第36話:理想と現実4 誰が為の会食也や?

「さて、またせたな。それでは本題に入ろうか」

 空は夜色に飲まれ、星が瞬いている。

 明かりと呼ぶには心許ない、燭台に灯る蝋燭が半分程まで溶けた頃、休憩から戻った魔王とベルジダットは共に席に着いた。机の上の食器は片付けられ、食前酒のみが各々の席に配膳されている。今までの会食は互いの意見を言いやすくする為の、互いの人となりを多少なりとも理解する為の時間であった。それがどこまで功を成すかはわからない。それでも魔王は必要であると判断した最低限の場を整え今に至る。

「まずは私から言おう。私の要望は単純だ。私は今の生活を気に入っている。臣下と共に誰にも侵されず、誰も侵さない日常を気に入っている。私は私として穏やかに生活できる場所が欲しい。必要な事は私がこの地で生きる事を認めるか、封印されていた時と同様にいなかったものとして無関心でいて欲しい。ただそれだけだ」

「無関心が楽だろう。既にお嬢様という土台は出来ている。お前達が何もしなければ、これまで通り此処にはお嬢様しかいない」

 魔王の要望にケルザが補足する。バルトとユーリは目配せすると、進行はフィーレに任せる事とした。

「私達が確認したいことは3つです。まず魔王が健在かどうか、お嬢様ひいては魔王の現状と目的は何か、それと行方不明のコルドさんについてです」

「さっきまでの会食で凡そわかってはいるけど、再確認させてもらうよ」

 フィーレの言葉にデリダが追従する。

「ふむ、では順に答えよう。まず魔王が健在か否か。見ての通り、私が魔王だ。呪いはあれど健在と言って差し支えないだろう。目的は先に話した通りだ」

「付随して確認したい事があります。貴女が本当に私達が会った事のある魔王であるなら疑問が残ります。以前貴女から感じた、魔王と呼ぶに相応しい魔力を貴女から感じません。それと……ケルザさんから同じ質の魔力を感じるのは何故ですか」

「あの時は寝起きで魔力が不足していたから補充していたのだ。そのせいで室内にも不要な魔力が伝播していた。そこへお主達が来たから露払いをしたに過ぎん。……過ぎた時間は時代を変えた。邪魔な存在を力で排除するのは野蛮すぎる時代となっていた。世事に疎いゆえ、その辺を理解したのはケルザから今の時代について教わった後だ。そうなれば私の魔力は強すぎる。元のままでは抑えようにも抑えきれん。そこでだ、戯れついでにケルザに半分程魔力を譲渡したのだ。死んで元々だったが愉快な事に魔王の魔力に適応した。この程度であれば私は魔力を抑えられるが、私の魔力を押し付けられたケルザは魔力を上手く扱えないようだな」

「ふーん、それで今もあんまりあんたの魔力も感知できないのね」

 魔王はうつむき気味に、胸元に手を当てて言葉を続ける。

「私を単純に個体で考えれば魔力の保有量はそう多くはない。とは言え無害なお嬢様としては不要な量を保有している。だから常に一定量以下になる様、保有する魔力を意図的に私の支配下から排除している結果だな」

「魔力を集めて維持しているんじゃないんですか?」

「違うな。私の体質と言うべきか、封印さえなければ私の意思とは関係なく魔力が蓄積されていく。私個人が保有できない量になろうとだ。わかりやすく言えば、今の私は時代に合わせ自分の意志で弱体化している」

「……では現状は貴女個人が保有できる魔力の半分をケルザさんに譲渡。更に一定量保持しない様に自分で魔力を発散させている、と言うことでしょうか」

「うむ。単純に魔王の魔力を保持している量で言えば、今はケルザの方が多い」

「それは俺達でもお前を殺せるという事か」

 蝋燭の灯りだけでは判然としない互いの表情。その見えない表情を代替するように呆れた声が漏れ聞こえる。

「まったく血の気の多い奴だ。魔王がただ魔力が多いだけの存在だと思っているのならば、お主の判断も間違いではないのだろうな」

「……普通なら自分が保有できる量しか魔力を集めることは出来ないわ」

「そぉですねぇ。そもそも魔力の保有量は自身の扱える魔力の上限ですからねぇ」

「えぇ。その保有する魔力の総量も大事ではあるけど、その保有量の中で如何に効率よく魔法を扱うか。より魔力を消費せず大きな効果を得るか。極論、最強の魔法使いはどんな奴かっていえば、魔力を消費せずに魔法の効果が高い奴で総量は二の次なのよ」

