第三十話 対決★ワカメちゃん
土曜日は初バイトの日だ。
朝九時オープンに合わせ、八時半に出勤する。まあ、学校に行くのと同じような時間だ。距離としても同じくらいだから特に問題はない。
ない…というか、妹にごねられたが、こればかりは仕方ない。
動きやすい服装で店に入ると、エプロンを渡された。メルヘン調のエプロンは、さすがに俺には似合わない。
まあ、他のものもないのでそれを使うことにした。明日、自費で自分用のエプロンを買いに行こうと決めた。
俺はさすがに料理はできないので、皿洗いとホールだ。まあ、皿洗いと言っても皿洗い機に入れるのと出すだけだが。
アイスティーとアイスコーヒー、ジュースなどは、グラスに氷を入れてボトルから注ぐだけなので、それはやることになった。なお、それ以外にバックヤードの段ボールや荷物を動かしたりLED電球を代えたり、という感じの裏方で力や身長が必要な仕事も結構あるようだ。
カフェの価格は、原価の問題ではなくて、そこに居る、という時間に価格をつけるものなのだそうだ。まあ、家で飲みたければ、帰ればいい。わざわざ来るというのは、そこで過ごすことにお金を払う価値があるからだ、とオーナーは教えてくれた。
「まあ、そうでも考えないと、妙に罪の意識が出るしね。あはは」と、オーナーは笑っていた。年齢は不詳だが、それほど行ってないだろう。ただ、化粧の様子から見て、20代前半ではないんだろう、とは思う。離婚経験者だしな。
初日はテーブルの番号を覚え、開業前にテーブルを拭く。そして、シュガーやミルクなどを補充して各テーブルに置く。あ、その前に床の掃除をしなければいけない。シュガーのセットを奥に戻す。
こういう手際も、続けていけばよくなるんだろうか? 俺は自分の段取りの悪さに絶望しかけたのだから。
店が開いてすぐ、見覚えのある男性が現れた。
「いらっしゃいませ!」オーナーが弾んだ声で自ら接客する。
「いつもありがとうございます…とんでもございません… 」などと話している。
「オーナー、目がハートだね。」希望がこっそり俺に言う。俺もそう思った。
この男性こそ、誰あろう秀英高校の国語の教師、風見先生だ。二十代後半のイケメン独身教師だ。そして独身。校内の女子からは結構言い寄られているらしいが、教師としての良識を持って、すべて退けているらしい。教師からもアプローチあるようだが、その辺はよくわからない。
去年は生徒会の顧問をやっていたが、今年は文芸部の顧問になっている。去年の激務の慰労なのかもしれない。まあ、国語の先生で文芸部っていうのは悪くないと思う。
風見先生はモーニングセットにコーヒーを頼んだ。実は、それも決まっているらしいが、オーナーは必ず自分でオーダーを取りにいくようだ。その辺は莉乃が嬉しそうに説明してくれた。
そして、オーナーと先生はちょっと話しこんでいる。
あれ?風見先生のほうも、結構嬉しそうだ。
オーナーは奥に引っ込んでモーニングを用意した。そしてまた、自分でもっていく。あれ? オーダーがちょっと多い。ハム、ベーコン、ソーセージから選ぶはずなのに、ハムとベーコンが両方乗っている。あからさまなひいきだ!
まあ、ここはオーナーの店なんだから、オーナーが何をしようが誰も文句を言う筋合いはない。
土曜日の朝は意外に混んできた。浄蓮も多いようだ。だが、満席にはならない。先生はゆっくり新聞を読んだり本を読んだりスマホをいじったりしている。
そして、時々オーナーのほうを目で追っている。
途中で手を挙げて、「温子さん、コーヒーおかわりお願いします。」と声を掛けていた。ちなみに、オーナーの名前は浅田温子さんと言う。旧姓に戻しているそうだ。結婚していた時代のことは忘れたいらしい。まあ、その辺は大人の事情だろう。
昼前に、風見先生は席を立った。レジはオーナーが対応する。待っている人がいないので、また話し込んでいる。オーナーが、店のカードを渡している。そして風見先生は去っていった。
11時をすぎるとランチセットがよく出る。ここのランチセットは結構ボリュームがあることを今日初めて知った。パスタとサラダ、飲み物のセットなのだが、パスタの量が選べる。小、中、大の三種類で百円ずつ違う。
コスパという点では量が多いほど割安なのだが、女の子は小を頼む。結構見栄を張るのかもしれない。。
ランチタイムが終わると、そのあとはケーキセットがよく出る。カップルも来るが、例のラブリーカップルパフェを頼む大胆な、あるいは厚顔無恥なやつらは居なかった。
俺は四時にバイトをあがった。料理を作れるわけではないので、一日ホールスタッフとバックヤードだった。希望は二時であがっている。莉乃は一日中やるそうだ。もはやベテラン店員の領域に達しているらしい。今日は一日疲れたが、それなりの収穫はあった。一番大きいのは、莉乃と結構仲良くなれたことだ。
希望とバックヤードで話をしたようで、二股という誤解も解けた。そして、彼女からはエプロンにイルカをつけるように言われたそれがそのうち客を呼ぶことになるんだそうだ。本当だろうか?
