第20話:帰郷と療養5 故郷
エルニアに呼び出されたのは夕方であった。
何食わぬ顔で部屋にいるシィラとムゥマに教えてもらったが、エルニアは里の運営とは別に医者としても仕事をしているとの事。午後の往診や診療を終えた時間を自分の治療に当ててくれると言うわけだ。エルニアに呼ばれた時点でムゥマとは別れ、シィラと共に診察室へと案内された。ここも拡張した部屋らしくシィラに手を引かれ入室し、促されるままに席についた。向かいにはエルニアが座り、横にはシィラが立っている。
「先に説明を済ませましょう。まずここでの治療は今回限りです」
「一度で完治ということですか」
「いえ、ここでは不完全な治療のみ行います」
「どういう事ですか」
エルニア曰く。患者のことを考えれば、やはりあまり強い治癒魔法は使いたくないらしい。そこでここでは最低限の治療、折れた骨を弱く繋ぐまでを行う。弱いとは言っても日常生活には支障がない。ただ戦闘など腕に負荷がかかると間違いなく折れる状態。今回は最低限の治癒の後、自然治癒と補助的な回復魔法で完治させる療法を選択した。
「毎回ここに来るのか」
「その必要はありません。シィラに必要な事は教えました。しっかり効果が出れば二週間程度で完治します」
「おまかせくださぁい」
どこか不安になる気の抜けた声ではあるが、今までも看病に関しては任せっきりだったのだ。これまでに不満があった訳でもない。いつも通りシィラに看病を任せる事に自分でも思った以上に抵抗はなかった。
「治療自体はすぐに終わります。ただ、一気に治癒を進めるので痛みが伴います。本来であれば致命の方を生かす為、無理やり治癒を進める魔法です。下手をすれば致命の方なら耐えられない場合もあります。よろしいですか」
「頼みます。その為に来たので」
「……はぁ、私としてはきちんと療養して欲しかったんですけどね。シィラ、包帯を」
指示を受けたシィラが慣れた手付きで包帯を取ると、添え木を下に腕を救うように持った。エルニアは傷口に軽く指を触れ正確な範囲を把握する。
「砕けた破片が少し筋肉を傷つけていますね。ただ断面は綺麗なので接合はすぐに済みます。まずは周囲の破片を骨に集めます。少し痛むかもしれません」
滑るように指が動くと軌跡は熱を持ち、圧迫するように浸透する。皮膚、筋肉、骨へと伝わる熱は筋肉の部分で僅かに引っかかり、何かを筋肉ごと引っ張るように骨へと押し付ける。引き剥がすような痛みが引くと今度は手近な小瓶に入った薄緑の液体に指を浸した後に同じことを繰り返す。
「傷ついた筋繊維を保護する薬液です。魔力と共に浸透し、傷ついた部分を埋め傷の治りを促進します」
ひんやりとした液体が染み込む感触。それが傷口に触れると熱と共に痺れが広がった。
「しびれは少しすれば引きます。こちらは接合面を除菌し、綺麗に整える効果があります」
透明な液体を、腕についた薄緑を落とすように塗布する。塗った時は確かに濡れていたが、それはすぐに揮発したのか既に乾いていた。
「さて、シィラ」
エルニアはシィラからケルザの腕を受け取る。今度は手の空いたシィラが傷口に片手を載せた。
「わかる?」
「何となくですがぁ」
「もう少し魔力を込めてみて。先に塗った薬液が反応するからわかるはず」
目を閉じ手のひらに意識を向けるシィラは浅く肩で呼吸を繰り返していた。
「わかったよね? しっかり元の形を想像して」
「ん」
ぴくりと眉を動かすとシィラは腕から手を離し、再度ケルザの腕を受け取った。
「大丈夫かと」
「今度からは同じ事をしてあげてね。では仕上げを。良いですか、予想よりも痛いです。覚悟だけはしてくださいね」
不安になる言葉を残したエルニアは傷口をなぞるように指先で何か文字のようなものを書いていく。腕を一周させて文字がつながった瞬間、不意の激痛で視界が白くなった。食いしばった歯が声にならない悲鳴を飲み込み、痛みを逃がすように汗が浮き、体温が一気に下がる。痛みはたった一瞬であった。だがその痛みはまるで腕を切り落とされたように熱を帯び骨を焼く。腕にもう痛みはない。痛覚はそう訴えるが、脳は未だに焼き付いた痛みを響かせる。平静を取り戻すため、浅い呼吸を繰り返す。徐々に呼吸が落ち着いたとき、シィラが額の汗を濡れた布で拭いてくれていた。
