童貞しか魔法が使えない世界で無双する俺にクール系美少女が「わたしと寝たことある?」と聞いてきたが、まったく身に覚えがない。
下蒼銀杏
第1話
「お父さん、お母さん。ぼく、大きくなったら童貞になる!」
当時五歳だった
子どもらしい屈託のない笑みを浮かべて。
それに対し、彼の両親はまるで息子が百点満点のテストを持って帰ってきたかのように目を爛々と輝かせた。
「よく言った! さすが俺の息子だな!」
「そうね、あなた。母親としてすごく誇らしいわ」
飆灯家、ダイニングでの会話。
父はガシガシと九重の頭を撫でる。母は笑顔のままキッチンへ移動する。
「せっかくだから今日はごちそうにしましょうか」
「やったぁ! ぼく、ハンバーグがいい!」
「ハハッ。そりゃいいな。将来、童貞として働くならそのぐらいの子どもっぽさでいてくれた方が安心だもんな。ったくもー、将来有望な自慢の息子めー! おりゃ、おりゃ!」
「あ、ちょ、お父さんやめてよぉ」
父はまた九重の頭を乱雑に、かつ、やさしく撫でる。
親子三人の間で、確かに笑いが起こっていた。それは決して『童貞になる』という九重の宣言を嘲笑するものではなく、ただ誇らしい夢を掲げた息子への純粋な笑いであった。
「でもどうして急に童貞になりたいって言ってくれたの?」
母が夕ご飯の準備をしながらそう尋ねてきた。
「だってカッコいいじゃん、童貞」
九重の発言に迷いはなかった。そのまま身振り手振りを使って大仰に気持ちを表現する。
「悪いヤツを倒したり、困っている人を助けたりするのがすごくカッコいい! ぼくもあんな風になりたいんだ! ひゅーん、どかーん!」
身振り手振りでは飽き足らず、バタバタとリビングを走り回る。
「こーら! 走り回ると危ないぞ」
「ふふっ。元気すぎるのも困ってしまうわ」
飆灯家が再び笑いに包まれていった。幸せの真っただ中。
童貞、と聞けば誰もが抱く印象。
――モテない。ぼっち。あとは、子孫が残せない。
そう、子孫が残せないのだ。すなわち『童貞になる』なんて発言はまさしく飆灯家の未来を閉ざすようなもの。であれば、今しがた飆灯家を包むこの幸せムードは何なのだろうか。まるで童貞には明るい未来が待っていると言っているようなものではないか。
こんなのは変だ、異様だ、おかしすぎる。
そんな感想を抱くのは、間違いなく時代遅れだ。
抱くとすれば、そいつは百年前からタイムスリップしてきたとしか思えない。
今や童貞ほど有能で有益で重宝される者は存在しえない。断言できる。
大丈夫だ。決して妄想でもなければ、地球がイカれたわけでもない。
「大人になったらぜったい童貞になって、みんなのヒーローになるんだ!」
九重の無邪気な主張が部屋中を震わせる。
大きな夢への第一歩。
サッカー選手でも宇宙飛行士でもなければ、動画配信者でもない。
数ある夢の中から、九重は『童貞』を選んだにすぎない。
この日から、彼は優秀な『童貞』になるために血のにじむような努力をした。
朝から晩まで。
ある時は、リア充が活気づく、花火がきれいな夏の夜にも。
ある時は、リア充が活気づく、クリスマスの聖なる夜にも。
リア充が元気になっているとき、だいたい九重は夢に向かって奮励していたのだ。
そうして九重は中学三年生にして『童貞』を職に活かせる資格を獲得したのだ。異例のスピードだった。
素晴らしいではないか。
幼き日に夢を持ち、一途にその夢を離すまいとひた走ったのだ。
そんな童貞の鑑である九重も、時が経ち、今は二十歳。
現在もなお、童貞を守っている彼の瞳には一体何が映っているのだろうか。
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