第17話:帰郷と療養2

「はぁ、元々騎士団に所属していたんですねぇ」

とつとつと話すケルザに相打ちや、時折気になった事を質問し気がつけば日も暮れかけていた。自分の知らない世界、経験、人との繋がり。そして勇者としての在り方、勇者を支える仲間達。まるで童話を読んだ時のような非現実感と高揚、期待。元勇者から聞かされる体験談は結末こそ知れど過程は全て初耳であった。──きっと彼の事だ、黙っている事はあっても嘘はないのだろう。そう思える程度の信頼をシィラはケルザに抱いていた。

「過ぎた事だ、俺は魔王の従者でしかない」

「えぇっと、たしかぁ……。前に勇者の仲間と戦えるかとか言ってましたよねぇ。今のお話に出てきたバルトさんとぉ、ユーリさんとぉ、フィーレさんとぉ。えぇっとぉ」

「デリダだな」

「そうそう、デリダさんでぇす。その人達と戦うんですかぁ?」

「……かもしれん。一度追い返した話はしたが、その時はバルトと戦闘している」

「追い返したって事はせんぱいの方が強いんですよねぇ?」

「いや、あれは魔王の魔力があったからだ。それを抜けば俺と同等以上、前回のは負けていたと言っても過言ではない」

「えぇ? そんな人と戦いたくないんですけどぉ」

「不要に戦うつもりはないが向こうにも動機がある。俺達も自分達から攻める事はなくとも魔王が狙われるなら応戦する。話し合いで済ませたいが無理だろう」

「んー、やっぱりわかりませんねぇ。何でそこまでして魔王様の元にいるんですかぁ? だって魔王様に頼んでまで仲間の方を助けたんですよねぇ、それなのに仲間の方とは命のやり取りをするんですかぁ? それって本末転倒ではぁ?」

「……言わないでくれ。わかってはいるが今はこれしか生き方が思いつかないんだ。魔王は俺の、勇者としての最後の願いを聞き入れた。その価値は例え昔の仲間と戦う事になっても対価として釣り合わない。それに戦うという事は相手が生きている事に他ならないからな。俺はそれだけで報われたと思っている」

どこか普段より柔らかい声音にシィラは少しだけ唇を尖らせたが、ケルザの吐露に溜飲を下げる。これはきっと彼も気づいていない無意識な対応。今までの彼であれば、ここまで心情を口にすることも無く会話を切られてもおかしくはない。それに気づいたシィラは存外自分の事を信用しているのだと思い、内心で少しだけ嬉んでいた。

「そうですかぁ。まぁせんぱいが良いのであれば私から言う事はありませんねぇ」

「……少し話つかれたな」

「うふ、でもお陰様でせんぱいの事を少し知る事ができましたぁ。これでもし寂しくなったり昔のお話がしたくなった時は私に話せますねぇ。世間話であれば喜んでお付き合いしますよぅ」

「……あぁ、そうだな。ありがとう」

……熱でもあるんですかぁ? と言いかけてシィラは言葉を飲み込んだ。彼は私達と昔の仲間達とで明らかに対応が違う。この素直な対応が本来の、元々の性分なのだろう。そう思えば自分にだけは昔の仲間と同じ様に接してくれているのは信用、もとい自分の事を前よりも好きになってくれたのだと感じて悪い気はしない。

「どういたしましてぇ。あれぇ? そう言えばせんぱいの本名聞いてませんねぇ」

「さぁな」

これ以上答えてくれるつもりはないらしい。それでも色々な話を聞けたシィラは機嫌もよく、これ以上聞いてケルザが機嫌を損ねてもつまらないと素直に会話を終わらせる。

「それじゃあ、そろそろ包帯を首にかけますねぇ」

思い出したようにシィラは握っていた手を離し、包帯を手に取る。適度な長さを確保すると太ももにのせている腕の下に包帯を通し、腕をケルザの太ももの上に移動させた。包帯の両端を持ち首の後ろにまわして片手で掴み、もう片手でケルザの腕を持ち上げる。丁度いい高さまで持ち上げると首の後ろに回した包帯を軽く縛り微調整し、解けないように固定した。