「大丈夫ですかぁ?」
「……ほとんど意識が飛んでた」
「びっくりしましたよぅ。お母様がせんぱいを殺しちゃったってぇ」
「まだ頭が痛みを訴えている。たがどこが痛いのかわからない」
「強い回復魔法はそれだけ体に負担をかけるのです。だから私は使わないようにしています」
「……これは確かに、瀕死の人間では耐えられない事もありますね」
「悲鳴を挙げない方は初めてでした。随分と我慢強いようで」
「……まさか。声を出せなかっただけです。もう二度と受けたくないですね」
「ではその為にも朝と夜の二回、先程シィラのやった弱い治癒を受けてください」
「えぇ、そうさせてもらいます……」
「せんぱい、お母様には従順ですねぇ。年上がお好きでしたかぁ?」
「……悪い子ではないので」
「……はい。もう慣れましたから」
腕の痛みで脳が焼ききれたのか、もうシィラに対しては諦める以外に出来ることはなかった。落ち着いた頃、エルニアに言われ恐る恐る腕を持ち上げると、痛みもなく持ち上がった。手を握ると僅かに違和感はあったが、それもしばらく動かしていなかっただけで直ぐに治るとの事。ようやっと自由になった腕に開放感を感じ肩を回すと、骨が鳴った。
「シィラ、いつ帰るの?」
「そうですねぇ。流石に今日は嫌なので明日のお昼前にしますかぁ」
「そう。それじゃあシィラ、ケルザさんも出立まではゆっくり休んでね」
「はぁい、今の内にムゥちゃんと遊んでおきまぁす」
治った腕を遠慮なく掴むと、シィラはケルザと共に診察室を出ていった。
翌朝、朝食前にシィラはケルザのいる部屋へ訪れた。
「おはようございまぁす」
「あぁ、おはよう」
「起きてますねぇ。とりあえず治療しましょうかぁ」
ベッドに腰掛けたケルザの横に、シィラは許可を取ることなく座った。
「調子はどうですかぁ?」
「また折れて痛い思いはしたくないからな。無理はしないようにするが、日常生活には問題はなさそうだ」
腕を持ち上げ手を握り、動かせる事を確認する。それを見て笑ったシィラは優しく手を添えると、ケルザの腕を自分の太ももの上に置いた。
「動かせるのは知ってますよぅ」
温かい感触が手首から肘にかけ何度か撫でられる。
撫でられる度に傷が熱を持ち、溶けるように消えていく。
「すまない」
「今更ですねぇ」
撫でる部分が徐々に細くなり、最後には中指の指先で触れているのかもわからない触れ方になっている。むず痒いようなくすぐったいような。どうにも落ち着かなくて腕を動かそうとしたがシィラがそれを許さない。
「動かしたらだめですよぅ?」
「……もう終わったんだろ」
「えー、終わってませぇん」
くすくすと笑うシィラはもう隠す気もなく中指を動かし腕をくすぐっている。耐えられなくなったケルザは、今度こそシィラの指から腕を遠のけた。
「助かったよ」
「どういたしましてぇ。ところでせんばぁい、お礼代わりにお願いがぁ」
「何だ」
「私が魔王様にやるように髪を梳いてくださぁい」
そう言ってワンピースの衣嚢から木製の櫛を取り出すと逃げた手に掴ませる。
「自分で出来るだろう」
「いっつも私ばっかりに看病させてずるいと思いまぁす」
「……わかった。後ろを向いてくれ」
「あは、もしかして少し素直になりましたかぁ?」
やや座る角度を変え、ケルザに背中を向ける。毛先はベッドに触れており、仄かに熱っぽい花の香が鼻を突いた。首元で髪をまとめ救うように持つと、亜麻色の髪から瑞々しい感触が伝わってくる。水気を吸った髪は僅かに重さが感じさせた。
「風呂に入ったのか」
「はぁい、早く起きたのでぇ」
細い髪に櫛を通し、受けている手と共に毛先まで流す。普段は緩い癖っ毛であるが、今は真っ直ぐだ。何度も櫛を通していると柔らかい髪束が綺麗に整ってくる。側頭部の髪を後ろに持ってくる際、小指がシィラの耳に触れた。不意の感触にシィラは小さく息を漏らし、身じろぐ。
「もぅ、くすぐったいですよぅ」
「仕返しだ」
「なんだか手慣れてますねぇ」
「……少しだけやった事がある」
「昔のお仲間ですかぁ?」
ケルザは答えずに髪を梳く。湿った髪は絹のように滑らかだ。櫛を足の上に置くと梳いた髪を撫で整える。
「ずいぶんと優しいですねぇ」
