第31話:理解と対話3 お嬢様との謁見
「……あらぁ? 覚えのない方々が来たようですねぇ」
普段と変わらない謁見の間、差し込む陽光がお嬢様の透き通る銀を煌めかせていた。文字通りお嬢様のお膝下、我が物顔で膝に置いた手の上に載せた頭を撫でられるシィラは心地よさげに微睡んでいた。
「ふむ、侵入者か」
「そこまではわかりませんがぁ、6人? ですねぇ。馬車で移動しているみたいでぇす」
「……索敵なんて出来なかっただろう」
「んふ、私は真面目ですからねぇ。ムゥちゃんに簡単な物を教えてもらって使えるようにしたんですよぅ」
「追い払いますか」
ベルジダットの言葉を受け、お嬢様はしばし間を置いて口を開いた。
「ただの人間なら捨て置け。だが……」
ちらりとケルザ見てお嬢様は言葉を続ける。
「もし勇者と関わりがあるなら丁重に追い払え。余計な手間を増やす事もないだろう」
「承知致しました」
言葉と共に霧となったベルジは謁見の間から外へと飛んでいった。それを何となく眺めていたお嬢様は歯切れ悪そうに声を漏らす。
「……あー、極力戦闘は避けろと言うつもりだったんだがな」
「んふ、お嬢様を護る良い機会ですからねぇ。張り切っているんですよぅ」
「それは良いが、些か心配ではあるな」
「人間嫌いか」
「あぁ、そうだ。勇者一行であれば尚の事」
「負けるかも知れないからですかぁ?」
「……それもあるな。あやつらは数に物を言わせ襲ってくるからな。全くもって騎士道から外れた奴らよ」
「他に何がある」
「……まだベルジが退場する場面ではない。私の意思を持って赴く死地ではない。もしここでベルジが負けるとなれば、それはベルジにとっても私にとっても本意ではない」
ゆっくりと何かを確かめるようにお嬢様はシィラの頭を撫でながら言葉を零す。その言葉を受けるようにシィラはお嬢様を見上げた。
「私達も行きますかぁ?」
「勇者一行相手でも簡単に負けることはないが、厄介な奴がいる」
「誰だ?」
「魔法使いのユーリだ。吸血鬼は物理が効かなくても魔法では回復が遅くなる。強力な一撃を出されては耐えられない可能性はある」
「ふむ? 確かにベルジの結界はより強い魔法で破壊されると再生に時間もかかり蓄積した魔力も霧散し弱体化する。だが、人間一人にそこまでの魔法が扱えるのか」
「魔王討伐に選抜されるくらいだ。単純に人間の中であれば上澄みで、人間界においての魔法史を開拓する家に所属している」
「……あぁ、あそこか。まだ存続してるのか」
「家って何ですかぁ?」
「簡単に言えば人間の中で最も優秀な魔法使いの組織だ。大半は表に出ないで一生を魔法の研究に費やしている」
「あはぁ、ちょっと興味がわきましたねぇ。人間の魔法ってどの程度なんでしょうかぁ」
「ケルザ。シィラと出れば負けないな?」
「当たり前だ。勇者程度取るに足らん」
「……せんぱぁい、今のは格好良かったですよぅ?」
ケルザの返答に満足したお嬢様はくつくつと笑い瞳を細めた。
「恐らくベルジは露払いに戦闘するだろう。私の言葉を最後まで待てなかった罰を与えねばならん。ケルザ、シィラ。予定は変更だ。勇者一行を連れて来い。折角の機会だ、お嬢様として勇者一行を値踏みしてやろう」
「はぁい、わかりましたぁ」
「年の為に言っておくが私に争う気はない。向こうが余計な敵意を持たないよう、くれぐれも丁重に頼むぞ?」
「行くぞ」
歩き出したケルザを追い、シィラは急いで立ち上がると「行ってきまぁす」と二人揃って謁見の間を後にした。
「せんぱぁい、実際皆さんの強さはどうなんですかぁ? 私達なら勝てますかぁ?」