「はぁい、終わりでぇす」

「あぁ、助かった」

「んふ、私がいないとだめですねぇ、せんぱいはぁ」

満足そうにニコニコと笑うシィらから顔を背けたケルザの目には見慣れた顔の、見慣れない色が目に焼き付いていた。



馬車から降りて幾ばくか。歩みはどんどん森の奥へと進んでいく。

これだけ森の中を歩くのはいつぶりだろうか。それこそ騎士団時代まで遡るのではないか。そんなどこか遠い懐かしさを感じながらケルザはシィラに着いていく。植物が生い茂り、歩く道も柔らかかったり硬かったり。石やら木の根やらが足裏を強く押し返してくる。反面土は柔らかく、その落差が不要に疲労感を与えた。しかしながらシィラは歩き慣れているのか、歩速は常に一定である。深緑に差し込む木漏れ日が木々の葉を透過し、明るい緑が降り注ぐ。その明るさはシィラの瞳を思い出させた。

「懐かしいですねぇ、もうちょっとで着きますよぅ」

「楽しそうだな」

「久しぶりの帰省ですからねぇ」

普段よりも高い声、軽い足取り、揺れる髪。少し前を歩くシィラからは鼻歌が漏れている。

──長閑だ。

不意に手を握られ、引っ張るように横道へとそれる。バランスを崩しつつ横へ一歩踏み込むと一瞬だけ何かが肌をなでた。横目でそれを確かめたシィラは手を離すと何事もなく歩き続ける。手には柔らかい感触が残るが、それを置いていくようにシィラを追った。

「今のは」

「結界でぇす。私達はあんまり他の人達とは会わずに生活したいのでぇ、私達しか見つけられないような魔法で住処を隠しているんですよぅ」

「それで生活ができるのか」

「何とかなりますねぇ。実際、生活で困ることはありませんでしたしぃ」

人間で言う田舎の様なものだろうか。必要な物だけ外へ取りに行き、それ以外は自給自足。いや、今の生活も大差ないか。違いなど精々近くに大きな都市があるか、そういった便利な物を積極的に利用するか程度だろう。

「今更だが余所者の自分が来ていいのか」

「さぁ、どうなんでしょうねぇ? 余所者を招くなんて私がいた間で記憶にありませぇん。とはいえ、私が一緒にいるのは伝わってますし一先ずは問題ないかとぉ」

里長の娘といるのだ、一方的に襲われるとは思いたくない。利き腕が使えないのでは分も悪い。……いや、戦いに来た訳ではないのだから、こんな心配は不要だろう。それでも不安を払拭するように、手は自然と柄を握っていた。

「結界の効果か」

「そうでぇす。たぶん誰か来るかと思いまぁ……早いですねぇ」

何かに気づいたシィラは足を止めた。視線は深い森の奥を捉えている。程なくしてかさかさと風で揺れるざわめきとは違う一定の音が近づいてきた。薄暗い森の奥から現れた人影はシィラを認めると駆け足になり、飛びつく様に抱きついた。

「シィちゃん、おかえりー!!」

「ムゥちゃん、ただいまぁ」

抱きつかれたシィラも笑いながら柔らかく腕を回す。言葉が出ないのか語彙が無いのか意味のない言葉だけで会話をする二人は、それでも意思の疎通はできているらしく黄色い声が森に響た。一頻り再会を楽しんだ二人は抱き合うのをやめるとケルザに目を向ける。

「この人は?」

「せんぱいでぇす。私が魔王様の元に着いた時にはもう魔王様に仕えてましたぁ」

「そうなんだね。はじめまして、ムゥメルムゥマです。せんぱいさん、シィちゃんがお世話になっています」

「先輩と言う名前ではない」

「そうなんですか?」

「せんぱいですよぅ。さぁさ、ムゥちゃん。案内をお願いしまぁす」

「はーい。それじゃあ二人共、里までもう少し歩くよー」

先陣を切って歩くムゥメルムゥマと名乗ったエルフの横にシィラが並び、世間話を始める。その二人の後を追うケルザは漠然とシィラの横のエルフを眺めていた。シィラよりも色の薄い亜麻色の髪、肩口で切り揃えられているが毛先は緩く外にはねている。ふんわりとした髪の癖はシィラの髪と同じ様に見えた。身長はややシィラよりも低くいが、何気ない立ち振る舞いの節々や落ち着いた声音からは大人びた印象を受ける。後ろを歩く自分に気を配ってかシィラとは会話をしつつ振り返り、意図せずに目があった。青味がかった瞳を細め微笑むと小さく会釈した後に前へ向き直り、何事もなく歩き続ける。

