第18話:帰郷と療養3 ケルザvs里長
帰宅する道中、ケルザはムゥマに対して僅かばかりの罪悪感を抱いていた。
もう少しと言ってから結構な時間付き合わせてしまったが、彼女は文句の一つも言わなかった為である。軽く謝罪すると笑いながら「良い場所ですよね。里の中で一番好きな場所なんです」と教えてくれた。それが本音かはわからないが、自分に気を使わせない配慮を感じさせる言葉だとケルザは捉えていた。
「ただいまー」
ムゥマに手を引かれ玄関をくぐる。そこでようやくムゥマはケルザの手を離した。手に残る僅かなぬくもりが外気によって徐々に薄れていく。改めて見ても家の中は広い。結界にこれほど便利な効果があるのであれば、人間社会で普及していない事に疑問が残る。
「おかえりなさぁい」
家の奥の方から声が届き、パタパタと足音が近づいてくる。出迎えてくれたのはシィラのみであった。
「母様は?」
「はぁい、お父様を宥めてまぁす。そういう訳でぇ、せんぱいにはこれからお父様に挨拶をしてもらいますねぇ」
「不安はあるが、ようやくか」
「来てくださぁい。後ムゥちゃんもお願いしまぁす」
「……あぁ、やっぱり?」
溜息をついたムゥマは何故かまたケルザの手を取り歩き始めた。だが、ここに来てから様々な結界をくぐらされた事により抵抗するより賢明な判断だと、ケルザは黙ってムゥマに付き従う。
「あれあれぇ、せんぱい大人しいですねぇ。もしかして私よりもムゥちゃんの方が好みでしたかぁ?」
「どこに結界があるかわかったものではない。それなら素直に手を引かれた方が無駄がない」
「ムゥちゃん聞きましたぁ? ムゥちゃんと手を繋ぐの理由がないと嫌みたいですよぅ?」
「えー、ひどぉい。せんぱいさん、シィちゃんと手を繋ぎ直しますか?」
「……このままで良い。早く里長に挨拶させてくれ」
「うふ、ムゥちゃんの事も気に入ってくれたようで何よりでぇす」
「せんぱいさんは本当にお嬢様がお好きなんですね。腕の怪我が治れば私とシィちゃんで、両手を繋いであげますから」
「……いいから、早くしてくれ」
くすくすと笑う二人はケルザを里長の部屋まで案内を始め、扉をいくつかくぐって廊下を歩いていく。
「これだけ広いのに4人だけなのか?」
「他にも家の事をしてくれる方達がいますよぅ。ただ、今は家の中ではなく来客用の通路を使っているので誰もいないのかとぉ」
結界による通路の分断だろうか。これを魔王城でも再現できるなら不要な侵入者など構う必要もなくなる。シィラはこれを運用できないのだろうか。来客用の通路の為か、廊下には赤い絨毯が敷かれ芝生の上を歩く様な感触が足裏から伝わってくる。何度か窓のある廊下を通ったが景色は様々。森の中だったり泉の畔だったり、不思議な事この上ない。それを全て結界で片付けるにはあまりに便利な言葉に思えた。ようやく辿り着いた里長の部屋の前、そこにはエルニアが立っていた。
「あれ、母様。どうしたの?」
「それがいつも以上に機嫌が悪いみたいでどうしたものかと」
「そんなに機嫌が悪いんですかぁ? また私達で媚を売りましょうかぁ?」
「シィちゃんに会えて喜んでたのに里の外から男の人連れてきたって聞いたら機嫌損ねちゃったんですよ」
「面倒だな。だが里長の許可なく滞在するのも後々問題があっては更に面倒だ。面会は出来ないのか」
「出来ない訳ではありませんが危険ですね。療養に来たお客様に会わせられる状態ではありません」
「ムゥマ、手を離せ」
「せんぱぁい、もしかしてぇ」
「扉に結界は」
「はぁ、わかりましたぁ。ムゥちゃん、せんぱいの手をくださぁい」
シィラはムゥマが返事をするより早くケルザの手を掬い上げた。それを咎める様にエルニアが扉の前に立つが、シィラはやんわりと彼女を押しのける。
「大丈夫ですよぅ、なんてったって魔王様のもとにいるせんぱいなんですからぁ」
躊躇わずに開いた扉をケルザの手を引いて、シィラはくぐりぬけた。何度も訪れた事のある父の書斎。だが、どこか、身に覚えのあるような、知らない冷たい空気で満たされていた。その異様な雰囲気は書斎の奥、父の執務机の方から流れてきている。異様さを払拭するように帰ってきた時と同じ明るい声で呼びかけた。
