第三十一話 難題と目撃




怒って去っていったワカメちゃんと入れかわりに、背が低くて細身の、眼鏡を掛けたおかっぱの少女がやってきた。


緑のリボンを付けているから、二年生だ。


「いまの、元会長ですよね。もしかして依頼を受けていたんでしょうか?」


心配そうな顔をしている。小さい顔がより小さく見える。


「彼女の表情を見てたか? 変なことを言われたが、断ったから、安心してくれ。ところで、君が左右田麗奈(そうだ れな)さんだね。」


俺は確認する。


「はい、左右田麗奈です。お願いは、今朝送った通りです。」彼女は俺の目を見ながら答えた。銀縁眼鏡の裏に、強い意志が感じられる。


「正直、簡単な話じゃないな。もちろん神頼みみたいなものだし、結果は保証しない。だが、結果が個人の人生を大きく左右するとなるとそう簡単に協力はしにくいな。」


彼女は落胆したように見えた。

俺は続ける。


「だが、俺はワカメちゃんが嫌いだ。彼女の考え方も、やり方もな。その意味、彼女のわがままは阻止したいところだ。それに、今朝もらったファイルは、さっきワカメちゃんを退けるのに役に立ったしな。」


左右田麗奈の父親は、大岩商事のサラリーマンだ。そして、彼女の兄、左右田勝男は、五人パシリのメンバーだという。ワカメのパシリがカツオというのもちょっと笑えるが、それは口に出さない。


「ファイルは読んだが、一応説明してくれるか?」俺は麗奈に言う。


「はい。私の親は大岩商事に勤めていて、その結果、兄は大岩若芽さんの手下、いわゆる五人パシリの一員です。兄は、去年は学園祭まではすごく忙しかったのですが、その後はそれほどでもありませんでした。私は2年生で文芸部の部長をやっていますが、今のところ私に対しては直接の被害はありません。」


俺と同学年だが、クラスが違うから知らない女子だ。、

まあ、俺は顔の狭さには自信があるしな。


「兄から聞いたんだです。最近、大岩さんが、風見先生にアプローチしているって。前からモーションをかけていたんですが、最近あからさまになってきたって。」


そう。この情報が、今朝の添付ファイルに書いてあったのだ。だからこそあんなハッタリも言えた。


「私のお願いは、先生を救ってほしい、ということです。大岩さんの好き勝手が続くと、たぶん、いや必ず風見先生は傷ついてしまう。それを何とか阻止したいんです。助けてください。お願いします。」


重い話だ。

「俺は、生徒と教師の、結婚を前提にしない恋愛は否定派だ。だから、左右田さんが風見先生と結ばれたいと思っても協力はできない。」

俺はそこをまず明らかにした。


俺は彼女の目を見ながら答えた。先生を自分のものにしたいからワカメちゃんを退ける、というのはやはり本末転倒だ。


「構いません。私は、風見先生のことが人間として大好きです。でも、恋愛対象ではありません。文芸部だし、本を読むのは好きですから、恋愛にあこがれはありますが、風見先生に対しては、尊敬の感情だけです。彼がたとえば、明日結婚したとしたら、心から祝福できます。」

言い切っていた。潔いな。


「俺はワカメちゃんに協力はしない。だが、そのうちワカメちゃんから風見先生に攻勢がかかるだろう。それを阻止するのは簡単ではない。」


俺は考えられる状況を述べた。


「しかも、最低でも来年3月まで続く長期イベント、あるいは長期クエストだ。勝利条件が阻止、というのも難しい。何をもって阻止できた、と言えるのかもはっきりしない。」


明らかに、麗奈は落胆した。小さい姿がもっと小さくなったようだ。


「だが、あなたの思いはわかる。できることはやってみようと思う。その代わり、あなたの全面的な協力が必要だ。というか、俺に祈るのはおまけみたいなもので、願いをかなえるのは自分の思いと行動だ。それは理解できるな?」


麗奈はうなずいた。

「ただ祈るだけで他人任せにはしません。できる限りのことをします。」


俺は彼女に言う。

「知っていると思うが、俺に触れながら祈ってくれ。触れ方は常識の範囲で何でもいい。握手でも頭ぽんぽんでもいい。俺は目をつぶって立つから、好きにしてくれ。俺と何をしてもノーカンだ。あとは任せる。」


