第29話

 花屋ラメダリが閉店時間を迎え、空の底が白く、天に近くなるほど青黒くなっている黄昏時。


 花の甘い匂いと絹衣を店内に残し、裏にある駐車場で九重と帝三は会話を交わしていた。


「三じい」


「何でしょう、飆灯様」


「俺ぁラメダリでのバイトを辞めようと思ってます」


 鉄の塊でも引きずっているかのように重々しい口ぶりで主張する。


「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」


 帝三は変わらず穏やかに微笑を浮かべながら、続きを促す。


「これ以上周りの人間を巻き込めないです」


「二島様の件ですか?」


「すでに起きた事件で言えばそうですが、今後は別の人間にも危害が加わるでしょう」


「私のことでしたらお気になさらないでください。飆灯様がいなければこの命はとうに尽きておりました。あなた様のお役に立てるのならそれが本望であります」


「だからこそです。せっかく救われた命を俺のせいで無駄に散らして欲しくないんです。俺の近くにいたらみんな傷ついてしまう……」


「飆灯様はどこまでもおやさしく、謙虚で、慎重なお方だ。そう簡単にやられてしまうほど、あなた様は弱くないではありませんか」


 帝三は目を緩やかに細める。


 しかし九重は険しい表情を止めない。


「髑髏が本気で俺のことを殺そうとしています。あの様子じゃおそらく手段を選びそうにない」


 わずかに錆びついたフェンスに九重はもたれかかる。


「あいつがなりふり構わず俺を狙いに来たら、勝てる自信がねえ」


「以前、飆灯様はこうおっしゃっていませんでしたか? 『髑髏との実力は拮抗している』と」


「たしかに前は言ってました。でももう今はそんなことを言えなくなったんです」


 九重はおもむろに右手の人差し指を上に向ける。


「花火の音が聞こえなかったことはあるか?」


 指先に白い童素が収束する。


「凪花火」


 指先に集まった飴玉のような童素は宙へ打ち――上がらなかった。その場で消滅していったのだ。


「これは?」


「俺の童魔『春夏秋冬』の内の『夏』が使えなくなっちまいました。『夏』がいちばん童素の消費が大きかったんで妥当な結果でしょう」


「もしや二島様と何か……」


「まあ助けに行った時にちょっと……」


 九重は物憂げな視線で、自身の人差し指を見つめる。


 凪花火が使えなくなった原因は十中八九、あの時のキスだと言い切れる。


 今でも童魔が使えるのは、九重が持つ童素量が元々多かったから。並大抵の童貞であれば、童素を失うとまではいかないが、致命的な状況に陥っていたことは想像に難くない。


 とはいえ九重はあの行為を後悔しているわけではない。あの場では、あれが最善手だったはずだし、何よりそれで絹衣が救えたという結果があるのだ。


 絶体絶命だった形勢を鑑みれば、おつりが出るほどである。


 黙りこくった九重を見て、帝三は頭を下げた。


「申し訳ございませんでした。私が飆灯様に二島様と一緒に過ごすようお願いしたのが何よりの発端であります」


「頭を上げてください、三じい。こうなったのは全部俺の意志……いや義務です。宿命です。三じいが気に病むことはありませんよ」


 フェンスから背中を離し、何とかなだめようとする九重。


 何にも悪くない帝三に申し訳なさを強要してしまっていると思うと、また自己嫌悪が胸中を渦巻く。


 自分にはありあまるほどの童素があるのに、どうして身近の人間を不幸にしてしまうのか。つらい思いをさせてしまうのか。