「お父様ぁ、お客様でぇす」
「……シィラちゃん。魔王様なら是非もないが、ただの従者は迎え入れないように言ったよね?」
「私が、お父様に言われて、魔王様のもとで仕えるにあたってお世話になっているせんぱいです。挨拶くらいは筋でしょう?」
「……シィラちゃん、本当にそれだけかい。僕にはどうも彼がきな臭く感じるんだ。彼が結界内に来てから、今まで。何故そうにも彼の近くにいるのかな?」
「里の中に結界があって彼だけでは通れないからですがぁ? もしかして結界の効果をお忘れでぇ?」
「だ、だったらなんで今もまだ手を繋いでいるんだ。室内に入ったら結界がないのを知っているだろう?」
「そうなんですかぁ? それは知りませんでしたねぇ。お父様の事ですからぁ、私達が部屋に来る前に新しい結界を張っていてもおかしくありませんからねぇ」
「と、とにかくだ!! 早く手を離しなさい、まずはそれからだよ」
「それは無理でぇす」
「何故だ!!」
机を叩く音と共に、裏返った声が響く。
「せんぱいが離してくれませんのでぇ」
「やっぱりか‼ やっぱり貴様か‼」
「せんぱいはいっつも強引なんですよぅ。今日だって私がお母様に呼ばれた事を良い事に、ムゥちゃんとも手を繋いでましたぁ」
「おい」
お前は誰の味方なんだ。言いかけた言葉は再度机を叩く音で遮られ、里長はゆっくりと立ち上がる。
「ふ、ふふ、くくく……。君は確か療養に来たんだったね。そうかそうか、それならゆっくりとしていくと良い。なぁに、責任を持って治すよう里長として厳命しよう。であれば怪我の1つや2つ、とケチは言わん。向こう一ヶ月は寝たきりになると良い」
机の引き出しから取り出したのは黒い鉄扇。何気なく取り出された鉄扇は、まるで厳重に保管されていた呪具のように明確な存在感を露出させた。
「お父様‼ 流石にそれは……っ‼」
そうだ、思い出した。感覚が麻痺していた。里長である父が手に持っているのは長年厳重に保管されてきた魔王様の所有物。残滓ではあるが魔王様の魔力が残る代物。本来であればそれは手に持つことすら難しい代物だが、それを何事もないように父は手に持っている。
「あれが前に話していた魔王が持っていた扇か」
魔法にも魔力にも疎いケルザですら感知できる異様な魔力。その魔力は初めて魔王と対峙した時を想起させた。
「いざという時のため準備しておいてよかったよ。例えシィラちゃんと同じく魔王様の従者であろうと僕にとっては害虫だ。駆除しないとね」
「シィラ、離れろ」
「シィラちゃん、離れなさい」
声はほとんど重なっていた。それはどちらの意を組んだのかはシィラ自身わからない。ただ反射的に言葉に従い、ケルザの手を離し一歩分離れていた。それに気づいた時、改めてケルザの手を取ろうとして空を切る。その手は既に腰に携えた愛刀の柄を握っていた。
「どうだい、怖いだろう? 君の主の魔力だ」
「たかだか残滓、その程度で喜べるなら幸せだな」
「ははは、なかなか口が達者じゃあないか。シィラちゃん、彼はいっつもこんなに強がるのかい?」
「……そうですねぇ、いつも通りの生意気なせんぱいでぇす」
「そうかそうか。私の可愛い愛娘に付く害虫は懇切丁寧に駆除してあげるからね」
「残滓を見せびらかして満足したか。ゆっくりして良いと許可も貰った、俺はもう里長に用はない」
「つれない事言うな、よっ」
無造作に振られた鉄扇。軌跡は鈍色の尾を引き一拍置いた後、放射状に広がった魔王の残滓がケルザとシィラの間を切り裂いた。明らかに敵意の込められた攻撃であったが、残滓が切りつけた室内に傷はない。
「見ての通りさ。この室内には内部から外部に向かう力に対しては、外界の湖底に逃がす結界を施している。君が怪我しようが室内は無傷、素晴らしいだろう」
「……それってせんぱいだけ入れて私が来なかったら、穏便に済ませて帰りは湖底なんじゃ」
「……おっと気が付かなかった。いやぁ、客人なんて久方ぶりで結界の出入りの設定を誤っていたようだなぁ」
「せんぱぁい。何か、その……すみませぇん」
「……手短に済ませるが先に謝っておく。少しばかり滞在が延びる」
「それは……。いえ、わかりましたぁ」
