第30話:理解と対話2 ベルジvs勇者一行

宿を取ったバルトの部屋は全員が集まるには手狭であった。熱のない朝日は開け放たれた窓から肌寒い空気を流し込む。

「ジレン、馬は?」

「問題ないぜ、旦那」

「ハイラ」

「今日、魔王の城へ向かうと報告済みです」

「フィーレ、大丈夫か?」

その問いにフィーレはゆっくりと息を吐く。

「……怖くないと言えば嘘になります。ですが、今回の目的は戦闘ではありません。全力で戦闘を回避させてもらいます」

「あぁ、そうしてくれ。下手に戦う手段があるとどうしても選択肢に戦闘が入る。それを考えるとフィーレの判断が重要になるかもしれん。デリダ」

「大丈夫、動けます」

「ユーリも問題ないな」

「愚問ね」

各々準備は完了しているようだ。

確認を終えたバルト一行は宿を出ると魔王城へと向かって行った。


ガラガラと音をたて、ジレンが馬車を走らせる。

手狭な客車は揺れる度に横の人に体を押し付けてしまう。

「魔王の城……、まぁ実際には館だが目視できる所で一旦馬車は止める。ユーリ、撤退時に使う転移の距離は?」

「50mが限界ね」

「ハイラとジレンは馬車で待機、50m前後を確保して俺達の後ろについてきてくれ。俺達はいつでも戦闘できる状態に移行できるよう固まって行動する」

「もし戦闘になった場合転移はどうすんの?」

「第一は戦闘回避だ。それでも無理なら戦闘だが、魔王が現れない場合転移は一旦保留。従者のみなら戦闘を踏まえ情報を聞き出すのを優先したい」

「では自分とジレンさんはすぐ撤退できる準備をして、転移してきた場合は即撤退ですね」

「あぁ、ジレンにも伝えておいてくれ」

「結局、戦うんですね」

「バルトさんはコルドさんの事が気になるんですよ」

「それはわかりますけど……。バルトさん、主目的は戦闘ではなく情報収集。戦闘は会話が成り立たない時の最後の手段、でよろしいですね」

改めて確認するユーリに、バルトは首肯する。

「ああ、それでいい。フィーレ、転移が発動するまでの時間は?」

「3秒位ね。発動前に攻撃されたら、様子を見て繰り返すわ」

「わかった。デリダ、俺と防戦だ。3秒なら余裕だな」

「……目視してから速攻で襲われたら難しいかもしれませんけど」

「いいわ、話すつもりがなさそうであれば応戦しなさい。それで3秒は稼げるわ」

「話をまとめましょう。ジレンさんとハイラさんは馬車で待機、私達の50m程後ろを維持。私達は固まって普段どおり、バルトさんとデリダ君が前衛で対象と最初に接触。私達は後衛で様子見、フィーレさんはすぐに撤退できる状態でいる」

「それで魔王がいれば即撤退、従者のみなら戦闘込みで情報収集だね。魔王には会いたくないけど、その従者とも戦いたくないなぁ」

「その時は補助を頼む。ユーリも準備しておいてくれ」

「ん? あぁ、わかったわ」

転移ではなく、少しでも嘘を暴く魔法。それについての準備だと一瞬遅れてユーリは理解する。

「バルト、従者と交戦するのはいいけど撤退前提だと私も積極的に戦闘の補助はできないわ。戦闘になった場合、撤退のタイミングは?」

「……ある程度話は聞き出したいが、フィーレに任せる。後ろから見て分が悪いと思ったらユーリに伝えてくれ」

「わかりました。極力待ちますが、私が撤退と判断した場合はユーリさんにお願いします」

「皆さん、魔王城が見えました。ジレンさん、止めてください」

一同がハイラの言葉を聞き、気を引き締めた。

ここはもう以前敗走した魔王城のお膝下、もし魔王が健在ならいつ戦闘になってもおかしくはない距離。

止まった馬車から四人は降りると、コルドは欠けたが普段とほぼ同じ陣形でゆっくりと前進を始めた。



10分ほど魔王城へ向かい歩を勧めていたが、バルトが足を止める。

「フィーレ、索敵を頼む」

指示に従うフィーレは右腕を前に、指を伸ばして突き出す。伸ばされた人差し指から魔力の雫が一滴、二滴と滴り落ち地面を叩く。地面に落ちた雫は波紋を広げ、周囲の魔力を探るが、自身の魔力が汚されることは無い。