「その通りである。魔族……所謂魔法生物にとって魔力は人間で言う空気の様なものだ。人間も肺活量に個人差があるだろう。人間と魔族は種族の特性上、大抵の人間より魔族の方が魔力の保有量が多い。結果として魔力に対する感覚器官は人間より発達した」

「海の生き物と陸の生き物で呼吸の仕方が、体の作りから違うじゃないですかぁ。人間と魔族は似通った見た目でも魔力を扱う効率、感覚器官の性能が絶対的に違うんですよぅ」

「……とは言え、一般的な魔族ならある程度の人間が数人集まれば対処できる。この程度までなら、そこの男が言ったように総量の違い程度の誤差だ」

「えっと、魔王は自分が保有できる魔力以上に魔力を勝手に蓄積する体質なんだよね?」

「うむ、その通りだ。私は個体としての魔力の保有量に関わらず大気中にある魔力を支配できる。だからこそ自身が保有している魔力以外も支配して強制的に私に蓄積されないように維持している」

 化け物じゃない。ユーリは口に出さず言葉を飲み込んだ。シィラが言った様に魔法を扱う基礎として、自身が保有できる魔力の量が扱える魔力の上限という定説がある。それは人間と魔族、共に感覚器官の発達に違いはあれど大多数に当てはまる一定の基準。魔王はその基準から明らかに逸脱していた。極論、魔王は燃費など関係なく無尽蔵に魔力を扱えるのだ。それを考えれば人間の効率を求める研鑽など小手先の技術でしかない。

「……ベルジダットさんも今は弱体化しているんですよね?」

「この程度、弱体化とは言えませんな」

「あは、フィーレさんも思ったよりも血の気が多いようで? 私とせんぱいは万全ですよぅ?」

「……次ですが、何故お嬢様なんて回りくどい事を? 魔王が復活したと公言すれば街の人も従うのでは?」

 シィラの言葉を流すフィーレは次の話題を振る。

「ふぅむ。正直に言えば、お主らと遊んだ時のままであればそうしたかもしれん。だが、そうなる前にケルザに会ってしまってな。私の魔力に適応する玩具もそうはいない。目覚めて最初に興味を持った存在だ、多少なれど情はある。そんな珍しい玩具にこの時代の事を教える代わりにお嬢様になれと役割を押し付けられたのだ」

「此処を営繕するにあたり個人では限度がある。街の住人の手伝いは必須だ。魔王のいた此処に住み着くのに際し、街での余計な不信感を払拭する為に正規の手順を踏んだと思わせるのが上策。手っ取り早いのが財力のある存在だ。魔王の容姿を鑑みてお嬢様を演じさせ、街の住人に此処の営繕を依頼。今も街とは友好的な関係を築けている。長期的な懸念点を考えれば魔王ではなく、お嬢様の方が利点があるのは目に見えていた」

「なるほど。では魔王がお嬢様を演じているのは街の人間を騙す為、と言う事ですね」

 フィーレの諭すような声音が、空気にヒビを入れる。

「それは違いまぁ──」

「──結構です。どのような経緯があろうと結果として人間を騙してる事に変わりありません」

 凛とした、確かな口調は自分の中の正悪を明確にしており、人間に溶け込む魔王を悪だと断定する。その声は勇者側の三人も聞いた事がない拒絶が含まれており、シィラですら言葉を切ってしまう。

「では最後に……」

 ちらりとバルトに目配せすると言葉を繋げる。

「コルドさんについてですが所在、現状について、何でも構いません。知っている事を教えてください。私達は……事情は把握できていませんが、ケルザさんがコルドさんではないか。と疑っています」

 今まで会話の中では明確に疑っていた。だが、こうして全員が揃った場で、私達の総意として、彼がコルドさんだと思っていると断言はしていない。

「ふむ、こちらも明言を避けていたな」

「魔王」

「答えてよ。ここで嘘つかれたら今までのも信じられなくなる」

 魔王を静止するケルザの声を、デリダが阻むが意味を為さない。

「魔王の話と俺の話は別だ。魔王やベルジダットの弱体化、俺とシィラの能力を一部開示。そして互いの理解を得るための会食。魔王の望みを伝え、その意志を汲む為にこちらが不利になる話までしている。お前達は王国からの命令で一度は魔王を討伐しに来た。そして今は討伐など無理な事を理解している。だからこそ、魔王の言葉に従い、如何に世界に対して損害を出さないか。その折り合いを付ける為に対話をしている事を勘違いするな」

「……そうですね」

「フィーレ……」

「ではコルドさんについては黙秘する、と言う事ですね」

 黙秘、という言葉には含みがある。断言がされない以上可能性はあると言うことだ。そして、誰一人として異を唱えない。

「さて、議題の主題がズレたのは修正されたな。私が静かに日常を過ごす為に他には何が聞きたい」

「こちらに聞きたい事はありませんか?」

「私からはない。可能な限りそちらに合わせよう」

「弱体化をしても魔王は脅威です。配下を解散してください」

「それは無理だ。私の日常はこやつらがいて成り立つ。今以上、此処へ来た者に関しては配下としない。であれば約束しよう」

「魔王様、あまり譲歩しすぎては……」

「よいのだ、ベルジ。フィーレの言った通り私は魔王だ。私にとって不利になる交渉など当然だ。何より私が望むのは誰にも侵されず、誰も侵さない日常だ。それが約束されるのであれば、私は名ばかりの魔王で一向に構わん。その方がお主等に頼り甲斐があるというものよ。しかしまぁ、魔王である私が一方的にやり込められては、忠臣に心配をかけてしまうのも確かだ」

 そしてどことなく気に食わない。

 くつくつと、ベルジの進言を笑って返すと足を組み、ゆっくりと頬杖をついた。細めた瞳が蝋燭に照り返され、赤を帯びた銀が薄暗い部屋に浮かび上がる。歪んだ口角は判然としない薄暗がりの中でも、下卑た笑みを浮かべている事を主張していた。その口からは嘲る声が囁かれる。

「フィーレ。お主は先程、私が人間を騙している。と言ったな?」

「はい、それがどうかしましたか?」

「お主は魔王である私が如何な理由とて人間を騙して、人間の社会に溶け込むのが気に食わんのだろう?」

「魔王以前に魔族を信用できません。そんな信用できない存在が人間の中に紛れているなんて想像もしたくありません」

「うむ、その通りだ。お主は神職に就くくらいだ。きっと誰に対しても平等で潔白なのだろうな」

「そう在ろうとは思っています」

「ふむ、結構だ。であれば、魔王の配下にいる人間など信用できんよなぁ? なぁ、ケルザ」

 くつくつと歪んだ笑い声の中で、不快感を隠さずケルザは舌を鳴らした。それはケルザ自身意図していない突発的な感情の発露であり、下卑た笑みへの明確な敵意であった。

「どうだ、フィーレ。ここに信頼できない人間がおるぞ? あぁ、そう言えば少し前にこやつがコルドだと疑っていると言っていたなぁ? まさか、私に対しては経緯を聞かずに現状だけを見て、人間を騙していると判断したのに。この人間が、コルドかもしれないから、現状は魔王の配下なのに人間を裏切っている訳がない。何て考える訳はないよなぁ?」

「な……。それ、は……」

「フィーレ、聞く必要はないわ」

 交渉の場においての明確な挑発。そんなものは話半分に聞き流せばいい。ユーリはフィーレに声をかけるが、魔王の言葉を素直に受け取った幼いフィーレは言葉に詰まる。

「ふぅむ、平等で潔白で在ろうとは思っているかぁ。なるほど、なるほど。魔王は信用できない、配下のケルザは人間を裏切っている。うむ、これならば道理だな。だが人間がコルドかもしれない。それだけで人間を裏切っているとは思えない。その他の人間とコルド、どちらも同じ人間のはずだがなぁ。どれだけ取り繕っても平等に扱えんか。いや、その他の人間をコルドより下に見ているのではないか?」