どういう事か聞こうとする前にシィラは意味を察した。せんぱいに対して魔王様を引き合いに出すとはこう言う事なのだ。強情なお父様に、せんぱいは少しだけ借り物を見せる。ただそれだけなのだ。
「どうだい? ただの見世物ではないのだよ」
お父様は勝ち誇った様にへらへらと嗤っている。そう、見世物ではないのだ。表面上何も変化が無いように見えるせんぱいだが、恐らく苛立っているのだろう。これはあくまでも彼の変化ではなく彼の性格から把握出来る事だ。何より見せびらかす様に魔王様の鉄扇を扱う事が気に食わないという感情が伝播するが如く理解できた。それはきっと身近にいる自分達だけが知る、魔王様がどんな存在なのか、お父様の様に力を誇示する性格なのか、そう言った本物との齟齬から来る不快感なのだと思う。
「直接俺を狙わなかった礼だ、覚えておけ」
──これが本物の、魔王の魔力だ。
唯の一閃。それだけであり、それが全てだった。
振るわれた剣閃は光の届かない室内において鮮やかに煌めく。他者を必要とせず輝く銀光、残滓の様な曇りなどない一縷の光。鞘から引き抜き様に切り上げた逆袈裟に付き従う隔絶された魔力は、いとも容易く空間を両断した。
ケルザが剣を引き抜いた時、シィラは馴染み深い魔力に安堵していた。幾重にも重ねられた結界から漏れ出る残滓に、どこか不純物の混じった薄気味の悪さを感じていたからだ。その薄気味悪さが充満していた室内だが、一太刀で残滓も残さず消し飛んだ。淀んだ室内を換気して空気を入れ替えるように、火照った体を潤す清涼な水の様に、たった一筋の魔力は、唯の一振りで室内を支配した。
「な、な……」
お父様も頭上を裂いた魔力で理解したのだろう。くすんだ残滓しか知らずとも、魔力の質は同じ魔王様のもの。その明らかに隔絶された魔力は残滓と同じ物だが鮮度が違う、濃度が違う、出力が違う。数百年も前の残り香など、今の鮮烈さに遠く及ぶべくもない。とはいえ、彼も十全に魔王様の魔力を使えるわけではない。一振りで限界を迎えようとしている彼は既に納刀し、片手で頭を抑えてふらついている。気がつけば彼の隣に立ち、ふらつく身体を支えていた。その時に考えていた事は、灰色の髪である彼の毛先が魔王様と同じ色になっており、唯綺麗だなと言う事だった。
「せんぱいは魔王様から、魔王様の魔力の一部を譲渡されているんですよ。本来扱えるはずないと思いますが、どういう訳か扱えるんですよねぇ。ですから、魔王様の残滓程度じゃ虚仮威しにもなりませんよ」
「な、何なんだ彼は……。なんで魔王様から魔力を……」
「さぁ、何ででしょうねぇ。そんな事よりお父様。お母様とムゥちゃん、私までなら許しましたが今回は少しばかり度が過ぎていたのでは? 私もせんぱいなら問題ないと、こうして無理にご挨拶をしてもらいましたが本意ではありません。有り体に言えば怒っています」
じんわりとお腹が熱くなり胸を通って瞳に熱が宿る。本当は駄目だとはわかっている。それでも時折感情に流されるのは生物の性だ。そして、その感情は収める場と発露するべき場がある。今、この場において私は駄目な事だと判断していた理性を、感情に任せて蹂躙していた。
「お、おい……シィラちゃん。何でその眼で僕を……」
「確かにせんぱいは生意気でぇす。ですがお父様の様に知りもしない相手を卑下する事はありませんし、借り物である魔王様の魔力を使って他人を脅す事もありません」
何を言いたいのだろうか。自分でも何を伝えたいのかがわからない。ただそれでも、少しでも……。きっと私はお父様にせんぱいを理解してもらいたいんだと思う。
「やや好戦的ではありますが、自分から手を出す事もありません。常に仏頂面でゴミを見るような目で世界を見てまぁす。でも、それでも、この世界で生きる事を諦めずに今は魔王様の従者をしていまぁす」
「それがなんだって言うんだい、そんな事より拘束を──」
「そんな事じゃありませんよ。とても大事な事です。何よりせんぱいは害虫ではありません。益虫でぇす」