「……外にはいないようですね」

「目視できる通り何もいないのか」

「街で少し聞きましたけど、月に数回は街から城へ商売に行く方々もいるようです。それが嘘でなければ魔物はいないのだと思います」

「……それにしても不思議なくらい何も感じないわね。ここまでくれば私やフィーレなら魔王の魔力を感じてもおかしくないのに」

「城に何か隠蔽する魔法がかかっている可能性は?」

「うーん、なさそうな気がするわねぇ」

「……もしかすると本当に魔王はここにいないのかもしれませんね」

「それか感知できないほど弱体化しているかだが、それは期待できないな」

「いいわ、行きましょう。立ち止まっても進まないわ」

ユーリに促され全員が歩き始める。数歩遅れて歩くフィーレは索敵を継続していた。


フィーレの使う索敵魔法は自身の魔力を薄く伸ばし、範囲内に自身の魔力と別の魔力がないかを魔力を通して感応し識別する魔法である。魔力を数滴垂らし、波紋が重なる範囲ほど弱い魔力を感知できるものであり、凡そ30mほどの範囲まで索敵できるが遠くなるほど索敵の精度が下がる。三人から遅れないように歩きつつ、索敵範囲を一歩一歩進めていく。もう数分で魔王城に索敵が届く。そうすれば城自体に何か魔法が仕掛けられているかも判別できる。ゆっくりと丁寧に呼吸を繰り返し、自身を落ち着かせた。一度は殺された場所へ平然と足を運べるほどフィーレは強くない。自覚があるからこそ平静を保つために丁寧な呼吸を心がける。途端、息が詰まった。何かが索敵範囲の末端、否。索敵範囲の外を撫でた事を感じ取ったからだ。

「……っ、待ってください」

三人を静止しながら、冷静に感じ取った魔力を分析する。いの一番に理解したのは、今も記憶に焼き付いている異様な魔力ではない安堵感である。

「……魔王ではありません。ですが、索敵範囲外でも何かがいるのが伝わる魔力です。恐らく魔物ではなく魔族、これが従者の魔力でし──」

魔力の根源を探ろうと見据えた魔王の城。その屋上で何か黒いものを目視した。同時に触れてもいない相手の魔力からは強烈な嫌悪と敵意が流れ込む。目が離せず動けない。フィーレを振り返った三人も視線を追って魔王城を見る。そこにはゆっくりと身体を持ち上げる黒い龍がいた。

「こんな所にドラゴンだと……?」

「ちょ、冗談でしょ……」

「嘘ぉ」

首を持ち上げた黒い龍は大きな羽を広げて宙に舞う。緩慢な動作で羽ばたき、空を飛ぶ姿はその巨躯に見合わない。

「バルト、ドラゴンと戦闘経験は」

「あるにはあるが騎士団で退けた以来だ。こんな少人数では戦うべきではない」

「ですよね、ドラゴンなんて魔物が魔族がわかんない扱いですし」

「……撤退しますか?」

「……いや、様子見だ。奴が魔王の配下なのか空いた城に住み着いているのか知りたい」

「そうね。可能性は低いけど上位種なら私達と会話も可能よ」

黒い龍は軌跡を残すように黒い何かを滴らせている。それが魔力の籠もった何かの残滓なのを索敵からフィーレは理解していた。伝わってくる感情からは明らかな敵意しか汲み取れない。

「どうも私達を歓迎していないようですね」

「だろうな。距離を測っているように見える」

「やだなぁ、遠距離持ちっぽいですね」

「回避しなさいよ、私はギリギリまでは撤退に集中するから」

臨戦態勢を整えたバルト達も慎重に距離を詰めていく。互いの距離が10m程に迫ったとき、龍は首を持ち上げると勢い良く前に振り下ろし何かを吐き出した。たがそれは目測の誤りか、回避せずともバルト達には当たらず地面に突き刺さると黒く霧散した。

「……っ、え? 皆さん、今のは回避してください!! 私の魔法が破壊されました」

自身の魔力に感応していた反動が索敵の波紋を伝播し、フィーレの指先を切った。初めての事に驚くも咄嗟に索敵を止め切れた指先を握る。数秒握った手を離すと傷は癒えていた。

「魔法を破壊って何よ、何の準備もなく出来るなんて間違いなく上位種じゃない」

「ユーリ、落とせるか」

「あの羽に意味があるかは甚だ疑問だけど試すわ」

握っていた水晶に魔力を込めると魔法を右手に移し、腕を後ろに運ぶと龍の羽に向かい斬り上げるように腕を振るう。指向性を持たせた切断魔法は想定道りの軌跡を描き羽を切断したが、落ちる間もなく溢れた霧が互いと癒着し修復を果たしていた。