俺はそう言って、目をつぶって立った。

彼女の恋愛をかなえるわけでもない。握手か、ハグくらいだろうと思った。


彼女の息遣いが近づいてくる。逡巡しているのもわかる。


そして俺に触れる。両手を俺の背中に回し、ハグをする。

これくらいだろう。彼女としては頑張ったんだろうな。そう思った。


その刹那、彼女の唇が、俺の唇に触れた。

とても控え目だ。触れてしまったことを後悔するようにすぐ離れ、そしてもう一度触れてきた。やはり、触れる、という表現が似合うような接触だ。動きもない。


十秒くらい合わさっていただろうか。彼女は俺から離れた。

俺も目を開ける。

目の前に、真っ赤になった彼女が立っていた。

慣れていないことが明らかだ。

意識しすぎているな、と俺は思った。


「ノーカンだから、気にするな。ぬいぐるみとか、枕だと思えばいいさ。」


彼女は真っ赤なまま、黙ってうなずいた。


「あなたの気持ちは受け取った。じゃあ、さっそくできることを始めよ。頼みが二つある。

一つは、今日のファイルの中身を、一人称にして書き直すこと。人名は全部イニシャルとかでいい。自分の備忘録のような形にしておいてくれ。日記形式でもいい。あなたは文芸部だから、ものを書くのは問題ないだろう。」


麗奈はうなずいた。


「もう一つは、あなたのお兄さんの話を聞きたい。日時はあとで調整しよう。」

「多分大丈夫です。最近は呼び出しを受けても1-2人だけのことが多いので、事前にわかっていれれば調整はつくはずです。もともと、この話は兄からのお願いでもあるんです。」