魔王様の実際の魔力を見て狼狽しているお父様は気づいていないらしい。これも良い躾になるだろう。魔王様の魔力が切断した結界は綻び、切断された切れ目から湖底の水が滲み少しずつだが流れ込んでいる。もう幾ばくもなく、水圧に負けて結界も壊れるだろう。効果がなくなれば湖底の水も流れ込まなくなるはず、部屋が水浸しになるくらいなら良いだろう。彼を支える体に徐々に負荷がかかる。完全に動けなくなっては引きずるのは一苦労だ。ここが頃合いだろう。シィラはケルザを支えながら、数歩後ろに下がり、後ろ手にドアノブを掴む。
「お父様ぁ。少しだけ、ほんのすこぉしだけ反省してくださいねぇ」
言葉と共に瞳に熱が宿る。がくりと里長が崩れ落ちるのを見届け、シィラは里長の部屋をケルザと共に退室した。
部屋の前ではエルニアとムゥマが落ち着きなく待機していた。二人が出てきた安堵と、体を支えられている客人を見てかける言葉に逡巡が生まれ、それより早くシィラが口を開いた。
「挨拶は済みましたぁ。せんぱいはお父様に何がされた訳ではなく疲労でぇす。1日2日も経てば回復しますよぅ」
「……はぁ、心配しましたよ。お父さんは?」
「知りませぇん、少しばかりお灸を据えましたので暫くは引きこもっているかとぉ」
「シィちゃん、せんぱいさんは意識あるの?」
「まだありそうですけど、すぐに無くなるかとぅ。そういう訳で一旦失礼しますねぇ、せんぱいを休ませてきまぁす」
そう言ってシィラは自室へと歩き出した。それを見たムゥマはシィラの後を追い、エルニアは里長の部屋へと入っていく。
追い付いたムゥマはシィラとは反対側に立ち、ケルザの脇の下に腕を通し肩を入れ身体を支える。
「どこに運ぶの?」
「取り敢えず私の部屋を使おうかとぉ。どこも準備してませんよねぇ?」
「してないねー。父様にバレないようにね」
「はぁい、うるさいてすからねぇ」
「部屋で何したの?」
「少しばかり親子喧嘩? せんぱいが御父様と喧嘩? みたいな感じでぇす。少しは懲りてくれたかとぅ」
二人でどうにかケルザを運び、シィラの部屋にたどり着く。動かなくなったケルザをベッドに寝かせると二人は一息ついた。
「まったくもう、運ぶ身にもなって欲しいですねぇ」
「あはは、そうだね。何か魔王様の所に行ってシィちゃん、少し変わった?」
ムゥマは過去のシィラを重ねて彼女を見るが、やはり過去とは違う行動をしているように思えた。二人はケルザを寝かせたベッドの脇に腰を下ろす。
「そうですかぁ? そうかもしれませんねぇ」
「うん、なんか前ならせんぱいさん放置しそう」
「……それ、せんぱいにも言われましたぁ。私ってそんなに薄情に見えますかぁ?」
しょんぼりと肩を落とすシィラを見て、ムゥマは取り繕うように言葉を続ける。
「薄情って言うか、誰かにやらせたんじゃないかなって。自分でやらないで誰かに運ばせるとか」
「あー、そうかもしれませんねぇ。でもでもぅ、聞いてくださぁい。魔王様のお城には魔王様と私とせんぱい、もう一人は魔王様の昔からの従者なんですよぅ? 流石の私でもお願いするのに躊躇いがあるわけでぇ。そうなるともう自分でやるしかないじゃないですかぁ。特にせんぱいなんていっつも倒れるんですよぅ? 倒れる度に私が看病してぇ、もう私がいないと駄目なんですよぅ」
まったくもぅとシィラは頬を膨らませる。内容は愚痴であるが、楽しそうに笑っていた。
「楽しそうだね」
「はぁい、楽しいでぇす」
「そっか、少し羨ましいかも」
「んー、私も少し前までムゥちゃんと同じ状況でしたからね。気持ちはわかりまぁす。今度魔王城に来てくださぁい、魔王様もムゥちゃんの事、気にいると思いますよぅ」
「ほんと? ちょっと楽しみかも」
ケルザを寝かせたまま世間話は夜まで続いた。
結局丸一日寝ていたらしい。
シィラはぼおっとケルザを眺めていたが、目が開いたのを見て微笑みかける。
「おはようございまぁす」
「あぁ、どれだけ寝てた」
「一日でぇす。今回は早かったですねぇ」
「魔力を抑えてたからな、その分負担も軽かったんだろう」
身体を起こして周囲を確認するが、シィラ以外は見慣れない空間であった。何となく実家を思い出すような雰囲気。開かれた窓から入る風は日除けをはためかせていた。
「ここは」
「私のお部屋でぇす。今せんぱいのお部屋は準備中なんですよぅ」
