第三十四話 Agent Provocateur
実質的に宣戦布告した翌朝、登校するとまた靴箱にレターが入っていた
俺の靴箱にレターを入れるのが流行しているのだろうか? 俺としてはまあありがたいことではあるものの、毎日だとちょっと食傷気味だ。
…なんという贅沢な態度だ!自分でも驚くような傲慢さだ。ゴーマンかましてよかですか?ゴーマン美智子さん?
今日の子もメッセンジャーのアドレスが書いてある。偉い偉い。俺は、その子に連絡を取り、明日の放課後に会う段取りをつけた。
こういうことは迅速が吉だろう、ということで靴箱のところでメッセンジャーのやりとりを済ませ、教室に入った。
例によって、白石真弓がやってくる。
「あの…三重野くん、あのね…」どうにも要領を得ない。
というわけで俺は「今日もいい天気だね~白石も元気でやんなよ。」とか言う、よくわからない言葉で胡麻化した。
何かいいたそうだったが、どうせろくなものではないだろう。
俺は、登校してきた高円寺とかとバカ話をして過ごす。こんな生活もぼっちだった俺にとっては貴重なんだ。
香苗がやってきた。バカ話をしている俺たちを、冷たい目で見る。それだけで凍死してしまいそうだ。
あの氷の目をして、あんな情熱的なキスをする。女性ってわからないな~。
もちろん女性から見たら男もわからないのかもしれない。だけど本来は単純だ。基本的には欲求に忠実だ。それを理性で押さえられるかどうかは、個人の脂質じゃない資質とタイミングによると俺は思っている。
この世で大切なのは、タイミングとC調と無責任、なんだそうだ。
C調って何だ?って調べてみたら、いわゆるハ長調のことらしい。何でやねん。
調子がいい、ってのをC調と昔言ったんだそうな。C調言葉に騙され泣いた女の涙も知らないしなあ…。英語でいうとC Major となる。ギターのコードのCとGは押さえられてもFは難しい。こういうときは、G調に変えてしまうんだよな。
ちなみに、Fを使わないでGとCを駆使して音楽を作り、GCサウンドと称したミュージシャンがいたらしい。今のお笑いの大御所の一人だって?ふーん。全然ぴんと来ないな。世田谷の秘密基地で熱中症で倒れた人かな?
話がそれた。
というか本筋もなかったな。香苗がすごいって話だっけ?
退屈な授業を終えると、昼は今日も美女ランチ。白石がやってくるが、今日も追い返した。
なんだか今日は彼女もしつこいな。
お待ちかねの放課後がやってきた。3時半には隣の組の女の子。4時には1年生の女の子だ。どっちも話を聞いて、キスさせた。
大丈夫なのかって? いや、大丈夫だと思ったからキスさせたんだけど。
「あの、私、二年C組の小柳幸美といいます…」彼女はそう言った。
隣のクラスだな。
彼女の好きな相手は、五人パシリの一員、雪度圭太というようだ。まったく知らない相手ではあるものの、五人パシリである以上、ワカメちゃんの呪縛が解ければなんとかなるだろうと思った。
もう一人は一年生。こっちはもっと簡単だった。サッカー部の部長ではなくキャプテンの四谷がいいんだと。サッカーするチンパンジーだな。
彼女には、料理部に入部しろ、と言った。それでもう十分だろう。
せいぜい、おにぎりとバナナあたりで四谷を篭絡、あるいは餌付けしてくれればいい。
二人の用事を終わらせて、(つまり二人とキスをして)俺は教室に戻る。今日は珠江と帰る日だから、待っている予定だった。
教室にはもう誰もいない。
と思ったら、白石真弓がまたやってきた。
こいつもしつこいな…と思ったが、今日はとても真剣な顔をしている。
「ねえ三重野くん。話を聞いて。大事な話だから。」
普段と違う白石の感じだったが、俺は俺で用事があったので、「悪い、また今度な。」と言ってそそくさと教室を出た。
「…どうして話を聞いてくれないの…」という白石のつぶやきは、俺には聞こえなかった。
ちょっと時間をつぶして、珠江と一緒に公園に行ったのであった。
翌朝のことである。俺は例によって妹と登校する。すると、門のところに、うちの制服を着た女の子が立っていた。
それだけなら普通の光景だが、この子は見たことがある。
この秀英高校の受験の日に、俺の隣に座った女の子だ。全体的にもっさりした感じで、髪の毛はおかっぱ、瓶底メガネをかけている。緑リボンをつけているので、二年生だ。
彼女は、俺を見つけて声をかけてきた。
「おはようございます。私のこと、覚えてますか?」
俺は返事した。
「ああ、おはようございます。久しぶりだね。君はこの学校に入っていたの。知らなかったよ。」
彼女は複雑そうな顔をした。そして俺に告げる。
「すみません、、これを読んでください。必ず、今日のお昼までに。大切なことなんです。お願いします。」
また、例の手紙のたぐいだろうか?
