第44話
髑髏との一件、そして水面下でうごめいている全人類童貞化計画は無童係の上層部の一部にだけ伝えられた。ルドベキアは世の中の中心すぎる。下手に手を出したら、世間を大混乱にしかねない。なので、無童係は密かに、陰から捜査の手を伸ばすだろう。
また、詳細を知っている人物が九重と絹衣しかいないため、ふたりは特例で無童係に所属することになった。絹衣に関しては戻ったと言った方が正しいが。今後は、絹衣の元上司に面倒を見てもらうことになりそうだ。
とはいえ花屋ラメダリとの縁が切れるわけもなく、今も
先日もお世話になった病院の一室。
ベッドに横たわっている九重の傍で、帝三は丸椅子に腰かけている。ペラペラと紙をめくる音だけが、病室に響く。帝三が病室に来てから、小一時間ほど経った頃に九重は『それ』を読み終わり、ホッとため息をつく。
「あの~三じい」
「なんでございましょう」
「なんか色々とおかしくないですか?」
「はて、私にはさっぱりでございます」
「そうですか……。じゃあ一個ずつお話ししますね」
九重は胸の前でクロスに拘束された腕と枷をつけられた脚をガシャガシャと暴れさせる。
「何ですこれ?」
「それは拘束具でございます。あ、ご心配なさらず。それらはドン・キ○ーテでは購入しておりませんので」
「そこは別に気にしてないです。じゃなくて格好のこと! 魔獣みてえな扱いなんですが」
「飆灯様は病室脱走という前科がありますからね。病院関係者全員が同意しております」
「ちょっとぉ? 三じいも共犯者ですよね? 俺に武器置いてったのだあれ?」
「ふぉっふぉ。とはいえ飆灯様が脱走した翌日はずっと尻を舐めたものですよ?」
「拭ったんですよね? ただの言い間違いですよね?」
「さて、真相は闇の中でございますな」
「斜め上のごまかし方……」
「まあ飆灯様の右腕が戻ったのは幸いですな」
「それはそうですね……ってうまく話をそらされた……」
あの後、切断された右腕が無事に残っていたので、持って帰ると、童魔を使った手術で元通りにしてもらえた。リハビリは必要だが、順調に回復傾向にある。
嘆息ついでにもうひとつ。
「それと三じい。新人賞に出す原稿を読むのは今じゃないとダメでしたか?」
そう。先ほど九重が読み終わったのは、帝三が執筆したライトノベルの原稿。新人賞に出そうという意気込みは買うが、如何せん九重は現在封印されし魔獣のように拘束されている。帝三にページを捲ってもらったとはいえ、体力を削られ、疲労を感じる。
「それはですね飆灯様。新人賞の応募締め切りが一週間後なのです。だからです」
「私情でしかない!」
拘束具をガシャガシャ鳴らしながら、九重は抗議する。
「それにそんなにギリギリに仕上げてもクオリティの高いモノは生み出せませんし。しっかり推敲しないと的確に批評されますよ? 意外とメンタルが豆腐な三じいだと死んじゃうと思いますよ?」
「お喋りがすぎますぞ、小童が」
「急なキャラ付けやめて! もしそういうキャラ書いてるならそれもやめてぇ!」
「ふぉっふぉ。冗談ですよ。では、そろそろ私もラメダリに戻るとします。仕事と推敲が残っておりますので」
「ありがとうございました。復帰したらまた手伝いに行きます」
恭しく帝三が礼をした。歳不相応に若く無邪気な顔が去っていく。
それから十分後。
何やら姦しい声がふたり分聞こえてきた。だんだん近づいてきて、その音源は九重のいる病室に入ってきた。
「お土産持ってきたで~」
関西弁丸出しで、加藤結愛が銀髪をなびかせながら大雑把に椅子に座る。
後から、絹衣も入室した。黒と白の違いはあるが、ふたりとも無童係の制服を着ている。
結愛はガチガチに拘束されている九重を見て、ケラケラと笑い出した。
「あはっは! 何なんそれ、おもろすぎやろ」
「うっせえ病人を労われ」
「はいはい。ほら、バナナとか持ってきてんで…………うーん、甘―い」
「お前が食うんかい」
「あぁごめんごめん。九重には栗用意しといたから、お食べ」
「この病院はボケなきゃ入れてくれないルールでもあんのか」
ケラケラという笑い声が一層大きくなる。笑いすぎで目尻に涙を浮かべながら、結愛はカサカサと紙袋を漁る。
「果物以外にも持って来てんで。ちょっとここで遊ぼっかなーって思ってさ……」
そう言って結愛が取り出したのはなんと――――猿ぐつわだった。金属製の。
