲う。気付いた絹衣は咄嗟に髑髏を追い越して、上空の疑似的な月が背後に来るように仕向けた。つまり、絹衣の影を目の前にもってくることで、黒い棘を正面で迎え撃ち、防いだ。初見とは思えないほどの対応力であった。
影で追撃を止められた九重は方針を変え、億悦愚楼による茨で髑髏の半径三メートル以内を覆うように展開した。目を晦ました隙に、九重と絹衣は互いの武器を投げて交換した。絹衣はナイフを、九重は瀬織津姫を手にした。雨の日であれば、雨粒ひとつひとつに童素が宿っているので、絹衣が持っていなくても刃は残るようだ。
髑髏が影を通じて、九重の背後に突如姿を現したのだが、それを絹衣は予め読んでいて、先にナイフを投擲していた。髑髏は裏をかかれてまともにナイフを右目に食らう。
「クッッッ……!!」
九重はニヤリと笑う。
左の肩口から右わき腹まで、瀬織津姫で袈裟斬りにした。
「なぜ君がその童器を……っ!」
一時的に間合いを取る髑髏。再度、互いの武器を交換して、九重と絹衣は追撃を開始する。しかし、髑髏が床を思い切り殴りつけ、足場が崩壊し、九重と絹衣もろとも廃墟の三階まで真っ逆さまに落下する。
「二島!」
「九重!」
九重は童素を固めて、クッション状にしたものを絹衣の落下地点に挟み込む。絹衣は瀬織津姫で発生させた水で、九重の落下時の衝撃を和らげた。
双方の安全を確認し合えると、ふたりして相好を崩した。
「アホか。そういうのできるなら自分を守れよ」
「あなたに言われたくないのだけれど」
ふたつの眼光を髑髏にぶつける。すると、疾風のごとく距離を詰めてくる。
九重は弱者の暗殺術を想起し、完全に気配を闇に溶かす。転瞬、瀬織津姫の刃と髑髏の拳が衝突する。
「わたしの家族の仇討ちはきっちりさせてもらうから」
「差別ですか? 八丁荒らしと僕の何が違うというのです? どちらも殺害に加担したというのに」
「九重の良い所は知っているけど、髑髏のそれは一切知らないの。ただそれだけ」
薙ぎ払って、間合いが少し開く。髑髏は長細い瓦礫に童素を纏わせて、鉄パイプのように扱う。
絹衣と髑髏の斬り合いが始まる。時に金属音のような鋭い反響が。時に爆発音のような鈍い
実力はおおよそ互角。体力的に絹衣が劣勢だったが、何もないと思われていた暗闇から、突然、石ころが髑髏の腹部を貫通する。
「ゴフォ……!!」
九重が蹴りを駆使して、音もなく石を投擲したのだった。その後も何度か投擲が続くが、そのすべてをいなすか防御した。だが、九重によって気をそらされたせいか、今度は絹衣の姿が見えなくなった。さすが弱者の娘といったところか。暗殺者の才能が生まれつき備わっているのかもしれない。
拳銃で九重が牽制して時間を稼ぐ。髑髏は影の弾丸を飛ばし、翻弄。着弾地点がそのまま影となり、そこからにゅるっと髑髏が移動してきた。意表をつかれた九重は背後から童素の衝撃波をまともに食らってしまう。
「調子に乗るなよ、弱者の亡霊どもがぁぁ!!」
石が貫通したことで出血が多いのか、追いつめられた髑髏が怒号を飛ばす。
その瞬間、髑髏に一点集中で雨が降る。
「
刹那、髑髏の傷口から血が噴き出る。
「ぁあああああぁぁぁああぁあぁあぁ!!」
「あまり叫ばない方がいいわよ。死ぬから」
叫んだ途端、次は噴水のように吐血する。膝から崩れ落ちた髑髏は油断した絹衣に詠唱する。
「皓濤ト円呪――
「二島!!」
絹衣の影から無数の黒い棘が迫る。
童魔を組んでいる暇もない。切羽詰まった九重はただひたすらに絹衣に飛びつき、彼女を突き飛ばした。その際、黒い棘の一部が九重の肩や背中を掠めた。
「九重! 額に変な紋章が……」
「気にすんな。これぐらいどうってことねえ」
「素晴らしい更生っぷりですね、八丁荒らし。庇った結果、死が確定したというのに、相手を慮るなんて。どうやら善人はすぐに死ぬという話は本当らしい」