「ち、違い……。下になんて……」

 フィーレは明確な敵である。シィラと共にケルザで遊ぶような手心は不要。久しく湧き上がる嗜虐心が魔王に愉悦をもたらしていた。表情が判然としない薄闇の中、フィーレは眉をしかめながら懸命に自分の考えを振り返り言葉を探す。その姿が困った時のケルザと重なり微笑ましくすらあった。

「自分にとって大事か大事じゃないか。いや何、私にだって大事なものがある。私の配下は魔族だろうが人間だろうが大事な配下だ。だがお主には同じ人間でもその他とコルドで明確な区別があるのだな?」

「そんな事は当然だ。だからこそフィーレは平等に努めている」

 人間として、感情のある生き物として当然の区別。誰であろうと赤の他人より身内の方が大事に想う。それは共に過ごした時間、共有した感情、信頼から成り立つ当然な区別。人間は他人と関わり生きていく。だからこそ身内に傾く秤を、意図的に赤の他人へと合わせて平等に扱えるように心掛ける。フィーレは確かに平等に努めているが、バルトやユーリの様に「そういうものだ」と割り切るには幼く純粋で、己の中にある正悪が単純な二元論によって構築されている事に気付かない。当然である。魔王は悪だという大前提が覆れば、自分達を派兵した王国が悪になる。引いては自分が悪になる。そんな事はこれまで一度も考えたことが無い。

「あぁ、そうか。お主の言う平等は、全てに私情を優先して全てを私情で差別する事なのだな。うむ、全てを感情で差別するのであれば確かに平等だ。私の事は信用できないから経緯を求めず結果だけを見る。私の下にいる人間はコルドかもしれないから経緯を求めて、欲しい結果なのか判断できるまで保留する。なるほど、平等だなぁ?」

「んふふ、当たり前ですよ魔王様ぁ。大事なものは、その他のものとは違う秤で勘定するんですからぁ。その他の秤がどれだけ平等でも、大事な秤は平等よりも価値基準が高いんですよぅ」

「全くですな。私からすれば人間など平等に埒外だ」

「どれだけ綺麗事を言っても所詮は人間側。魔族と人間を平等に見れる訳はない」

「安心してくださいねぇ。私達はせんぱいが人間だからって差別なんてしませんからぁ」

「甚だ不本意ではあるが、そこの人間は共に魔王様の配下だ。魔王様が認める以上、対等な立場。見下す事はあれど、差別は出来ませんな」

 小さく笑う魔王は頬杖を自重に合わせてゆっくり倒す。半分ほど溶けた蝋燭の高さまで頭が徐々に下がり、醜く歪んだ下卑た笑みが薄暗がりから覗き込む様に現れる。揺れる蝋燭に照らし出される、横向きの、不気味な、不快な、狂気すら見え隠れする笑顔。

「わかるか、人間」

 縦に割れる口から澱んだ言葉が粘性を帯びて溢れ出る。

「お主の口にする平等は所詮差別なのだ。神の下に平等とは、神が人間を見下しているから出る言葉なのだ。愚かなお主は、その言葉をそのまま信じて口にし、判断の基準とした。お主は自分で何をしているのかも理解せず、無自覚に他人を値踏みして見下し、一個人という限りなく狭い了見で平等に扱い、自己満足で悦に浸る。いやはや、まったく。頭が上がらんよ。魔王の私ですら、そこまで傲慢にはなれんなぁ」

「神様に騙されちゃったんですねぇ」

「信仰とは己の心の道標。明確な信念さえあれば神などと言う偶像に溺れる事はありませんな」

 違う、そうじゃない。気持ちだけが先走り口を開きかけるが言葉が纏まらない。それでも抑えられない気持ちが口から零れそうになるが、ただ口にしても言いくるめられるのは目に見えてしまい躊躇いが言葉に蓋をする。フィーレは自分の気持ちに間違いはないと思っているが、感情を抜いた論理が追いつかない。