「何よ、あれ。変な感じね」

「何がだ」

「ドラゴンは定形の魔法生物で防御力が高いわ。でも今のを見ると防御力は大した事無くて出血もなし。ハリボテに見えるわ」

「ドラゴンの形をしてるだけってこと?」

「私が知る限りのドラゴンの特徴とは合致しないわ」

「ですが、それならあの巨躯と羽ばたきの不釣り合いは説明できますね」

「そうね、もう一つ試すわ」

水晶を握り魔法を右手に移すと、今度は大上段に手を持ち上げ振り下ろす。風圧による面制圧の魔法を叩きつけられた龍は大きく高度を落としながらも横薙ぎに振った口から、四つの歪な塊を吐き出した。効果こそ脅威であるが精度の低い攻撃は、不安体の状態では狙いが定まる訳もない。それを踏まえバルトとデリダは駆け出していた。

「デリダ!!」

先を走るバルトは後ろのデリダに腕を伸ばし、デリダもそれに応え手を掴む。走る勢いに任せ互いに掴んだ腕に全力を込めると、バルトはデリダを投げ出した。

「ユーリ、着地は頼む!!」

「えぇ……?」

宙に投げ出されたデリダは龍を殴りつける準備を整え、タイミングを伺う。バランスを崩していた龍が遅れて頭を向けた時、理解するよりも早く頭部を弾き飛ばされていた。地面に落ちるデリダを魔法で受けるがすぐに消え、痛っと言う声が響いた。デリダに頭部を破壊された龍は落ちる、と言うよりも降りるように地面に倒れ伏す。

「デリダ、何か変じゃない?」

「うん、物体を殴った感触はなかったかな? 何か霧みたいな……」

訝しむデリダはバルトと合流し、後ろから二人も合流した。

「ユーリさん、酷くない?」

「私はあんたらのやってた事に引いたわ」

「あれは遠距離攻撃の出来ない俺達の奥の手だ」

「言っときますけど、あれ僕の腕にも凄い被害あるんですよ?」

「ふふ、デリダ君。痛い方の手を出してください」

バルトのせいで痛む腕を差し出すと、フィーレは丁寧に受け取り優しく腕を撫でる。じんわりと温かい感触の後に痛みが違和感程度まで和らいだ。

「フィーレ、甘やかさないの。この状況で回復魔法は贅沢よ」

「わかっています。ですので回復少々と痛み止め代わりの弱い麻酔ですね」

「ありがとう、フィーレ」

「……何も聞けなかったな。結局こいつは魔王の──」

魔王、と言う言葉と共に倒れ伏した龍から霧が溢れ空間を飲み込んでいく。ユーリはフィーレを見るが小さく首を横に振ったのを確認し、四人は臨戦態勢を整え距離を取った。

膨張した霧は次第に収縮し高密度な霧と魔力を構成して人型となる。全身を黒く染めたような壮年の男性は腕を組み四人を見下しながら睥睨した。

「……不出来だな」

自身の敗戦を男はその一言で唾棄した。

「こいつが従者なの?」

「いや、初めて見る顔だ」

「増えたってこと?」

唐突に顕現した男に四人は警戒を解くことはない。地に足が着いているのを見て、フィーレは指先から魔力を滴らせた。完全に索敵範囲内に捉えた男は明らかな異物と、感応した魔力は判別した。男を撫でる魔力にフィーレは眉を寄せる。

「……内向きに結界?」

「合点がいってたわ、恐らく吸血鬼ね。でもドラゴンになるのは初めて見たわ」

「……貴様らが勇者一行か」

低く重い言葉が、それだけでただの魔族ではないことを物語る。

「そうだ」

「この地を……、この城を誰の物と心得て土足で立ち入っている」

「ふん。魔王は健在か」

「……引け。我が主は戦いを望んでいない」

「ふざけるな。そんな言葉を信じられると思うか」

「……何故こうも人間は愚かなのだ」

男の瞳は完全に人間を見限っている。それは人間と敵対する魔族の最大の特徴と言っていい視線であった。

「お前の他に何人従者がいる」

「ここより先に立ち入るな」

「どうやって街の人間に取り入った」

バルトの言葉に男は鼻を鳴らすと、手から溢れるように歪な形の剣を出現させた。

「わからん奴だ、見逃してやろうと言っているのだ。これ以上踏み入るならば排除する」

歪な剣を地面に突き刺すとフィーレが隠れて指を握った。

「……あれも魔法を破壊します」

「バルト、吸血鬼に物理攻撃は効かないわ。さっきの龍と同じ。最後に再形成しなかったのはたぶん、戦う気が無かっただけ。分が悪いわ」

「見られては困るものがあるようだな。魔王はどうした、勇者に致命傷でも負わされたか?」

「……勇者か。この城に人間がいる訳が無いだろう」

「何処にいる」

「……話しすぎたな。引け」

「話にならんな、押し切らせてもらう」

「ちょっと、フィーレ」

「準備だけお願いします」

もう撤退すべき状況なのはフィーレもわかっているはず。それでもユーリの言葉を保留とした事に理由があるのか、ユーリには推し量れなかった。

「ユーリ」

名前を呼ばれバルトを見やると、それ以上何も言わず一瞥だけくれると男へと向き直る。ため息をついたユーリは二人に身体強化の魔法をかけ水晶を握り、久方ぶりに省略せずに魔法を行使する言葉を紡ぎ始めた。