「勝ち負けの条件はわからんが相性は悪くないのは確かだ。物理の効かないベルジが強い。向こうの前衛はバルトとデリダ。二人を無視して後衛のユーリとフィーレを狙える。俺がバルトの足止めをして、後衛のためにデリダが下がっても物理耐性で大した効果がない。その状態ではユーリはまともな魔法も使えない、フィーレは補助がメインで戦闘能力は低い。まともに体制を整えられない間にお前が魔法で攻撃できる」
吹き曝しの開放された廊下を二人はゆっくりと歩いていく。景色の一部で黒い龍が地面に落とされていた。
「急がなくて良いんですかぁ?」
「あれは練度が低い。見た目だけで中身が伴わない。龍が驚異である理由の一つは物理魔法問わない圧倒的な防御力だ。物理に強くともあの状態では魔法の的だ」
負けるのが前提だと言わんばかりにケルザ何事も無く歩く。その平時と変わらない態度にシィラはニヤけながらケルザの顔を覗き込んだ。
「んふー? 随分と信頼しているんですねぇ」
「事実だ。人型の方が戦法が多彩で必殺と言える魔剣の効果と本体の霧を使いこなして厄介だからな」
「何だか魔剣……せんぱいのは聖剣でしたねぇ。作りに行ってから仲良くなりましたかぁ?」
「さぁな。余計な対立をしても疲れるだけだと思っただけだ」
「素直じゃありませんねぇ」
慣れた石床を叩き、玄関である大広間に辿り着くとシィラはケルザの道を塞ぐように出入口である扉の前に立つ。
「せんぱぁい」
「何だ」
「せんぱいは誰の味方ですかぁ?」
シィラはいつもと変わらず柔和である。
「私はお嬢様の味方で、ベルジさんの味方です。お二人の敵は私の敵です。そこに魔族も人間も関係ありません。今、ベルジさんが戦ってる方々は私の敵です」
──貴方は元仲間と、人間の敵になれますか。
言外の問を理解したケルザは言葉を探す。
だが、新緑の瞳を向け穏やかに返事を待つシィラを見て言葉を探す必要はないのだと気づいた。
「聞くまでもないだろう。俺の主はお嬢様だ。主に危害を加えるのであれば魔族だろうが人間だろうが等しく敵だ」
「あはぁ、それでこそ私のせんぱいですよぅ。もぅ安心しましたよぅ。せんぱいを敵とは思いたくありませんでしたからぁ」
シィラが穏やかだったのは自分を信用したからである。疑う必要がないという自信が穏やかな理由であり、この問はシィラ自身の不安を払拭する為にものではない。俺が、コルドが、ケルザが迷わない為の決意。言葉にして踏ん切りをつける為の気遣いであった。
返事に満足したシィラは玄関の扉を開くと意気揚々と外へ踏み出す。
「ベルジさんを助けに行きますよぅ」
「……あぁ、あいつにはお嬢様から罰を受ける仕事があるからな」
「そうですよぅ。あ、もしかして良いタイミングですかぁ?」
「間に合うか?」
「んふ、甞めないでくださぁい。せんぱいはぁ?」
「ギリギリ範囲内だが、防げないだろうな」
「もぅ頼りないですねぇ。仕方ありませぇん、魔法勝負をしてみまぁす」
聖剣生成後に様々な方法を試した結果、慣れた水を媒体とする事で長距離で障壁を構築する手段をケルザは編み出していた。愛刀の鯉口から溢れさせた水を、僅かに抜いた聖剣の刀身に伝わせる。その水を任意の場所まで操作する事で聖剣による障壁の魔法を伝達し発動。工程が増え魔力操作が煩雑になる為、不得手ながら習得した技能は未熟であり障壁の発動までにタイムラグがある。自分が交戦中では使えない扱いにくい手段であった。目測50メートル、障壁発動まで約20秒。ユーリの魔法発動にギリギリ間に合う目算であった。
シィラはゆっくりと腕を持ち上げ、小指を伸ばし緩く手を握る。魔力を込めた小指で空間に呪文を書き切った。ほんの3秒程度の簡易な動作、それだけで発動する魔法は引き金を引くだけに至る。
