3章

第16話:帰郷と療養1 シィラ編


「魔王さまぁ、少しばかりのお暇を頂戴したいのですがぁ」

陽光の差し込む魔王の間。いつもの様に椅子に腰を落ち着け肘掛けにしなだれかかる魔王の膝下で、魔王を見上げるシィラは柔らかい笑みを浮かべている。不思議そうな声を上げた魔王はシィラの頭を撫でた。

「私が寝ている間に好きにすれば良いではないか」

「それはそうなんですがぁ、もしかすると少し時間がかかるかもしれないのでぇ」

「そうなのか?」

「はいぃ、一度実家に帰ろうかと思いましてぇ」

「ほぅ、帰省とな」

「はぁい。行きと帰りにも時間がかかるので、もしかすると次に魔王さまが起きる時に間に合わないかもと思いましてぇ」

あいも変わらず間延びした声は甘ったるい。媚を売るような通常運行で魔王にお伺いを立てるが、その声音を気にする事なく魔王は快諾した。

「あいわかった。ゆっくり帰るといい。だが、早めに帰ってくれよ? 私の身の回りの世話はお主の仕事だ」

「はぁい、わかりましたぁ。それともう一つお願いがありまぁす」

「ふむ、申してみよ」

「せんぱいを護衛としてお借りしたいなと思いましてぇ」

「行く必要がない」

「そうさな、今はベルジがいる。ケルザ、お主も常に城の事を気にかけまともに休むことも無かったであろう。良い機会だ、暇をやろう」

「充分に休めている。行く理由がない」

取り付く島もないケルザを見上げ、シィラはニヤニヤと笑いながら口元に手を運ぶ。

「そうですかぁ? そんな片腕が使えない状態で何時までもいるおつもりでぇ? 私の里なら人間よりも治癒に長けた方もいらっしゃいますしぃ、単純な自然治癒より圧倒的に早く完治できますよぅ?」

「合理的ですな。シィラ殿の提案を断る理由がない。何よりシィラ殿は戦闘には不向き。共に魔王様の臣下である我らが同胞を守ることは何らおかしい事ではない」

「まったく、かよわいシィラが里に帰るというのだ。自ら護衛をかって出る位の甲斐性は欲しいものだ。なぁ、シィラ?」

甘ったるい声で同意したシィラは勝ち誇ったような顔でケルザを見上げていた。何がかよわいだ。こいつであれば基本的に襲った所で無傷なのは間違いない。異性であれば特化した魔法すら使用して戦闘にならず、恐らく自分と戦闘した時には使わなかった魔法もあるだろう。魔王が隔絶した存在なのは身を持ってわかっているが、だからこそ魔王の言うかよわいは尺度が違いすぎて参考にならなかった。

「して、いつ出立するのだ?」

「次に魔王様が眠ってしまった後にしようかとぉ」

「明後日だな。ケルザ、準備しておけよ?」

「わかりましたぁ」

「不要だ、勝手に返事をするな」

「まったく、シィラ殿の心労お察しします。人間、片腕の使えない貴様など価値を語るに値しない。シィラ殿の気遣い、申し出を断るなど愚の骨頂。本来の価値を持たない貴様はここにいる価値がない事を自覚しろ」

敵意も嫌悪も優しさも、何一つ感情のない淡々とした言葉をベルジは発する。意趣返しとも取れる言葉にケルザは言葉を飲み込んだ。ここにいる為に価値を示せと言っているのは自分なのだ。その自分が片腕を使えないなど確かに価値はない。短く息を吐いたケルザは重い息と共に渋々口を開く。

「……わかった、同行しよう」

その言葉に一番驚いていたのは魔王であった。

「なんと、こやつが素直に従うなんて事があろうとは」

「んふふ、せんぱいもなんだかんだ言ってベルジさんを信用しているんですよぅ。そうでもなければ屁理屈こねてでも行きませんからねぇ、お子様ですしぃ」

「ははは、シィラ殿。せめて私が信用に足ると思える相手でなければ、信用されても不快なだけですよ」

「くつくつ、そう言うな。からかい過ぎてへそを曲げられてはかなわんからな。ただの暇も嫌なようだからな、私からも厳命しよう。シィラは私の大事な身の回り世話係だ、換えはおらん。髪の毛一本ほどの怪我も認めん、無傷で連れて戻れ。そしてお主もしっかりと傷を癒せ、治るまでお主には暇をやろう。文句があればさっさと治すのだな」

まるでいたずらを楽しんでいるような小生意気な笑顔を浮かべた魔王に言葉を返す気力すら無くしたケルザは短く返事を返し、多少なりとも荷物が必要かと考え街へとシィラを連れ携帯できる物入れを買いに出かけた。


