第16話

 カキーン、カキーン。


 爽快な金属音が外気を震わせている。


 九重たちはバッティングができる施設の前まで来ていた。


 打てる場所が数か所設けられているが、どこも先客がいるので、順番待ちをしている。


 網越しに他人のバッティング姿を眺めながら、絹衣がある提案をしてきた。


「ねえ、わたしと勝負しない?」


「断る」


「怖けづいたの――って断るのはやっ」


「俺ぁ基本、運動は得意なんだが、野球だけはダメなんだ」


「ならなんでバッティングしたいって言ったのよ」


「できないものはやるななんてルールねえだろ。俺ぁ遊びでやるつもりだったの」


「わたしが言う勝負も遊びみたいなものよ。それにわたしだって野球は得意じゃないし、ちょうどよくない? それとも女の子に負かされるのが死ぬほど怖いのかしら?」


「はいはい、コワイコワイ。おしっこ漏れちゃいそうデース」


 エセ外国人みたいな口調であしらおうとする九重のつま先を、絹衣が思いっきり踏み抜こうとする。ギリギリで九重はそれを躱す。


「うおっ! あっぶね」


 一言文句言ってやろうと顔を上げると、そこにはリスみたいに頬を膨らませていた。


「むーっ」


 紛うことなき美人のふくれっ面に、九重は根負けした。


「わかったよ。やりゃあいいんだろ」


「ふふん。わかればいいのよ」


 絹衣は目を閉じ、やれやれ、といった感じでいるが、よく見ると口角がわずかに上がっていて、嬉しがっているのがバレバレだ。


 こういう、表情に思わず出てしまうところが妙にあどけなくて可愛くて、困る。


 そうこうしているうちに順番が回ってきた。


 絹衣がバットを構える。


「じゃあ勝負の内容は十本中多く打てた方の勝ちってことで」


「おう」


「負けた方はジュースおごりで」


「定番中の定番だな。友達いないから知らんけど」


「フフフフフフフフフッッ」


「笑いすぎだこんにゃろ」


 絹衣は慣れない手つきで設定を操作し、打席に入る。


 得意ではないと言ったわりには、構え方が様になっている。


 十分に腰を落とし、狙いを定めて大胆にスイング。


 カキーン。


 ボールはきれいな軌道を描き、高く飛んでいった。


 九重は茫然とする。


「おい、何が得意じゃないだよ」


「嘘じゃないわ。他のスポーツは本職に引けを取らないぐらいにはできるのだけれど、野球だけはアマチュアレベルなのよね」


「おいおい、こいつの発言ぜったい学校で浮いてたヤツのそれそのものだろ」


「う、浮いてなんかなかったし。むしろ沈んでたし!」


「それはそれでどういうことだよ」


 絹衣は次のボールもかっ飛ばし、絶好調。


「まあ勝負内容に則れば、ボテボテのゴロもホームランも同じ一ポイントなんだし気楽にいきなさい」


「上から目線やめろ。あとしれっと俺がゴロ打つって決めつけんな」


 結局、絹衣は一球だけ空振りし、終了。


 九重は合計九回以上打たなければいけなくなった。


 バッターボックスに立ち、瞬時に脳内でシミュレーションをする。


(動きはわかるんだが、どうにもバットに当たらねえんだよなぁ)


 九重もおぼつかない所作で、バッティングの設定を完了させる。


「さあ、こい!」


 腰を落とし、重心を固定。目は真っすぐ球を見据える。


 大きく振りかぶって、打つ――と見せかけて、九重はバットを両手で支え始めた。


 そのまま飛んでくるボールを迎え入れ、確実に当てにいった。いわゆるバントである。


「うっわ」


「おい、普通に引くなよ。バントがダメって言ってなかった二島が悪いかんな! そ、そうだよな?」


 そのあとも九重は順調にバントでポイントを稼いでいく。


 第八球目。


 そのままの調子でバントを決めてやろうと思っていたが、絹衣が嘲笑まじりに、


「打ち方教えてあげようか?」


 と網越しに勧誘。


 球が発射される直前なので、九重は無視して集中力を高めるが、絹衣がこう続けてきた。


「――手取り足取り」


「なっ!?」


 動揺で手元が狂い、バントを失敗してしまった。


 バントされなかったボールはむなしく地を転がる。


 恨めしそうに九重が後ろを振り返ると、そこにはニマニマしている絹衣がいた。


「さっき、いかがわしいこと考えたでしょ」


 ほんのささやかな反抗とばかりに、九重は言い返す。


「今も二島が考えてる百倍はいかがわしいこと考えてるが」


「ッッッ!!?!?!」


 まんまとやり返された絹衣は勝手に顔を赤くし、「こっち見んな、変態」と強い言葉で罵ってきた。


 だが、それ以降彼女が静かになったので、九重にとってはチャンスだった。


 バントとはいえミスをしないとは言い切れない。


 もうミスは許されない状況で、万全を期すためにとっておきを披露することに決めた。


 九重は一旦、バットを床に置き、こう呟く。


「仮装した狼を嗅ぎ分けたことはあるか?」


 頭上に白い童素の塊が出現した。


霊灯宮暗蕪鎧りょうとうのみやあんむのよろい


 白い童素の塊は重力に任せて落下。


 九重に着弾すると、霧となり爆散。九重の姿が一瞬見えなくなる。


 みるみるうちに姿が変貌し、九重の見た目は完全に二島絹衣のようになった。


 絹衣本人は何が起きたかわからないといったように目を丸くしている。


 絹衣の姿になった九重は再びバットを握る。


 微細な所作含め、バッターフォームが絹衣と完璧に一致している。


 そしてスイング。ボールへの見事なインパクト。九重が打ったとは思えない、というより絹衣が打ったような打球だった。


 十球目も文句なしのホームランを放った。


「この童魔はあらゆる人間の姿や声、スペックそのものをコピーできる能力なんだ。だからバッティングが上手い二島をちょいとばかり参考にさせてもらったぞ……って二島?」


 絹衣がいない。辺りを見渡していると、ある親子の会話が耳に入る。


「すごい童貞さんだね」


「シッ。見ちゃダメ。遊びの勝負に童魔使って勝ちをもぎ取り、その上女の子に逃げられてる童貞なんて見ちゃダメよ」


 コトンッとバットが手から滑り落ちる。


「……恥ずかしくて泣きそう」

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