「間に合わなかったら先に発動しちゃいますよぅ?」
人間との魔法勝負が楽しみなのかシィラは愉快そうに笑う。不得手な魔力操作に集中するケルザに相手をする余裕はない。
ケルザの水がベルジダットの足元に到達し、ユーリの魔法が発動し、障壁が発動した。ユーリの魔法で障壁が割れる瞬間、シィラの魔法が発動した。遠隔で虚空を基点として発動した光の塊は、発動と着弾にほとんどラグがなくユーリの魔法と反発し互いに互いの魔法を弾き飛ばし軌道を完全に変えるに至る。
「あはぁ。せんぱぁい、見ましたかぁ? 私の魔法も弾かれましたよぉ?」
◇
「さて、ベルジよ。まずは顛末を聞こうか」
「はい。勇者一行と接敵後、退散するよう勧告。聞き入られられることはなく戦闘を行いました。結果として私が負ける直前、二人の介入により助けられ今に至ります」
王座に腰掛け、肘掛けにしなだれ掛かるお嬢様は普段と変わりがない。だが平時の様な柔らかさは微塵もなく、それはベルジダットの記憶にしか存在しない絶対的支配者、魔王の再臨に他ならなかった。
細く開けられた鈍色の瞳、のしかかる言葉。それらから身を守るように片膝を立て深く頭を下げるベルジダット。外から流れ込み漂う冷気のような魔王の魔力が自身を取り囲んでいる。それは互いに命のやり取りをする戦闘とは違う絶対的な恐怖、約束された死。声が震えるのを押さえ込み平時のように取り繕うが、それだけがベルジダットに出来る恐怖に対する強がりであった。幼き日に焼き付いた鮮烈な魔力は憧れや崇拝という形に曲解する事で、恐怖から幼い自我を保つ自衛手段だったと否応なく悟らされた。分別のついた今、明らかな不快感を纏った魔力に対して生温い曲解は生まれない。この恐怖は自身が殺されると言う恐怖ではない。生かすも殺すも他人に委ねられている生命体としての権利を剥奪されている事実。その事実を本能が揺るぎなく理解していた。今この瞬間、明日、一ヶ月後、いつか訪れる死を圧縮して自身を取り囲む魔王様の魔力。この魔力に覆われているだけで発狂してもおかしくは無い。人型を形成する魔法を維持し続け数百年、恐怖だけで乱れ霧が漏れ出したのは初めての経験であった。
「何故呼び戻したかわかるか」
「……私が人間に負けたからかと」
「違うな」
絞り出した声は拒絶するような声音で否定される。その拒絶が更に魔法を乱す。
「今一度問おう、何故呼び戻された」
「……そ、それは……」
魔王様は正しい答えを求めている。だが考えが至らない、纏まらない。焦る思考で建設的な考えを出来る訳もなく雲を掴むように答えだけを探し求めた。
「……わからんか」
零すような一言、たった一言が恐怖の意味を塗り替えた。私は何を勘違いしていたのか。幼き日の憧れは魔王様の魔力に覆われて尚、霞む事はなく存在している事に気付く。命の手綱など幼き日に魔王様に委ねているのだ。生命体としての権利などとうに魔王様のものである。では私は何に恐怖した、なぜ魔王様のかぼそい一言がここまで私を焦らせる。答えなど考えるまでもない。私は魔王様に見限られる事に恐怖しているのだ。そしてこんな単純な問に答えられない私を失望しない為に、魔王様は再度同じ問を投げかけてくれたのだ。
「……魔王様」
「何だ」
諦めを滲ませた言葉をベルジは受け止め、意識的に魔法を整え漏れる霧を抑え完全に止めた。
「失礼致しました。先程の愚かな言葉、お忘れください」
「ふむ、答えによっては忘れてやろう。何故だ」