「君の連絡先書いてある?そうでないと連絡できないよ。」
俺は過去のトラブルから考えて答える。
「いいんです。とにかく、読んでください。あなたの安全に係わることです。お願いします。では、」
彼女はそう言って走り去った。
「やれやれ」俺は肩をすくめた。
「お兄ちゃん、モテモテね。」妹が言う。
「でも、普段とちょっと雰囲気違うね。どうしてかしら?」
俺はちょっと驚いた。
「笑美、今の女の子知ってるの?」さすが顔が広い。二年生の女子まで知り合いが多いんだな。
「お兄ちゃん、気づいてないの?」妹は呆れた風に言った。
「いや、ほぼ初対面だ。受験の日以来、二回目かな。」俺は答える。
「お兄ちゃん、そういうことだから駄目だったのかも。ちゃんと、よく見なきゃだめよ。とりあえず、手紙はしっかり読んであげてね。」
妹はそういうと、自分の昇降口に行ってしまった。
俺は手紙をポケットに入れ、自分の靴箱に行った。
さすがに今日は手紙は入っていなかった。まあ、それが普通なんだが。
ここのところワカメちゃんを含めて靴箱手紙が続いていたので、ちょっと期待してしまった自分がいる。
なんだか、罠をしかけた猟師、あるいは網をしかけた漁師のような気分だ。
そこへ、希望がやってきた。同じ制服なのに、毎日雰囲気が違うのはなぜかなといつも思う。やはり、アイドルともなると日替わりで顔を変えるのだろうか。髪型は昨日と一緒だが、髪飾りとかが微妙に違う。
「おはよう。ハルくん。今日もモテモテのレター満載?」
可愛い顔して、言い方が辛辣だ。まったくもう、勘弁してほしい。
「いや、今日は靴箱には何もなかったよ。」
俺は答える。
「ふーん。靴箱には、ね。」希望は意味ありげに俺を見る。
「じゃあ、どこにあったの?」追及が鋭いな。
「いや、きのう靴箱に来た手紙で、今日の午後も呼び出しだ。バイトもあるのになあ。」
俺はちょっと面倒そうに言った。この辺のニュアンスは難しい。
「ハルくん、私とのバイトより、女の子とキスするほうを選ぶのね。私は捨てられたのね…」希望はそう言って、泣きマネをする。
「そんなんじゃないよ。すぐ済ませるからさ。バイトには間に合わせる。」俺は言った。いや、本当は少し遅れるはずだ。下手をすると30分も。
「女の子の話をちゃんと聞いてあげないのね。」希望がまた責める。
おい、どっちがいいんだよ。
「呼び出された相手が希望ちゃんだったら、バイトなんか吹っ飛ばす。でもそうでない人なら、適当に済ませる。」
たぶん、これが最適解だ。
希望はにっこり笑って言った。
「うん、合格。ハルくんも、だんだん女の子の扱いがわかってきたのかもね。」
おほめの言葉をいただいた。
「ありがとう。妹にはまだまだ、とさっき言われたばっかりだけどな。」俺は付け加えた。
「可愛い妹さんなんだから、大事にしなさいね。」希望が笑顔で言う。
「もちろん。でも、妹とは結婚できないからなあ…。」俺は嘆息しながらいう。
希望が目を大きくしながら聞いてくる。
「ハルくん、それ本気?」
意味がわからない。
「本気も何も、事実だからな。」俺は答える。
「じゃあ、マンガとかであるように、実意は血がつながってなかったらどうするのの?」
そこまで聞いてくるか。
「うーん。やっぱり妹は妹かな。家族は恋愛対象にならないと思うよ。」
そう。ラノベじゃないんだから。
希望は満面の笑みを浮かべた。
「ハルくん、やっぱり受け答え上手になったね。これもイルカの加護かなあ。」」
小首をかしげる姿も綺麗だな、と俺は思った。やはりアイドルは観賞用だ。自分の彼女じゃないけど、しゃべっていて楽しい。美人と一緒にいるだけで嬉しくなるな。それは妹も同じなんだけど。
教室に着いた。普段なら絡んでくる白石真弓がまだ来ていない。珍しいこともあるもんだ。
始業ぎりぎりに彼女はやってきた。普段どおりの姿だ。ちょっと大き目の鞄を持っているくらいで、特に変わったことはない。
たぶん、寝過ごしでもしたんだろうか。
放課後になった。一年生の女の子の呼び出しがあるので、希望には先に行ってもらうことにした。
さて、今日はどんな依頼だろうか。スマホを見ようとしたら、電池切れになっていた。
Side 雪度マリ
1年A組の雪度マリ、五人パシリの一人、雪度圭太の妹だ。圭太とマリの父親は、大岩商事に勤めるサラリーマンだ。
大岩商事のオーナーは、非常なやり手で、また娘を可愛がっている、と評判だった。圭太と同じ学年だったので、お近づきになれたらいいな、などと、圭太が小学校のころ、両親は無邪気に話をしていた。
噂は伝わってくる。容姿端麗、頭脳明晰、率先垂範で皆に愛される、という評判だった。
圭太が秀英高校に入学するまでは、それが本当だと思っていた。
だが、実際は違ったようだ。