「里に入るの相変わらず面倒ですねぇ」

「ほんとね、ここまでしなくても誰も来ないよね」

「来ませんねぇ」

「シィちゃん、いつまでいるの?」

「んー、滞在するのは4日程度でしょうかぁ?」

「えー、短いよ。もっといよーよ」

「あんまり長いと魔王様が困っちゃいますのでぇ」

「そっかぁ、残念。魔王様はどんな方なの?」

「そうですねぇ──」

案内をする彼女は淀みなく森の奥へと進み、時折なんの目印もない場所で横へ曲がる。シィラも道程を把握していないらしく、彼女の案内に追従していた。これも結界の効果なのか、案内役が居なければ辿り着けないエルフの隠れ里。自他ともに排他的と言うだけあり、簡単には着かないらしい。

「せんぱいさん」

足を止めた彼女が体をこちらに向ける。

「ごめんなさい、少しだけここで待ってもらえますか?」

「私とムゥちゃんで先に帰ってお父様達にお客様を連れてきた報告をしてきまぁす」

「……確か里長だったな」

「はぁい、その通りでぇす。せんぱいの大好きなお嬢様姉妹ですよぅ」

「魔王様の従者ですし、シィちゃんが連れてきた方なので問題はないとは思いますが、その、何と言いますか……」

「お父様はちょっと面倒くさい性格なのでぇ、一旦私達で説得してきまぁす」

それでは、と会釈した案内役とシィラが一歩踏み出すと二人がその場から消え、ケルザだけが森に取り残された。

「……凄いな」

魔法に対しては浅学だが、二人が消えたのも恐らくは結界の効果なのだろう。自分が知らない魔法を見ると目を見張るものがある。1つ目の結界は人払い、この結界は隠蔽だろうか。二重の結界で覆われる里に攻め込むのは容易ではない。ここまでくれば他にも外からの魔力感知を遮断する効果もあるかもしれない。エルフというのはとことん引きこもり気質らしい。そんな里に自分が入って大丈夫なのだろうか。一抹の不安を抱えながら二人の消えた場所を見てるとシィラの言葉を思い出した。

「お嬢様姉妹……?」

案内役であったエルフはシィラの親族であった。


二人に取り残されたケルザは木の幹に背を預け、柔らかい土の上に腰を下ろした。ちらつく木洩れ日の中で目に優しい深緑を眺め、息を吐く。完全に一人になるのはいつぶりか。青臭くもひんやりとした新鮮な空気が肺を満たし、鳥の鳴き声が心を落ち着かせる。一人は気楽で良い。余計な警戒をする必要がなく、意識が森に溶けていく。かさかさと擦れる葉の音が子守唄の様に眠気を誘い、瞼が重くなってきた。いつの間にか胡座をかいた足の上に小動物が乗っており、チチと小さく鳴いていた。

「せんぱぁい、起きてますかぁ?」

「……あぁ」

足音を聞き逃していた。こちらへと戻ってきたシィラが屈み、ケルザの顔を覗き込んでいた。緩んだ意識を締めるように一つ深呼吸をすると立ち上がり、土を払う。

「問題ないのか」

「えぇと、まぁ、無いといいますかぁ……。無くしたといいますかぁ」

困った表情を浮かべるシィラの横に案内役がいない。

「彼女は」

「ムゥちゃんは中にいまぁす」

シィラは立ち上がり、ケルザの手を握ると迷う事なく結界に踏み込んだ。深い森の奥を見据え、ケルザも足を踏み出す。肌を撫でる違和感をくぐった先、そこにはエルフの里が広がっていた。