「はぁ? 何言ってんだ。こんなのマジで気にするこたぁねえんだよ!」
へっ、と嘲笑し、言った。
「てめえをぶっ倒して仕舞いだっつってんだ」
九重がリスタートしようとしたタイミングで、
「九重、ちょっとだけ時間稼げる?」
と絹衣がボソッと訊いてきた。
「何か策があるのか?」
「ええ。確実に髑髏を仕留められるわ」
「わかった。じゃあ二島に任せるぞ」
言ってから驚いた。
――持つ者は持たざる者のために生きなければならない。能力があるのに、それをあますことなく行使せず、他者に任せるのは怠慢です。
この言葉に縛られ、九重はいつだってひとりで完結しようとしていた。他人に任せるなんて天地がひっくり返ってもありえないような男だったくせに。
今、ナチュラルに絹衣に最後を任せたのだ。ずっと嫌いだった自分のことを好きだと伝えてくれた彼女になら、信用を預けられる安心感があった。彼女の前でなら遠慮なく自分を嫌いでいられる。見捨てられないとわかっているから。
九重は絹衣を背中に隠すように立った。後ろで絹衣が詠唱を始めた。
「錆びた鎖の感覚を忘れ、願う。雨よ、雨よ降れ。紅と白で正しさを象徴せよ――」
「大技が来るとわかっていて、待つほど僕も甘くはありませんよ。
「こっちだって待ってもらおうなんざ思っちゃいねえよ」
左手を地面に置き、童素を流し込む。白い童素は九重と絹衣をサークル状に囲むように広がる。
「億悦愚楼ノ
例のごとく、白い童素は綿のような光を纏った柳へと変貌し、髑髏の攻撃を防いだ。一時的に眠る九重の横で、なおも絹衣は詠唱を止めない。
「――
柳のサークル外では、髑髏とサンタ&トナカイが交戦していた。
「君らに攻撃すれば理不尽な反撃を食らいますからね。面倒くさい相手です」
トナカイは咆哮で、サンタは武器を投擲して、参戦している。
そんな中、九重が目を覚ますと、すぐに別の童魔発動に取り掛かった。
「
九重が『秋』の童魔を展開し、髑髏の部下の黒スーツに化けた。指をパチンと鳴らすと、絹衣の正面に鈍色のワームホールが現れる。互いにアイコンタクトを取り、頷き合う。
「――跳梁、溺愛、浸蝕。揺らぐ
「いけ! 二島!!」
深海のような色のオーラに包まれた絹衣が光の速さでワームホールへと突っ込む。
転送先のワームホールは今も交戦中の髑髏の背後に構えられている。
(とった――)
髑髏に悟られるよりも速く、絹衣は瀬織津姫を振り抜き、髑髏の身体を通過させた。
「
技が決まると、まるで台風の目の中に入ったかのように急に雨が止んだ。髑髏自身も何が起こっているのか一瞬理解できなかったが、即座に変化が生じた。
「うぅ……ぅぁ……っ!!」
髑髏の身体がカラカラに乾き始めたのだ。黒い靄は取り払われ、髑髏の素肌が垣間見える。次第に肌の水分が蒸発し、枯れ木、あるいはミイラのような姿となった。
話す猶予すらなく、枯れ果てた髑髏はなすすべもなくうつ伏せに倒れた。死が突然であることを雄弁に語っていた。
「……はぁ……はぁ……」
ドサッと。
技の反動で全身が倦怠感に見舞われた絹衣は、尻もちをつく。
「二島!」
九重が駆け寄る。
別に絹衣が死ぬわけではないのは彼女の顔を見ればすぐにわかった。それでも九重は少しでも早く絹衣の傍にいたいと思ったのだ。
息切れしている絹衣は、九重の方を見上げた。
殺意以外の感情すべてを含めた、安らかな笑顔が九重の瞳に映った。
天井に開いた大きな穴から本物の月明かりが九重と絹衣を照らす。
「九重。一緒に帰ろ?」
絹衣が手を差し出してきたわけではない。むしろ絹衣は独力で立ち上がろうとしていた。
だが、九重は自分の意志で童素を代償にし、意味もなく彼女の手を握った。
これから意味のあるものにしていこうと思った。
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