長時間とは言え、結構気楽なバイトだった。こんな安易でいいのだろうか?とも思うが、世の中はみんなそうなっているようだ。バイト全体の時給分以上に客のオーダーがあったことだけは確かだし。
さて、問題の月曜日だ。
登校したと思ったら、靴箱にレターが入っていた。
ワカメちゃんこと、三年生で去年の生徒会長だった大岩若芽先輩の確認レターかと思ったら違う。別の女の子の呼び出しだ。
メッセンジャーのアドレスが書いてあるので、俺から連絡した。こうやって相手の都合も考えられればいいのにな、と俺は思う。
まだ見ぬ彼女からは、確認のメッセージと添付ファイルが来た。それを読んでおけば時間の節約にもなるかもしれないし、状況をより理解できる。
まあ、ワカメちゃんみたいな一方的な呼び出しも過去にはあったんだが。その時は特に何とも思わなかった。要するに、俺がワカメちゃんを好きになれないだけなんだな、と思う。
というわけで、放課後一番に、俺は校舎裏へ行く。
ほどなく、ワカメちゃんも現れた。今日もどうやら一人のようだ。
遅れてやってきた彼女は、つかつかと俺のところに近づいてきて言う。
「じゃあ、私の願いをかなえなさい。」
これもひどい言い方だな。誰かの言い方を借りれば、「ドイヒー」だな。
「まずは、遅れてきたんだから『待った?』とか『待たせてごめんなさい』の一言でもあるべきじゃないのかな?」俺は彼女に言う。
「そういうものかしらね。」彼女は美しいがちょっときつい表情を崩さない。まあ、いままで待たせることはあったが待たされたことは少なく、すっぽかされたのは俺が初めてなんだろう。
「そういうものだ。」俺は答えた。
だが彼女は意に介さない。
「まあいいわ。私の願いをかなえなさい。」
人の話を聞かないやつだ、というのがよくわかる対話だ。
俺はいきなり疲れてきた。
「まずは話を聞こう。そのあとどうするかはそれからだ。まあ、いずれにしても結果を保証するものではないからな。こっちも受けるかどうかすらわからない。その辺は事前に了解してくれ。」
俺はなんとか彼女に言う。
「あなたは、キスしたら何でも願いをかなえるんでしょ? 努力しなさいよ。」
本当に人の話を聞かないやつだ。
「そんな、超能力者ではないんだから、できないものはできないぞ。というか、出来ないものほうが多い。それにキスは必須じゃないぞ。」俺は最初から逃げにかかる。
「まあ話を聞いたら、あなたも納得するでしょう。」
しないと思うがとりあえず黙っておこう。
「付きあいたい相手がいるの。かなえて頂戴。対価はキスでいいんでしょ?」
こういうのは絶対に受けてはいけない、とアラームが心のなかで鳴り響く。
「ちなみに、お相手はどなたでしょうか?」なぜか敬語になってしまった。
だが、こんな人を見下すようなやつが、本当に好きになる相手なんかいるのか?と俺は疑問に思った。
「私の後釜。生徒会長の山口くんよ。」
彼女はつまらなそうに言った。
なるほど。そういうことか。結論はすぐに出た。俺は答えた。
「それは俺には受けられない。理由は三つある。」
「何が理由なの?」彼女は聞き返してくれた。
世の中、「三つある」とか言うときは、そう言いながら答えを考えているんだ、と誰かが言っていた。まあ俺もその通りだ。ただ、すぐに思いついたわけだが。
「三つって何よ?適当なこと言ってるでしょ?」
さすが元会長。その通りです。でもそうはいわない。
「まず第一に、山口は学園祭前で非常に忙しい。そんなときに本筋と関係ない色恋沙汰は彼のやる気を阻害し、時間を浪費するだけだ。今は邪魔はしたくない。」
実は、これはダミーの答えだ。忙しくても恋愛はできる。俺は忙しい女子高生の香田みゆきの恋のサポートをしているのだから。本当の第一の理由は、「利益相反」だ。すでに若原瞳をサポートした結果、山口とくっつけることができたわけだ。それに反することはできない。まあ、本当のところとしては若原には大したサポートはしてない。彼女に「自信」を与えただけだ。
「第二に、山口には彼女がいる。すでにあるカップルをぶっ壊すのは俺の趣味に合わない。」
これは完全な本心だ。人のものを取るのは基本的に良くない。
「ふーん」ワカメちゃんは納得してはいないようだ。
「そして第三の理由。正直いって、あなたが本気で山口を好きなはずがないからだ。」
これがメーンの理由だ。
さすがにワカメちゃんもちょっと表情を変えた。
「私は山t口くんを好きよ。有能だしイケメンだし。」
まあ、本気で好きなら、生徒会書記の若原瞳のような真剣なまなざしがあるはずだ。
俺は口調を変えた。
「あんたは他人を基本的に見下している。年下の男ならなおさらだ。あんたが山口を好きになることはない。せいぜいパシリにしたい、と思う程度だろう。優秀なあんたにとっては、山口は自分より劣るが使い道はある、という感じかな。」
「ふーん。」面白そうにワカメは笑った。
「もしあんたがもう少し本気で好きになるとしたら、年上で、かつあんたに媚びない、公正な性格の大人だな。とすれば独身なら風見先生くらいだろう。」
