第32話:理解と対話4 魔王の館で御入浴
「とりあえずバルトはここで寝かせるわ」
「では隣の部屋をデリダさんにしますね」
二人は重たい荷物を整えられたベッドに寝かせると空いている部屋に集まり、ようやっと一息をついた。ベッドに腰を下ろしたユーリは疲れを吐くように唸ると横に倒れ込み、向いにある備え付けの椅子にフィーレは腰を下ろして赤い花の小鉢をテーブルに置く。
「……何でこうなったんだろ」
「……何ででしょうね」
「バルトもデリダも倒れてるし、話す場を設けてもらえるのは助かるんだけどさ」
「まさか泊まるように促されるとは思いませんでしたね」
想定していなかった流れに二人は深い為息を吐いて呆けてしまう。
「ねぇ、フィーレ」
「何ですか」
「何であの二人は魔王の従者してると思う?」
「知りませんよ」
「あの二人どう思った?」
「まぁ、仲がいいなとは思いました」
「うん、そうだよね」
「……どうしたんですか」
「私も無警戒だった訳じゃないんだよ? 一応あの二人を警戒しながら歩いてたんだよ?」
「はい」
「でもさぁ、あの性悪女。 ずるいじゃん、あんなの」
「あー……はい。言いたいことは分かりました」
うがった見方をすればこの後の会食で自分達の印象を良くする懐柔の一手とも考えられる。
「あれが計画的なら私は見事にはまった事になるよ? でもさ、あれって計画的な態度に見えた?」
「いえ、何と言うか普段どおりと言うか……。慣れたやり取りに見えたのを考えると、たぶん日常的なやり取りだったのかと思います」
「でしょ? あんなにニコニコしながら腕に抱きついてイチャついて」
「二人の関係はわかりませんが、彼女の楽しそうな表情は作り物には見えませんでしたね」
「あんな笑顔で、あんな気の抜けた話し方で、あんなふざけた話を魔王の住む城でやってんだもん。警戒してるのが馬鹿らしくなっても仕方ないじゃん」
「それはそうですが……」
「それにフィーレだって会話に混じってきたじゃない。あんたも途中から気を抜いてたでしょ」
「……はい、抜いてました」
「はい、同罪。今更良い子ぶらないでくださーい」
「あ、今の少しシィラさんに似てました」
「あの性悪ほど甘ったるい話し方はしてませーん」
「あれはあれで凄いですよね。ずっと聞いてたら耳から離れなくなりそうです」
「まだ耳に残ってるもん、何なのこの余韻。要らないんだけど」
「なんか耳の奥がムズムズしますね。これも魔法でしょうか」
「嫌がらせにしか使えないじゃない、こんなの」
ここは本当に以前訪れた魔王の城なのだろうか。フィーレは机に突っ伏すと瞼を閉じる。
以前来た時はもっと埃っぽく、仄暗い不気味さのある屋内で魔物が蔓延っていた。それこそまさに魔王城と言えるような人間が立ち入る場所ではない城であった。それが今では誇り臭さのない清涼な空気が流れ、魔物など一匹もいない。それどころか食堂や浴場、魔王の従者が準備した新しい布団が用意されたベッド。緊張感のない侍女。
「あーあ、私達何しに来たんだっけ」
「魔王の確認とコルドさんの行方ですね」
「来て早々歓迎されて、気がついたらお嬢様に歓待されてお泊りとか意味分かんない」
「そうですね、私もわかりません」
バルトかデリダが起きていれば何か変わっただろうか。やや重たい瞼を開く事なくフィーレは緩慢に思考を巡らせる。元より戦闘を行う予定はなかった。僅かな会話から魔王に戦闘の意思がないことも見て取れた。そもそも魔王一人相手に自分達五人は敗北しているのだ。もし自分達を片付けたいのであれば先程の面会時に交戦してもおかしくはない。だが戦闘を行わないという事は何かしら他の意図がある筈なのだ。力づくでは無く対話による目的の達成。今の魔王は一体何を求めているのだろうか。
「会食って何を話し合うんでしょうか」
「知らないわよ。まぁ、戦わなくて良いなら死ぬ事はないんじゃない?」
「そう考えれば気楽……にはなりませんね」
「そうねぇ……。ねぇ、フィーレ」
「何ですか?」
「……お風呂行かない? ゆっくりする時間もなかったし」
ユーリはどことなく控えめな声でフィーレを誘う。状況が状況なだけに行くべきではないと思ってはいるのだろう。それでも疲労は溜まるものだ。
「ほら、あの性悪も好きにしていいって言ってたし」
「……そうですね、今は出来る事もありませんし。シィラさんには感謝しましょう」
「そもそも魔王相手に遠慮する立場じゃないし、もう開き直る。会食まで存分に休むわ」
「では二人が起きた時のためにメモだけ置いていきましょう」
「そうね、適当に書いてさっさと行きましょ」
ユーリは腰にある小さな道具袋から藁半紙と筆記具を取り出すと、藁半紙を小さく破り筆を走らせる。二枚分のメモを書くとフィーレと共に部屋を出て各々の部屋のテーブルにメモを置き、浴場へと向かっていった。
◇
「……すごいわね」
「ここまでしっかりしてるとは思いませんでした」
場所だけ案内されていた浴場。何気なく開いた扉の先は広い脱衣場であった。二人は靴を脱ぎ、一段上がった板張りの床を踏む。足裏に伝わる仄暖かさ、石床とは違う柔らかい歩き心地。奥の浴場から漂う僅かな熱気、鼻孔に触れる湿気と木の香り。壁に並ぶ棚には湯上がり用の手拭いが積まれている。空いた棚には手編みの篭が並んでおり、そこが衣類の置き場だと見て取れた。
「良い宿泊施設の脱衣場みたいですね」
「……こんな設備いる?」
「まぁ良いじゃないですか。細かい事は気にせずお風呂に入りましょう」
二人は棚の前で衣類を脱ぎ篭に入れる。篭の中に入れられた脱ぎっぱなしの衣類と簡単にたたまれた衣類で二人の性格が表れている。フィーレは湯浴み代わりにと積まれた手拭いを2枚取り、1枚をユーリに手渡した。
「何か柔らかいの腹立つんだけど」
「安物ではなさそうですよね、生地も厚めですし」
手拭いで簡単に体を隠すと奥の扉を開いた。蒸し暑い空気と湯気が脱衣場へ流れ込むのに逆らい二人は浴場に立つ。湯気で温かく湿った石床は掃除が行き届いているからか、ぬめりは無い。脱衣場の二倍程度の広さの浴場は、向かいの壁にある小窓で空気を循環させていた。どことなく花の香のする浴場を、二人はぴちゃぴちゃと足音を立てて進む。
「おぉ、広いですね」
「ここまできたなら露天にしなさいよ」
「ふぅむ、露天か」
「雨の日とか風の強い日とかぁ、普段使いでは困っちゃいますよぉ?」
「連日天気が悪いと入りにくいですよ……ね?」
視界の奥、湯気で白く色付いた浴場の中。視線を下げると亜麻色の影が見えた。ほとんど床と同じ高さにある亜麻色は満たされた湯に浸かるシィラの髪色であった。不意の声に固まり二人は足を止め、ぎこちない動作で声の方向へ顔を向ける。
「うげ……」
「失礼な方ですねぇ」
「……すみません、使っているとは知らずに」
「気にすることは無い、好きにしろ」
亜麻色の髪の隣に、湯気に紛れて見にくいが僅かに青みがかった色が見える。謁見時は気にも留めていなかったがお嬢様の髪色は青みがかった銀のようだ。
「入口の横に洗い場がありまぁす。そちらで綺麗になりましたらこちらへどぉぞぉ」
「……あ、ありがとうございます」
癖のある聞き馴染みのない声は甘ったるさが控え味で、単純に気が抜けて間延びした声のように聞こえた。シィラに促され振り返ると膝の高さ位の壁に囲われた部分に湯が張られている。何気なく洗い場と言われたが、一般的な家にある浴槽と大差ない大きさであった。
「もう考えるの面倒になってきたわ」
「好きにしろと言われましたしゆっくりしましょう。お背中流しますよ」
「良いわね、お願いするわ」
二人は自分で身体を洗い、お互いに背中と髪を洗い合うとお嬢様と侍女から距離を取り、肩までお湯に浸かった。
「温かいですねぇ」
「そうねぇ、少し熱いかも」
「ムゥマと三人で入った事もあったが記録更新だな」
「はぁい。女の子どころかお客様なんて来ませんからねぇ」
「用もなく客人が来る場所でもないからな」
浸かったお湯は僅かに茶色く色づき、やや粘性がある。その上を様々な花弁が漂っていた。
「果物みたいな匂いがするわね」
「私の里のお花でぇす。果物がなる木の花ですよぉ」
「……はぁ、何だか落ち着きますね」
「シィラはこういった事に良く気がまわる」
「あはぁ、ありがとうございまぁす」
ユーリは瞼を閉じ、力なく口を半開きにして顔を上に向けて完全に気を抜いていた。フィーレはそれを横目にリラックスしているユーリに水を差したくないと、倣うように瞼を閉じてやや俯く。立ち昇る熱気には濃密な甘さが混じっており、鼻孔を通して身体に染み込んでいった。僅かに残る警戒心を隠す声音でフィーレは口を開く。
「ムゥマさんって言うのはどなたですか?」
「私の妹ですよぅ。普段は里にいるので今日は不在でぇす」
「あんたの妹ってだけでうざったい話し方してそうね」
「そうでもないぞ。ハキハキした子供の様な話し方だ」
「……全然違うじゃない、妹はまともみたいね」
「失礼な方ですねぇ」
とつとつと会話が進む。無理に会話をする不自然さは無く、ただ誰かが口を開けば誰かが答える。お湯の温かさに意識が溶けているのか、ゆったりとした時間が流れていた。
「いっつも二人で入ってるわけ?」
「そうだな」
「私のお仕事はお嬢様の身の回りのお世話なのでぇ」
「如何せん私は全てにおいて無頓着でな。お嬢様を保っているのはシィラの働きが多分にある」
「んふ、そもそもせんぱいの趣味ですけどねぇ」
「全くもって困ったものだ。自分の趣味を私にまで押し付ける」
「先輩ってあの最低男よね、部下なんじゃないの?」
ユーリの言葉にキルシェは大げさなため息を吐く。
「あやつは我が強くてな。認めんものは断固として認めんのだ」
「元々使えなかった此処の設備も自費で改修して、今の状態にしましたからねぇ」
その言葉にフィーレは顔を上げ、薄く曇る視界の先のシィラを見やる。
「……自費ですか?」
里で聞いた話では物好きなお嬢様が住み着いたという話であった。だが元よりお嬢様と従者の関係性ができているのであれば、何故従者が自費で改修するのだろうか。
「ふむ、私は実家に嫌気が差して出てきたのでな。何の財産も持ち合わせておらんのだ。そんな時に魔王の話を聞いて行く宛もなかったから此処を目指してみたのだ。ケルザに関しても困ったものだ。あまりに私を敬愛するあまり給金も出ない私に付いて来てな。私財をはたいて私が住むに困らない環境を整えたのだ」
「ただの家出じゃない。それでここまでしたの?」
「帰る気はないからな。それを一度口にしただけでこの状況だ。あやつの行動力には呆れ果てるよ」
淀みなく答えるお嬢様に不信感は否めないが、呼び方からケルザの後にシィラが来た事は類推できる。もしかしたら単純に情報の行き違いでシィラが勘違いしていた事もありえるが、あれだけ親しいやり取りをしていてそんな行き違いのある会話になるのだろうか。
「……あれ、あの最低男はあんたの事が好きなんじゃないの?」
「はぁい、せんぱいは私のことが大好きですよぅ。でもお嬢様の事も大好きなんでぇす。夜な夜な夜這いをされないか心配になりまねぇ」
「……よく一緒に住めるわね」
「ここの運営は一任している。今更居なくなられても困るからな。シィラを手篭めにされるのは高いが致し方ない」
「お嬢様ぁ、それは酷いかとぉ」
くすくす、にこにこと笑う二人から嫌気は感じられない。憎まれ口を叩けるのも関係が良好な証と言うことか。フィーレは体を沈め、口元を湯につけるとブクブクと泡を立てた。バルトはケルザをコルドだと疑っている。付き合いの長いバルトが言うのだ、細かい節々にコルドと重なる部分があるのかもしれない。だが、もし、ケルザがコルドであり自分の意志でここに居るのならば納得はしたくない。自分達を捨て、ここで仲良く生活している。それではあまりに軽薄ではないか。自分はコルドを信用している、だからこそバルトの疑いを認めたくない。
「シィラ、会食はいつ頃だ」
「そうですねぇ。今はせんぱいに食堂を準備してもらってまぁす。お食事も街の人にお願いしたら運んでくれるそうでぇす。それを受け取って少し準備しますので大体2時間後にはなるかとぉ」
「だそうだ。私達は先に上がる。ゆっくりするといい」
立ち上がったキルシェに従いシィラも立ち上がり二人は脱衣場へと消えていった。
◇
気がついたバルトは体を起こし、周囲を見渡した。
肩から落ちた布団を気にする事無く、脇に備えられたテーブルにある小さな藁半紙を認めると立ち上がり内容を検める。
『起きたら待機、横の部屋にデリダもいる。私が戻るまで建物内を歩かない事』
ユーリの文字で書かれた置き手紙に眉を顰め、横の部屋の木戸を開く。そこには自分同様にベッドに横たえられたデリダがいた。横の小さなテーブルに同様のメモを見つけ内容を流し読みして、デリダの肩を揺らす。
「おい、起きろ」
何度か呼びかけ強く揺らすと、デリダはゆっくりと意識を戻し始め重たそうに瞼を開く。
「ん、あれ……?」
「どこまで覚えている」
デリダが起きたのを見て、バルトは備え付けられた椅子に腰を下ろした。考え込むように唸りながらデリダは体を起こして頭を振る。
「外でユーリさんと向こうが言い争いになって、お嬢様に招かれたとかって……」
「俺と同じ所だな。ユーリが戻るまで部屋で待機しろって書き置きがあった。窓から外を見る限り此処は魔王の館だろう。空も明るい、一時間程度は気絶してたのかもしれん」
「どういう状況でしょうか」
「とりあえず、ユーリを待つ。伝言を見る限り今は安全なんだろう」
「もう魔王とは接触したんですかね?」
「恐らくな。向こうも戦う気が無いみたいだが目的はわからん」
「……それにしても」
デリダは視線を下げ、かけられていた布団を見る。埃など無く綺麗な白で、柔らかく仄かに洗剤の匂いが漂っていた。
「何だか普通の部屋ですね、布団も綺麗ですし。本当に魔王が生活しているんでしょうか」
「居るのは確実だろうが、騎士団の宿舎より綺麗ではある」
「もうお嬢様って事で良くないですか?」
「……いずれにせよ、確認は必要だ」
バルトは椅子から離れ窓際に立つ。眼下に広がる景色は僅かに戦闘の痕跡があれど綺麗なものであった。
幾ばくかの後にガチャリ、と質素な木戸が開かれユーリとフィーレが部屋に入ってきた。二人はここが魔王の館と言う事を忘れているのか、花の香りを纏い髪を湿らせて頬を仄かに上気させている。湿り気を帯びた仄暖かい空気がバルトとデリダの肌に触れた。
「あ、起きた?」
「……どういう状況だ」
「ちょっと、怒んないでよ。私とフィーレであんた達運んで寝かせたんだからね」
眉をしかめたバルトにユーリは嗜める声を出した。フィーレはややバツが悪そうにユーリの後ろに隠れる様に控えている。
「……まぁいい」
「とりあえず後一時間位かしら」
「そうですね。ここのお嬢様が私達と会食の場を設けてくれました。今日は泊まって良いそうです」
「え、泊まるの? まじ?」
「本当か?」
「ええ、お嬢様があんたらが寝てる間に話してもだって」
「……そうか。向こうも話す気があるなら状況は悪くない」
現状に納得したバルトは椅子に深く体を預け、深く息を吐いた。ユーリとフィーレはデリダのいるベッドの脇に並んで腰を下ろす。
「どの程度会食の時間を取るかわからん。最低限聞くべき事を纏めよう」
「素直に答えるかはわかんないけど、まずは魔王が健在かについてね」
「魔族の従者がいるお嬢様の目的や立ち位置についても聞いておきたいです」
「後はコルドさんかなぁ」
「あの従者についても確認しておきたい」
「出来れば魔族の方に関しても。少しでも多く情報は欲しいわ」
「魔王、従者、コルドに関してだな。どれも素直な答えは期待できないな」
背もたれに預けた体を起こし、バルトは太腿の上に両肘をおいてデリダとフィーレに目を向けた。
「会食についてだが、デリダとフィーレに対話を任せたい。俺とユーリも気になる事があれば口を挟むが基本的には聞きに徹しようと思う」
「私も?」
「下手に会話して癇癪を起こされたくないからな」
「……うっさい」
デリダとフィーレは互いに見合ったあとにバルトに顔を向ける。
「何で僕たちに?」
「フィーレはあの女に対しても落ち着いて対話できていた。会食がどんな会話になるかわからないが、俺達の中で最も相手に対して敵意を持たない公平さがある。きっとこの場において必要なのは偏見を持たない純粋な対話だ。それはこの中でフィーレにしか出来ないと俺は思う。デリダは交戦した吸血鬼に対して啖呵を切ったな。あの言葉は俺には出せない言葉だ。自分の今までを認めて、それでも人間のために正面からぶつかる素直な言葉。それは意思や考えを伝える時に余計な思惑がない分、懐柔する余地のない強い気持ちだ。その気持ちを持って正面から自称お嬢様に俺達の思ってることをぶつけて欲しい。二人共頼めるか?」
「……まぁ、魔王と一対一で戦えって言われてる訳じゃないし」
「そうですね、私達は戦いに来たわけではありません。対話であれば私にも出来ます。任せてください」
戦う必要がない大役にフィーレは乗り気である。デリダも消極的ながら自分が適任だと判断したバルトに従い提案を受け入れた。それを認めて「すまない」とバルトは小さく頭を下げる。先程からやや不機嫌そうなユーリは口を開いた。
「私だけ雑じゃない?」
「何がだ」
「二人には適任な理由、しっかり説明するじゃない。私だけ癇癪ってどうなの?」
「他に理由が必要か?」
「あー、あの性悪女に食ってかかろうかなー」
「ふふっ、ユーリさんが拗ねてるの珍しいですね」
「バルトさん、本気でやりかねないから説得した方が良いと思いますよ」
ふーん、と足を投げ出し後ろに反らした体を両腕で支えるユーリを見てバルトは嫌そうな顔をする。だがデリダの言う通り感情で行動する可能性の高いユーリの機嫌を取るのは目標達成の為には悪くない手間なのも確か。しかしながら癇癪に関しては本音である。つまりは本音の後に建前をでっち上げる必要があった。
「……ユーリ、俺もお前も良し悪しを含めて二人より大人で打算的だ。この会食は謂わば人間側と魔王側の腹の探り合い、向こうもこちら同様言葉の裏を探るだろう。そうなると俺達の言葉は含みが多くなる可能性が高い。だから俺達は口数を減らして向こうの思惑を看破する役割に徹そうと思う。俺達より裏表のない、打算的ではない言葉を使える二人であれば向こうが裏を探ろうと言葉通りの意味しかなければ徒労でしかない。役割分担だよ。二人には俺達の考えを代弁してもらう。俺達は相手の言葉の裏を探る。分析するのは得意だろう?」