「気のせいだ」
「私を誰かと重ねるのはやめてくださいねぇ」
「……わかっている」
手から整えた髪が零れ落ちた。髪が手から離れたと察したシィラは肩越しに髪束を取り、さらさらと指から落ちるのを見て満足そうに座り直す。
「その人も髪は長かったんですかぁ?」
「いや、肩より少し長い程度だった」
「わかってないじゃないですかぁ。良いですかぁ? ちゃんと私の髪の長さと、細さと、触り心地。覚えてくださいねぇ」
「覚える程、触る事はない」
「何言ってるんですかぁ。これから何度も私が腕の治療をするんですよぅ? ただで治療をさせるおつもりですかぁ?」
「……毎回するのか」
「毎回でぇす。いろいろと癪に障るので、私の髪を触っても誰かを思い出さなくなるまでお願いしますねぇ」
髪を揺らしながらシィラは立ち上がる。乾き始めた毛先が曲線を描き、視線は揺れる毛先から真っ直ぐな髪を追って頭に辿り着く。見慣れているはずの後ろ姿が、髪の癖がないだけで不思議と自分の知らないシィラに見えた。
「髪の癖がないだけで印象が変わるな」
「女の子の魔法ですよぅ。今はどう見えますかぁ?」
後ろ髪を手で胸元に流すと、ケルザに体を向ける。梳かれた髪を片手で撫で、空いた手の指は毛先を弄んでいた。
「そうだな、普段より大人びて見える」
「普段から大人ですがぁ?」
「そうか」
「まぁせんぱいは年上が好みのようですし? 大人びて見える方が好みなのではぁ?」
緩い癖っ毛と甘ったるい声は日常である。だがまっすぐに整った髪でいたずらっぽく微笑む彼女は非日常。子供っぽさよりも大人らしい余裕を感じる容姿に、少しだけ見惚れた。
「好きに言え」
「では、朝ご飯に行きましょうかぁ。ここでの最後のご飯ですよぅ」
差し出された手を反射的に掴み立ち上がり、ふと思う。
「手を繋ぐ必要はないよな」
「そうなんですかぁ?」
知りませんでしたぁと答えたシィラはケルザの手を握り、食堂へと向かって行った。
「腕の調子はどうですか」
既に食卓に3人はついていた。挨拶を済ませるとエルニアが腕に視線を送る。その手はシィラに握られていた。
「問題なさそうです。治るまでは安静にします」
席につくと、ようやく手を離したシィラは流れる様に食事に手を伸ばす。
「昼前には出るんだよね?」
「はぁい。魔王様にも大体の帰る日を伝えてますのでぇ。概ね予定通りでぇす」
「もう行っちゃうのかい。満足に話せてもいないのに」
「えー、もう充分話しましたよぅ。また帰ってきますのでぇ」
普段より会話が多い食卓は、シィラとの別れを惜しむ様に明るい。滞在した数日、自分も同じ食卓で同じ時間に食事を取らせてもらったが懐かしさを覚えるものであった。家族との食事どころか最後に会ったのはいつだったか。気心の知れる人達との団欒は代え難いものがある。
「ケルザ君、シィラちゃんに聞いたんだが」
「はい」
「君は今、魔王様の下にしか居場所がないとか。家族はどうしたんだい」
「……もう長く会っていません。それ以前に会える立場ではありませんので」
「君にも事情があるだろうから深くは聞かないが、帰る場所がないのは疲れないのかね?」
「そう、ですね。少しだけ気疲れする事はありますが、自分で選択して今の状況にいますから」
「君は里の者と比べれば大人かもしれない。だが大人とて疲れるし休む必要もある。自分の為に休む場を設け、必要な場面で常に十全の能力を発揮する。そこまで自分を管理出来てこそ大人だと私は思うが、君は警戒ばかりで休めていないように見えるね」
「……そうかもしれません」
「えー、里に来てから大分丸くなりましたよぅ。見てくださぁい、この澄んだ瞳をぅ」
適当な事を言うシィラに従い里長はケルザの目を見て眉を顰める。
「……まぁ、マシになったと言うなら良いのだが」
「目つきが良いとは言えませんね」
「表情筋いきてます?」
「しんでまぁす」
「殺すな」
「ん、ん。君の人相に関しては置いておこう。それでだ。たかだか数日、嫌々渋々とはいえ私は里長として君を迎え入れた責任がある。帰る場所がなく魔王様の下にずっといるのも大変だろう。だから偶にはシィラちゃんの護衛ついでに、ここに帰ってくると良い。ここに敵はいない。自然が君を守ってくれる。安心して休むと良い」
