第27話
「開け! セサミ!」
ガラガラ。
何でもない壁にいきなり扉が浮かび上がり、手に入れた鍵を差し込む。
ガチャリ、と解錠された音が鳴り、自動で扉が開く。
中の様子が見えると、そこは小さな部屋だった。
生活感はまるでなく、まさに拷問部屋、という言葉が似合いそうな内装であった。
部屋の真ん中にポツンと椅子があり、目隠しされた女の子がそこに座らされている。
華奢な肩をブルブル震わせ、またひどい仕打ちが再開するのかと怯えているようだ。
「二島」
九重が名前を呼ぶと、絹衣はピクッと震えを止め、そして目隠しのところから滝のように涙を流した。
「うぅ…………」
「お、おい……」
「こ、怖かったんだからあぁぁ……アホぉ……」
絹衣は再び肩をひどく震わせた。しかし、それは一回目の時とは違い、安堵からくるものだった。安心感が、栓を閉めてもこぼれて溢れる結果であった。
絹衣にとって、出会ってからそれほど長くないが、何度も聞いた九重の声。
いつもは、気だるそうな声としか思えなかったのに、まるでこの世でいちばんの温もりに触れられたような気さえしたのだ。
涙を流せば流すほど九重が見てくれる、九重の存在を実感できると思うと、いよいよ涙は止まらなかった。
九重は見たことのない、絹衣が泣く姿にどうしていいかわからず、ただあわてた。
「ま、まぁ落ち着けって。傍から見たら、調子に乗った彼氏が高度なプレイを要求して、彼女を泣かせたみたいな構図になってるから。炎上案件だから!」
自分でも訳の分からないことを口走りだした九重。
そんな九重の軽口を絹衣は『日常が戻った』と捉えたのか、もっと嗚咽が激しくなった。
甘酸っぱくて美しい泣き声が部屋中に反響する。
ここは何か言わなければならないと責任感に駆られた九重は、絹衣の両手首を拘束しているダイヤル錠を解錠しに行く途中。
「遅れてすまんかった。もうお前が耐える必要はないんだ」
その言葉は疲弊しきった絹衣の心に、じんわりと染み渡った。身体が熱くなる。
よほど怖い目に遭っていたのか、と九重は痛感した。
あの強気で自分の芯を確立させている絹衣がこんなにも脆く非力な女の子になっていると思うと、盲愛のハゲワシに対する敵意が再燃してきそうになる。
だが私情を挟む前に九重にはやることがある。
絹衣の解放だ。
九重はダイヤル錠に手をかけ、慎重な手つきでダイヤルを回していく。
番号を知らなくてもダイヤル錠を開けられるという特技が、九重にはあるのだ。
ダイヤルを回す際のわずかな音の差異や指先に伝わる空気の振動で、正しい解除番号を把握できる。
ただ、九重は鍵開けのプロではないので、やはり時間や労力は多めに費やされる。
童魔である『凪花火』をすれば、容易になるのだが、これは消費童素が膨大で短時間に何度も連発できない。そのため自力で鍵開けに挑戦するしかないのだ。
(くそっ。動画からじゃダイヤル錠で拘束されていたなんて見えなかったからな。見えていたら盲愛のハゲワシに番号聞いてこれたのに)
内心で悪態をつく。
とはいえそれも仕方のないことなので、鍵開けに集中する。
数分後。
ようやく絹衣も落ち着いてきて、部屋には湿っぽい彼女の吐息の音がかすかに聞こえるだけ。
九重も四つあるうちのひとつの番号をすでに正解している。
残り三つ。
九重が汗を拭ったその時。
突然、この部屋の扉がそっと開いた。
九重が振り向くと、隙間から白コートを身に纏った男の姿が見えた。
――
それは剣の柄にも見えるが、なにせ刀身が存在していないため、剣とは思えなかった。
頭に疑問符を浮かべている間に、髑髏は「チェック」(将棋でいう王手に当たるチェス用語)とだけ言って、扉を閉めた。
九重はダイヤル錠から手を離し、投げ入れられた何かを見に行く。
「どうしたの?」
「不審物を投げ入れられた」
絹衣は目隠しをされているため見えていなかったのだ。
九重が離れていくのを不安に思ったのか、彼女の声が覚束なかった。
九重がそれを拾うと、一気に事態が変化した。
刀身がなかったそれは、突如、膨大な童素で溢れ始め、水の刀身を生成した。これが絹衣の童器であることを九重は確信する。
それだけだったらよかったものの。
生まれた刀身から、膨大な量の水が放出されているのだ。
明らかな童素の暴走である。それを見てこれが髑髏の仕業であることを断定する。
「な、何? 何が起こってるの?」
「二島の童器が暴走してる。時機にこの部屋を大量の水が覆いつくすぞ!」
「うそ、どうして!?」
「理由はともかく、早く何とかしないとふたりして溺死しちまう!」