接敵したバルトは赤熱した大剣を振り下ろし、空間を歪める陽炎を飛び越えてデリダも追撃を加えるが男は微動だにしない、打撃は透過され、斬撃は一瞬だけ切断部を焼くも刹那で再接合される。緩慢な動作で振るわれる歪な剣を二人は十分な距離を取って回避した。切り結ぶことはできず、斬撃も物理も効果がない。不定形な魔物の嫌な所である。だが再結合に遅れが出た事を見れば魔法は有効だ。

「その程度でよく此処へ来たな」

「安い挑発だ」

「もう一発っ……」

回避不要の打撃、男は視界にも収めない方向からの衝撃に虚をつかれた。

「付け焼き刃だけど、意味はありそうね」

魔法が使えないデリダに変わり、ユーリはデリダの拳に魔法の膜で覆っていた。効果を実感したデリダは一歩引いたバルトに変わり、男を殴り続ける。

「……煩わしい」

膨張した霧は滞留し、膝丈ほどの霧の海を発生させた。その霧を危険だと判断したデリダとバルとは距離を置く。

「……まったく、何故こうも人間は面倒なのだ」

「お前らの目的はなんだ」

「貴様らが知る必要はない。私は譲歩した。ここで引かないのならば……」

霧の海は広がりながら逆転した重力に従うように宙へと滴っていく。滴った先で霧は留まり雲となる。黒い雲海に挟まれた空間は互いを繋ぎ止め、侵入を阻むように歪な棘が突き出した。

「想像できるな。その気になれば貴様らなど取るに足らん存在なのだ。だが我が主は平穏を望んでいる。貴様らが生きて帰れるのは主の意向、慈悲によるものだ」


──去れ。


言外に男は撤退を促すが、それを押しのけたのはデリダであった。

「ふざけんなよ!! 何が慈悲だ。お前達が、魔王が世界を支配しようとした事を僕たちは忘れてないんだよ!! それが何だ、封印されて復活したら平穏を望む? 誰が信じるんだよ!! 平穏を望んでいた人間をお前達が殺して、今も脅かそうとしてんだよ!!」

それは本音でもあるが、自分を欺く為の言葉でもあった。デリダは自身の過去を思い返す。自分は生きるために他人を害して生きてきた。それは、そうしなければ生きていけなかったからだ。その事に後悔はなく開き直っているわけではない。今の自分がいるのは、他人を害してでも生きてきた自覚があるからこその紛うこと無き事実。だが、そこから拾ってくれた人物がいる。恩義がある。他人を害せずに生きられる自分がいる。過ぎた過去は変えられない。だからこそ、それを払拭する為にも、恩義に報いるためにも折れる事が出来ない理由がある。そこに魔族の思想など介在の余地は無く、絶対的に人間の味方として立つ意思の表れであった。

「よく言った、デリダ」

バルトの一言は自身を欺いた言葉に対した肯定である。

「……フィーレ、ここであいつは倒すわよ」

「……えぇ、デリダ君にああまで言われたら引けませんね」

後ろでも聞こえたデリダの声に、二人は思考を切り替える。ユーリは近距離でのみ使える自作の道具を持つ仲間にのみ届く伝達魔法で前衛の二人に目の前の男を、ここで討伐する旨を伝えた。

『デリダ、言うじゃない。作戦は変更、撤退はしない。ここであいつを倒すわ。ここからは私達も戦闘に参加する』

『わかった、作戦は』

『デリダならあの棘を掻い潜れるわね。付け焼き刃の魔法だったけど、もう少し強化すれば足止めには十分になるわ。攻撃は全て回避して殴り続けなさい』

『了解』

『バルト、あんたの剣に魔法を絶縁させる細工をするわ。あれに対してどの程度効果が持つかわかんないけど、ないよりましよ』

『わかった』

『私はデリダ君の補佐をします』

『おっけ、吸血鬼は自身を形成する結界と魔力を吹き飛ばせば一時的に弱体化するわ。倒しきれなくても戦闘できない状態にできるはず。一発かますから二人はとにかく時間を稼ぎなさい』