「はい。私の命は魔王様に出会ったあの日から魔王様の物でございます。魔王様の為に生き、魔王様の為に死ぬ命でございます。ですが、今日……。私は魔王様の命令もなく死ぬ所でした。それは魔王様の意思に背く行為。恥ずべき死でした」
ベルジダットは頭を一層深く下げ微動だにせず、魔王の返事もない。言葉の代わりに不快感を纏った魔力は薄らぎ、ゆっくりと溶けて消えた。
「全くもってその通りだ。ベルジダット、貴様は私の物だ。私の為に生き、私の為に死ね。私の意思に沿わない死は認めない。二度と忘れるな」
「はっ。二度と……、二度と忘れません」
「しかしながら子供の喧嘩ではない。貴様には罰を与えるとしよう。そうさな、壁の前に立て」
ようやっと顔を上げたベルジダットに、魔王は気だるそうに腕を持ち上げ自分の背後の壁を指差していた。促されるまま立ち上がり、魔王を迂回して壁際に立つ。この壁の向こう側は人間と戦った場所であった。一瞬だけその過去に意識を持っていかれるも、すぐに魔王を注視する。王座から立ち上がった魔王は緩慢な動作でベルジダットの前に立ち腕を組み、少しだけ唇を尖らせた。
「ふむ……。まぁ、なんだ。貴様に与える罰は私の意にそぐわぬ死を迎えようとした事に対してだが、臣下の罪は主の罪だ。私の物を私自身で傷つける事を私の罰とする。もう二度と貴様は私に傷付けられず、私は貴様を傷付けない。今生に一度だけの記憶を互いに刻み、これで手打ちにしよう」
まるで拗ねているような表情でゆっくりと、自分に言い聞かせるように魔王は語る。罰を受ける身でありながらも初めて見る表情にベルジダットは口元を緩ませていた。魔王は組んだ片腕を持ち上げ虫を払う様に、無造作に手を横に振るう。ベルジダットが視認できたのは手を振り始めた部分だけであり、轟音をたて吹き飛ばされた壁と共に上半身は消し飛ばされていた。
「人型を保て」
言葉など聞こえていなかった。だが、魔王の言葉に反応した霧は下半身を分解し、残った魔力で霧を操作し自身を再構築する。その姿は魔王が封印される以前の幼い姿であった。
「くつくつ、懐かしい姿じゃあないか」
「半分ほど吹き飛ばされましたが、これも戒め。初心に立ち返るには丁度良いかと」
自分と背丈が変わらなくなった少年を見て満足した魔王は好奇を隠さず口の端を持ち上げる。先程振った手を今度は招くように煽った後に自身の足元を指さした。その指示に従い魔王の足元に傅いたベルジダットは意図を汲めずに主を見上げようとした時、視界を遮り頭に手を置かれた。
「あ、あの……。魔王様?」
「何だ? 好きだっただろう?」
くつくつと笑う魔王を見返す事ができないベルジダットは顔を隠すように俯くが、頭を撫でられる感覚は記憶の彼方にある感触と合致し得も言われぬ高揚感を沸き立たせていた。
「……御冗談を」
「ふふ、良いではないか。遥か昔も、この瞬間も。どちらも私とお主だけの記憶だ。その姿の方が愛らしいぞ?」
「……しばらくは魔力の回復に務める為、この姿のままになります」
「元に戻るのは名残惜しいが、期限付きの楽しみというのも悪くはないな」
「そろそろ二人も戻られるのでは?」
「そうさな、定位置に戻るとするか。客人を出迎えなければならん」
ベルジダットから手を離し、魔王は王座に腰掛け肘掛けにしなだれ掛かる。定位置に戻ったベルジダットは普段よりも近い魔王の頭を眺め口を開いた。
「客人ですか?」
「うむ、どうやらお嬢様目当ての勇者一行が来るらしいぞ?」
話を最後まで聞かないからだ、とお嬢様は小さく笑っていた。
◇
「戻りましたぁ。……? お嬢様ぁ、その子はぁ?」
「ベルジだ、罰を与えた」
そうなんですねと答え、来訪者を魔王の前に待機せるとベルジの横に立ち、シィラは随分と低くなった頭を撫でる。
勇者はベルジとは反対の定位置に立ち、勇者一行を睥睨した。先程の轟音の爪痕に触れること無くお嬢様一行は勇者一行に対峙する。従者に囲われた玉座に座るお嬢様。彼女はシィラとケルザが定位置に戻った事を改めて、しなだれ掛かっていた肘掛けから緩慢に体を起こし、細い瞳で客人を迎え入れた。
瓦解した壁、薄暗い室内に差し込む陽光。陽光を背負う様に陣取るお嬢様一行。透けるように輝く銀の髪、光を弾くような陶磁を思わせる滑らかな白い肌。柔らかい光沢を放つ薄紫のドレス。逆光すら物ともしない銀の眼光。招かれた勇者一行すら観客であるような小さな舞台。それら全てがお嬢様を彩る舞台装置であり、それでも尚彼女の存在感を彩るには至らない虚飾。
「……さて」
唯の一言。語りかけるような声音。そこに微塵の敵意も悪意も存在しない日常会話のような気安さ。そのたった一言が、この場全てが虚飾であると断じるに足る圧倒的な存在感を放っており、この空間の支配者が誰であるのかを否応なく勇者一行に理解させた。
「初に見えるな。私がこの館の主、キルシェだ。よしなに」
外気が彼女の髪を緩く流すが、お嬢様を前に勇者一行は身構え沈黙を破れない。その沈黙を空気を読んでか読まずか間延びした声が打ち破った。
「はぁい、私はシィラでぇす。それでぇ、この子があなた達がイジメたベルジさん」
「シィラ殿、子供の諍いではないのですから……」
「反対側のゴミを見るような目をしているのがせんぱいでぇす」
「……ケルザだ」
「あはぁ、せんぱいが正しい表情してるの初めて見ましたよぅ? 私達の主が自己紹介を済ませたのに不躾なお客人ですねぇ。礼儀って知りませんかぁ?」
間延びした甘ったるい声とは裏腹にシィラは侮蔑を隠さずに眼前の敵を見下していた。
「……し、失礼しました。突然の来訪になり申し訳ありません」
ようやく言葉の圧力から我を取り戻したフィーレが、デリダを背負っていたことも忘れてぎこちなく頭を下げた。
「私はフィーレと言います。後ろの人がデリダです」
「ユーリよ。背負ってるのが私達のリーダーのバルト」
「私達は国王様からの勅命で魔王の存在を確認しに来ました」
フィーレのやや早口な声とは打って変わり、キルシェはゆっくりと口を開く。
「ふむ、そうであったか。まずは謝罪しよう。ベルジダットが済まなかったな、こやつは少しばかり気が早くてな。だがそれも私への忠心故の行動だ。責は私にある」
「あ、いえ、あの……。私達も焦るあまり交戦する手段を選んでしまいました。……すみません」
「フィーレ、謝る必要はないわ」
「時にバルトとデリダだったな。何故背負われている、負傷したか?」
「すいませぇん、案内する時に襲われない様に眠ってもらいましたぁ。数時間もすれば起きるかと思いまぁす」
頭上の言葉を受け僅かに頭を持ち上げたキルシェはにこにこと微笑むシィラを見て深いため息をこぼし、改めて勇者一行を見やった。
「……すまんな。こやつも悪い奴ではないのだ。ただ少しばかり自己愛が強いと言うべきか、保身に走りやすい部分があってな」
「はぁい、私は自分が一番可愛いのでぇ。男の人に襲われてはか弱い私では好き放題されちゃうと思いましてぇ」
「はん、よく言うわ」
悪態をつくユーリを小さな声でフィーレが窘める。
「話はわかった。しかしながらリーダーを含め二人が眠ってしまっている。こんな半端な状態で話し合っても納得出来んだろう。シィラ、数時間もすれば起きるんだな?」
「はぁい、勇者様御一行ですからねぇ。あの程度ならそのくらいで起きるかとぉ」
「相わかった。では部屋を用意しよう、今日はそこで休むと良い。せっかくだ、食事でもしながらゆっくりと話そうではないか。ケルザ、使える部屋はあるか」
「部屋は問題ない。替えの布団を使えば寝る分には困らない」
「シィラ、人数分食事の用意はできるか」
「はぁい。一人では大変ですが街の人にお願いして運んでもらえれば問題ないかとぉ」
「ふむ、ではケルザ。そやつらを案内してやれ。シィラも同行してくれ、こやつだけでは不備がありそうだ」
「そうですねぇ、せんぱいだけだと心配でぇす。ではお部屋に案内した後に各々の手配をしますねぇ」
「あぁ、頼んだ」
会話は終わりだと言いたげに持ち上げていた体を肘掛けに預け、キルシェは目を閉じる。
「シィラだけで良いだろう」
「お嬢様はお休みでぇす、もうせんぱいの言葉は聞こえませぇん。さぁさ、行きますよぉ」
ベルジの頭から手を離すと今度はケルザの腕を抱きシィラは歩き出す。
「お二方ぁ、ご案内しまぁす」
強引にケルザを引っ張りながら勇者一行に声をかけ、二人はそのまま部屋を出ていった。
「……もしかして泊まることになって、ます?」
「……ここに?」
「……早く行け。シィラ殿はわざわざ貴様等を待たないぞ」
少し前に交戦した時とは姿の違うベルジダットに促され、二人は重い足を引きずるように部屋を後にした。
やや遠くで足を止めている二人を追ってユーリとフィーレは歩いていく。どうにもベルジダットと呼ばれた魔族の言った通り待たずに歩いたのをケルザが止めたように見えた。
「……マジで泊まるの?」
「……わかりませんけど、何かそんな雰囲気でしたし」
コソコソと離れた二人には聞こえない様に二人は小声で話す。
「それに二人が起きてから全員で話そうって提案は悪くありません。街に居ては聞けないことも確認できるかも知れませんし」
「……そうね、二人が起きるまで待ってもらえるのは助かるわ」
ある程度二人が近づいたのを確認するとケルザは歩き出した。仲睦まじく腕に抱きついたシィラはにこにこと楽しそうではあるが、今までの事がある。後ろから眺める二人にシィラの腹の中を読む事はできない。
たかが一泊、客間と厠だけ案内すれば良いとケルザは思っていたが、シィラは食堂と浴場まで案内する。
「食事はわかるが、浴場を教える必要はないだろう」
「何言ってるんですかぁ、お客様ですよぅ? 女の子ですよぅ? 一日の疲れは温かいお風呂で洗い流さないと駄目なんでぇす」
「一日くらい構わないだろう」
「せんぱぁい、お嬢様が客人と言ったからにはお客様として持て成すのが従者の仕事じゃないんですかぁ? 主人の意向も汲めないんですかぁ?」
「……癪に障るが、認めよう」
「どれだけ言っても女の子に気遣いができませんねぇ、せんぱいはぁ」
「俺に出来ない事をするのがお前の仕事だろう」
「そうですけどぉ。私に任せっきりだと、せんぱいは一生もてませんよぅ?」
「構わない」
「それって告白ですかぁ? もぅ唐突すぎて困っちゃいますよぅ」
シィラは腕を抱く手とは反対の頬に手を当てて顔を振っている。今までの不快感も相まって気を張っていたはずのユーリは二人のやり取りを見て笑いそうになり、耐えるように口を開いた。
「あんた達さぁ」
「はぁい、何でしょうかぁ?」
「いっつもそんな感じなわけ?」
自分から声をかけてしまった手前、返事に対して黙れなくなり、素っ気ないように取り繕って言葉を返す。
「まぁ、大体はぁ。せんぱいは態度ばっかり大きくて生意気でぇ。後輩としては困ってしまうんですよねぇ」
やれやれと呆れたようにため息を漏らすシィラに、今度はフィーレが短い息を漏らした。
「……殴るぞ」
