第十五話 若原瞳のお願い


翌朝。俺は普段よりちょっと早めに起きた。

珠江と約束しているので、七時半には出ないといけない。


「お兄ちゃん、おはよう。今日は早いのね?」妹が声をかけてきた。

何やらご機嫌だ。


「うん、用事があるんで、七時半には出ないといけないんだ。朝ごはん、俺がパンでも焼こうか?」


俺は妹にサービスするつもりで言った。


「じゃあ、お願い。私は自分のお昼を作っちゃうから。」妹はそういって、ツナ缶を開けた。俺は、薄切り食パンをトースターに入れる。まだ二枚残っているが、これは妹のランチ用だ。


「私のお昼はツナサンドよ。一人じゃどうせツナは使い切れないから、お兄ちゃんと私で朝にも食べよう。」


そうすると、妹は朝昼とツナサンドになってしまう。それはちょっと申し訳ない。


「じゃあ、俺がスクランブルエッグを作るよ。笑美はそれを食べてくれ。俺はツナをもらうから。」

俺はそういて、冷蔵庫から卵をニつと刻んだネギと牛乳を出す。 器で軽く卵をかきまぜ、牛乳を入れる。塩コショウで味付けして、刻みネギを入れてまた混ぜる。ここで、ほんの少し「だし」を入れるのが俺流だ。


フライパンを火にかけ、バターを落とす。 バターが軽く溶けたら、溶き卵を入れる。軽くかきまぜて、固まったら出来上がり。ほんの2分だ。 ネギを入れるのが俺の、というか我が家の伝統だ。いろんなものに使うため、刻みネギは常に冷蔵庫に入っている。


スクランブルエッグの大部分を大皿に盛り、ケチャップを端につけて、焼けたパンも乗せる。妹がサラダの小皿を並べる。兄妹の連携の息はぴったりだ。


妹は俺が卵を焼くあいだにツナサンドを作り終え、切ってラップにくるんだ。とても手際がよい。


もう一枚の皿には、ツナマヨが乗っている。その横に残ったスクランブルエッグと、パンを乗せる。


ティーバッグで紅茶を入れて、二人で席につく。

「いただきます。」そういって食べ始めた。


笑美は、作ったツナサンドを持ってきて、スクランブルエッグもはさむ。


「おい、まだ熱いんじゃないか。それに朝昼一緒になっちまうぞ。」俺が指摘すると、

「いいの。お兄ちゃんの味だから。何て言うのかな。あいにい弁当、みたいな。」


せめてあいけい(愛兄)とか言ってほしいところだ。



「あと、サンドイッチ一つおすそ分けね。お兄ちゃん、今日のお弁当は珠江先輩よね。ちゃんと食べてあげてね。このサンドイッチは、おやつにしてもらえばいいから。」


いろいろ気を遣ってくれるな。


「今日の片付けは、お母さんに任せましょ。ゆうべのシチューがあるから、手間かからないし。」


いいのか、それで?俺はちょっと疑問に思いながらも、食器を流しに運ぶ。


「ねえ、お兄ちゃん。」呼ばれて俺は振り向いた。

と思うと、いきなり笑美がキスしてきた。ちゅっ軽いキス。唇どうしがあわさり、感触を味わう暇もなく離れる。


「おはようの挨拶ね。ちょっとだけ紅茶味!」 満面の笑みだ。


「あー、まだ歯を磨いてなかった。ごめんな。」俺は謝った。


「いいの。私も歯磨きしてないし。こんな状態で気にならないのは、家族の特権ね!」


俺は急いで歯を磨く。もう7時20分だ。髪の毛を何とかドライヤーで整えると、もう七時半だ。


俺は、笑美のサンドイッチ一切れを鞄に入れて、家を出る。15分歩けば学校だ。


校門を入ってから右側を周り、校舎裏にたどり着く。

ここは前後が壁に挟まれているし、窓もない。ついでに大きな木が並んでいて、、その中に入ると、どこからも見えなくなる。だから、校内の告白スポットとして隠れた人気がある。