三人は言葉の終わりと同時に行動する。

デリダは霧の支配下へ駆け出し、バルトはユーリの前へ移動。フィーレはバルトと交代するように前に出た。

「……何?」

破壊の効果は充分に見せた。だが、そこに臆せず飛び込んできたデリダに男は意表を突かれ、身のこなしに目を見張った。低い態勢で駆けるデリダは霧の海に潜り、表れを繰り返し棘に触れずに用意に男の前に辿り着く。それはフィーレの索敵魔法を共有した事による棘の位置を把握した結果である。今のデリダは目を瞑ろうとフィーレの索敵範囲に掛かるものであれば全てが感知できる状態であった。それに加え天性の勘と目の良さは、唐突に出現する棘や男の応戦するために振るわれた歪な剣を尽く回避し、その拳は容易く腹部を撃ち抜いた。

デリダの特攻は諸刃の剣。一撃が致命の破壊の海は死地であり、それはフィーレの索敵魔法があってこその芸当である。自身の魔法を破壊され続けながらも索敵魔法を継続させるフィーレは、同時に自身に還る自傷とも呼べる傷の治癒を行っている。自分の索敵が切れればデリダが死ぬ可能性が跳ね上がるのを理解しているからこそ押し通す自傷。そしてその自傷はユーリの一撃まで耐えねばならない。

自身の元へ駆けてきたバルトの大剣に、腰に下げた道具袋から鉱石を取り出すと刀身に呪文を書き込んでいく。両面に呪文を書き終えると削れきった鉱石を捨て、今度は液体の入った小瓶を取り出した。水晶を握り魔法を手に移すと、その魔法を小瓶を握り液体へと移す。魔法を吸収した液体を刀身にかけると、書き込んだ呪文が淡く輝き出した。小瓶を捨てると今度は水晶から移した魔法をそのまま刀身を撫で移していく。通常ならばバルトの魔法で赤熱し赤く輝く刀身は、ユーリの魔法によって仄白く輝いていた。

「正直、自信はないけど三重にかけたわ。一瞬で全てが壊れることはないと思う」

「壊れても短くなるだけだ大した問題はない」

「あと魔法を絶縁してるからあんたが魔法を発動しても今は外に漏れることはないわ」

「発動はできるんだな」

「あくまであんたの剣が直接受けるはずの魔法を絶縁させてるだけだから、剣自体を媒介にして発動は可能よ」

「理解した。俺はデリダの様子を見て一撃を入れる」

「待って、私の準備が終わったら伝えるわ。その後にデリダに下がる指示を出して。その後にあんたは横から切り抜ける。そこに合わせて私も追撃するわ。射線に入らないように一撃で切り抜けなさいよ」

「わかった、位置を決めてくる。細かい調整は指示してくれ」

バルトはユーリから離れ攻撃の起点を決めるべく霧の海を迂回しつつ、デリダの様子を確認する。油断するほどの余裕はないが焦るほど余裕がないわけではない。バルトから見て、近接線の戦闘技能はデリダの方が圧倒的に上である。素人の振るう剣がデリダに当たるわけもなし。とは言え全てが致命の一撃で、霧の範囲全てが攻撃範囲と考えれば気持ちは焦る。だが自分の役割は今ではない。目的を完遂するためには、デリダを信頼する他ないのだ。自分やコルドと比べ未だ至らないデリダではあるが、それを覆す意志を持った少年ならば間違いなくやり遂げる。短く息を吐いたバルトは起点を決めると攻撃の準備を整え、デリダの戦闘を見落とすことなく網膜に焼き付けていく。


──こやつらは魔王様の事を伝聞でしか知りえない。

僅かな回数であるがケルザと戦闘訓練を積んだベルジダットは素人ながら数度の殴打の内、一撃は回避し同時に破壊の剣を振るう。自分の強みは物理攻撃をほぼ無効にする体質。そこからケルザとの訓練を経て対象の攻撃時の隙を、致命の一撃で狙う戦法を取る事とした。眼前の敵の攻撃は行動を阻害されるという点においては面倒だが、拳にまとった魔法は所詮、自分が張っている結界を殴れるようになっただけでダメージはない。特筆すべきは殴られる瞬間を狙った破壊の棘すら回避する危機感知能力とそれを可能にする身体能力か。生物であれば剣を振るうケルザの方が殺傷能力が上であるが、純粋な身体能力、身軽さは眼前の敵の方が上かも知れない。

──愚かな魔物や愚かな魔族に奉られた偽りの魔王様。

ケルザの様な冷静さ、技巧、相手に気取られない真意。それら全てが敵には欠けている。だが一撃で死ぬことを自覚し、それでも自分を殴り続けるため死地にいる未だ幼い敵からは鬼気迫る気迫を感じとる事が出来た。それは純粋な殺し合いをしていないケルザからは感じたことの無い妙な心理的な拘束があり、ここで霧となり眼前の敵以外を狙う為に引く事は心理的な敗北であるとベルジダットは感じていた。