「……良いんですか」
「一度迎え入れたのだ、何度出入りしても大差ない。何よりシィラちゃんの身の安全が保証されるなら安いものだ」
「……遅くなりましたが先日の非礼、お詫びします。申し訳ありませんでした」
下げた頭を嫌そうに見た里長は小さく手を払う。
「いい、いい。頭なんて下げる必要はない。私もシィラちゃんが男を連れてきて機嫌が悪かった。大人気なかったよ」
「お気遣いありがとうございます。帰ってきて良いと言われるとは思ってもいませんでした。本当にありがとうございます」
一度下げた頭を持ち上げ、再度意味を変えて下げる。溜息をついた里長は食器をまとめ手に持つと席を立った。
「あぁ、そうだ。魔王様の扇、持っていくかい?」
「いえ、持ってこいとは言われていませんので。今まで通り保管してもらえると助かります」
「そう、わかったよ。それじゃあ、僕は仕事があるから。シィラちゃん、またね」
そのまま部屋を出ようと扉を開けた所でケルザが呼び止めた。
「里長」
「なんだい」
「次は手土産を持参します」
「……いいね、楽しみにしてるよ」
バタリと閉じた扉の向こう、足音が遠くなり聞こえなくなった。
「せんぱいさん、意外と父様と仲良く出来そうですね」
「娘しかいないから、あの人も距離感がわからないだけなのよ」
「せんぱいですかぁ。なんか兄でも弟でも生意気で嫌ですねぇ」
「そう? 私はお兄ちゃんも悪くないと思うけどな」
「せんぱいってご兄弟はいるんですかぁ?」
「いや、いないな」
「じゃあ丁度いいですねぇ。私がお姉ちゃんで、次がせんぱいでぇ、ムゥちゃんが妹でぇす。……嫌そうな顔しないでくれませんかぁ?」
「わーい、お兄ちゃんだー」
「こんなに大きい息子が出来るなんて」
「お姉ちゃんの言う事は聞かないとだめなんですよぅ?」
「話を飛躍させないでくれ。ついていけない」
家族とはこんなものだった。遠く埋もれた記憶の中に、自分もこんな環境で育った事をケルザはぼんやりと思い出していた。
「あの人が言った通り、疲れたら帰ってきて良いですからね。それとくれぐれも安静にしてください」
午前の往診に出る前にエルニアが挨拶に来てくれた。シィラとも簡便な挨拶を済ませ、外へ行く。
「さぁて、せんぱい。帰りますよぅ。荷物はまとめましたかぁ?」
「あぁ、済んでいる」
「えー、もー帰るのー? やだー」
「ムゥちゃんは寂しがり屋さんなんですよ」
「姉らしさが消えたな」
「えー、だって私末っ子だしー。お姉ちゃんとお兄ちゃんに置いていかれる可愛そうな妹なのー」
「満更でもなさそうですねぇ」
来た時よりも膨らんで見える籠を手に、シィラはムゥマと部屋に入ってくる。ケルザも既にまとめ終えた荷物を手に立ち上がると、三人で玄関に立つ。もう慣れた動作を待つ事なくケルザはシィラの手を握り、玄関の扉を開いた。
「行ってくれ」
「あらぁ……」
初めて聞く声を出すシィラは握られた手に視線を落としている。代わりとばかりに荷物を持っている手首をムゥマが掴み、外へと踏み出した。日光が眩しく、手で影を作ろうとして両手が塞がっている事に気づき目を細める。率先して進むムゥマを追うように歩くが、反対の手が微妙に重い。引っ張らなければ足を止めそうなシィラ。荷物が重いのか、はたまた里を出るのが名残惜しいのか。どちらにせよ魔王城に戻る必要がある。足を止められては困る為、ケルザはしっかりと手を握り歩みを進めていく。里を抜け、近隣の森を抜け、最後の結界をくぐった。道中、ムゥマと世間話をしたが珍しくシィラが大人しい。里の外に出たからかムゥマは足を止めた。
「せんぱいさん、荷物を置いてください」
何故か聞こうとしたが、大した指示ではないと大人しく足元に手荷物をおいた。何をするのか彼女を見るが、空けた手をムゥマは手に取り満足そうに笑う。
「はい、約束達成。約束は守らないとだめですよね」
「何の話だ?」
「あら、お忘れで? せんぱいさんの怪我が治ったら私とシィちゃんで両手を繋ぐと言いましたよ? どうですか、お嬢様二人と手を繫いでいる気分は」
「……あぁ、言ってたな」
「満足しましたか?」
「そうだね、世話になったよ。ありがとう」