唐突な景色の変化にケルザは目眩を覚えた。現実を目の当たりにしつつも頭が理解を拒む。結界とはこの様な事が出来るのか、魔法とはここまで人智を超えるものなのか。現状の処理を最優先にした脳は足を動かすことを忘れ、手を握っていたシィラも足を止める。

「どうされましたぁ?」

「……驚いた。これを見ては自分が扱える魔法など得手不得手と呼べるものでは無い。児戯に等しい」

「せんぱいにしては珍しいですねぇ、そんなにへりくだるなんてぇ。お疲れですかぁ?」

「気疲れはあるな」

「気に病まないでくださいねぇ、一口に魔法と言っても私達のものと人間が扱うものは別物ですのでぇ。綺麗なお花だと思っても色んな種類があるじゃないですかぁ、魔法も同じ感じですよぅ」

珍しく素直なケルザに、シィラは得意げに微笑むと手を引いて歩き出した。

「手を離せ」

「だめでぇす、また結界があったら繋ぎ直さなきゃいけないんですよぅ?」

「里の中にまで結界は張らないだろう」

「どうでしょうねぇ、わかりませぇん」

楽しそうに誤魔化すと再度手を引き歩く様に促した。諦めたケルザは黙って歩くが居心地が悪い。目的地に着くまでの道中、様々な住人から声をかけられてはシィラが足を止め応対する。わかったのは、シィラが住人達から嫌われてはいないという事であった。ようやく到着したシィラの実家。里長の家ではあるが周囲の家と比べて大きい訳ではなく、華美な訳でもない。他の家も同様ではあるが、質素の様で作りは確かに見えた。だが、どことなく妙な雰囲気を感じる家であった。

「戻りましたぁ」

ケルザの手を離すことなく扉をくぐった瞬間、何度も感じた違和感が肌を撫でる。視界の先は、外から見た家よりも明らかに大きな空間が構築されていた。

「おかえり、シィちゃん」

「お帰りなさい、シィラ」

「はぁい。お帰りましたぁ、お母様ぁ」

出迎えてくれたのは先程の案内人と、人間で言えば30代半ばに見える女性であった。髪の毛質は遺伝の様で、シィラと案内人と同じく柔らかい癖っ毛が柔和な雰囲気を醸し出している。落ち着いた声音はケルザの耳に心地いい音であったが、同時に何故シィラのような甘ったるい声の娘が出来上がったのかと言う疑問が湧き上がってしまう。

「お母様ぁ、この人がせんぱいでぇす」

「初めまして、エルニアと申します。娘がお世話になっております。何かご面倒をかけてはいませんか?」

深く頭を下げた母親とは対象的に、頭こそ下げないが最低限の礼儀としてケルザも名を名乗り話題をごまかしつつ足りない人物を目だけで探す。

「……初めまして、ケルザです。彼女には主に魔王様の身の回りの世話を行ってもらっています。里長はどちらに」

「あの人には一先ず下がってもらいました。ところで……」

母親の落とした視線の先、言わんとする事はわかるがケルザは視線を外して黙る。にこにこと微笑むシィラは言外に何かを訴えている様な素振りを見せていた。

「母様、話は先程伝えましたよね。シィちゃんは帰省だけど、せんぱいさんは療養が目的です。一度怪我の様子を見てみては?」

「そうだったわね。それではケルザさん、腕の怪我を見せてください」

「せんぱぁい、包帯をときますので一度腕を支えてくださいねぇ」

促されるまま自分で腕を支えたのを確認したシィラは、首の包帯を外して腕の包帯を解いた。ちょっとした振動が僅かに傷を刺激する。折れた骨の周囲が薄く赤色を帯びている。傷跡を目視した後に軽く指で触れてはケルザの様子を確認し、症状を把握するとシィラに包帯を巻き直すように指示を出した。