「そんな……」
絹衣は泣きそうな声で落胆する。そのまま弱々しく続けた。
「……じゃあ、あなたは逃げて」
「は?」
「わたしのことはいいから逃げなさいって言ってるの。早くしないと水圧で扉が開かなくなるわよ」
「……二島を置いて行けって言うのかよ」
「…………心配いらないわ。暴走してるのはわたしの童器なんでしょ? だったらたぶん……いや、絶対何とかなるわよ」
絹衣にしては珍しく明るい声だった。いつもは九重に対して攻撃的だったりからかい口調だったりだから、空々しく耳朶を打った。
九重は唇を噛みしめ、それから彼女の警告を無視してダイヤル錠に手を伸ばす。
「な、なにしてるのよ。日本語がわからないの?」
「そんな死にそうな声で懇願されて誰が逃げれんだよ、ポンコツ」
「ポッ……っ! ポンコツはあなたよ! 死んじゃうかもしれないのよ!」
「二島置いて逃げても俺ぁ死ぬんだよめんどくせえことに」
「死なないわよ、何かっこつけてる――――むっ!?」
「うっせえ、少し黙れ」
九重は絹衣の口元を素手で押さえつけた。
絹衣が大人しくなってから解放した。
絹衣は驚きで目を丸くする。
「あなた、安易にわたしに触れたら童素が――」
童貞は異性に触れてしまうと、童素が弱まってしまう。そんな特性なんて関係ないと言わんばかりの九重の行動に唖然とする。
「俺ぁ金は貯めずにすぐにラノベに使う派なんだよ」
「急に何の話してるのよ」
「目的をはき違えるなってことだ。俺ぁ使うために童素を持ってんだ。出し惜しみも無駄遣いもしねえよ」
そう言って九重は後ろから絹衣の頭を撫でる。
「ちょ、やめっ――頭撫でないでっ」
「よぅし、いつもの調子に戻ってきたな。んで? ダイヤル錠外せば活路は見えるのか?」
九重の自由奔放さに振り回され、絹衣の中の自己犠牲の精神はどこかに消えていた。かっこつけていたのは自分の方みたいで、バカらしくも思えた。
「瀬織津姫を手に取れさえすれば、童素ぐらい抑え込めるわ!」
「おっけい」
九重は急いでダイヤル錠に手をかけ、解錠作業を再開する。
残る番号は三つ。
この部屋を水が埋め尽くすまで、おおよそ八分程度と予測される。
ならば間に合うと踏んだ九重は冷静さを心がける。もう昼間の時と同じ轍は踏まない。
ふたりの足首まで水が浸かり始めた。
極限状態に追い込まれているからか、なかなか正しい番号が判明しない。
あっという間に絹衣の腰辺りまで水が上がってきている。
ダイヤル錠も水に浸かった慣れない状況のため、余計に解錠に手間取る。
やっとの思いでひとつ、番号をあぶり出したその時、想定外のことが起きた。
絹衣を縛る椅子が、水の浮力で浮かんでしまったのだ。
重心はぐらつき、絹衣は何度もバランスを崩す。
身体に自由が利く九重にとってはまだ余裕のある水位だが、絹衣はそうでもなく、九重が身体で支えなければ横転して、溺れてしまう可能性だってある。
片手が使えなくなり、より解錠作業が難航になる。
「お、おい動くなって。ここでラッキースケベは場違いだから部屋出てからにしろって!」
「場違いなのはあなたの発言の方!」
軽口をたたいても気休めにすらならず、無慈悲にも水位はどんどん上がっていく。
天井近くまで浮かび上がり、部屋における酸素が少ないため、そろそろ息苦しくなってきた。
「……はぁ………はぁ……」
椅子に拘束されながらも、何とかバランスを保とうとしている絹衣の体力は限界に達していた。
そして――
「――うぷっ!?」
「やべ!」
支えきれなくなった絹衣の身体が横転し、冷たい水の底へ顔から沈んでいく。
水位が上がりきっているため、絹衣はもうまともに呼吸ができない状態へと陥っている。
九重は思いっきり、あるだけの空気を吸い込んで、潜水する。
水中は宇宙空間のようで、指先の作業は非常に困難を極めるが、やるしかなかった。
針のように冷たい刺激が指先の感覚を狂わせる。
人の生き死にを自分が握っていると思うと、胃に鉛でも詰まっているかのように、一挙手一投足が重くなっていく。
(落ち着け。とにかく落ち着け。冷静になればあと十秒もかかんねえだろ、このぐらい)
ところが二十秒経っても番号がわからず、ついには絹衣も水中で苦しそうにもがき始めた。
暴れると手元がより狂うのだが、満身創痍の絹衣にそんなことを考える余裕はもうなかった。
(くそっ。どうする……)
冷たい水にさらされている皮膚とは対照的に、頭を沸騰しそうなほど回転させる九重。
悔しさのあまり歯を食いしばったその時、口端から泡が漏れ出す。
(――これだ!)