今度こそ、ワカメちゃんの顔色が真剣に変わった。図星を突いたようだ。
「なんで、それを…」思わず口に出たようだ。
俺は続けた。
「だが、それもおすすめはしない。高校教師と生徒の恋愛は、とてもリスキーだからだ。大人に一方的に不利な形にな。」
「それはどうして?」ワカメちゃんは尋ねる。たぶんわかった上でだ。
「高校生は未成年だ。だから、もともと分別のある大人は深入りしない。高校生は突っ走っても自分にリスクは少ないが、大人には大きすぎる。だから、あんたがいくらアプローチしても、彼は乗ってはこない。」
ワカメちゃんは神妙な顔をしている。ワカメちゃん百面相だ。
「それだけじゃない。女の子からアプローチしていることを見られるだけでも大人にはリスクだ。変な噂が流されてしまう。しかも、実力者の娘だ。彼としては、突っ走るように見える若者、教え子を指導しなければ、という心と同時に、自分のリスクを考えているはずだ。」
ワカメちゃんは何も言わないが俺は続ける。
「卒業すればすぐに付きあえる、と高校生は言う。だが、それも大きな間違いだ。」
彼女は、え?という顔をする。
「卒業してすぐ付きあうと、世間では高校時代に手を出した淫行教師に見られてしまう。だから、高校生が成人して自分の価値判断ですべて決められるようになる二十歳以降でなければ、後ろ指をさされるわけだ。まあ、成人が18歳になったとしても、父兄はそう見るよ。それが世の中だ。」
話はまだ続く。
「一応例外はある。その二人がそのまま結婚する場合だ。それであれば、卒業すぐつきあって結婚も世間的に許される。実際、世の中そういう例は多いし、昔は今よりもっと多かった。だから、世間も許すだろう。」
まあ、昔の場合、女子生徒から体当たりしてくるだけじゃなくて、娘の依頼で親が出てきて、娘をもらってくれ、なんて例も多かったらしい。
「だが、あんたの場合、結婚は親の仕事がかかわるから自由にはできないだろうし、もとより彼と結婚する気持ちなんかさらさら無いだろう。彼を好きなのは、彼を振り向かせて他の男と同じように征服してコントロールしたいだけさ。」
少なくとも、内心はそう考えているはずだ。
「全力を尽くして彼と付きあいはじめて、彼があんなにひざまずいて忠誠を誓った瞬間、あんたは興味をなくす。そうして一人の人生をぐちゃぐちゃにするのさ。」
ワカメ女史はぶるぶると震えていた。
たぶん、それは怒りなんだろう。だが、的外れなことをで怒っているのではない。本質を突いてしまったことで怒っているんだろう。
「というわけで、俺はあんたの願いをかなえるために協力するこてゃできないのさ。お引取り願えますか。」
「あなた、初対面でよくそこまで言えるわね。」
美しい顔をゆがめながら、ワカメちゃんは言う。夜叉、というのは美人だけど怖いんだったよなあ、などと俺は思う。
「もちろん、僕からみればワカメさんは有名人ですから、お近づきになりたいですよ。朝晩夢に出てきたくらいだ。」これは冗談であるが通じなさそうだ。
「だが、パシリになる気はない。それに、俺だって、できればあんたに逆らいたくはない。だが、できないことに協力はできない。山口のことにしても、風見先生のことにしても。 相田みつをだって言っている。『できない約束はしないことだな』ってね。」
「あなた、どうして風見先生の話を出したの?そんなこと、あるわけないじゃない。」
ワカメちゃんは言ってきた。今更だが。
「まあ、俺にとってあなたは憧れの人ですから。去年、五人パシリを駆使しながら風見先生に報告する様子を何度も目撃していたし、先日も追いかけてましたよね。」
これは完全なハッタリだ。だが、彼女は信じたようだ。
「…そう。私はあなたの視線には気づかなかったわ。」
「もともと、目立たないことには自信がありますからね。今はなぜか一部からいろいろ言われていますけど、本来は根暗のボッチです。あなたは高嶺の花。遠くから見ているだけで十分です。近づくと、身分の差を感じてしまうわけですし。」
「あなたが、私に協力してくれないことだけはわかったわ。でも、私はやりたいようにやるだけよ。」
彼女はきっぱり言った。敵意すら感じる。
俺も答える。
「俺があなたに協力できない、というだけです。あなたには行動力も権力もある。たぶん、推薦入学になるでしょうから、時間もある。やりたいことをやればいいでしょう。まあ、学園祭までは山口の邪魔をしないでもらえると、生徒会臨時の助っ人としてはありがたいですが。」
「疲れたから帰るわ。」彼女は突然そう言って、踵を返した。自分が思うようにならないことがある、ということを認識し始めているのかもしれない。
俺は、黙ってワカメちゃんの背中を見つめていた。
ーーー
ハルくん、熱弁を奮いましたね。
こんなキャラだったかな~?
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