「綺麗に折れていますね。どうにも無理な負荷がかかって折れたと言うよりは骨だけを切断したような傷ですが、どのような経緯で?」

「はぁい、簡単に言うともう一人の従者が魔王様に仕えても問題ない能力があるか確かめた結果でぇす」

「はぁ……。野蛮な事は好きではありませんが、魔王様の元に居るのであれば仕方のない事かもしれませんね」

呆れた様に溜息をつくと頭を横に振る。軽く結われた髪は肩越しに胸元に置かれており揺れる事は無い。

「さて、どうしましょうか。治すだけなら問題ありませんが治すにしても色々と方法があります。怪我の状態もさることながら怪我をしている方の精神的な問題もあり、それによって最適な療法も変わります。ケルザさん、その怪我はゆっくりと治癒で問題ありませんか? 自然治癒の方が生物本来の能力を使う為、不要な負荷はかかりません」

「可能な限り早い方が助かります」

「であれば、怪我の状態よりも貴方の精神的な問題を先に解決すべきです。事情は知りませんが、どうにも貴方は他人に対して警戒心が強く見受けられます。もし私が治療するにせよ、最善の効果は出せないでしょう」

「簡単に解決できるとは思いませんが、その精神的な問題を解決した方が早く治癒ができると?」

「えぇ、その通りです。幸い、この里に敵はいません。そして自然が豊かです。いつまで滞在するかは貴方次第になります。早く治癒したいのであれば自然に触れ、里の者に触れ、警戒心を緩めてください。今の貴方でも大人しく治癒には応じるでしょうが、治癒する者を信用しないでしょう。それでは意味がありません。シィラ、ケルザさんを連れて里を案内してあげてください」

「はぁい、わかりましたぁ」

「戻ったら話があります。それと一つ、良くある誤解だけは解いておきます。私達が閉塞的な環境で生活しているのは別に他の種族が嫌いだからや関わりたくなくて遠ざけている訳でもありません。その辺りが理解出来るようになるまで里の者と交流を深めてみてください。それでは、私は里長と話があるので、ここで失礼します」

小さく頭を下げた母親は家の奥へと行ってしまった。母親がいなくなったからか、ムゥマはニヤニヤとしながら下げた視線をシィラに向ける。

「シィちゃんの邪魔したら悪い?」

「邪魔ってなんですかぁ? 一緒に里の案内しますぅ?」

「いいの? せんぱいさんに悪くない?」

「悪くありませんよぅ、そもそもせんぱいはそんな事考えつきすらしませんからぁ」

「じゃあ一緒に行く。私もせんぱいさんと話したい」

「では行きましょう、お嬢様姉妹に案内されて先輩も喜んでまぁす」

「あは、喜んでるんだ。わかんなーい」

「せんぱいはいっつもゴミまみれの世界で生きてるようですからねぇ。この里で療養して綺麗な目になっても気持ち悪いんですけどぉ」

本人を前にこれだけ堂々と言えるのはいっそ清々しさを感じるが、だからと言って失礼な事に変わりはない。文句を言おうと口を開くが声を出すより早く手を引かれ、里の中へと連れ出された。


方方で声をかけられては飽きもせずに立ち止まっては談笑を繰り返す。行きと違うのは談笑の合間合間でケルザに話を振り、住民と会話させるようにしている事だった。一通り見回った頃、ケルザは深く息を吐く。