「良いこと言うね。僕もそう思うよ」

 言葉を紡げないフィーレに代わり、デリダが口を開く。

「信仰とは己の心の道標ね。魔族からそんな言葉を聞けるとは思わなかったよ」

「魔族とはいえ人間同様思考する。感情に左右される事も同様。それにどう折り合いをつけるかも人間と大差はない」

「じゃあさ、フィーレが言った魔族が人間に紛れるのが嫌ってのも僕たち人間が持つ不安を代弁しただけだし、平等に努めるってのも個人の努力だよね。魔王だろうが何だろうが、それを責めようとするのはお門違いじゃないの? 主題が違うよね」

「魔王、悪い癖だ。本題に戻れ」

「ほぅ、情が捨て切れんか?」

 下卑た笑みを浮かべる魔王を見て、ケルザは無意識に愛刀の柄に手を置いていた。いつからだろうか、この癖がついたのは。幾度となく魔物を屠り、戦の中で幾人もの人を切った自分は、気が付かないだけで生物の命を、生死を軽んじているのではないだろうか。命に対する責任を放棄しているのではないか。その結果が柄に手を置くという威嚇。情けない。以前であれば……。

「貴様、よもや魔王様に対してではあるまいな」

 ケルザの動作を見落とさないベルジダットは、暗がりに溶かすように霧を足元から広げていく。

「んふ、せんぱぁい。悪い癖ですよぉ、気に食わないからって手を出そうとするのはぁ。ベルジさんも落ち着いてくださぁい」

 仲裁に入ったシィラはにこにこと笑顔を絶やさない。

「魔王様と私を挟んで喧嘩するおつもりですかぁ? お客人の前でぇ」

「……失礼した」

 物わかりの良いベルジダットは霧を収めるが、ケルザはシィラを見据えて動かない。

「どうしましたぁ? ベルジさんは矛を収めたようですが、せんぱいはぁ?」

 障害であるシィラを斬り捨てるのは容易い。

 ……待て、何故容易いと判断した? 俺は魔王の魔力を使わなければシィラの障壁を突破できない。魔法を発動していないからか? いや、シィラの魔法発動速度は尋常ではない。俺が抜刀するより恐らく早い。得意な障壁であれば尚の事。……あぁ、そうか。俺はこの場にいて未だ……。だから平然と斬り捨てられると判断したのか。

 それを理解したケルザはするりと、力なく柄から手を離した。

「せんぱぁい、魔王様を斬りたいのであれば、先に私を斬ってくださいねぇ。抵抗なんて無粋な真似はしませんのでぇ」

 俺はそれを理解していた。そしてそれを勘定に含めていた。

「それは困るぞ、シィラ。ケルザ、お主が子供じみたことをするから本題に戻れないではないか」

「……子供じみたことをしていたのはお前だろう」

「あぁ、でもぅ。後ろからなんて無粋な事はやめてくださいねぇ。せっかくですから、私を斬る時のせんぱいの表情を見たいのでぇ」

 シィラは自分本意で物事を考える。自分の都合の良いように物事を捉える。それは自分に対して正直で嘘はないという事だ。シィラの言葉に嘘はない。……俺はシィラを信用して、信用を利用する事を勘定していた。

 俺は何をやっている。この行動は会食に何一つ必要がない。魔王の言葉など聞き流せばいいだけだ。なのに何故、自分から喧嘩を買っている? 何かおかしい、いつからだ……。


 バルトの視界は仄青く染まったままだ。今までのやり取りの中で大きく嘘に感じる変化はない。だが、ケルザがコルドだとすれば違和感はある。最初に会敵した時から敵意が強い。物事を解決する手段に当たり前の様に暴力が選択肢に入っている。コルドであればそれは最終手段であったはず。それを省いたこの行動はまるで、戦場の中で明確に敵を断定している時と似ていた。もしコルドだとすれば、何故魔王側についたまま魔王に敵意を向けている。バルトの疑問に気づく事のないデリダは、魔王達のやり取りを見てため息をつく。