──こやつらは魔王様の慈悲深さを知らない。

それは憤りを超え、憐憫に至る。魔族社会の母である魔王様。彼女はその隔絶された魔力を持って魔王へと祭り上げられた。彼女の真意や苦悩は彼女しか知りえない。それでも自分達にかけられた節々の気遣いは魔王らしく寛大で、魔王にそぐわない慈悲深さである。魔族の総意として人間の敵として立つ魔王様。それは魔族の長として魔族の尻拭いをする立場であり、その責任を封印を経て尚背負わされている。そして魔王様はそれを由とし、今の生活を謳歌している。否応なく過去に縛り付けられる魔王様、何時までも過去を見ている愚かな人間。果たして変わるべきなのは──。

『バルト』

『デリダ、下がれ』

距離を取った敵に態勢を立て直すのだろうと思考を巡らせた後、何かが自身の破壊を断ったのを察知し、反射的に視線を向けてしまった。コマ送りの視界、白く輝く大剣が打ち出された様に高速で破壊の棘を断っている。自分の破壊が負けた事による動揺と、それは自分を切れる何かなのかという不安。咄嗟に出現させた破壊の棘は大剣の前に現れていた。動揺は判断を鈍らせる。だが、その判断は結果として悪くはない成果となる。飛び込んできた男の前に棘を出せれば一人を殺す事は出来ただろうが、振り抜かれた大剣に破壊の効果は及んでいた。振り抜く力に負けた大剣は自身に届くまでに折れ、折れた切っ先が背中を掠めるように斬るに留まった。切られた僅かな傷は結界を再接合させることなく、霧を滴らせた。行動阻害の為の無数に出現させた破壊の棘の先。視認性が悪くなった視界の奥では幼い敵が霧の海から退避し、その更に奥で圧縮された魔力が魔法に変換され開放されたのを目視する。

初めて見るその魔法は霧の海、自身の魔力を反発させるように押しのけていく。単純な魔法攻撃ではなく、魔力を弾き飛ばす魔法。光を反射する鏡のように破壊の棘に触れることなく押し曲げる。──人間の魔法は斯様なことが出来るのか。それは純粋な感嘆の声であった。あれを受ければどうなるのか。押し飛ばされるのか、結界が引き伸ばされ内側に込めた魔力で破裂するのか。どちらにせよ、結果は決した。なるほど、これが勇者一行か。あの人間の妙な強さにも何故だが得心がいく。眼前に迫った魔法がベルジダットに触れる手前、透明な壁が表れ数巡後に破壊されるも僅かに軌道を変え、追い打ちを掛けるように別の魔法が衝突し互いに反発することで完全に軌道がそらされ、ベルジダットに届く事はなかった。

「あはぁ。せんぱぁい、見ましたかぁ? 私の魔法も弾かれましたよぉ?」

「やはり強い魔法には勝てないな」

自身を霧と化し、発生させていた黒い霧をすべて集約してベルジダットは増援に現れた男女の横に顕現する。

「どうだ」

「群れると厄介であるな」

「それが人間だ」

「ベルジさぁん、お嬢様がご機嫌ななめですよぅ。ここは私達に任せて一旦お戻りくださぁい」

「かたじけない」

女に頭を下げ、男に何かを訴えるような視線を送るとベルジダットは霧となり魔王の城へと戻っていった。


一旦、場が収まった隙にバルト達は一塊になり陣形を立て直す。

「あの男だ。女はいなかった」

折れた大剣を手に、バルトは男を見据えて言葉を漏らした。

「顔立ちは似てそうね。でも髪色も違うし顔の傷が目立つわね」

「さっきの魔族と違って戦う気はなさそうなのかな」

「……試しましょう」

索敵による負傷を完治させたフィーレは整えた陣形を崩し前に出る。何かあっても対応できるように三人は臨戦態勢のまま後に続いた。互いに声が届く距離まで詰めると足を止め、フィーレが一歩前に踏み出す。応える様に女が一歩前に踏み出した。

亜麻色の癖がある長髪、幼さは残るが整った顔立ち、柔和な笑み。フィーレは彼女から敵意を感じる事ができなかった。

「勇者様御一行ですかぁ?」

彼女の間延びした甘ったるい声は警戒や緊張を通り越して、勇者一行を小馬鹿にしているようにも聞こえた。

「はい、そうです」

「何の御用でしょうかぁ?」

「魔王が健在か確かめに来ました」

下手な嘘をつく必要はない。そう判断したフィーレは相手が敵なのを確信しつつ断言する。

「はぁ、そうでしたかぁ。それは残念ですねぇ。申し訳ありませんがぁ、ここにはお嬢様しかおりませぇん。早々にお帰りくださぁい」

「そのお嬢様が魔王じゃないんですか?」

「そう思ってここに来たなら街の人にもお話を聞いているのではぁ?」

やれ遠い地の貴族やら亡国のお姫様やら、眉唾この上ない話しか聞けなかった情報収集に意味はあったのだろうか。いや、少なからず意味はあったのだ。今のところ街は何も変わらず平穏で、奇妙な隣人が越してきた。その隣人は品のあるお嬢様で街の人とも良好な関係を築いている。つまりは魔王などいないと言うのが街の総意なのだ。

