第2話 始まりの日(1)
あの日の昼休み。俺は、職員室にクラスの連中のノートを届ける、という日直の雑用を済ませたあと、購買へパンを買いに行った。
普段と違い、その日はすごい行列で、買うのに時間がかかってしまった。どうやら食堂のコンロが一部壊れて、麺類が無くなってしまったために、パンで済ませようと考える連中が殺到したらしい。
やっとのことで残っていたジャムパン二つ(ストロベリージャムとブルーベリージャム)を買い、俺はぼっちランチの定位置である屋上に向かった。
普通の日は、俺の貸し切りだ。昼休みじゅう、誰も来ることは無い。パンを食って、軽く昼寝してリラックスする。人生のオアシスだった(大げさだが)。
ところが、その日は先客がいた。屋上のドアを開けようとすると、人の気配があり、何やら聞き覚えのある声が聞こえる。男女の会話だ。中身まではあまり聞きとれない。俺は、屋上のドアを半開きにして、何をしているのか覗いてみた。
すると、男女が抱き合って、キスをしていた。俺がドアを開けるときに、ちょうどスタートしたのだろう。
女の子は、俺が普段座っているブロックの台の上に乗り、男は真正面から彼女を抱きしめてキスしている。
そうか、背が違うカップルはこういう方法でキスすることもあるんだな。その時、俺はそんなことを一瞬考えた。
男のほうは、背中しか見えないが、あれは明らかにうちのクラスの二大イケメンの一人、長江 優(ゆう)だ。イケメンは何をやっても許されるってことかよ。畜生。
女の子のほうは…長江の背中でよく見えなかったが、二人が離れた瞬間、彼女と俺の目がばっちり合ってしまった。そして、誰だかわかった。うちのクラスの妹キャラ、原中 理恵だ。単なる妹キャラじゃない。うちのクラスの三大美女プラス妹、という、超人気の、かわいい女の子だ。
身長150センチ。スレンダーだが巨乳。色白で童顔。目が大きい。口は小さい。
茶髪のツインテールで、いつも笑顔。
会話の相手を、上目遣いに見る。特に、夏場は、開いた胸元とダブルで破壊力抜群だ。 男の本能的な庇護欲をそそられる。
だが、多くの男たちが、告白しては玉砕してきた。ついでに言えば、三大美女も難攻不落と言われている。
そうか…四天王の一角がついに崩れたか。さすがはイケメン。校内でキスなんかしやがって…。
俺は、中原と目を合わせたまま、固まっていた。
長江が中原の様子に気づく。「どうしたんだ、何かあった?」
中原は答える。
「誰かがここに来ようとして、びっくりした見たい。ばっちり見られちゃったよ。」
彼女は、そう長江に告げる。
俺は、生きた心地もしなかった。そっとドアを閉めつつ、もう少し聞いてみる。
長江は言ったのだ。
「こんなところに来るやつは、どうせぼっちかキモオタだよ。
見せつけてやればいいさ。そいつもきっと、理恵のキスシーンを見て悶えてるだろうからな、ウケるな~~」
もう、我慢できなかった。
俺は、パンを抱えたまま、歓談を駆け下りた。
頭の中は、嬉しそうな中原の顔と、長江の発言でいっぱいだった。
走り続けて、ふと気づくと、一階の渡り廊下に面した自動販売機の前だった。
俺は思わず呪詛を吐いていた。
「くそ~俺だって、本当ならキスくらい…」
思ったより大きな声が出た。まあ、誰も聞いてないだろうからいいや。
と。突然、女の子の声がした。
「キスくらい、何なの? 三重野晴(はる)くん?」
俺は仰天した。
まさか、聞かれているとは。しかも、この声はもしかして…
おそるおそる振り返ってみると、やはり彼女だった。
クラスメートで、二年生三大美女の一人、アイドル系の美少女、高部 希望(のぞみ)だった。髪の毛は明るい栗色のボブカットで、綺麗にウェーブがかかっている。
背は160センチ。大きめの胸。 短い制服のスカートがよく似あう。
目は大きいが、少し垂れ目だ。だが、それがいいという男たちも多い。
目元の泣きぼくろがチャームポイントだ。 笑うと目がより垂れてくるが、それもかわいさを引き立てている。鼻筋はもしっかりっている。正統派アイドル系美少女だ。