「本題に戻すよ、って言ってもさ。そもそも今回の僕達の目的は現状の把握で魔王の討伐じゃないよね。この会談でお互いに確認したい事も終わった。ただ魔王についての最終的な判断は王都で決めるから今すぐには出来ない。だから、これ以上話してもそっちの性格が悪い事しかわからないと思うけどね」

「そうさな、だが今宵に限っては私に戦う意志はないのは理解できただろう?」

 魔王は頬杖をやめると、薄暗がりに顔を隠して軽い言葉を吐いた。

「不本意だけどね。話を聞く限り魔王も身内は大事みたいだし、その点に関しては僕達も同じだよ。だからコルドさんの手掛かりが欲しかったんだ」

「うむ、心中察するぞ。そのくらい素直に言葉を使うのであれば私でも共感できるな」

「……だから、フィーレに喧嘩売ったの?」

「言っておくがフィーレが嫌いな訳ではないぞ? むしろ個人的な視点で見れば好ましい部類だ。ただなぁ、フィーレの言葉よりお主の方が言葉に雑味がないというべきか……」

「ユーリさんみたいに言葉に乗る感情が明確でわかりやすいからかとぉ」

「馬鹿にしてんの? 性悪女」

「んふ、褒めてるんですよぅ?」

 意地悪に笑うシィラの言葉に得心がいった魔王は、あぁそうかと呟く。

「アレは言葉尻をとった悪意のある冗談ではあったが、何が気に食にくわなかったのかわかった。フィーレはデリダと比べれば大人びてはいるが、中身が伴っていないのだ。自分の感情を整理しきれないまま、取り繕った言葉を当然の様に吐くのが気に食わなかったのだ。その点、デリダは単純で良いな」

「馬鹿にしてるよね?」

「まさか、大事な事だ。純粋に褒めているのだ」

 どうだか、とデリダは鼻を鳴らすが魔王の口元は柔らかい。

「言い換えよう。デリダ、お主は魔王である私に一目置かれているのだ。誇って良いぞ?」

「……はぁ。もうわかったから」

 愉快に笑う声から、からかわれているのはわかっていた。……これが懐柔される気分なのだろうか。会食が始まった時、僕は間違いなく魔王を敵だと認識していた。それは今も同じではあるが、どこか違う。会食を通して自分達の事を伝え、魔王達のことも一部ではあるが知った。その知るという事が、敵という認識に奥行きをもたせている。必ず倒すべき敵なのか、関わらずに放置する敵なのか。それとも共存できる敵なのか。答えを単純に決める事はできない。否応なく流されて始まった会食ではあったが、もしかするとそれを知れたのが一番の収穫だったかもしれない。

「ふむ、では話を纏めよう。ベルジ、簡潔に纏めてくれ」

「承知いたしました。結論としては会食で行った議題の決議は保留となります。勇者側に決定権がありません。その為、彼等が王都へと持ち帰り判断を待つ必要があります。それまで私達は現状維持で問題ないでしょう。又、会食の趣旨、互い理解の為の会食。こちらは十二分に達成出来たかと思われます。魔王様の計らいに対し、彼等も十二分に応えたと思います。魔王様と我らを前にして食事を共にし、対話する。ただの一般人にできる胆力ではありません。特に彼我の戦力差を探る言動には敵ながら称賛を送りたい気持ちすらあります」

「ねぇ、ベルジダット……さん」

「デリダ殿、我らは敵である。慣れぬ言葉遣いは不要だ」

「そう、それじゃあベルジダット。称賛を送りたいとか何で上から目線なの? 腹立つんだけど」

 ベルジダットに悪気はない。ただ純粋に彼等を評価した結果の言葉である。人間の価値など埒外に捨て置くベルジダットからすれば、こんな言葉が出る事に自分で驚く程である。だがそれは価値基準の違う秤の存在には伝えきれない。ベルジダットが口を開くより早く魔王が笑う。