そこから先、九重に迷いはなかった。
一旦、解錠作業の手を止め、九重は絹衣の正面に移動する。
そして、『的』が外れないように、彼女の頬に両手を添える。
そのまま九重は顔を近づけ――――
――――啄むように絹衣の唇を塞いだ。
九重の口から絹衣の口へ、酸素を送り込む。
刹那、暴れていた絹衣の身体が静止した。
彼女の心中を察するに、色々な意味で目隠しされていてよかったと九重は思う。
数秒ほど経ってから、水を吸い込まないよう、ゆっくり口を離し、鍵開けを続行する。
この行動が功を奏し、のちの解錠作業は時間がかからなかった。
ダイヤル錠が外れ、絹衣の両手に自由が戻る。
九重はいまだ暴走を続けている童器のところまで潜り、確保。
すばやくそれを絹衣に手渡す。
すると、彼女の言う通り、莫大な水を排出し続けていた童器は一気に鳴りを潜め、部屋中に満たす水をどんどん吸収していった。
特に問題が起こることもなく、部屋に残ったのはビチャビチャに濡れた九重と絹衣だけ。
「……はぁ…………たす、かったな……」
「……………………」
「二島?」
コツコツと足音を立てて、近づく。
「さ、触らないで……っ!?」
ペタリと座り込んでいる彼女の身体がビクッと跳ね、少し後ずさった。
「……さっきは、その、いきなりすまんかった……」
思い当たる節がある九重は申し訳なさそうに謝罪する。
すると、絹衣の方も口惜しそうにあわてて、
「あぁ……いや、その……ちがっ……」
震えた声で何かを弁明しようとする絹衣。
慎重に、丁寧に言葉を紡ぐ。
「い、今のは驚いただけで、その……あなたが嫌とか……そういうのじゃない、から……」
目隠しで判断しづらいが、ほんのり朱を差している頬で続ける。
「ちょっと、混乱してて……」
唇に残った感触を確かめるように、絹衣は白くて細い指を自身の唇に触れさせる。
「…………助けてくれて、ありがとぅ……」
語尾はとても弱々しかったが、九重の胸にはしっかりと響いた。
全身を濡らしている水が熱湯のようになった。
呼吸が落ち着いてきて、絹衣が目隠しを外そうとした時に、ようやく九重は気付いた。
びしょ濡れになったせいで、絹衣のピチピチになった服の上から、薄桃色の下着がばっちり透けていることに。うっかり口を滑らせる。
「い、意外と着やせするタイプなのな」
「ッッッ!?!? 何か言った!?」
「あっ! いや、何も言ってないですし何も見てないです!」
今度はすっかり赤面し、胸の辺りを両腕で抱くようにして隠した。
九重は目を右往左往させながら、パーカーを脱いで絹衣に受け取らせる。
「俺ぁ隠居した坊さんだから今さら何とも思わないし? とりあえずこれで隠しとけってイケてるラノベ主人公なら言ってそうだし? あ、今って好感度アップイベントだな?」
「そんなわけないし。後で両目を隠居させてやるから」
「隠居って言葉が初めて怖く聞こえたんだが」
それから間もなくして、結愛や無童係の救助が来て、事なきを得たのであった。
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