投げ出し足をパタパタしながら話を聞いていたユーリは「ふーん」と適当な言葉を漏らしながら天井を見上げている。まぁいっか、と気持ちを切り替えた彼女は体を反らすのをやめてバルトを見返した。
「そん時に使うってことよね」
「あぁ、問題はあるか?」
「対象はあんただし一応隠蔽もするわ。ただ、あの性悪女は魔法使いとして単純に私より上ね。もしかすると何かしら感づかれる可能性はあるわ」
接敵したのは一回のみ、腕くらべの魔法勝負は一発限り。その一回だけで相手の技量を読み取るには充分であった。自分が三人に時間を稼いでもらい放った魔法は対魔法、対魔法生物特化の魔法湾曲魔法である。射線上の全ての魔法を中和し捻じ曲げ反発させる、魔法に風穴を開ける魔法殺しの魔法なのだ。事実触れれば魔法を壊す棘すら、この魔法に捻じ曲げられ破壊に至ることはなかった。仮に吸血鬼に当てられていたならば、外側になんの効果もない結界ごと七割以上は吹き飛ばし継戦不能状態に出来た自信があった。それをあの性悪女は私が魔法を発動した後に、あの吸血鬼に魔法が接触する寸前に魔法を発動させ、側面から私の魔法を完全に弾き飛ばしたのだ。この結果だけでオババ様と同格以上の魔法技術を習熟している事を否応なく理解させられた。
特筆すべきは3つ。発動速度、遠隔発動の精度、魔法の質。この3つは明らかに人類の魔法技術を凌駕した域に達していた。
目視するよりも早く、魔法に触れ続けてきた肌が割って入った魔法には気づいていた。魔法発動の瞬間に起こる魔素の瞬間的な燃焼に肌で気づいたかどうかの刹那、私の魔法は既に弾き飛ばされていた。
人類もある程度の遠隔発動を可能にする技術は持っている。だが、手順としては遠隔で魔法を滞留させ発動するといった発動前の状態が必要なのだ。この滞留を限りなくゼロに近づけることで瞬間的に遠隔で魔法を発動させるのが人類の技術である。だが遅れて認識した結果を逆算すれば性悪女の魔法は発動中の魔法を遠隔で構築したとしか考えられないものである。
そして何より魔法の質だ。湾曲魔法で捻じ曲げられない高密度な魔法だったのか、近似した質を持つ魔法を弾く魔法だったのか。いつだったかオババ様にお仕置きとして部屋一帯を結界で囲い閉じ込められた際に結界を破壊する為に構築した魔法が、結界を破壊した魔法が容易く弾き飛ばされたのだ。癪に障るが認めざるを得ない事実ではあり、どんな魔法で弾き飛ばしたのかは後学の為に知りたい知的欲求の対象となっていた。
「お前より上なのか」
「私より、と言うより私達人類の魔法技術より明らかに高度な技術を持っているわね。単純な魔法勝負で勝てる人間はいないんじゃないかしら」
何事もないように言い切るユーリを見て、バルトは額に手を当てて溜息をついた。"家"出身の彼女が認めては否定できる言葉もない。
「……その時はその時だ、頼む」
「はいはい、それであんたが納得するなら構わないわ」
「使うってなんですか?」
「ん? あぁ、相手の嘘がわかるかもしれない魔法よ。バルトはやっぱりあの最低男がコルドな気がするんだって」
ユーリの返事を聞いたフィーレは自分の知らない魔法に感心する。もしこれで従者がコルドさんであると判断できた場合、自分は迷わずに行動できるだろうか。答えを求めて彼に問いかけるのではないか。……あぁ、それでは駄目なのだ。こんな私情で迷っては駄目なのだ。私に求められた公平さは私情からは程遠い。この役目はデリダ君の仕事なのだ。幸い彼もコルドさんを慕っている。私の代弁は彼に任せれば良いのだ。だからこそ私は私情を排してお嬢様達と対話せねばならない。浴場で二人と世間話を交わせたのは、会食の場で怖気づかない準備運動として運のいい展開であった。