悪の手先になるのは耐えられない、というと言いすぎかな。



その日は、下校時間まで陸上部の練習を眺めながら過ごし、珠江と一緒に学校を出た。

「ハルくん、待っていてくれてありがとう。」珠江が嬉しそうに言った。


「香苗ちゃんとは生徒会で一緒になるし、希望ちゃんとはバイトで顔を合わせる。どうしても忙しい珠江ちゃんとは会う時間が限られるからね。」


俺は言った。珠江にも時間を作らないといけない、そう思っている。


「ねえ、時間大丈夫でしょう? この先の公園に行こうよ。」

珠江から誘われた。俺としては断る理由がない。 駅へ曲がる道を曲がらずにまっすぐ行くと、公園がある。ベンチや遊具が並んでいるが、比較的静かだ。


珠江は、先導して公園の奥に入っていった。

奥のほうには、大きな木が何本か並んでいる。


「ここなら、誰からも見えないよ。」

珠江はそう言うと、俺に抱き着いてきた。


俺は、珠江に身を任せる。

彼女のぬくもりが、唇から、そして合わさった体から、控え目な胸からも伝わってくる。

そして、舌が優しく俺の口に入ってくる。


お互いにむさぼりあって時を過ごす。

優しい気持ちが伝わってくる。


ほどなく、二人は離れた。

「これは、香苗には内緒にしておいてね!」珠江がいたずらっぽく笑う。


俺は黙ってうなずく。

「ねえハルくん。」

珠江が俺の顔を見る。


「何かな?」俺は彼女を見つけ返す。

「あれから、誰かとキスした?」



あれから、というのはいつのことだろう。

「あれから、がいつのことなのかわからないけど、キスされたことはあるよ。」

俺は正直に答えた。


「まさか元会長と?」珠江の顔が曇った。

「あの人には係わらないほうがいいって言ったのに…。」珠江は落ち込んでいる。


「いや、ワカメさんとは何もしてない。」俺は正直に答えた。

「あの人に近づきたくないしな。」 珠江の顔が明るくなった。


(そうは言っても、今後もワカメちゃんにはある程度表裏どちらかで係わらざるを得ないとは思うんだが、今それを言う必要はないよな。)俺は思った。


笑顔になった珠江は、俺に向かって尋ねた。

「ねえハルくん、誰に加護を与えたの?」


俺はそれにはこう答える。

「ノーコメントだ。秘密は守らないとな。」


珠江は納得したようだったが、付け加えた。「香苗だったら、埋め合わせてもらう必要があるからね!」スポーツ少女は可愛い顔をして鋭い突っ込みをしてくる。


「いや、香苗ちゃんじゃないよ。バランスを取るよう、心がけるからね。ただし、今日はノーカンにしとこうな。」


珠江はうなずいて、俺にささやく。

「二人だけの秘密ね!」その声に俺はドキッとする。


あの健康的なスポーツ少女が、こんな妖艶な笑みを浮かべるのか。やはり女性はよくわからない…俺はその思いを強くするのだった。



翌日のバイトは、莉乃と同じシフトだった。バイトに備え、俺は着替えを持っていった。莉乃なんかは、バイト用の服を更衣室に何種類も置いているらしい。さすがはベテラン。


男の更衣室はないので、バックヤードで手早く着替えて、自分で買ったエプロンをつける。

莉乃がさっそくそれを見つけてコメントする。


「三重野くんって、センスのかけらもないのね…」

俺は失望した。俺の大好きなキャラクターをあしらった、紫のエプロンで、個人的に気に入ったのだが。


「ものにはTPOっていうのがあって、この店の雰囲気に合わないものは駄目なの。お客さんにイメージを壊すっていわれるわよ。今日もお店のエプロンつけてね。」 


俺はちょっとがっかりしたが、莉乃の言うこともわかる。俺は店のエプロンをして、イルカのバッジをつけた。


雨が降ってきて、客足が途絶えている。

オーナーから、俺と莉乃はバックヤードで休憩してくれ、と言われた。


そのかわり、本来の休憩時間で忙しければ休まないで続けることになる。暇ならまた休んでいいそうだ。


バックヤードで、莉乃が俺に話しかける。

「イルカの加護って本当にあるの?」


俺は答える。

「加護があるのかはわからない。ただ、願いがかなった人は複数いるよ。」


「彼氏ができたって女の子もいるの?」

興味深々で莉乃が聞いてくる。


俺は正直に答えた。

「ああ。複数人いるな。」


「そっかあ…」莉乃はしばらく考えていたが、

「ねえ、話を聞いてくれる?」と俺にツ立ててきた。


「聞くのはかまわないよ。そのあとどうするかはそこでお互い考えればいい。それに、俺と何をしてもノーカンだしな。」


と、いつものセリフを言う。

「うん。掲示板でも見たよ。」彼女は答える。

いったい、掲示板はどこにあるんだろうか?


「小さいころから、近所のお兄ちゃんが好きだったんです。優しくて、思いやりがあって、私のお願いはだいたい聞いてくれたんです。中学くらいから好きだって意識するようになって、でも伝えられない。同じ高校に何とか入ったんだけど、彼はなかなか忙しくて、距離を詰める時間がないんです。何とかなりませんか?」


こういう時は敬語を使うんだな。


「そうか。同じ高校なら、チャンスはあるかもしれないな。」俺は答える。少しは役に立ってあげられるかもしれない。


「本当ですか!」莉乃は大声を出した。よっぽど嬉しいらしい。


「で、相手の名前は?二年生か、それとも三年生か?」

俺は尋ねた。


莉乃は、恥ずかしそうに小さい声で答えた。

「すごく優しい、思いやりのあるいい人なんですよ。イケメンじゃないかもしれないけど、私にとっては一番です。名前は…・」


彼女は、相手の名を、小さい声で俺に伝えてくれた。真っ赤になっている。意外にかわいいところもあるんだな。恋する乙女というのはそういうものか。


「そうか、わかった。ここから先はお前次第だ。俺と何をしてもノーカンだ。あと、俺からはお前の了解がない限り外部には何も言わない。」


莉乃はうなずいた。


「俺は目をつぶって動かないから、心の中で願いの言いながら、俺の体に触ってくれ。常識の範囲で好きにしてくれていい。握手でも頭ぽんぽんでもいい。してほしいポーズがあったら言ってくれ。」


そういって俺は両手を広げた立った。

「このままでいいよ。」莉乃は言う。


そこで、俺はそのまま莉乃の動きを待った。

莉乃が近づいてくる。

「かっちゃんとお付き合いできますように!」声に出して読みたい日本語、いや声に出して祈る願い事だ。なんだか、七夕の短冊みたいだな、と俺は思おう。


そして莉乃は、俺に抱き着いて、唇にキスをしてきた。これはまあ、予期してきたことでもある。


過去、女性は頭ぽんぽんでもいい、と言うのにキスをしてくる。そのほうがご利益があると思うからだろう。


活発な莉乃のキスは、意外に控え目だ。というか、香苗の激しさはやはり例外なんだろう。

莉乃は俺に体を預けるような形で抱き着き、唇を合わせている。


その時だった。

不意に、バックヤードのドアが開き、オーナーが現れた。

俺と莉乃がキスをしているところ、莉乃が俺に抱き着いているところをばっちり目撃されてしまった。


「ごめんなさい。お邪魔しちゃって。」

オーナーは慌ててドアを閉めた。

莉乃はその声に気づき、俺から離れた。ドアはもう閉まってっていた。


「オーナーに見られたの?」莉乃は俺に聞いた。

「ああ、しっかりとな。」俺は答えた。


「ああ~~」莉乃は頭を抱えたが、見られてしまったものは仕方たがない、


「私から説明するから、オーナーを呼んで。お店は三重野くんが出ていてね。」

莉乃は俺に言ってきた。まあ、たぶんそのほうがいいんだろう。


俺はバックヤードを出て、オーナーに声を掛けた。


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ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

莉乃でもデレることが

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