第6話
「飆灯様、大事なお話があります」
「なんですかぁ、三じい」
花屋『ラメダリ』の店内。
入り口前で色とりどりに咲き誇るたくさんの花々。
もちろん店内にも所狭しと植物が並んでいて、都会とはまた違う緑の息苦しさを覚える。
すでに還暦を迎え白髪が交じったこの花屋の店主、
「本日、新しいバイトがいらっしゃいますぞ」
「マジですか。男ですか女ですか?」
「女性だと伺っております」
「俺より年下? それとも年下?」
「年齢は、確か二十歳、つまりは同い年でございます」
「同い年ですかぁ。まあ世話好きでちょっぴり毒舌で美人と可愛いの中間ぐらいの女の子だったらいいなぁ」
花屋『ラメダリ』の清潔感あふれる制服に身を包んだ九重は、店内を彩る花たちの水の入れ替え作業の手を止め、新しい出会いへ思いを馳せる。
花のふわふわとした甘い香りが九重の鼻腔をくすぐり、浮ついた気持ちを加速させる。
帝三は後ろ手に組み「ハハッ」と緩やかに微笑んだ後、言葉を紡ぐ。
「これでまた、この花屋も一段と賑やかになるのでしょうな」
「まあ今のところ店員が俺と三じいしかいないですからねぇ。お金がないのはわかりますが、もう少し人件費に回してもいいんじゃないですか?」
「鋭い意見、さすが飆灯様でございますな。飆灯様の見事な仕事ぶりに甘えていたのかもしれません」
「ん~くるしゅうないなぁ」
大げさに胸を張る九重。
だが実際、九重の仕事ぶりは素晴らしかった。この後、来店してきた客に「おすすめはどれですか?」と聞かれれば、客の好みや用途を瞬時に把握し、適切な花をプレゼンするし、花の新鮮さを保つための管理も欠かせない。それはまた帝三も同じレベルの、あるいはそれ以上の手際なため、『ラメダリ』のようなこじんまりとした花屋を営むぐらいなら、この二人だけでも十分回ってしまうのだ。
そしてその日の夕方。九重は店外に飾っている花の様子を見に行った。
夏であるから、花を浸けている水がかなり少なくなっていた。花が吸ったのだ。加えて水が若干汚れてもいたので、新しい水に取り換えた。
ひととおり手入れが終わり、九重はふと外から店全体を眺める。
たった今ジョウロで水を浴びた鉢植えの花は、夕焼けの色を反射し、オレンジ色の輪郭を点々と浮かばせている。だがそれだけではなかった。店内の様子が見えるように店の表面はガラス張りになっているのだが、鉢植えはそのガラスにも映っていた。ただ、その姿はとてもおぼろげで、夕焼けのオレンジは散らばってはおらず、ほのかに包み込んでいるようだった。
ガラス越しに見える店内の美麗な花々は確かに存在を確認できるが、どことなく薄れていて、今だけは黄泉の世界のようなミステリアスな背景と化していた。浮世から離れたような背景とガラスに映る鉢植えの透明のはかなさが夕日を媒介にして融けて、混ざり合った。だから同じくガラスに映る九重は、自分も黄泉の世界へ迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えた。
そんな時のこと。
黄泉の世界を映す鏡に、九重以外の人物がいたことに気が付く。
九重の隣にいる彼女もまた、透明であった。しかしガラスにうっすらと映る彼女は九重のいる世界とは違う、つまりは黄泉の世界の住人であると言われた方が納得のいくほどの美しさであった。
彼女の造り物めいた顔を照らす夕日の光すら、彼女の前では鈍くて重く感じるし、そもそもこれがガラスに映る姿であることを九重は今の今まで失念していた。
それほどまでに、彼女はこの場の何よりも主役であった。
「あの、すみません」
それが九重に向けて掛けられた声だということに、一瞬気が付かなかった。甘酸っぱくて美しい声だったからだ。美化された思い出のような響きであった。
「あの! すみません!」
彼女は返事がなかったことを不快に思ったのか、今度は少し強めに言葉を投げかけた。
九重は意識を覚醒させ、彼女の方へあわてて振り向いた。
「はい、なんでしょ……う、か……」
言葉は自然と途切れてしまう。
濡羽色の長い黒髪は絹のようになめらかで、涼やかな風になびく様はまるで蝶のようだ。切れ長の瞳は、彼女が真っすぐで誠実な性質であることを静かに物語っている。海軍軍服のような、白を基調としたユニフォームに身を包んだ彼女はまさに清廉という言葉が似合う女性だった。
九重と同様、彼女も彼の顔を見るなり口をパクパクさせて、驚いた表情を見せる。
数秒の沈黙の後、九重が先に、
「……あの、何か俺の顔についてますか?」
彼女は顔を隠すように帽子のつばをいじってから、言った。
「あ、えっと……その、寝ぐせがついてますよ」
「え!?」
両の手を頭に乗せ、わさわさと動かしながら確認する。が、どこにも寝ぐせらしきところは見当たらなかった。
これまた、彼女は目をそらしながら言う。
「あ、寝ぐせかと思ったら眉毛でした」
「いや、どんな間違いだよ。なんかごまかしてるだろ」
あまりのとんちんかんな物言いに思わず敬語が抜けてしまった。彼女は九重に何か思うところがあり、それを隠したつもりなのだろうが、如何せん嘘が下手すぎる。第一印象で抱いた誠実さは間違っていないようだ。
「ごまかしてなんかいません」
彼女は「んんっ」と咳払いし、帽子を取って頭を下げた。
「わたしは元警視庁公安部公安第一課第五公安捜査の
恭しく、絹衣はそう宣った。非常に丁寧で礼儀正しい所作。その姿に決して乱暴とか暴力とか、そういった攻撃的な性質は隣り合わない。
「……絹衣、だと?」
けれど九重はその名前と無童係に所属していたという情報を聞いて、身震い。
両手で守るように、とっさに股間を抑えた。
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