◇
「ねぇ、そろそろ一時間経ったんじゃない?」
デリダを端に追いやったユーリはだらし無くベッドに寝そべっている。彼女のお腹の上に頭をおいて丸くなっているフィーレも気の抜けた声を上げた。
「んー、そうですね。私達が浴場を出てから、もうその位は経ったかと」
「気を抜き過ぎだ」
「眠くなってきたわね」
「……僕達が気絶してる間に馴染み過ぎじゃない?」
「あ、フィーレ。受け取ったあの花持ってきてよ。性悪呼び出しましょ」
「あぁ、忘れてました。そうですね、いつまで待ってても時間の無駄ですよね」
起き上がったフィーレは一度部屋を出ると、小さな赤い花の植えられた小鉢を持って部屋へと戻ってきた。バルトの向かいの椅子に腰掛けながら、小鉢をテーブルへ置く。
「何だ?」
「ええと、シィラさんから受け取りまして。用事があれば花弁に触れてと言われました」
「ねぇ、私に触らせて。たぶん魔法の一種だろうし気になってたのよね」
嬉々として体を起こしたユーリはテーブルの前に屈み、小さな花を小鉢ごと回して観察する。
「ふぅん、見た感じただの花っぽいわね」
「……本当に触って大丈夫なのか」
「魔法の一種なら私の索敵で確認しますか?」
「いえ、魔法に触れる事で何か発動するかもしれないわ。あの性悪、花弁に触れて以外の事は言わなかったじゃない。ああ言うやつは自分の言う通りにしなかった場合、絶対こっちを馬鹿にしてくるわ」
「ユーリさん、あの女の人と性格合わなそうですね」
「合わないわね。思い出したらムカムカしてきたわ。とりあえず呼び出して待たせすぎって文句でも言ってやりましょ」
テーブル脇から伸ばされた指が赤い花弁に触れ、花を揺らした。
「……これで伝わってるの?」
二度三度、花弁を撫でるが何も起こらない。何よ、といらだちを紛らわせるように親指で人差し指を抑え、下から花弁を軽く弾いた。
「キーー!!」
突然、室内に甲高い音が響き全員が驚くと同時に身構え周囲を見やるが何も無い。
「……今ので呼んだってこと?」
「わかりませんけど……」
音の正体がわからないまま、フィーレは小鉢に目線を落とすがそこには小鉢しかなかった。
「あれ?」
「どうしたの?」
「花がなくなりました」
「……ほんとね」
「いや……」
バルトは歯切れ悪い言葉を口にして、腕を持ち上げる。テーブルの上に乗せられた手の上で見覚えのある花が根っこで自立し、双葉をパタパタと動かして何かを訴えるように落ち着きなく花を様々な方向に向けていた。
「落ちてきたんだが」
「何これ」
「何でしょうか」
「これって魔法じゃなくない?」
ベッド脇に腰掛けたデリダも興味本位で動く花へと指を差し出したが、小さな葉っぱが指先を叩いてそっぽを向いた。
「え、なにこれ、凄い腹立つんだけど」
バルトの手からつまみ上げられた花がキーキーと鳴きながら暴れ、それを見かねたフィーレがデリダから花を受け取り、手のひらに乗せた。
「もぅ。駄目ですよ、デリダ君」
「何か叩かれたからつい」
「魔物なのかしら?」
落ち着いた花はしばしぐったりと手の上で萎れていたが、フィーレに何度か撫でられた後に改めて自立し、キーと鳴きながら葉っぱを地面に向けて振る。
「降りたいのかな?」
何となくそう感じたフィーレは手を床に置いた。床に降りた花はフィーレを見上げキーと鳴くと、木戸の下の隙間を潜って部屋の外へと行ってしまった。
「……使い魔かな?」
「かもしれないわね」
「意味がわからん」