「お主の物怖じしない態度、ユーリに似ているぞ」

「あはぁ、悪いお手本ですねぇ」

「あんたは余計な一言なのわかってる?」

「うふふ、必要な一言なのでぇ」

「デリダ、あんたもあの女は性悪って呼びなさい」

「……確かに腹黒そうな気はするけど、そうじゃなくてさ」

 呆れたデリダに合わせ、魔王も話を戻す。

「称賛に値する。ベルジの言葉は撤回する必要も言い直す必要もない。デリダ、勘違いするでない。歴史を振り返ってみろ。いつだって魔王は敵として立ちはだかり、勇者は魔王に挑む立場なのだ。故に意図しようが、意図しまいが関係はない。私達はお主等に挑まれる立場、言葉通りに上からの言葉だ。気に食わないのであれば、私達を引きずり落としてでも超えてみせろ」

「……わかったよ、飲み込んどく」

「うむ、素直なのは良い。改めて私からも言おう。人間嫌いのベルジから称賛を貰えるとは、敵として認められている事と同義。私も認めよう、貴様等が勇者であると。だからこそ、この場に、会食に、私達との対話に臨んだ事。感謝と共に称賛を贈ろう。褒美だ、明日の出立まで好きに過ごせ。今宵の会食、良い時間であったぞ」

 中座した時と同様に魔王はベルジダットを伴い、部屋を出ていった。扉の閉まる音が会食の終わりを告げる。

「はぁい、本日の会食は終わりでぇす。後は魔王様の行った通り好きに過ごしてくださいねぇ」

「……やっぱ適当ね、あんたら」

「ユーリさんはバルトさんと同室が良いんでしたっけぇ?」

「言ってないでしょ」

「あれ、フィーレさんがデリダさんとでしたっけぇ?」

「えっと、フィーレ……?」

「違いますよ。もぅ言ってませんからね」

「ふふ、お片付けしちゃいますので皆さんはお休みくださぁい。それと浴場はあそこだけなので、必要であれば案内はお任せしますねぇ」

「はいはい。じゃあ私達も休ませてもらうわ」

 ユーリが席を立ち、フィーレとデリダも後を追うがバルトは席を立たない。

「先に戻ってくれ」

「わかったわ。二人共行くわよ」

 三人が退室すると、3分の1程度まで溶けた蝋燭は室内に残った三人だけをぼんやりと照らしていた。

「あらぁ、お手伝いですかぁ?」

 シィラの言葉に従う様に、バルトは席を立つと4つのグラスを回収する。何度も出入りして料理を運んでいた裏へと目をやり歩き出した。

「裏においておく」

「あ、いえ、そんな……。今のは冗談でお客様にそんな事は」

「気にするな、やらせておけ」

 ケルザの静止にもどかしさを感じつつも、シィラは勇者達が座っていた席の燭台を自分達の席へ置き、テーブルクロスを回収して裏へと行く。ケルザ席を立ち4人分のグラスを手に取り裏へと入って行く。