短髪のスポーツ少女の珠江は、すでに待っていた。

「おはよう、珠江ちゃん。」俺は声をかける。


「おはよう。」満面の笑みで、スポーツ少女は答える。

今朝は体操服ではなく、制服姿だ。 朝練には出ないんだろう。


「じゃ、練習ね!」珠江はそういうと、いきなり俺に軽くキスしてきた。一秒唇を合わせて、すぐ離れる。何とか唇の感触を味わった。やっぱり、ちょっと固めだと思う。


珠江は真っ赤になった。俺は声をかける。


「ノーカンだから、照れなくていいよ。」


「そうよね。そうなのよね。うん。」そう自分に言い聞かせるようにして、短い髪をかきあげる珠江。


なんか、ちょっと可愛い。


「でも、無理ならもう行くよ。」俺がそういうと、


「駄目…」そういって、珠江は俺に飛びついてきた。両手で俺をハグしながら、唇を合わせる。

香苗と違い、つつましい胸の感触がそれなりに心地よい。


珠江の唇が、俺の唇を味わっていく。少しずつ動きながら、顔の方向を変えて、もう一度。

永遠とも思える時間。だが、ほんの十秒ほどだろう。


珠江は、名残惜しそうに俺から離れた。


「朝の挨拶って気持ちいいね。」珠江は言う。

うん、俺も気持ちよかった。


「じゃあ、教室に行こうか。別々に。」俺は言う。


「そうね。私は部室に寄っていくから。」珠江はそういって、部室のある方向へ歩いていく。俺は、珠江と逆方向、来た道を戻っていく。


教室に行くと、前の席の残念少女、白石真弓がもう来ていた。教室には彼女だけだ。


「おはよう。早いね。」一応、俺から声をかける。


「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど。」白石が言ってきた。結構シリアスな顔をしているが、どうせ、ろくな話じゃないだろう。

「うーん。答えられることなら答えるけど。」


その時、クラスメイトが3人で教室に入ってきた。


「おはよう。あれ、お邪魔だった?」わけのわからないことを言ってきたのは、屋上でイケメン同級生の長江とキスをしていた例の「妹」、原中理恵だ。


「意味がわからないな。」俺はそう言って、席を立つ。特に用事もないが、ここにいると白石に絡まれそうだったから。


そんな感じで白石をかわしつつ、ランチは珠江の弁当をもらう。

結構ボリュームのある弁当だ。さすがスポーツ少女、というところか。



美女ランチで気づいたので声をかける。

「希望ちゃん、髪型変えたんだね。似合ってるよ。」


こういうところで一声かけるかどうかで、評価が変わるらしい。

実際は、ちょっと切って、ショートボブのウェーブの感じがちょっと変わったくらいだが。


「気づいてくれたの。ありがとう。カオルさんから勧められたのよ。あ、ハルくん、カオルさんがよろしくって。」


希望が嬉しそうに答える。


「カオルさんって?」珠江が尋ねる。

「私が行ってる美容師さんよ。ハルくんをカッコよく変身させるプロデュースにも協力してくれているの。」


「ふーん。」香苗が気のない感じで相槌を打つ。

HKHPのリアルな意味を知っているのだから、希望の言い方がちょっとウソっぽくうつるのだろう。


HKHPの意味を香苗も珠江も知っている。ハルくんキス放題プロジェクトだ。だが、そのことを主催者の希望は知らない。それに、主催者の希望は俺とキスしていないが、香苗と珠江は俺とキスをしている。そして、そのことを希望は知らない。


何だかちょっといびつな関係になってしまっている。とはいえ、俺からそれを希望に言うわけにもいかないだろう。


ちょっと微妙な雰囲気の中でランチ会は終わった。もちろん、お供えも分けてもらった。


そしてこの日は、生徒会室にも寄らずに、まっすぐ帰宅した。急がないと、また白石に絡まれるたら面倒だと思ったからだ。

ちなみに、妹のサンドイッチは、午前中の休み時間に食べてしまった。



木曜日になった。今日は愛妹弁当の日だ。

大した変化もなく昼食に愛妹弁当をを食べ、午後の授業を終えて放課後になった。


先に生徒会室に行ってて、と香苗からメッセージが来ている。教室では、香苗が生徒会長の山口秀(しゅう)と話をしている。


俺は、生徒会室に行った。部屋はすでに開いていて、中には書記の若原瞳だけがいた。


「こんにちは。いらっしゃい。」若原が言う。

「ああ。会長はまだみたいだね。」俺は軽く答える。彼女が会長の山口を好きなことは、はたから見れば明らかだからだ。


「今日は、私があなたにご相談があります。ちょっと来てもらえますか?」そういって若原は俺を連れて生徒会室を出て、施錠する。俺は鞄を持って出たが、彼女は置いたままだ。


