第8話
場所をダイニングからリビングへ移して、九重たちは会話を続ける。
九重と絹衣は向かい合わせでコの字型のソファーに腰を沈める。
帝三は「命の恩人である飆灯様に仕える身ですので」と言って、九重と絹衣だけを座らせた。横で少しも姿勢を崩さず直立をキープしている帝三は、絹衣から聞いた話のあらましを要約した。
「つまり二島様には、高校時代に飆灯様と付き合い始めた時から、そういった行為に及んだまでの記憶はあるのですが、思い出の写真や品が一切ないためまったく信じていないと」
「はい」
「ですので二島様は、知らない間に誰かから記憶改ざんの童魔を施されたのではないかと疑っているのですね」
「その通りです。このご時世、そういった童貞がいてもおかしくはないでしょう?」
「おいおい。ラメダリ前で初めて顔見た時はすげえ美人だと思ったけどよぉ、ふたを開ければ暴力をいとわない妄想ビッチじゃねえか大丈夫か」
「へえ~あなたもわたしのことを美人だと思うんだ?」
「後半の情報を処理しろ」
白のニーハイに包まれた長い脚を行儀よく揃えてはいるが、彼女のドヤ顔が目に入ると、脚を組んで偉そうにしているようにしか見えない。
帝三は律儀にメモを取りながら、質問をはさむ。
「ちなみにその記憶というのはいつから?」
「えっと……一年前のある朝、起きたらふと頭に残っていたんです」
九重は頭をダルそうに掻いた。
「ていうか二島自身がそのヘンテコな記憶の存在をありえないと思っていて、もちろん俺もそんなわけねえって思ってる。じゃあもうこの話は終わりにして忘れちまおうぜ」
「いやよ。わたしの頭の中に不審者のあなたを理由もなしに居座らせたくないわ」
「不審者言うな」
「第一、わたしがラメダリで働くのは決定事項だし逃れられないわよ」
「さっき面接に来たって言ってなかったか?」
帝三が割り込む。
「すでに裏で話は通しておりましたので、今日は実質、顔合わせのつもりでございました」
「あ、そうでしたか……」
この話を避けることはできないと悟った九重。
しかし抵抗、というより反論をすることは諦めてはいなかった。
「じゃあ話を戻すけどよぉ、俺ぁ正真正銘の童貞なんだよ。童魔だって使える。今ここで見せてやろうか?」
「そこまで言うなら見せてもらえるかしら」
そう言うと、九重は座ったまま右の掌を上に向けた。何か詠唱するわけでもなければ身体をりきませるわけでもない。
ペンを持って文字を書くぐらい簡単に、シャボン玉のような球体を出現させた。表面が陶器のように真っ白だった。
その童魔行使の瞬間を見た絹衣はややおどろいた様子である。
「あなたのそれ……テーマは何なの?」
「これ自体にテーマはねえよ。ただの童素の塊だ」
九重の言い分を聞いた絹衣はよりいっそう驚嘆した。
「そんなことできるわけないわ! 童素を具現化するためには器がないと上手く形を留められないはずよ。コップがないと水を溜められないようにね。だから普通は炎とか雷とか、そういう自然界の現象を借りて、想像上でそこに童素を吹き込む。それが童素の具現化の基本でしょう?」
「基本にとらわれすぎ。要は形さえ留まれば器なんてなくても問題ないってこと」
「や、理屈はわかるけど……」
目の前で起こっている常識外の現象に言葉が続かない絹衣。重力に引き寄せられるかのように自然と視線が白い球体へと注がれる。
ほんの少し時間が経つと、まさしくシャボン玉が破裂したかのようにそれは消失した。九重が消したのだ。
「ま。これで俺が童貞だってわかったろ。そんならさっさとビッチくさい妄言を取り消して大人しく花屋としての人生を謳歌することだな」
「ビッチって言わないで。わたしは絶対にしょ――ってな、何言わせようとしてるのよ、アホッ!」
ただ嫌悪の眼差しを向けてくるだけかと身構えていたが、意外にも絹衣は顔を真っ赤にしてうろたえた。不覚にも九重は、上目遣いで睨んでくる彼女の仕草を想像以上に可愛いと思ってしまった。
ストレートな可愛さに言葉を紡げないでいると、絹衣は無理やり平静を装い、自分の発言を取り繕うように述べた。
「ま、まああなたに何を言われようがわたしは平気なんだけどね」
「意外と、その、あれだな……。二島って、可愛いやつなの?」
「か、可愛いって言うな! う、うれしくなんてないし……」
桜色に染めた頬のまま、絹衣は前髪を執拗にいじる。プライドがあるのか、顔を見せないように俯いている姿が、やはり可愛らしい。
九重も九重で、彼女の愛らしさに動揺していた。このままではだめだと思い、お茶らけたことを言う。
「これで俺に対して当たりが強くなかったら良かったのになぁ」
「なら、これからはもっと当たり強くするわね」
即答だった。
羞恥の原因となった九重に対する八つ当たりの面もあり、少々言葉尻が鋭くなっている。
「ですが飆灯様と二島様はこれからラメダリで共に働く仲間です。仲がよろしくないのは店長として、いささか困りものでございます」
隣で九重と絹衣のやり取りを眺めていた帝三が困り眉で諭した。
「三じい? もしかしなくても、たぶん二島と仲良くしろって言いますよね?」
「さすが飆灯様。私の考えなど一から十までお見通し、というわけですな」
「盾鷲さん。お言葉ですが、初対面で下品な話題を振ってくる男と仲良くはできそうにありません。わたしは大人ですのでうまくやることはできても、仲良くはできそうにないです。本当にごめんなさい」
「こっちこそお断りだよ。九の毒舌に一のデレが通用するのは二次元だけなんだよ。リアルでやられてもストレスしかたまらねえ」
バチバチと視線で火花を散らすふたり。
そんなふたりを意に介すこともなく、帝三は穏やかに微笑みながら告げる。
「では、二島様の記憶の謎を究明するのと、仲良し大作戦を兼ねて、今晩は二島様が飆灯様の家で夕食を振る舞っていただけませんか?」
「「いやです」」
「ははっ。意外にも息ぴったりではありませんか」
「「ちがいます…………合わせんな!」」
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