「えぇ、とても品のあるお嬢様だと。そんな良識のあるお嬢様であれば、私達が魔王の討伐に来たと聞けば協力してくれると思いまして。お話をさせてもらおうと伺いました」

「あはぁ、よく回るお口ですねぇ。魔王が健在か確かめに来たのではぁ?」

「ここに魔王がいたのは間違いありません。そこに間借りするお嬢様が現れたとなれば、お嬢様に直接面会する事で魔王が健在かは確かめられます」

「お嬢様が魔王という考えが前提なんですねぇ。そんな失礼な方々とお嬢様を会わせることは出来ませんよぅ」

「それは見られたら困ると言う事ですか」

「平穏に暮らすお嬢様を自分勝手な面倒事に巻き込まないでくださぁい。プライベートって知りませんかぁ? 私達の平穏を土足で踏みにじらないで下さぁい」

にこにことした表情はこちらを完全に拒否した壁であった。それでも戦闘を回避する為にもいちいち腹立たしさを感じる彼女とフィーレは言葉を交わす。しかし耐えきれない人間が口を挟んでしまった。

「ちょっとあんた、話し方どうにかなんない訳? 馬鹿にしてんの?」

「なんの事ですかぁ? 会話してますよねぇ? 意志の疎通は出来てますが何か問題でもぉ?」

頬を引きつらせたユーリは乾いた笑いを漏らしながらフィーレの横に立つ。

「あ、あの……。ユーリさん」

「うっさい。いつまでへらへら笑ってんのよ、こっちは大事な要件で来てんのよ」

「そっちにとって大事な事が私達にとって大事とは限りませんよねぇ?」

「魔王が世界を滅ぼしてもいいってわけ?」

「終末思想ですかぁ? そんな確証もない妄想を押し付けないでくれますぅ?」

「っ、この……、どこまでも人を馬鹿にして……!!」

ユーリが女の胸倉を掴もうとした時、眼前に見覚えのある剣が突きつけられ手を止めてしまう。それは同時に自分の知るコルドがこんな事をする訳が無いという経験を経て、疑惑は確信に変わった。確信を持って通した視線の先にいる男を、ユーリはコルドとして見ることが出来ない。

「あのですねぇ、私は怒っているんですよぅ?」

間延びした声には怒気と侮蔑が滲んでいる。

「よくもまぁ、4人がかりでベルジさんを襲ってくれましたねぇ。それが勇者様御一行のする事なんですかぁ?」

「そ、それは私達の話を……」

「私達の話ですかぁ。あなた達はベルジさんのお話を聞きましたかぁ? ちゃんと引けって言ってましたよねぇ? 私もお嬢様しかいないからお帰りくださいって言いましたよねぇ? 自分たちの話は通そうとするのに私達の話は聞かないんですねぇ。随分と都合のいい私達のお話ですこと」

にこにことしていた表情は、細く開かれた侮蔑の深緑と無表情に彩られ、感情を隠すことすらしていない。彼女の言葉をどうにか曲げられないかと思案するフィーレに対し、ユーリは歯を食いしばる。