「こちらへ。」彼女は俺を先導して、校舎の上へと昇っていく。

そして、おなじみの視聴覚室に入った。


ここに普通は人が来ないことは、希望とのHKHP講座で証明すみだ。


「相談って何だい?」俺は彼女に尋ねた。

少なくとも、あまり面識のない若原に相談されるような項目は思い当たらない。


若原は、思いつめた感じで俺を見つめながら言った。

「私、山口さんが大好きなんです。」


これが、「ハルくん」「三重野さん」なら嬉しい告白なんだが、こんなことを言われても仕方ない。だいたい、明らかだし。


「ああ、知ってるよ。それが何か?」

俺は軽く答える。


「どうしてわかったんですか?あまり人には言っていないのですが。」

これは流石に…と鈍感な俺でも思う。


「見てればわかるよ。明らかだろう。」俺は指摘する。

彼女は真っ赤になった。


「そ、そうなんですね…。で、私、実は副会長に相談したんです。会長は副会長に告白して、断られてるんです。だから、私にチャンスがあるのかどうかって。」


何だか、それも違うような気がするんだが…。一応、恋のライバルだろう?>

だがそれを言っても詮無いことだ。


「で、高橋さんは何ていったの?」高橋さんとは香苗のことだ。

あのクールビューティが、恋の相談に乗るというのも珍しいんではないだろうか。


「あなたから加護をもらったら、と言われました。で、恋に効くのは…あの…その…」


なるほど、そういうことか。

「言いたいことはわかったつもりだ。 秘密は守るよ。それから、僕とは何をしてもノーカンだよ。挨拶とか、練習だと思って。」


俺は続ける。

「無理強いはしないけど。あなたが一歩踏み出す努力をするかどうか。それだけだよ。

結果は保証できない。それでもよければ。」


「結果は保証してくれないんですか…」

若原瞳は残念そうにいう。


「それはそうだよ。お金もらうわけでもないし、お祓いだっておまじないだって、結果が出ないことはある。結局は心の問題なんだと思うよ。」


「そうなんですか…:


「たとえば、女の子から男子に告白することだってあるよね。その時の方法だっていくらでもある。電話やメールもあるけど、やっぱり対面して告白したいよね。」


「それは、そうですね。」若原瞳は答える。小動物のような小柄な感じは変わらない。


「バレンタインでは、私の気持ちです、って言ってチョコを渡すよね。たとえば、その代わりにキスしたら相手はどう思うかな?」


「…」


俺は続ける。

「男から不意打ちキスは、下手したらセクハラだよね。でも、女の子からキスされたら、男は嬉しいだろうし、怒ることはないと思うよ。相手との関係が悪いものでない限りはね。」


「でも…失敗したら、ものすごく恥ずかしいです。嫌われるかもしれないし。」


「女性から告白されて、断るやつは居るかもしれないけど、相手を嫌う奴はあまりいないと思うよ。もちろん、例外はあるけどね。」俺は何となく、白石真弓を思い浮かべていた。


「俺に何をしてもノーカンだよ。それは、香苗ちゃ、いや高橋さんに聞いたんでしょう?でも、無理することはないよ。納得できない行動をすると、後悔するからね。じゃあ、そろそろ生徒会室に戻ろうか。」


俺は、席を立とうとする。香苗は彼女をたきつけたのかもしれないが、俺としては無理する必要はないと思っているのだ。妹を含め、3人と毎日のようにキスしているのだから。


「待ってください。」

彼女はそういうと、俺のところにつかつかとやってきた。


そして、意を決したように俺に告げる。

「練習、させてください。」


そう言ったとたん、俺にとびついてきて、唇にキスしてきた。

俺はちょっと予期していたので、動かないでいた。


柔らかな感触がする。だが、控え目だ。そして、すぐに離れた。一秒もきすしていないだろう。


唇の他は、どこも接触していない。相手が動かないなら、これでいいだろう。


「満足したかな。イルカの加護があるといいね。あと、僕は動かなかったけど、動きそうな相手の場合には、ハグするとか、頭を押さえる、っていうやり方もあるよ。」


ちょっと、オレンジのフレーバーを感じた。、リップグロスだろうか。


「なるほど…。あの、もう一度練習してもいいですか?」


若原瞳はそういうと、今度は俺の頭を両手で囲んで、キスしてきた。


今度は3秒くらい続いた。

離れたところで、彼女は大きく息を吐いた。


「あ~息ができないと大変です。」


まあ、その辺は臨機黄変になんとかなるだろう。

「もう大丈夫かな?」俺は声をかけた。


若原は笑顔になった。

「練習は本番じゃないんですよね。そのことがよくわかりました。今日、生徒会終わったあとにチャレンジしてみます。」


「ああ、頑張ってくれ。俺には祈ることしかできない。イルカの加護がありますように、ってね。」


「それで十分です。本当にありがとうございました。」

若原瞳は綺麗なお辞儀をする。

彼女の希望で、連絡先を交換した。


そして、二人で視聴覚室を出た。

今日も施錠はされていなかった。


「じゃあ、私は行きます。ありがとうございました。」

彼女はそういって、生徒会室に戻っていた。


俺は、このまま家に帰ることにした。

香苗がこういうアレンジをした以上、べつに今日はs手伝いはないだろうと思ったからだ。


こうして、4人目のキスが終了した。

だが、自分でノーカンと言ってしまった以上、これもファーストキスじゃあないよな。若原瞳の練習に付きあっただけだ。


最初はぎこちなかった彼女も、二回目はリラックスしていた。

練習するのも、悪くないだろう、たぶん。


俺は、イルカのバッジに対し、若原の恋が成就することを祈った。






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