 時々わからなくなる。


 この罪悪感は一生消えないとわかっている自分が、正しく、誠実に恩を返し、罪を償えているのかが。


 自分はしっかり罪を背負って生きていけていると安心したいがために、他者を助けているのではないかと疑うこともある。


 そんな迷いまくりの自分を断ち切る宣言をするかのように、九重は口を開く。


「もう三じいや二島には迷惑をかけません。俺ぁそろそろ白コートの連中――ルドベキアにけりをつけることにします」


「ルドベキアってあの大企業のでございますか?」


「そういえば三じいにまだこの話はしてなかったですね」


 九重は上空を見上げながら、大まかに説明する。


「突如として顕現した童魔という力について、有力な研究成果を出したのがルドベキアなのは知ってますよね?」


「存じ上げております」


「童魔のありとあらゆる情報を調べ上げ、それを産業に組み込んだ立役者がルドベキアであり、いまや発電方法も火力や原子力と共に童魔による発電が主力になっていたり童魔を用いて木材を調達することで環境破壊を遅らせたりと、俺たちの生活の中心に童魔があるのはすべてルドベキアのおかげ。ここまでが一般人に公開されているルドベキアの情報でしょう」


「まだ何か……なるほど、そこで白コートの連中と話が繋がるのですな」


「さすが三じい、話が早いです」


 九重は駐車場に転がる石ころを軽く蹴った。コロコロと転がり、排水溝へ落ちていった。


「ルドベキアの裏の顔は、老若男女問わず誘拐し、ある実験のために非人道的な拷問を繰り返し、そのほとんどを虐殺しているところにあります」


「なんと!?」


 顔のしわが目立つ帝三は、カッと目を見開いた。


「このことは俺以外は誰も知らないですし、三じいが驚くのも無理ないでしょう」


「世間に知れ渡れば大混乱をきたすでしょうな」


「そうですね。勝手ながら三じいのことは信用してますので、お話ししました」


「これはこれは。私にはもったいないお言葉でございます」


 恭しく返答した帝三に対して、九重はいまだ厳めしい面持ちを維持する。


「白コートの連中はルドベキアの秘密組織『琥珀こはく』の特殊部隊に配属された奴らです。闇でのヤバイ取引や暗殺を専門とし、一切の証拠を残さない、厄介な集団です」


 九重は手のひらに童素の塊を出現させては消して、を意味もなく繰り返している。


「お詳しいですね、飆灯様。もしや――」


「わたしを置いて何の話をしているのかしら?」


 帝三の言葉を遮る形で、絹衣が割り込んできた。帝三のお気に入りの黒い薔薇を片手に仁王立ちしている。手入れの途中だと思われる。


「いや、別に何も……」


「何もないならどうしてわたしから目をそらすの?」


 悠然とした足取りで近づいてきた絹衣は、九重の顔を覗き込む。


「もしかして、バイトを辞めるとか?」


「お前、聞いてたのかよ」


「え!? ホントに辞めるの?」


「鎌かけたな」


 絹衣は口をポカンと開けて、目を見張っていた。本当に聞いていなかったらしい。


 九重はもうしらを切ることは難しいと考え、両手を後頭部にもっていく。


「バレちまったら仕方ねえなぁ、そうだよ。もう花屋のバイト飽きたから変わろうと思ってさぁ」


「嘘ね」


 間髪入れずに絹衣がそう言明する。


 九重が狼狽しながら取り繕う。


「は、はぁ? 嘘じゃねえし、真面目に次のバイト考えてるし。……あー、アニメイトで働いてみてえんだけどな。あそこ、週5ぐらいはシフト入らないといけないっぽいしなぁ」