「シィラ、終わりか」

「はぁい、里の中は一通り終わりでぇす」

「少し疲れたな」

「私はお母様に呼ばれていますので戻りますねぇ。せんぱいはもっと里の中を見回ってくださぁい」

「玄関に結界があっただろう」

「ムゥちゃんがいるので大丈夫ですよぅ、そんなに私と離れたくないんですかぁ?」

「せんぱいさんはお嬢様が大好きなんですよね? 私で我慢してくださいね」

「では、ムゥちゃんお願いしますねぇ」

ケルザの手を差し出すと、抵抗なくムゥマが受け取った。

「うん、わかったよ。もう少し見て回ったら帰るね」

また後程と小さく手を振るとシィラは来た道を戻っていく。少しだけ見送るとムゥマは一度握った手を見た後にケルザを見上げた。

「里は見回りましたし、結界を出ない範囲で里の外を見ましょう」

「いや……、無理には」

「シィちゃんには黙って着いてってましたよね? ほら、行きましょう。母様も自然に触れる様に言っていました、案内します」

丁寧な口調ながら有無を言わせずムゥマは歩き始めた。話を聞かないのも血筋だろうか。手を引かれるまま、ケルザはムゥマに従い里の外へと歩いていく。

「あぁ、せんぱいさん。そう言えばシィちゃんのこと名前で呼んでましたよね? 私の事はムゥマと呼んでくださいね」

「……わかった」

「はい、お願いします」

小気味良い返事をするムゥマは果たしてシィラの姉か妹か。シィラが居なくなると初対面と二人きり。それも意味も分からずに手を繋がれたままである。居心地の悪さを誤魔化すようにケルザはどうでもいい事を口にした。

「姉妹だったな。君はどっちだ」

「ムゥメルムゥマですよ。もう忘れましたか?」

人のおちょくり方はシィラよりは手心がある。

「……ムゥマは姉と妹、どっちなんだ」

「どちらに見えますか?」

「シィラより大人びて見えるな」

「シィちゃんは子供っぽいですからね。悪い子ではないんですが」

「……そうだな」

森の奥まで来ると違和感が肌を撫でた。

「結界を出ない範囲じゃないのか」

「あぁ、すみません。語弊のある言い方でしたね。里の中には複数の結界があるので、その中で一番外。せんぱいさんに待ってもらった結界の外までは出ないという意味です」

「何故、複数も結界が必要なんだ」

「え? 便利だからですよ?」

「便利? 外敵から身を守る為に張っているんじゃないのか」

「外のはそうですね、中は違いますけど」

「どういう事だ?」

「えぇっとですね──」

ムゥマから聞いた結界の話は大別すると以下となる。

一つ、出入りの制限。これに関しては外界を隔てるか内界を隔てるかの違いであるが、立ち入ると危険な場所などに設けられる。

一つ、出入りを制限する結界の管理は里長の仕事であり、この能力の有無で次期里長が選出される。余談ではあるが、現在は結界の管理を里長、里の運営は母親が分担している。

最後に空間の拡張である。これがムゥマの言う便利であった。外界から里の敷地内に入った時、森の中に突然目の前に里が現れた。だが本来は里のある森は広くないらしい。今回はシィラに付いて回って辿り着いたが森の中には極弱い結界がいくつもあり、森の中を転移させられていた。そのせいで森が広いと勘違いしていたが、そこから里の敷地に踏み込んだことで更に森が広い物だと錯覚した。しかし話を聞くとエルフの里は各地の里を結界を用いて繋ぎ、一つの大きな里を構成している。その為、どこから出るかで結界から出た際の場所も変わるのだとか。

「見た目以上に家の中身が広かったのも結界か」

「はい、そうです。ただ空間を拡張する結界は普通の結界と違って下準備も必要なんですが」

一度立ち止まると周囲を見渡し、ムゥマは方向を確認すると向きを変えケルザを引っ張って歩く。慣れた違和感が肌を撫でるとまた景色が変わった。

「ここは……」

結界を超えた途端、今まで聞こえていなかった音が鼓膜を叩き冷たい空気が空間を包んでいる。それは水辺特有の清涼な空気、森の中に現れたのは小さな滝と続く小川。今までとは違い低い木が生い茂り、煌めく小川では川魚が時折跳ねていた。川辺まで歩み寄り、ムゥマはケルザの手を離す。その手を小川に浸すと、改めてケルザの手を掴み、そのまま小川の中に手を入れた。

「気持ちいいですね」

「……あぁ、冷たいな」

ムゥマの温かい手に包まれつつ、流れる水に冷やされる手が心地よい。その冷たさに意識を置くと、僅かばかり呼気に熱を感じた。気づかない内に火照っていた体を冷やす様に、水辺の冷気を肺に取り込んでいく。

「ムゥマも空間を拡張する結界を使えるのか」

「使うというよりは維持は出来るって感じです。自分で準備したり張ったりはできません」

「難しいのか」

「適正の話ですね。魔法は万能ではありませんし、本来は万人に使えるものでもありません。その点に関してはほぼ万人向けに発展している人間の魔法はすごいと思います」

「シィラは障壁と魅了が使えたな。ムゥマは何が使えるんだ」

「あ、せんぱいさんはシィちゃんが使える魔法知っているんですね。私は植物を扱う魔法が使えますよ」

ほら、と言って視線を足元に落とすムゥマに倣いケルザも足元を見る。地面が小さく盛り上がると植物の芽が現れた。その芽はゆっくりと、だが止まることはなく成長し蕾をつけると小さな桃色の花を開花させた。