「お前これ以上俺を拘束してどうするつもりだ!?」
「あ、あれぇなんやこれ……」
「とぼけても無駄だぞ。もうお前は俺の中でむっつりスケベの烙印を押されている」
「あ、これお兄ちゃんにおつかいで頼まれとったやつやわ。取り違えてしもうたんや」
「おい、どいつもこいつも濃いキャラ付けばっか置いてくなよ。気になっちゃうだろうが」
軽快なやり取りにひとりついていけていない人物が。そのことに気付いた結愛はニヤニヤしながら、絹衣を小突く。
「あ、ごっめーん。そういえばウチ、この後用事あるんやったわ。こんなところで油売ってる場合やないな」
「え、結愛、今日は何もないって……」
結愛は去り際、絹衣にウインクした。
「それにこの空間にウチはおじゃま虫みたいやし。緊張してお見舞い行くの渋ってた絹衣ちゃんも連れてこれたから任務完了やな(笑)」
「ちょ、ちょっと結愛! 余計なこと言わないでいいからっ!!」
「ほんならまたなー、九重、絹衣ちゃん」
九重たちの返事を待つことなく、さくっと帰ってしまった。
唐突に訪れたふたりきりの空間に戸惑いながらも、何とか言葉を発することができた。
「……嵐のように去っていったな」
「……そうね」
会話が止まる。
そよぐ風。白いカーテンが揺らめく。
嫋やかに張り詰めた静寂と温かさが、絹衣と九重の瞳を繋いだ。
重力に引き寄せられているかのように、夢中になる。
寄せては返す熱情の波に何度も飲まれ、頭が呆ける。
このまま流れに身を任せていれば、楽園にでも漂着できるのではないか、というアホな考えさえ愛おしく思えた。
どれだけ時間が経ったか判別がつかないが、とにかく沈黙を破ったのは絹衣の方だった。
「も、もどかしいわね。もうっ……」
「す、すまん」
何がすまん、なのか自分でもよくわかっていない。口をついて出ただけだ。
目を泳がせながら、絹衣は一本の煤けた万年筆を九重に見せた。
「これ。見た目はなんてことないただの万年筆なのに、どうしてわたしやお父さんにとって大事なものだってわかったの?」
髑髏との最終決戦前、絹衣に授けた弱者の――絹衣の父の万年筆。
九重はフッと優しく微笑んだ。
「娘から初めてもらったプレゼントだから大切に使ってるんだって聞いたんだよ」
「ふーん、そう…………そっか」
伏し目がちに絹衣ははにかんだ。
おそらく絹衣は父親が弱者としてルドベキアに勤めていたことを聞かされていない。暗殺者として父親が幾人も殺してきたことを聞かされていない。弱者は徹底的にその事実を隠しているらしかった。どこまでも家族の前では普通の父親でいたかった、とそんな気がする。
その証拠に、八丁荒らしとして二島家を襲撃した時、家の中はもちろん、弱者自身も武器を携帯していなかったのだ。
とはいえどんな時でも現実を見定められる絹衣のことだ。薄っすら勘付いているだろう。それでもこうやって大切に想われているのだから、きっと弱者は報われている。
あとは九重が弱者の遺志を継ぎ、殺した数以上の人を、そして絹衣を救い続ける。
ここではないどこかを見つめていると、絹衣が言った。
「お父さんからはもういっぱいもらったし。この万年筆はあなたが持っておいていいわ。これからは九重がたくさんの何かをくれるんでしょ?」
絹衣は夏祭りの時のように、にへら、と笑った。
あの夜に咲いた本物の笑顔を思い出す。
差し出してきた万年筆をじっと見据えて、九重は苦笑いする。
「今持てないから、そこの棚に置いといてくれ」
「締まらないわね……」
コトン、と言われた通り、棚の上に万年筆を置いた。
荷物をまとめて、絹衣が立ち去ろうとする。彼女の綺麗な後ろ姿に言葉を送った。
「ありがとな、絹衣」
「……うん、九重。またね」
振り向きざまに顔の横で小さく手を振ってきた。痛いほどの熱が頭からつま先までを走り抜けた。
じきに夏も終わる。あと何十回しか訪れない夏が終わる。
窓の外に何となく目を向けた。
涼しい風に吹かれて、宙を舞う
すべてが片付くその時までは。
――誇りをもって童貞であり続けよう。
童貞しか魔法が使えない世界で無双する俺にクール系美少女が「わたしと寝たことある?」と聞いてきたが、まったく身に覚えがない。 下蒼銀杏 @tasinasasahi5
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます