第7話

「そ、そんなわけないじゃないですか! いきなり女の子にそんなこと言うなんて、あなた、もしかして変態ですか!?」


 花屋『ラメダリ』の控え室。というかこの部屋は帝三の住居スペースだ。観葉植物が少し飾られているぐらいで、あとは平均的な家のダイニングだと思ってもよい。


 以前までは九重と帝三の男ふたりしかいない、味気のない部屋だったが、今は鈴の鳴るような罵声が響くぐらいには味がある。


 絹衣は顔を赤らめ、かつ両手で顔を覆い隠している。


 そんな絹衣とは対照的に、九重はいたって冷静に続けた。


「や、だってお前の同僚らしき人たちが言ってたぞ。上司のゴールデンボールをオーバーヘッドキックしてどこかに飛ばされたって」


「違います! わたしはしつこくセクハラしてきた上司のあごをオーバーヘッドキックして飛ばされただけです!」


「オーバーヘッドキックはホントなのかよ」


「まったく……。根も葉もないうわさをすんなり信じないでよ」


「葉と茎くらいはあったぞ」


 九重は絹衣のファーストインプレッションからは予想できなかった凶暴性に気圧された。


「三じい、コーヒーのおかわりを。あと、こいつにはノイローゼに効くハーブティーをお願いします」


「御意」


「蹴り飛ばすわよ」


 帝三が温かいブラックコーヒーとハーブティーを運んで来て、九重と絹衣はそれぞれ、飲み物に口を付ける。帝三が直々に豆を挽いて作ったブラックコーヒーは口の中で深みのある苦みが膨らみ、美味である。絹衣も先ほどまでは強い口調を放っていたが、やはり根本のところで礼儀正しさだったり慇懃いんぎんさだったりが、カップを持つ瞬間や音を立てずに飲む見事な所作の中に垣間見えている。


 絹衣はふう、と息をついた。


「で、あなたがなぜ無童係の人間と知り合いなわけ?」


「もう敬語は使わねえのかよ」


「敬うべき相手にしかわたしは敬語を使わないの」


「あ、そうかい……」


 九重は頭をポリポリと掻く。


「そりゃあ、あれだよ。先日あったろ? 炎の悪童が暴れ回ったって事件。そんときにちょっとな。なんか雪の童素が組み込まれた童器を使ってたヤツがな……」


「あー、結愛ゆめから聞いたのね」


「結愛?」


 なにぶん九重はあの時、無童係のメンバーの下の名前を聞いていなかったので、結愛という単語に聞き覚えがなかった。


 そこに割り込んできたのは、帝三である。


「飆灯様がお会いしたのは無童係の二大美人のうちのひとり。雪の加藤だと思われます。陰気な彼女から放たれる関西弁が無童係の間では好評らしいですぞ」


「盾鷲さん、お詳しいですね。無童係に何か接点がおありなのですか?」


「私が医者だった頃にできた知人が無童係にいましてね。ピエロみたいな姿で糸目が特徴の――ちょうど二島様にこの店を紹介した男だと存じます」


「あ! そうですそうです。女性らしい雰囲気で、よくしてくださった先輩のことですね」


 どうやら帝三と絹衣に共通の知人がいたようだが、九重にとってそんなことはどうでもよかった。前のめりになって帝三に質問する。


「三じい。二大美人ということはもう一人いるんですよねぇ? 誰なんです、早くマーキングしないと他の男にとられてしまう」


「もう一人は今、目の前にいらっしゃいますぞ」


「は?」


 九重は間抜けな顔で固まる。目だけを動かし絹衣を一瞥。彼女はまさにゴミを見るような目で彼を見ていた。


 帝三は年齢不相応に、あどけなく微笑した。


「二大美人のひとり。雨の二島は彼女で間違いないでしょう」


「三じい」


「なんでございましょう、飆灯様」


「耳クソ詰まっててよく聞こえなかったんで、耳鼻科に行ってきます。二日後ぐらいには帰りますので――って痛い痛い、服を引っ張るな!」


「そんなにかかるわけないでしょっ! この変態!」


 席を立ちあがった九重の襟首を後ろから掴んで引っ張る絹衣。そのせいで九重の逃走が阻まれる。


「あっぶね!」


 九重は九死に一生を得たかのような口調になり、いまだ継続している首への圧迫感にあわてている。


「お、おいっ。俺の身体には絶対に触れるなよ! 童素が弱くなっちまう」


「へ? あなた、もしかして童貞なの?」


 絹衣はきょとんとして襟をつかむ力を抜いた。急に解放されたため、九重は進行方向に少しよろめく。


「ああ、そうだよ。俺ぁれっきとした童貞だ。だから女に触れられると童素が弱くなっちまって童魔が使えなくなる」


 そう。童魔の強さというのは童素の量が大きく関わってくるのだが、女子に身体的に接触すると、童素が減ってしまうのだ。


 キスはおろか、手をつなぐなどもしないように日々、気を付けなければいけない。


 絹衣はあごに手を当て不思議そうに首を傾げる。


「でもさっきあなた、わたしにマーキングするとかほざいてたじゃない? そんなあなたがなぜ童魔の力を守ってるの? キモチワルイ……」


「最後のは余計だろ」


 九重はテーブルの上にある少しぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し、温かい息と共に言葉を吐いた。


「俺にはどうしてもやらなきゃいけねえことがあってな。……そのためには童魔の力が必要だし、だからその用が済むまではぁ童貞やめれねえんだよ……」


 遠い目をしていた。


 九重以外には見えない何かを見つめていた。いや、もしかすれば九重自身も見えていないのかもしれない。


 深く、そして矛盾してしまう洞察を要するほど、彼は遠くを見つめていた。


 なんとなく口を挟む気分になれず、絹衣はただ彼の姿を見据えていた。帝三はいつもと変わらない真剣な眼差しで九重を見守っていた。


 重くなった空気を見かねて、九重はおどける。


「ま、あとはこの女に俺のゴールデンボールを蹴り潰されたくないしなぁ」


「あなたがセクハラしなければ蹴ったりしないわよ」


「…………てへぺろっ!」


「あなたねえ……」


 眉間に手をやる絹衣。疲労がたまっているようだ。


 九重が「やっぱ毒舌がすぎる。怖いから不採用にしといてください、三じい」と捨てゼリフを吐き、控え室を出ようとした姿を見て、絹衣は「ちょっと待って。あなたの顔を見た時からずっと言いたかったことがあるの」と前置きをし、彼女は目を泳がせ、顔をリンゴみたいにさせながら、とんでもないことを言ってのけた。




「あなた、その……高校生の時にさ、わたしと…………寝たことある?」




「ぎゃおーす」


「飆灯様、日本語が行方不明ですぞ」


 九重はこの場に留まらざるを得なくなった。

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