「バルトさん、グラスは明日明るくなったら洗いますので置いといてくださぁい」

「わかった」

「……残ってまで何がしたいんだ」

 ケルザは横に立つとグラスを全て流しにまとめ、水につける。横をパタパタと歩くシィラが通り過ぎた。

「……なんだろうな。割り切れない、のかもしれない」

 忙しないシィラは食堂と裏を行き来しては、燭台を運び裏を明るくしていた。

「意味がわからない」

「だろうな」

 次に戻ってきたシィラはテーブルクロスを丸めて抱きかかえて、更に奥へと消えていく。

「いつもあのエルフがああやって働いているのか」

「家事担当、とは言ってはいるが強制ではない」

「魔王の命令じゃないのか」

「命令はほぼない。集まった俺達が自分にできる事を勝手にやって、それを魔王が今後も頼むと言った形で作業分担している」

「……そうか」

「はぁい、お二人ともぅ。蝋燭も消して暗くしますので出てってくださいねぇ」

 ようやく落ち着いたシィラは二人の前まで行くと蝋燭の火を一つ消した。蝋燭までは距離があり、シィラも蝋燭を一瞥しただけである。

「それも魔法か?」

「せんぱいみたいな事聞きますねぇ。そうですよぅ、まとめて消せますけどお二人に気を使ってますのでぇ」

 そう言いながらもう一つ蝋燭の火を消した。それは早く出てけと催促している行動であった。それに動じないバルトは悪びれもなく口を開く。

「あと一杯、寝酒が欲しい」

「我慢しろ」

「んふ、良いじゃないですかぁ。たまにあるこういう時間、好きですよぅ」

 快諾したシィラは薄暗がりの中淀みなく動くと、三人分の酒を注ぎ、一つをバルトに手渡した。

「はい、どぉぞぉ」

「ありがとう」

「はい、せんぱいもぉ」

「あぁ」

「じゃあ乾杯しましょう」

 ぐいと突き出されたグラスに、二人は流されてグラスをぶつけた。

「何の意味がある」

「いいじゃないですかぁ、気分ですよぅ」

 ご機嫌な笑顔を浮かべる彼女に余計な言葉は無粋だろうと二人はグラスに口をつけ、追ってシィラも一口甘い酒を口にする。

「さっき飲んだ食前酒か」

「そぉですよぅ。美味しかったので新しいの手を付けちゃいましたぁ」

「特別なんだろう、良いのか?」

「毒味ですよ、毒味ぃ。んふ、美味しいですねぇ」

「毒はないみたいだな」

「せんぱいみたいな無粋な事言うお口には毒かもしれませんねぇ」

「……仲が良いんだな」

「せんぱいは困った人なので私が面倒を見ているんでぇす」

「黙れ」

「シィラ、だったな。さっき言ったこういう時間が好きっていうのはどういう意味なんだ?」

 バルトの問にシィラは小首を傾げた。

「そのまんまの意味なんですが、そうですねぇ。こうやって暗くて静かだと、世界に自分達しかいないって気分になりませんかぁ。そんな世界を照らす小さな蝋燭」

 薄暗い部屋が更に暗くなる。

「こうやって事もなく消える一つの光。でもさっきまで光っていて部屋を明るくしていましたよね」

 また一つ明かりが消えた。

「この簡単に消えるような儚い光。それと今の様な刹那的な時間を重ねているんだと思います」

「時間の大切さか?」

「いえ、時間は例えですねぇ。正確にはこの機会、このタイミングしかない時間でぇす。今、私達はこの部屋に集まって同じお酒を飲んでぇ、美味しさを共有しながら世間話をしていまぁす。立場で見れば魔王様の配下と勇者側の代表。種族で言えば人間と魔族。性別を付け加えるなら男と女。これだけ違う私達が一部の情報は互いに共有してここにいますよねぇ。明日になればバルトさんはきっと敵になってしまって、こうやって話す事も出来ませぇん。もしかすると、またどこかで同じ様に話せる機会があっても、こうやって三人だけが共有する時間は無いと思いまぁす。それは私も、せんぱいも、バルトさんも同じで、だからこそこの貴重な時間に私は価値を見て、短時間でも三人で楽しみたいなぁと思っていまぁす。そういう意味では魔王様やベルジさんと同じ様に私は今、バルトさんに感謝してますよぅ」

 とつとつと言葉を紡ぐ間延びした甘い声。普段であればクドく感じる声が優しく、妙に耳に馴染む。それはきっと酒の甘さに誤魔化されただけだとケルザは思考を濁す。明日にはきっと敵、はっきりと口にするシィラは敵意など微塵もない穏やかな表情を浮かべていた。

「んふ、長い説明になっちゃいましたねぇ。無粋ですよぅ、説明させるなんてぇ。こう言うのはふんわり聞いて理解した気になって、それっぽく流しちゃえば良いんですよぅ? バルトさんってもしかして生真面目な性格なんですかぁ?」

「いや、そんなつもりはない。ないが、こうやってゆっくり魔族と世間話をするのは初めてで、少し不思議な気分だ」

「そうですかぁ。それでは是非この時間、この瞬間の経験を楽しんでくださいねぇ」

 蝋燭は最後の一つを残し消され、お互いの顔はほとんど見えない。そんな相手が誰ともわからないような空間で三人は意味のない世間話を、少しずつ手元の酒を消費して繋いでいく。全員が酒を飲み終えた時「そろそろ休みましょうかぁ」と、蝋燭を消すように三人の時間はあっけなく終わりを迎えた。

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微睡む魔王は夢を見る kazuki( ˘ω˘)幽霊部員 @kazuki7172

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