「不思議な生き物がいるんですね」
静かになった空間で待つこと数分、遠くから聞こえる足音は部屋の前で立ち止まると遠慮なく木戸を開いた。
「何か御用でしょうかぁ?」
間延びした甘ったるい声の彼女は、後ろ髪を1つに纏めており薄緑色の可愛らしい前掛けをつけていた。肩でキーキーと鳴いている花に対して、優しく花弁を撫でながら「はぁい、少しだけ静かにしましょうねぇ」と微笑みながら嗜める彼女は幼い子供を持つ若妻感を醸し出している。
「バルトさんとデリダさんもちゃんと起きていますねぇ。さすが勇者様御一行、安心しましたよぅ」
その余りに家庭的な姿を見て、文句を言うつもりだったユーリが絶句してしまう。それに気がついたフィーレが変わりに声をかけた。
「……もしかして忙しい時に呼んでしまいましたか?」
「んふ、お客様ですからねぇ。お気になさらずにぃ」
「えっと、シィラさんでしたよね。倒れてる間に会食をする事になったと聞きまして。いつ頃になるのか教えてもらいたいなぁって」
「そうでしたかぁ、遅くなって申し訳ありませぇん。予定より少しばかり遅れてしまいましてぇ。えぇと、そうですねぇ。もう30分ほどお待ちくださぁい」
にこにこと愛想よく対応するシィラに、デリダ目線を外しつつ「わかりました」と言葉を返す。
「他に何かありましたかぁ? 無ければ戻らせて……」
言葉を遮ったのは肩の花である。キーキーと鳴く声に相槌を打つ彼女は話を聞き終えたのか、花を指先に乗せるとフィーレの肩に乗り移らせた。
「気に入ったみたいですよぅ。もし良ければご葉の代わりに少しだけ魔力を分けてあげてくださぁい。それでは」
後程呼びに来ますねと小さく会釈し、彼女は花を残して部屋を出ていった。肩の花の前に指を出すと器用に乗り移り双葉をパタパタとさせる。それに満足したフィーレは小さく笑ってしまい、手のひらに移して花弁を撫でて遊び始めた。
「ユーリさん文句はどうしたのさ」
「いや、何かあんだけ家事してますみたいな格好されたら流石に言いにくくない?」
「後30分程度だ。ゆっくり待つとしよう」
「この子すごいですね。私の言葉理解してるみたいですよ?」
芸を仕込むように右、左、跳んでと指を花の前で動かすと、指に従うような動作を花は行っていた。褒めるように魔力を込めた指で花弁を撫でるとキィと短く鳴いて、気持ち良さそうに身をよじらせる。
「ジレンとハイラに顛末と明日戻る予定なのを伝えてくれ。後、王国への報告は俺達が戻ってからにしてもらってくれ」
「はーい」
小袋から取り出した藁半紙に言伝を書き、丸めると紐で結ぶ。紐に魔力を通すと羽の形を作り数度羽ばたくと宙へ浮き、開けた窓から外へと飛んで行った。
「後30分ね」
「あぁ、大事な会食だ。無駄には出来ない」
「緊張するなぁ」
「ふふ、この子と遊んでいたら緊張も解けてきましたよ」
「頼もしいな」
「フィーレも結構図太いよね」
「デリダ君、失礼な事言わないで下さい」
「無神経な男は嫌われるわよ」
「酷いなぁ」
各々が平静を保つために日常的な会話を進めていく。この慣習はコルドが旅の初めに提案したものである。非常時だからこそ冷静になれるように、どんな時も皆がいつもと変わらない落ち着いた状態になれるように。みんなで世間話をして互いに気を許そうと始まった世間話。それは魔王の館でも意識する事なく始まる程、自分達には日常となっていた。しかし、ここにコルドはいない。どこか寂しさの残る日常は、準備を整えたシィラが迎えに来る事で終わりを告げた。
──茜色の空の下、会食が始まろうとしていた。
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