第2話
「あぁー童貞やめてぇ。美人と可愛いの中間ぐらいの顔した世話好きでちょっと毒舌な年下の女の子と寝床を共にしてえなぁ」
そう早口でまくしたてる
夕暮れ時。人波がせわしなくうごめくターミナル駅。屋外の大きな広場で、九重はひとりでベンチに腰かけている。
彼の瞳には駅前でいちゃつくカップルばかりが映っていた。
腕を組んで歩いているカップル。恋人繋ぎをしている高校生カップル。身長差が羨ましい大学生っぽいカップルなどなど。
「いいなぁ、俺も彼女ほしいなぁ」
そう独り言ちる九重。
(高校生の童貞はまだ救いがあるんだよ。だが成人済みの童貞、てめえはダメだ。悲惨すぎる、いや、マジで。この手遅れ感どーすんだよ)
現実から目を背けるために、ラノベを読もうと決心する。
九重が今読んでいるのは『非童貞下克上モノ』。力を持たない非童貞が頭脳を駆使して学園に迫りくる危機を乗り越えていく物語。
そもそも力を持たない非童貞とは何か。童貞は力を持っているのか。
百年前の人間であればそのような疑問を抱くだろう。だが今となっては常識の範疇。
――童貞の中には童魔という力を行使できる者がいる――
――童魔。
その正体は、一言で言えば魔法だ。
炎を出したり雷を発生させたり。
嘘みたいな話だが、童貞の体内に宿る童素という力を媒介にして、百年前に人類は魔法――もとい童魔が使えるようになったのだ。
何の前触れもなければ、百年経った現在でさえ原因は不明である。
そしてその童素の量と質は発動者の才能と、『いかに童貞らしいか』という特性に左右されるのだ。
そのため、童魔の力は童貞を捨てると同時に効力を失ってしまう。また、『いかに童貞らしいか』という特性ゆえに女性に直接触れられたりすると、童魔の力を失うとまではいかなくても、かなり弱まってしまう恐れがあるのだ。たとえば手をつないだりキスをしたりしてしまうのは、童貞を生業とする者からすれば致命的なのである。
九重がラノベの読書に勤しんでいると、大きな声で献血のお願いが聞こえてきた。
「血液が足りなくて困っている方がたくさんいらっしゃいます。どなたか、A型かO型の献血にご協力いただけませんか? あるいは血液を創造する童魔をお使いになられる童貞の方はいらっしゃいませんか?」
(しゃーねえ、また行くか)
九重はラノベをポケットにしまい、ベンチから立ち上がる。普通に献血をしに行った。
また、歩いている途中に『電気を操る童貞の方急募』と書かれたバイト募集の張り紙を見かけた。駅前の居酒屋に貼ってあったのだ。
このように、今や童魔という特殊な力が現れたおかげで、人類は童貞で経済を回すことを覚えた。童貞は職業として重宝されているのである。
かくいう九重は高校に入ってすぐ、童貞としてある企業に勤め、兼業。
出席日数を稼ぐためだけの高校生活だったが、勉強はできたため大学には困らなかった。
しかしあることがきっかけで企業を辞め、今はとある花屋でバイトをしている大学生だ。
眼前に流れる人ごみの中から、
「童貞ってすごいよねぇ。童魔が使えたら楽しそう」
という女の子の会話が聞き取れた。九重はひとりで愚痴る。
「童貞なんてそんないいもんじゃねえよ。くっそ忙しいし、何とかやりくりしてやっとラノベを数十ページ読めるくらいだし。アニメなんて全然追えねえしよぉ」
九重は無事に献血を終え、再びベンチに座り直した。
「彼女とイチャイチャしたことすらない俺ぁ人生の五割は損してるに違いねえ」
溶けるようにベンチにもたれかかった。
「ま、残りの五割はNF文庫のラブコメが満たしてくれるからな。あーNF文庫最高!」
九重はグッと伸びをする。強張っていた背骨が伸びていく感覚が気持ちいい。
夏が近いということもあってか、辺りは妙な熱気に包まれている。それに人も多く息苦しい。だから九重は清涼な空気を求めて、何となく空を見上げた。
ターミナル駅の特徴とでも言うべきか。周りには様々な店がある。ガラス張りになっているので、外からでも建物内にどんな店があるのか把握できる。見える範囲ではレディースものを扱う服屋と、ドリンクの名前がやたら長くて有名な大手のカフェ店が構えている。
壁に設置されている電光掲示板には今日の日付と気温が表示されている。
六月二十五日。二十度。
「あ。今日、NF文庫の発売日じゃねえか。楽しみにしてる新刊があるんだよなぁ。マジNFのラブコメ最高」
便利なことに、このターミナル駅の近辺にはアニメイトがあり、九重はよく通っている。グッズなどは購入せず、毎回ライトノベルや漫画だけを買いに行く客として。
NFの新刊に思いを馳せながら、九重はアニメイトのある方へ身体を向けるが――
「皆さん、『
かなり焦った様子で警備員と思われる方がそう叫んだ。駅前とはいえ大きな声だったので、歩いていた人たちは非常事態に即座に気が付き、一斉に逃げ出した。
パニック状態だ。
悪童が現れるのは珍しいことではないが、巻き込まれれば危害が出てしまうのは明白なため、一般人が我先にと逃げ出してしまうのも無理はない。
天敵に見つかった草食動物みたく逃げ惑う人々に対し、異を唱えるかのようにボーッと立ち止まる九重。
そしてただ一言。
「……マジかぁ」
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