「あは、自分達の言葉が優先されて当たり前なんて随分と差別的な環境で育ったようですねぇ。そんな方と会わせてお嬢様が毒されてしまっては大変でぇす」

くつくつと口元に手を当て、嘲笑する彼女から目を背けたユーリは後ろの男に声を上げた。

「あんた、剣を降ろしなさい」

その言葉に答える声も動作もない。一層楽しそうに笑う彼女は相も変わらず、相手にされていないユーリを嘲笑った。

「んふ、ごめんなさぁい。せんぱいはかよわい私の事が大好きなんでぇ、野蛮な貴女から私を守っているんですよぅ」

「ちょっと、バルト!! ほんとにこんな奴をコルドだと思ってるわけ!? 信じらんないんだけど!!」

「んふふ、自分から助けをお願いするなんてぇ、守ってもらえる私とは違うんですねぇ」

「あぁ!? 何自分が安全だと思って調子乗ってんのよ!!」

「ユーリ、落ち着け。一回下がれ」

バルトは強引に腕を掴むとユーリを後ろに下げ、遮るように前に立つ。ユーリが下がった事で、持ち上げられていた剣は下に降ろされていた。

「魔王はいないのか?」

「お話聞いてましたかぁ?」

「お嬢様はいるんだな」

「はぁい、いらっしゃいまぁす」

「だが会わせる気はないと」

「そうでぇす。お話が通じて助かりまぁす」

相手が変わらろうと女の侮蔑は変わらない。その視線を正面で受けたバルトは片膝を立て跪くと頭を垂れた。

「重ね重ねの御無礼、失礼致しました」

その行動に女は眉をしかめ、残された三人は短い声を漏らすことしかできない。

「私達は魔王を討伐するため王国から派兵された者です。それについては王国に連絡していただければ確認が取れます。確証もなく貴女方の主人を辱めた事、謝罪致します」

深く頭を下げた男を見て、言葉を選べなかった女はついユーリと同じ事を声を出さずにやってしまった。

「何を今更、貴様は以前主を殺そうとした男だ。忘れる訳がない」

初めて口を開いた男に三人は視線を送ってしまう。声は確かにコルドに似ていたが、どこか掠れた声にも聞こえた。

「それについては私の落ち度です。焦るあまりに体が動いてしまいました」

「何とでも言えるな」

自分も確かめたいという気持ちを堪えられなくなったデリダは、自然とフィーレの横に立ち声を出していた。

「あの!! あの、自分達は……確かに魔王を討伐する為にここに来ました。でも!! ですが、その、それよりも……。人を探しているんです」

「デリダ」

バルトの静止でデリダの声は止まらない。

「人、ですかぁ?」

「はい、その人も自分達と一緒にここへ来た人で……。僕達が魔王に負けるまで一緒にいた人で……、大切な仲間なんです」

「……ふぅん、そうですかぁ。魔王に負けたのであれば死んだのではぁ?」

「かもしれません。それでも、そこの人が持っている剣は間違いなく僕達の仲間が持っていた物なんです!!」

「ふん、そこの男にも言われたがそんな事は知らん。俺が来た時には魔王はいなかった。そこに主が住み着いた。それだけだ」

「……っ、コル──」

フィーレが彼の名前を呼ぼうとした時、魔王の城から轟音が響き何かが瓦解する重い音が届いた。

「あはぁ、話し過ぎましたねぇ。失礼しましたぁ」

先程までの表情が嘘のように、にこにこと柔和に笑う彼女が未だ頭を下げ動かないバルトに声をかける。

「頭を上げてくださぁい。そちらの方は気に食わないんですがぁ、お嬢様からは貴方方を通すように申し付けられておりまぁす」

「んなっ、じゃあ何であんたらは」

「言ったじゃないですかぁ、私は怒ってるって。なかなか愉快でしたよぅ?」

「くっ、この性悪……!!」

震える声で掴みかかろうとするユーリをフィーレとデリダがしがみついて止めにかかる。

「ちょ、まってユーリさん!!」

「駄目ですよ、話聞けるんですよ!!」

「あの、あの性悪を殴らせなさい!! お嬢様の許可があるなら殴っても会えるでしょ!!」

「あぁ、でもぅ……。ベルジさんの時みたいに多勢に無勢は困りますのでぇ」

小さい唇を弄ぶように囁くと女は瞳の色を変化させた。

「そちら……バルトさん? でしたね。貴方はデリダさん」

名前を呼ばれ。顔を上げたバルトとデリダの目をしっかりと視認して強く魔力を込めると、何の準備もしていない二人は容易く意識を刈り取られ、その場に倒れ込んでしまった。

「バルト!!」

「デリダ君、大丈夫ですか!?」

「あは、心配しないでくださぁい。あなた達が急に襲ってきたら困っちゃいますからねぇ。私のせんぱいだけで制圧できる様に二人には眠ってもらいましたぁ。夕暮れ前には起きますよぅ?」 

「……担げ、案内する」

短い言葉をかけると男は背中を向け歩き出す。その男の横に駆け寄った女は見せつけるように腕に抱きつくと振り返り、口元を隠して小馬鹿にしたように動ける二人に笑いかけた。

「……バルトさん。お願いします」

「行くのね?」

「えぇ、ここで撤退しては来た意味がありません」

「わかったわ」

「それに」

「それに?」

「私もあの人に腹が立ってきました」

「……あそこまで来ると才能よね」

「行けば一度くらい叩く機会があるかもしれません」

「くくっ、そうね。目標が一つ増えたわ」

おもっ、と声を漏らしてバルトの腕を首にかけ引きずりながら歩き始めたユーリと共に、フィーレもバルトと比べれば明らかに軽いデリダを背負って人を煽り倒す女を睨みながら魔王の城へと踏み入った。



「……入っちゃいましたね。出てこなかったらどうしましょう」

「最悪野宿だな。明日も戻らなければ数日は街で待機するぞ。それでも駄目なら駄目だったってことだ」

「最悪の事は考えたくないですね」

残された二人は魔王の城が見える距離を保ちながら移動し、木陰に隠れるように野宿の準備を始める事とした。


  

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