「聞きましたぁ? 自分に都合が悪いと、すぅぐ殴ろうとするんですよぅ? 信じられませんよねぇ、女の子に手を挙げるなんてぇ」
「そうね、性悪女には丁度いい最低な男だわ」
「ちょっ、ユーリさん⁉」
元来ユーリは会話好きである。この数時間で溜まったストレスを発散するようにユーリは何食わぬ顔で会話に混じり始めていた。
「聞きましたかぁ、最低さぁん? 女の子には優しくしましょうねぇ」
「黙れ、性悪」
「照れないでくださいよぅ。女の子3人といるせいで恥ずかしくなりましたかぁ?」
「くっ……、なんなのこいつら……」
ユーリは口元を手で隠しながら肩を震わせる。それを尻目にフィーレは不意に気になった事を口にした。
「えぇっと、シィラさん?」
「はぁい?」
「その人はすぐ殴ろうとするんですよね? その割にはその……、くっついていると言うか」
「せんぱいは我儘なんですよぅ、お嬢様の命令も自分が納得しないと聞きませぇん。皆さんの案内もお嬢様から言われたのに、こうやって私が引っ張らなかったら一歩も動いてませんでしたよぅ?」
「ほんと何なのよ、そいつ……。何でそんな好き放題なのにお嬢様の従者してんの」
「それにぃ……。せんぱいは私の事が大好きなのでぇ、こうやって抱きつかれて喜んでいるんですよぅ?」
「……シィラさんが好きだから抱きついてるんじゃないんですか?」
「違いますよぅ。せんぱいが私のことを大好きだって言うから仕方なく相手してあげてるんでぇす」
「……何、そうなの。あんた」
「勘違い甚だしい」
良い年してと言いたげな目を見てケルザは否定するが、シィラは抱きついた腕を下げて硬い手を優しく握りしめた。
「せんぱいは女の子との距離感がわからないんですよぅ。素直になれない恥ずかしがり屋さんなんですぅ。だから思ってることと反対のことを言っちゃうんですよぅ」
その憐れむような声音にユーリはつい吹き出してしまった。
「ぐっ……‼ 何、子供なの?」
「……好きな子に意地悪しちゃう男の子みたいですね」
「そのものですよぅ。本当に困っちゃいますねぇ」
にこにこと嬉しそうな表情を崩さないシィラの雰囲気に飲まれ、フィーレとユーリの気が緩んでいく。言葉を交わすというのは相互理解の一歩である。互いの立場上譲れない事はあっても、朝食の内容では喧嘩しないどうでもいい会話。そんな会話がどうにも気を許してしまう要因なのを二人は薄々ではあるが理解していた。
「思ったんだけどさ」
「何ですかぁ?」
「もしかして、さっきの告白のくだり。そいつ理解してないの?」
「えぇ……? それは無いと思いますけど」
「せんぱいを嘗めないでくださぁい。理解してませんよぅ」
「うぇ、まじ?」
「マジですよぅ? どうせ口にはしないだけで、私の頭が湧いてるとか考えてますよぅ」
「良くわかったな」
「ほら、これですよぅ。聞きましたぁ? 理解できない自分を棚に上げて、私がおかしいと決めつけるんですよぅ。信じられませぇん。そんなんだから女の子にもてないし、最低さんなんて呼ばれるんですよぉ?」
「シィラ」
「ん、このお部屋ですかぁ?」
「替えの布団を用意する。それまではここを使わせる」
「だそうでぇす。とりあえず、ここで休んでてくださぁい」
部屋の扉を開け部屋に入るように促すと、シィラとケルザは布団を用意しに立ち去って行った。残された二人は促されるまま部屋に入ると、背負った二人を床におろし自分たちも座り込んだ。
「はぁ、重かった」
「そうですね。でも休む部屋も貰えるなんていたれりつくせりですね」
「お風呂にも入れるしね。何だか本当にお嬢様な気がしてきたわ」
「はい、ですが……」