「こんな感じですね。普段はあまりやりませんがお花の成長を促進させました。お二人が来た時にすぐに迎えられたのは、この植物を使って森に入った人を感知していたからです」

「そんな事もできるのか」

「昔のエルフはみんな出来たみたいですよ? 今は結界の方が発展したせいか適正を持つ子が減ったみたいで。まぁ、名残みたいなものですね」

「植物で人を拘束したりはできるのか」

「基本的には無理かと。私に出来るのはあくまで植物を利用するだけで、その植物が持つ能力以上のことはできません。やろうと思えば木を操作して拘束できるかもしれませんがあくまでも木です。刃物で切れるでしょうし燃やされては対抗出来ません」

「そうか。自然と共に生きてきたエルフらしい魔法だな」

その言葉を聞いたムゥマは嬉しそうに微笑んだ。あとあと、と何かを伝えようとした後に言葉を考える子供の様な行動をしては自分の扱う魔法について教えてくれた。

特筆すべきはムゥマの持つ魔力の質だろうか。本来植物は根から栄養を取り光合成をする事で成長する。しかし、ムゥマの魔力はそれらを補い魔力だけで植物を成長させることが出来るらしい。それは非常に少ない魔力で行え、ほとんど魔力を消費するものではない。自分とシィラを感知するのに使っていた魔法も菌糸類の植物に魔力を通すことで広範囲に対しての感知を可能にしているものだと教えてくれた。その中で最も自分の魔力の便利な点は、採取した野菜の鮮度が常に保つことができ美味しい状態を維持できる事だと楽しそうに言う。

「どうせならお魚とかお肉とか、全部に使えると嬉しいのになぁ」

「そうだな。全てに使えるなら便利だ」

「なかなかそうもいかないみたいです。残念だなぁ」

「他には何か出来るのか?」

「出来るという訳ではありませんけど、私の魔力は植物全般に適応して、植生に関係なく環境に適応させることも出来るみたいです。それもあって色んな場所の植物を採取しては育てて鑑賞するのが好きなんです」

「環境に適応?」

「はい。例えば寒い地域や暑い地域でしか育たない植物も、私の魔力で育てればこの里で育てる事ができます。なので本来同じ場所にいないはずの植物同士を一緒に育てることが出来るんです」

「面白いな」

「そう思いますよね? 家に帰ったら私の部屋に行きましょう。せんぱいさんに私の秘蔵の植物園を見せてあげますからね」

ひとしきり話せて満足した様でムゥマはふぅと息を吐くと静かになった。賑やかな声が収まり、初めてここに足を踏み入れた時の自然の音が湧き出してくる。常に音がなっているが煩いと感じない環境音。鳥のさえずりも、小川のせせらぎも、滝から落ちる水の音も、全てが自然の中にいる事を自覚させ、結界の中に居ることも相まって外敵のいない安心感から警戒心が緩んでいくのが感じられた。

「暖かいですね」

「あぁ」

「冷たいですね」

「あぁ」

ぼぅっと呆けても答えられる何でもない会話が、今のケルザには懐かしく気安い会話であった。

「そろそろ戻りますか?」

「……もう少し」

「あは、せんぱいさん。そんなに私と手を繋いでいたいんですか?」

あぁ、やはりシィラの姉妹なのだ。結局姉か妹かはわからなかったが、それでも十二分にシィラと同じ血筋なのが理解でき小さく笑ってしまった。

見上げた空は青い。ゆっくりと流れる雲は忘れかけた時間の変化を感じさせた。魔王の生活が落ち着いた後、こう言った長閑な環境で生活するのも悪くない。もう少し光合成をしたら戻ろうか。それまでは……、暖かさと冷たさに意識を傾け休むとしよう。

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