外面はいいのだが、自分より下だと見下す相手に対しては、とことん辛くあたる。まるで相手が、自分の奴隷のように。
高校に入って、あのやさしい圭太が暗い顔をするようになった。最初は、若芽さんと同じ学校に入れて光栄だ、とか若芽さんに話しかけられた、とか言って喜んでいたのに。
兄は、部活にも入っていないのに結構毎日遅くまで帰ってこなかった。なぜ?と聞くと優しい兄は、「いろいろあるんだよ。お前にはなるべく迷惑かけないようにするからな。」と言い、寂しく笑った。
その理由がわかったのは、同じ秀英高校に入学したあとだった。マリが新入生で、圭太は三年生。
入学式で新入生を迎えてくれたのは、生徒会長の大岩若芽だった。綺麗で、生徒会長までやるリーダーシップ。すごい人だ。マリは若芽に憧れた。
だがその憧憬は、すぐに打ち崩された。兄が、まるで若芽の奴隷のように、彼女の身の回りの世話をしていたのだ。
同じような連中が五人いて、校内では「五人パシリ」と呼ばれているらしい。特に圭太と左右田勝男の二人は、かなりこき使われていたようだ。
五人パシリ以外にも、若芽の手下はいる。その中で、秋から風紀委員長になった飯野加奈は、完全に若芽の信奉者だ。神格化しているといってもいいくらいだ。
彼女は、若芽のいうことならなんでも聞く。兄のように嫌々やっているのではなく、若芽の役に立ちたいと心から願っているのだ。そのため、若芽の依頼は嬉々としてこなしている。
家が近所だったし、親の職場も同じなので、飯野家と雪度家は家族ぐるみのつきあいだ。マリは、加奈のことも、優しいお姉ちゃんとして好きだった。そう。彼女が秀英高校に入学し、若芽の信奉者になるまでは。
今日は突然兄から放課後電話がかかってきた。すぐに二年生の教室に行けと。来い、ではない。兄はそこにはいないのだ。だが、なぜに?兄に尋ねると、「申しわけない。いつか必ず埋め合わせはするから。」と言っていた。電話の向こうで、兄が自分に頭を下げているのがわった。
教室へ行ってみると、案の定、若芽だった。すらりとした体つきと綺麗な黒髪。だが、今日の彼女の顔は、妙に怖い感じがした。 教室にいたのは、若芽だけではなかった。地味な風紀委員長、飯野加奈も一緒だ。たぶん、加奈が自分を推薦したのだろう。
言われたことは、マリにとって驚きだった。
二年B組の「三重野晴」という男を手紙とメッセンジャーで呼び出し、キスをせよ、というものだった。
好きでもない相手にキスなどしたくない。「何故ですか?」と訊いたところ、
「あんたは言われたとおりにすればいいの。雪度の妹なんでしょ。言うこと聞きなさい。口答えするなんて、兄のしつけがなってないのね、きっと。」
若芽の言い分はあんまりだ。
大好きな兄が貶められるのが、我慢ならなかった。
「なぜそこまでしないといけないんですか?」 納得できないマリは、若芽に再度聞いてみた。
「そんなのは、あなたには関係ない。あなたは、言われたことだけやってればいいの。」」若芽はそう切り捨てた。
その後、「飯野。あとは任せるから、よろしくね。」と風紀委員の飯野加奈に言い、若芽はどこかへ行ってしまった。
「マリちゃん、若芽さんの言うことにはちゃんと従ってね。」飯野加奈が要ってきた。
「カナちゃん、どうしてこんなことしなきゃいけないの?」
風紀委員長の飯野加奈は答えた。
「この三重野はね、校内のいろんな女子とキスしまくって、風紀を乱しているの。現場を押さえて、しかるべき処分をしないといけないのよ.彼を呼び出すのに協力してほしいから呼んだの。」
要するに、おとり捜査である。ちなみに、
ちなみに、仕掛けることをエントラップメントとか、仕掛ける人間をアジャン・プロボカトゥールと呼ぶこともある。
しかし、風紀委員長が風紀の乱れをとらえるためとはいえ、あえて風紀を乱すような行為を誘発するとは、本末転倒であろう。
いずれにしても、若芽の強権発動を覆すことなどできない。
マリは、泣く泣く若芽の指示に従うことにした。
翌朝、マリは早く登校して、彼の靴箱にレターを入れた。
それからまもなく、彼から事務的に、翌日放課後すぐに来るように指定された。
慣れているのだろう。
マリのファーストキスが、校内でキスをしまくっているという不良男子に取られる。本来なら好きな相手に捧げたいのに、それすら許されないのか…。
西洋の領主が「初夜権」というのを持っていたなどという話を思い出したマリは、とにかく落ち込んだ。
帰宅しても食欲がなく、部屋に籠っていた。兄の顔も見たくなかった。
寝付けなかったマリは、夜遅くになって、泣きながら、友人の左右田麗奈に電話をした。夜の3時過ぎまで麗奈に慰められ、落ち着いたマリは、今日の決戦に臨むことになった。
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