「高部さん…」俺はおそるおそる口に出した。
「二人の時は、ノゾミでいいわよ。もともと小学校でも一緒だったでしょ。」彼女は明るく言う。そう。小学校一年のとき、同じクラスだった。
それからは同じクラスになることもなかったのだが、今年になって、高校二年でまた同じくらうになった。 同じ中学から来ている連中はそれほどたくさんいないのに、今年突然同じクラスになったというわけだ。9年後の再開。そこは、もう一人の高橋香苗も似たようななんだけどな。
「ハルくん、キスしたいの?」希望は突然聞いてきた。
俺が口ごもっていると、彼女は言った。
「うーん。そんだけ慌てているってことは、たぶん直接キスシーンを見ちゃったのね。」
俺は、黙ってうなずく。
「でも、キスシーンで取り乱すってことは、知ってる人ね。知らない相手ならどうでもいいものね。」 希望はなかなか鋭いところを付いてくる。
「ということは…男の子は、長江くんか山口くんね。でも、真面目な山口くんは、学内の他人に見られるようなところで、昼休みに、なんてことはしないと思う。ということは、長江君ね。」
ビンゴ。
彼女の推理は続く。
「まあ、長江くんがその辺の女の子とキスしてたって、有象無象の相手ならハルくんも気にしないよね。ということは…でも、香苗も、珠江ちゃんも長江くんとキスするなんてあり得ないわね。そうか。理恵ちゃんね。」
希望(のぞみ)さん、あなたはエスパーですか。
俺は、黙ってうなずくしかなかった。
希望はぶつぶつ言い出した。
「そうか~ついに、難攻不落の妹が、長江の軍門に下ったか…。理恵ちゃん、あとで泣かなければいいけどね。」
そうだ。イケメンなんてみんな性格悪いんだ。きっと彼女は悲しい思いをするに違いない。そして男には天罰が下る。そうだ。そうしよう。
などと益体もないことを俺は考えていた。
すると突然、希望が俺に問いかける。
「ねえ、晴くん、一つ聞きたいんだけど。」
「何ですか、高部さん。」俺は平静を装って答える。
「ノゾミちゃんでしょ」
ついに、ちゃん付になったぞ。小学校のとき、そう呼んだこともあったかなあ。
まあいいや。すでに弱みを握られてるし、従おう。
「はい、ノゾミちゃん。何でしょう。」
「ハルくんは、キスしたいんだよね。それって、一人としたいの?それとも、たくさんの女の子としたいの?」
希望の質問はぶっとんでいた。だいたい、キス未経験者にする質問かよ、それ。
俺が黙っていると、彼女は続けた。
「素直に答えればいいのよ。正直に。さあ、晴くんは、一人とキスしたいんですか、それともたくさんの女の子とキスしたいんですか。」
希望はいたずらっぽく聞いてきた。
こうなりゃ、自棄だ。正直に答えてやろう。・
「そりゃあ、たくさんの相手に決まっているだろう。男のロマンだよ。」
ああ、言ってしまった。これで軽蔑されるかな。
だが、希望は意外にも平静だった。
ちょっと考え込んだ後に、彼女は言った。
「晴くん、スマホ貸して。」
あまりに意外なので、俺は彼女を見た。
「だから、スマホ出しなさい。ロックは解除してね。」
何をしようと言うんだろう。
まあ、不適切なサイトの履歴はこまめに消しているから、とくに問題はないんだが。
俺が彼女にスマホを渡すと、希望はいろいろいじっていたが、そのうち自分のスマホも取り出し、何やら操作した。
彼女は、俺のスマホを返してきた。
「はい、私のIDとメールと電話番号、登録してあげたからね。じゃあ、今からテストするから。」
ほどなく、俺のスマホが振動した。
開けてみると、希望によく似た顔のスタンプが「はろ~」と手を振っていた。
俺は、OK,というなんの変哲もないスタンプを返した。
「とりあえず大丈夫ね。じゃあ、いまは時間がないから、放課後に、旧校舎の視聴覚室で待ち合わせね。目立たないように来てね。まあ、晴くんなら問題ないだろうけど。」
どうせ、陰が薄いですよ。
とにかく、これが、すべての始まりだったのだ…。
ーー
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