「あなたは何かをごまかす時、目をそらしながらふざけるの。まだ数カ月の付き合いだけど、そのくらいわたしにもわかるわ」


「……」


「そうやって黙るのもあなたの癖だわ。正直は美徳だけど、時には損するわよ」


「だったら何なんだ」


「あら、怒った? けれど怒鳴らないわよね、あなたは」


「……」


「ほら、やっぱり。わたし今、かなり嫌味な言い方してるつもりなのに、あなたは絶対に怒鳴らない。我慢するの、そうやって」


「……悪いか、我慢するのは」


「いいえ、ご自由に?」


 絹衣の高圧的な物言いに対し、九重はまるで借りてきた猫のようになっていた。


 静謐な空気に包まれる。


 しばらくして先に口を開いたのは、九重だった。


「辞めるか辞めないかは俺の勝手だ。お前だって俺がいなくなったら清々するだろ?」


「そうね、セクハラされる恐怖に怯えなくて済むもの」


「だったらなんで――」


「怒ってなんかないから!」


 なんで怒ってるんだ――と九重が言い切るのを先読みして絹衣がピシャリと断言した。


 九重は心の底から疑問そうに眉をひそめる。


 言いたいことは山ほどあるはずなのに、そのどれもがいつまでたってもまとまってくれない。思考を巡らせば巡らせるほど、頭から言葉が抜け落ちていって、口だけが早とちりしてパクパクと動く。


 早く何か言わないと、という焦燥感が刃物のような言葉を九重に紡がせた。


「だったらもう俺なんかに関わるな」


 言ってから九重は後悔する。


 あまりにもコンスタントに強い言葉で絹衣を切りつけたのだ。


 他者に奉仕し続けることでしか生きる価値を見出せない、見出してはいけない人間が自分勝手な都合で他人の行動を禁止したのだ。


 この上ない自己嫌悪に苛まれる。胃から酸っぱいものが込み上げそうになる。


「あ、……えと……」


「そ。わかった」


 九重がしどろもどろに言葉を付け加えようとするが、絹衣はあっさり了承の意を示した。


 涙を浮かべているわけでもなければ、額に青筋を立てているわけでもない。


 機械のように無表情だった。


 絹のような黒髪を切ないほどなびかせ、九重に背を向けた時。


 ――絹衣の花屋の制服のポケットから、一枚の紙きれがヒラリヒラリと地に落ちた。


「……?」


 九重が小首を傾げて、拾った。それは小さめのメッセージカードだった。


 そこに目を通すと、




『助けてくれてありがとう』




 ボールペンで、達筆な字で、そう書かれていた。


 再び、視線をカードから持ち主へと戻すと、そこには恥ずかしそうに頬を赤らめ、目尻に涙をためている絹衣がいた。プルプルと小刻みに肩を震わせてもいる。


「……それ、返して」


 口を引き結んで、上目遣いで睨んでくる。


 率直に言うと、絹衣のやせ我慢姿がどうしようもなく可愛く思えた。さっきまでの吐き気や自己嫌悪をこの時は忘れることができた。


 嗜虐心をそそられ、九重は薄く口角を歪めた。


「いーや」


「ッッッ!??!!?!」


 キッと眼光を鋭くし、強引にカードを奪い取ってきた。


「こ、これは……まだ、下書きみたいなものだから……」


 ボソッとそんなことをこぼした。


 赤くなった顔を背けながら、偉そうに宣った。


「そ、そういうことだから、まだバイトに残ってなさい」


「は? そういうことってどういうことだよ。省略しすぎだろ」


「ッ!? そのくらい察しなさいよ、もう。……危険を顧みずに、しかも、その……自分の童素を犠牲にしてまで助けてくれたくせに、その相手が不要な責任感じてウジウジしているのよ?」