「わかってるわよ。ただ状況はよくわからないわね」
「恐らくお嬢様が私達と戦った魔王でしょう。ですがあのケルザさんと言う方からも魔王の魔力を感じました」
「でも以前程の強い魔力を感じないわね」
「何かしら魔力を隠す手段を講じてるのかもしれませんね」
「……ねぇ、可能性は低いけど最悪な話ししていい?」
「聞きたくはありませんが何でしょうか」
「もうコルド死んでるかもしれないわね」
飾り気のない質素な部屋が、一層色褪せたように寒く感じた。
「何故でしょうか」
「あのケルザから魔王の魔力を感じたのは魔王が魔力を譲渡したから。ただ人間が耐えれる魔力だとは思えないわ」
「……肉体はコルドさんのものだと?」
「それなら見た目とか雰囲気が似てて、持ってた剣を今も使っててもおかしくないじゃない」
「そうですね。ではコルドさんの死体を魔王が魔力で操っている状態、と言うことでしょうか」
「まぁ、可能性は限りなく低いけどね。あの性悪女とのやり取り見たじゃない。魔王が操ってそんなことする理由もないだろうし、何より体が死体に見えないもの。多少血色悪く見えても一般の範囲だし、関節とか体の滑らかさが自然すぎる。魔力でそんな精密な操作出来るとも思えないわ。だからあくまで可能かどうかは置いといての可能性の話。思いついたら言いたくなっただけだから忘れていいわ」
「……はぁ。縁起でもない話ですが何かしら最悪の想定をしといた方が、いざという時には耐えられるかもしれませんね」
溜息をこぼすとユーリは床に寝そべる。硬い石床ではあるが横になり全身の力を抜き休めるのは、旅の中で得た能力の一つだとユーリは思っていた。
「汚れるわよ」
「何か疲れちゃいまして」
「……そうね」
流されるままに魔王の城に一泊する事になった気疲れからか、二人は言葉もなくぼうっと呆けていると甘ったるい声が鼓膜に染み込んだ。
「入りますよぉ。お部屋の準備ができ……、皆さん床に横になってゴミの真似ですかぁ?」
「私は横になってないわよ、性悪」
遠慮なく開かれた扉から顔を出したシィラはわざとらしく口に手を当て驚いた振りをするが、もう強く文句を言う気力のないユーリは適当な反論だけで溜飲を下げる。
「もう、ゴミじゃありませんよ」
体を起こしたフィーレはのそのそとデリダを背負い、ユーリもバルトの腕を首に回し立ち上がると部屋を出た。出た所に立つケルザの腕に抱きつくと少し歩いた先の部屋を4つ指定する。
「せんぱぁい、どこ使ってもらいますかぁ?」
「ここならどこでも良い、好きにしろ」
「だそうでぇす。好きなお部屋使ってくださぁい」
「そう、なら遠慮なく借りるわ」
「私も少し疲れました」
「んふ、何でしたらぁ……。私達みたいに一つの部屋を二人で使っても構いませんよぅ? その方が看病もしやすいのではぁ?」
「……あんたら、やっぱりそんな感じなの?」
「嘘を付くな」
「嘘なんですか?」
「当たり前だ」
「部屋に連れ込まれたり押し入られたりする仲ですよぅ」
「俺の立場で物を言うな」
「はぁ、何かどっと疲れた。部屋借りるわ。休みたい」
「好きにしろ」
「では、私達は戻りますねぇ。何かあれば言ってくださぁい。あ、この子の花に触ってもらえれば私が行きますので」
シィラは離しながら小鉢に咲いた小さな赤い花をフィーレに押し付けるように手渡した。
「あ、はい。わかりました……」
「ふぅん、こういう魔法もあるのね」
「では、ゆっくり休んでくださいねぇ」
そう言い残すと来たとき同様に仲睦まじく二人は廊下を歩いていった。
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