「……すまない、助かった」
「んふ、もって寝てても良いですよぅ。私の布団で寝たいんですよねぇ?」
ベッドの際に両肘を立て、両手の上に顔を載せている。目を細めにこにこと平常運転のシィラを見てケルザは自分が軽症と判断した。
「初めてですねぇ、倒れた後にちゃんと私の前で起きるのはぁ」
「……そうかもしれないな」
掛け布団を避け、シィラの横に腰掛けると首を回し欠伸を一つ。それを見て、シィラは小さく笑う。
「欠伸してるのも初めて見たかもしれませんねぇ」
「……眠い」
「うふ、気を許している証拠ですねぇ。やっぱり私の事が好きなんですかぁ?」
「言ってろ」
首を回し、肩を回し、腰をひねる。折れた腕以外は特に問題ない事を確認して息を吐く。
「きょうはどうしますかぁ? お母様からは里の人達と接するように言われてますがぁ」
「それが結果として怪我が早く治るんだろゔ。それなら少し歩き回ってみようと思う」
「お一人でぇ?」
「どこに結界があるかわからん。付いてきてくれ」
「あは、せんぱいの頼みであればやぶさかではありませぇん。もぅそんなに私といたいなら素直に言ってくださいよぅ。でも残念でぇす。私はこれからお母様と用事がありますので、ムゥちゃんとお散歩してくださいねぇ」
ではお昼にしましょう。シィラは立ち上がり、ケルザの手を取る。花の香る部屋を出で廊下を歩く。やはり不思議な事に横並びの窓、その一つ一つの景色が別なのだ。飽きることの無い廊下の先の扉を開き食堂に辿り着く。すでに料理は準備され、シィラ一家が席についていた。
「おはよう、ケルザさん」
「おはようございます、せんぱいさん」
「……おはようございます」
「随分と遅い朝だね」
「せんぱいは療養に来てますのでぇ。ここを使ってくださぁい」
促せるまま座った席はシィラとムゥマの間である。ケルザが席に着くとムゥマは適当な物を取り分けて手元においてくれた。
「シィラ、覚えていますね?」
「はぁい、覚えてまぁす」
「ケルザさんはどうされますか?」
「せんぱいはムゥちゃんとお散歩でぇす」
「私と? どこ行こうかなぁ」
「ま、また娘と手を繋ぐ気なのかな。ケルザ君」
里長は肩を震わせ、食卓を叩いた。その顔は敵意を隠すことなく、眉間に秘話を寄せてケルザを睨む。
「貴方、行儀が悪いですよ」
「お父様ぁ、自分のせいなのわかってますかぁ? 私達は客人を困らないようにもてなしておるだけでぇす」
日常会話なのだろう。シィラは顔を上げること焼く、料理を皿に取り、食事を始めた。
「仕方ないだろう。里長になるためには能力を示す必要があるんだ」
「その代わり私が里の運営する事になりましたが?」
「う、それは謝っているだろう?」
「なんだか懐かしいですねぇ。こんな感じでお父様はお母様に弱いんですよぅ」
「父様も無理してるよね、里長やめたら?」
「今辞めたら結界を維持できないよ。辞めるなら引き継がないといけないからね。それに無理をするのは大黒柱の役目だよ」
自分に向ける声音とは違い、疲れたような諦めたような声を里長は漏らす。親の心子知らずとは言うが、きっと言わない苦労も多く、それを分かち合えるのは母親のエルニアなのだろう。ケルザはムゥマに渡された料理に手を付けた。刻まれた野菜を甘酸っぱいタレで和えている。歯切れ良くシャキシャキとした野菜は噛むと冷たい水気と共に、甘い青臭さが鼻を抜けた。甘い後味をタレがさっぱりと洗い流す。
「どうですか、私の植物園で採れたんですよ?」
「鮮度がいいな。街でも中々見ない」
「美味しいですねぇ。ぜひ私達の食卓にも並べたいでぇす」
「ありかと。戻るまでに味わってね」
「里長、聞きたい事があります」
「……なんだい」
明らかに嫌そうな表情を浮かべて里長は手を止めた。
「昨日から里に世話になっているが、この結界は魔王の城とも繋げるのか。もし繋げるのであればシィラも──」
「シィラさん、だろ?」
「シィラさんも里の往来が楽になると思いますが」
「一理ある。だが難しいね」
「何故」
「空間を繋げる、私達は拡張と呼んでいるがね。そも君達と私達では結界に対する認識が違う。結界は閉じるものとして多くの者は扱うが、私達は結界を象るものとして扱っている」