 照れを隠すために、やや言葉尻が強い気もするが、九重は遮らなかった。


 絹衣はルビーのような瞳を向けて、言った。




「そんな奴、放っておけるわけないじゃない」




「……っ」


「ちょっと! 黙らないでよ!」


「あ、あぁ……その」


「あーもうじれったい! はい、これ!」


「ナンコレ?」


 絹衣は手に持っていた黒い薔薇を九重に押し付けてきた。


「これ、まだ手入れの途中だから。続きはあなたがやっといて」


「マジかよ」


「じゃあ、わたしは帰るわね」


 そう言って絹衣はそそくさと店内へ戻ろうとしたのだが。


「ん? これは何でございましょう?」


 途中、性懲りもなくまたポケットから四つ折りにされた何かのチラシを落としたのだ。


 それを今度は帝三が気づいて、拾った。


「はてさて。これはもうすぐ開催される夏祭りの――」


「ほわああああぁああああぁぁあ!?」


 パニックを起こした絹衣は血まなこになって帝三から夏祭りの情報が載っているチラシを没収した。


 とっさににらみを利かせる。


「……勘違いしないで」


「何を?」


 九重はわざととぼける。


「何でもない!」


 ぎゅうぅっとチラシを握りしめる。しわになったところまで微細に揺れている。


「なあ、二島」


 頭を雑に掻く。


「行くか、夏祭り」


「だ、だからこれは、その、えっと……そう! 盾鷲さんと行こうかと思ってたの」


「パパ活かよ」


 落ち着き払って、九重は絹衣に詰め寄り、サッとチラシを抜き取る。


「ええっと、日時は……次の土曜日か。悪くはないな」


「ちょ、ちょっと! わたしは別にあなたと行くなんて一言も――」


「ああん? お前ビビってんのか?」


「ビ、ビビッてないし。チキッてるだけだし」


「意味一緒だろうがそれ」


「黙りなさい! あなたがひとりいようが百匹いようがわたしはビビらないわよ」


「途中からゴキブリみたいな扱いにするのやめろよ」


 九重と絹衣の会話を眺めていた帝三は、穏やかに微笑した。


「大変微笑ましい光景ですな」


「「微笑ましくはない」」


「やはり息ぴったりなコンビなのでは?」


 無邪気な笑顔の帝三が、九重たちの言い合いの流れを変えた。


 絹衣はふんっ、と視線を背けて、踵を返す。


「あーもう最悪。誰かさんのせいでこんな奴と花火見に行くことになったなんて」


「いや、元はと言えば二島がポケットから災いのもとをポンポン落としていったからだろ、ドラ○もんかよ」


「うるっさい!」


「お前、家の鍵とかはポケットに入れんなよ、絶対落とすから」


「言われなくてももう入れないわよ、大変だったんだから」


「すでにやらかしてたわコイツ」


 最後にポンコツを晒してしまった絹衣はズカズカと歩みを進める。


 店の裏口から入る直前、少しだけ九重の方に視線を寄こし、


「じゃ、また」


 とだけ言い残して、店内へ消えた。


 九重は彼女の姿を見届けた後、帝三にポツリと消えそうな声を発する。


「これでよかったのか……俺ぁ」


「飆灯様……」


「夏祭りに俺と行きたいってのは二島の願望だ。俺の意志じゃない、意志があったらダメなんだよ。あくまで二島の頼みを聞いただけだ。きっと俺と寝たことがあるっていう謎の記憶を探す目的だ、そうに違いない……」


 胸の内の、自分でもよくわからない何かに苛まれながら、九重は人差し指を天に向ける。


「凪花火」


 やはり童魔は発動せず、空虚な時間が流れるだけであった。


「ったく、どうしようもねえアホだな、俺ぁ」


 ハナからおかしいと思っていた。


 いくら異性と身体的接触をしたら童素が弱まると言っても、九重が絹衣にキスをしたのは人命救助のためだ。決して下心があったわけではなかったはず。


 それにしては童素の減りがやけに甚大な理由に、気付いてしまった。いや、今でも九重はそうであってはならないと自己弁護しているが。


 考えられる可能性としては、ただの友達を人命救助したのではなく、好きな相手だから助けたかったという根拠であれば、異常なまでの童素の減少を説明できるのだ。


 童貞らしくない思い切った行為に、自分でも無意識だった絹衣への好意。


 メッセージカードを見た時や夏祭りへ誘った時の心臓の高鳴りを考慮すると、そんなわけない、と一蹴できなくなっていた。


(二島が俺のことを好きだから夏祭りに誘おうとしてたって推測してる時点でさぁ、裏を返せば二島が俺のことを好きでいてくれたらいいなって思ってるようなもんじゃねえか)


 空の底はいつの間にか黒く塗りつぶされ、夏の夜風が九重の頬を撫でる。


 風が冷たく感じたのは、今日が特段冷え込んでいるからであって、決して恋情が体温を上げているからではない、と九重は密やかに言い聞かせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る