第20話

 九重と別れた後の絹衣は一直線に悪童がいると思われる体育館の方へ向かっていた。


 絹のような黒髪を振り乱し、走る。汗を置き去りにする。


 ヒールを履いてこなくてよかったと、心から安堵した。


 とはいえ今日はいつもの無童係の制服ではないため動きづらく、余計に体力を消費してしまうのも事実。


 激しい呼吸を繰り返しながらも、絹衣は体育館付近に着いた。


 観察する。


 ほとんどの学生は無事にこの場を離脱していたのだが、問題は逃げ遅れた人が一部いるということだ。今も息を殺し、必死に口元を手で押さえ、草陰などに身を潜めている。見つかるのも時間の問題だろう。


 肝心の悪童は、自身の周りに土で構成されたゴーレムのような物体を三体ほど従わせている。大木のような拳が大学の建物や樹木などを無差別に荒らしまわっている。


 悪童の年齢は二十代後半ぐらいだろうか。上下鼠色のスウェットに無精ひげを生やした、一見、だらしのない男である。


 彼は目を血走らせながら高笑いした。


「我だって! 我だって本気を出せばこのぐらいできんだよ! 我を落ちこぼれだと罵った奴らにも見せてやりたいぜ」


 彼自身も童素の塊を巨石に変え、校舎に放つ。


 積み木でも崩すかのように簡単に崩壊し、その崩れ去る音が土の悪童をより興奮させた。


「この童魔の力を使えば一攫千金も夢じゃねえ。我に勇気を与えてくださった盲愛もうあいのハゲワシには感謝しかねえ」


「その盲愛もうあいのハゲワシという人が黒幕なのね」


「ああん? 誰だお前」


 不機嫌そうに眉根を寄せる土の悪童の視線の先には、凛とした佇まいの絹衣がいた。


 まるで湖の畔を歩いているかのように静穏な姿であった。


 臆することを知らないかのように絹衣は歩みを止めない。


 そんな彼女の得体の知れない行動に土の悪童は焦燥感を抱いた。


「おいっ。止まれ! 殺すぞ!」


 彼は左の掌を絹衣に向け、童魔で生成した巨石を放つ準備をする。


「どうしたの? 打たないの?」


 絹衣は考えなしに挑発しているわけではない。矛先を自分に向け、周りで隠れている学生たちに危害が及ばないようにしているのだ。


「我を舐めるな! 恕妬岩しょっとがん!」


 巨石が絹衣へ放出されるが、彼女は表情ひとつ変えず、おもむろに何かを取り出す。


瀬織津姫せおりつひめ、さざめいて」


 絹衣が持つ『それ』から青い水の刃が生えたことで、『それ』が剣の柄だったことがわかった。


 海のように澄んだ水の刃は、絹衣の指示を受け小刻みに震えた。


 キイイイイィィィィィンという振動の音が鳴ったかと思うと、絹衣を襲うはずだった巨石は粉々になった。


 もちろん周りへの被害もゼロ。


「なっ!?」


 絹衣は土の悪童が息つく間もなく、接近する。


 標的は三体のゴーレム。


 一般人とは比べ物にならないほどの身のこなしで、次々と降りかかるゴーレムの拳を躱し、滑らかなで無駄のない動きでゴーレムの腕を斬り飛ばす。


 次に両脚。


 体勢を崩したところで、最後に首をはねた。


 残りの二体にも斬りかかる。


 ゴーレムの弱点は不明だが、とにかく体の部位を破壊することで、戦闘不能にすることを絹衣は図る。


 企み通り斬られたゴーレムは再起不能となっているが、厄介なことに、土の悪童は「湧け。もっと湧け」と言って、ゴーレムを五体ほど増やしていた。


 一体の戦闘力はさほど問題にはならないのだが、如何せん無限に増やされ続けると、絹衣ひとりでは手が負えなくなる。


「ハハッ。いくら手練れでも数には屈するよな」


「瀬織津姫、渦巻いて」


 すると、絹衣を中心に水が渦巻きだした。陸地に急に渦潮が発生したかのような状況になり、周囲のゴーレムもそれに巻き込まれ、水に溶けていった。


 開いた口が塞がらない土の悪童の動揺なんかつゆ知らず、絹衣は間抜け面した彼の喉元に水の刃を突きつける。


「終わりよ。大人しく投降しなさい」


 冷えた眼差しで睨みつけると、彼はニヒルな笑みを浮かべた。


「我のゴーレムは我が死んでも動き続ける」


「何を言ってるの?」


「いいのかな? 我に気を取られていると、ひとつ尊い命が失われていくよ?」


「まさかっ!?」


 絹衣があわてて後ろを振り返ると、草陰に隠れていたはずの学生が、いつの間にか生成されていたゴーレムに見つかっていた。今にも襲われそうになっている。


「瀬織津姫、波打って」


 そう指示して、瀬織津姫は水の斬撃をゴーレムへ飛ばした。


 しかし、なぜか斬撃はゴーレムの姿を通り過ぎていった。


「なぜ? たしかに的は射たはずなのに!」


「あれは幻だヨ」


 突如、背後から渋い声が聞こえたかと思った途端、絹衣は口元をハンカチで覆われた。


「んんんん~~っ!?」


 さらにハンカチには薬が染み込ませてあったのか、絹衣の意識がじわじわ奪われていく。


 薄れゆく意識の中で絹衣は思った。


(まさか……飆灯が言ってたもうひとりの敵…………不覚……だわ)


 ぷっつりと、ここで絹衣の意識は途切れた。




 それから数分後。


 全身を煤だらけにした九重が十秒弱で土の悪童を制圧した時には、絹衣と絹衣を襲った刺客の姿はなかった。


 冷えた風が、か細い木々を揺らしているだけであった。

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