「どういたしまして。それでは、ここからはシィちゃんをお願いしますね。とりあえず、あっちに真っ直ぐ行けば来た時の村に付きますので」
ケルザの手を離し、足元の少ない荷物を取り手渡すと「またね。お姉ちゃん、お兄ちゃん」と手を振って結界の中へ消えて行った。教えてもらった目的地の方角へ、シィラの手を離さず歩いて行く。相変わらず重いが、別に里の方へ力をかけている訳ではなく、ただ一歩が重いようであった。普段の元気さが感じられないシィラを無視することが出来ず、歩きながら口を開く。
「シィラ、どうかしたか?」
「……え? あ、いえ、何も」
「里にいたかったか?」
「別にそういう訳では。また帰ればいいだけですからね」
何かを考えていたのか、声をかけられ漸くこちらに意識を向ける。掴んでいた手をシィラが僅かに握り返し、そこで一方的に掴んでいたとケルザは気づくと掴む手から力を抜いた。
「すまない、里で感覚が麻痺していた。痛かったか」
「……引っ張ってください」
力を抜いた手をシィラは弱く繋ぎ止めている。改めて握り直すとシィラは横に並び、追い越していった。その足取りは万全とは言えずとも普段のように軽く見える。
「早くしてくださぁい」
「前に行かれては引っ張れないだろう」
「歩くのも疲れますしぃ、いっそせんぱいの背中に乗りましょうかぁ?」
少しだけ早足になり、シィラに並ぶ。競う気は無いのかシィラも歩調を緩め、結局横並びで落ち着いた。
「家を出てから大人しいな」
「そうですかぁ? せんぱいは大人びた方が好みなのではぁ?」
「普段元気な奴が大人しいと気にはなるだろう」
「せんぱいにもそんな気遣いができたんですねぇ」
散歩をするように木漏れ日の中を歩く。森の中は緑が多い。それでもシィラの瞳のように透き通る深緑はない。
「世話になっているからな。俺のつまらない昔話を聞いてくれるだけで気も楽になっている。……だからもし、何か言いたいことがあるなら言ってくれ」
「……言っていいんですかぁ?」
「今更隠し事をする必要もないだろう」
「別に大した事じゃありませんよぅ?」
「その方が気楽だな」
「ちょっとだけ良いなぁと思いまして」
「何がだ」
「せんぱいから手を繋がれるの」
「……あれはどうせ繋ぐ必要があるから繋いだだけで」
「わかってますよぅ。でもちょっとだけ良いなぁって思ったんでぇす」
ぷいと顔を背けるが握る手には力が入る。人差し指が少しだけ震えていた。
「里では何度も手を繋いだな」
「……はぁい」
「外でこうして誰かと手を繋いで歩くのは初めてかもしれない」
「ふぅん、そうなんですかぁ」
「たまには悪くないと思う」
「いつもは嫌なんですかぁ?」
「嫌とは言わないが少し疲れる気がする」
「そんなもんですかぁ」
「そんなもんだよ」
森の出口が近い。木々もまばらになりひらけてきた。
「ただ」
「ただ?」
「またいつか、こうして手を繋いで歩くことを考えれば……。剣を置かない理由には充分なのかもしれない」
「何ですかぁ、それぇ。もしかして私のこと口説いてるんですかぁ?」
小さく笑うシィラは自分の持つ荷物を、繋いでいる手と反対の手に押し付け、ケルザの腕を抱き寄せた。
「ほらぁ、引っ張ってくださぁい」
「重い」
「重くありませぇん」
「もう手を離しても良いだろう」
「どうしましたぁ? 急に恥ずかしくなっちゃいましたかぁ? そうですよねぇ、こんなに可愛い私に抱きつかれたら恥ずかしくなっちゃいますよねぇ。でもだめでぇす」
森を抜け、草原に出る。木々が遮っていた風が草花を撫で草原を流れて行った。鼻歌交じりのシィラは繋ぐ手以上にしっかりと腕を抱き、足取り軽く村へと向かっていく。
振り返れば奥まで見通せない森が広がっている。
治療の為に訪れたシィラの郷里であったが、思い返せば治療以上に有益な事が多かった。何を守りたいのか、何の為に剣を持つのか。未だ答えは見えないが、間違いなく必要な何かを知る事が出来たと思う。
「……良い里だね」
「ふふん、私が育った里ですからねぇ。当然でぇす」
存外、剣を置いて里に住まわせてもらうのも幸せなのかもしれないと、ケルザは楽しそうなシィラを見て思ってしまった。
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