いわゆる結界は結界間で干渉は出来ない。それは本来閉じる為に構築した魔法が、魔法の意義をなさなくなり結界ではなくなる為である。2つの結界が干渉した場合、より硬貨が高い方が勝り、弱い効果のものは消えてしまう。ではどうするか、結界を結界を覆えばいい。ここでは割愛するが結界に付与する効果にも服風の発動基準があり、結界の外に効果があるもの、触れたものに効果があるもの、内側に効果があるものの三つに大別される。よく扱われる結界は攻撃を防ぐ外に対して効果があるもので、拡張に関しては触れたものに対して効果が発揮される。
「……なぜ僕が君に講義する必要があるのだ」
「えー、お父様のお話聞きたいでぇす」
「ねー。父様がどんな魔法使ってるか教えて欲しいなぁ」
「まったくしょうがないなぁ、二人の為に説明を続けるとしようか。まぁ、君も……君ら聞いても使えないだろうが、気になるのであれば聞くことくらいら許してあげよう」
一度話を区切るも娘二人のおねだりに簡単に折れた里長は、得意げに話を続ける。
2つの結界が干渉した場合、片方が消える。二つを消さないようにするには結界を結界で覆えばいい。では拡張はどうなのか。覆うことでも可能だが現実的ではなく、利便性に欠ける。ではどうするか。一つの結界を分割し、それを各地に起点を設けて再接続すればいい。だがこれが難しい。この分割というのも正しい表現ではない。この結界間も限りなく弱い魔力で繋がっている。その繋げた魔力を元に起点間の空間をつなげる事で各地の結界を拡張して一つの里としている。
「そうなんですかぁ、知りませんでしたぁ」
「シィラ、里長の娘なんですからちゃんと覚えておきなさい」
「でもそれなら父様の結界を魔王様のお城にも拡張すれば良いんじゃないの?」
「そう簡単じゃないんだよ。今話した通り、結界自体は一つなんだ。僕は大小含め里内に100近い結界を作り拡張しているんだよ。これ以上は増やせない。それにこれは外界からの干渉がないから安定して機能しているけど、魔王様の城では恐らく魔王様の魔力に影響され不安定になる可能性が高い。僕の場合、もし拡張して不安定になると里内全てが不安定になる。それは里長として避ける必要があるならね」
「そうなんだ。じゃあ専用の結界を準備して拡張すれば出来るの?」
「それも難しいかな。まず僕ほど結界を遠距離で発動できる者がいない。出来たとしても、それを維持することも難しい。起点に関しても出入りに使えるように調整も必要だ」
「……何か方法は?」
「そうだね、無い訳ではない。だが難しい上に時間がかかる。すぐに、とは言えないし出来るかもわからない」
「どぉやるんですかぁ?」
「シィラちゃんとムゥマちゃんが扱い方を覚えれば良い。それなら出来るかもしれない」
二人とも遠距離で結界は発動できない。だから里と魔王城に起点を作成し、両側から繋ぐ。それが里長の回答であった。
「でも二つの結界は鑑賞したら片方消えるんだよね?」
「そこが一番難しい。だから二人で一つの結界を作る必要がある。幸い二人はまだ結界を作れないだろう? だから初めから二人で発動する結界を覚えれば良い。それが出来れば里から魔王様の城へ空間を拡張できるよ」
「……可能なのか」
「不可能ではないよ。ただ言った通り難しいし時間がかかる。時間をかけても出来るかは試さないとわからない。僕としては時間をかけてやる必要はなきと思うね」
「……わかりました。ありがとううございます」
「僕は可愛い娘に講釈しただけだよ。君に例を言われる覚えは無いね」
「ごめんなさいね、この人は昔っから子供っぽくて」
いささかギクシャクした昼食を終え里長は執務室へ、エルニアとシィラは部屋の奥へと戻っていった。ケルザとムゥマは予定通り里を散歩するために手を繋ぐ。家を出た所でケルザは足を止めた。
「……やはり里内で手をつなぐ必要はないんじゃないか?」
「何か言いましたか? では行きましょう」
ケルザの言葉を聞き流したムゥマは引き摺るように里へと歩き出した。
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