二日後当初の予定通りに魔王は眠りについた。

それに合わせ街から馬車を手配しシィラの里へと向かう事とする。上機嫌に鼻歌を歌うシィラはケルザの向かいに座り、馬車に揺られながら瞼を閉じていた。開かれた小窓から流れ込むささやかな風と心地よい揺れは彼女の髪を揺らめかせ、傍らには先日購入した紙とも木材とも取れそうな材質で編み込まれた開閉式の篭を携えている。心地よい揺れも怪我には悪く傷に響くが、風に運ばれる柔らかい緑の匂いが痛みを和らげているような気がした。なんの気無しにシィラを見ていたが、彼女は一度瞼を開きそれに気づくと微笑んだ後に再度瞼を閉じた。

彼女は元来話好きらしく、普段から魔王と世間話を楽しんでいる。それは魔王の元に来た日から変わることなく、日常の景色となっていた。魔王の配下の役割は誰であれ、大前提は魔王の警護である。その点を踏まえれば彼女が得意とする防護魔法は最善の能力であると言えた。


──シィラ・シャルトナーク・ベリド。

大別すれば人間ではないという点で魔族ではあるが容姿や言語・知識水準等、生物としては人間寄りという事から人間種として分類されているエルフである。エルフ自体は人間に対して敵対的ではないと言われているが、それは人間に興味がなくそもそも関わらない事から評されているだけで根本的には排他的な種族らしい。魔王が人間を滅ぼしかけた数百年前、魔王配下の一種族として数えられており、魔王から下賜された扇を今も保管しているという。魔王が封印されてからも種族としての立ち位置は魔王の配下らしく、魔王が目覚めた事を扇に残る魔力の残滓から察し、シィラを魔王の元へと送り出した。

シィラの主な役割は魔王の身の回りの世話である。シィラが来るまでは自分にやらせようとしていた事から魔王は自身に無頓着で怠惰な性格なのは知っていた。今では用事がない時間以外四六時中魔王につきっきりではあるがシィラは満更でもなく、自分の話を聞いてくれる事や不要に遠ざける事もない魔王に安心感を覚え居心地がいいと言っていた事を思い出した。魔王の身だしなみや衣類の管理、入浴等生活において全てを補佐していると言っても過言ではなく、世話好きが高じてか気がつけば炊事洗濯等も彼女は請け負っていた。以前彼女は自分は何も出来ないと吐露していた事を鑑みれば、誰かの為にする行動は彼女にとって大切な自分を認める行為なのかもしれない。

シィラが来てからそれなりに日も経ち、実際に関わる時間を考えれば既に魔王と接している時間を超えているだろう。だが、魔王と比べて距離を置いているのも確かだ。シィラの人あたりの良さを考えれば不思議でもあったが、それは性分なのだろう。魔王の身の回りの世話という自分が受け持たない業務を担当するシィラを考えれば、彼女を受け入れたのは合理的で限りなく正解と思える行動であったと今だからこそ判断もできた。こうした何かをする必要がない時間があると、普段は考えない事が脳裏をよぎるのも人間の性だろう。ぼんやりとそんな事を考えていたケルザだが、心地よい揺れには勝てずうつらうつらと船をこぎ始めたが抵抗せずに意識を微睡みの中へと溶かしていった。


瞼を持ち上げた時、見慣れた方が、見慣れない程無防備に瞼を閉じていた。馬車に合わせて揺れる短い黒髪、腕が痛むのか僅かに顰める眉。横の小さな携帯用物入れには数日分の衣類しか入っていないのだろう。らしいと言えばらしいが、もう少し洒落っ気があっても良いのではとは思いつつ、それはそれでこの方らしくない。なんの気無しに小窓から空を見ると青空に白い雲が映えている。里でしか生きてこなかった自分が、里を出てどれだけ経ったのか。今の生活に不満があるわけではないが、それでも帰るとなるとどことなく楽しい気分になる。里で育った時間より遥かに短い魔王様の元での生活。それでも今から里へ考える事を思えば、振り返れば長くも感じられる新生活であった。

改めて正面の見慣れつつも見慣れない方に視線を移す。

この方にとっては魔王様の厳命はあって無いようなものなのだろう。自分がどういう役割で私と里帰りしているのか理解していないきらいすら感じるが、それはそれでらしいと言う一言に帰着する。こんな可愛らしい私と二人旅をするのだ。もう少し浮足立っても良くないだろうか、そうでも無いとからかいようもない。久しぶりの帰省の彩りをやや欠けさせる方ではあるが、まだ二人旅は始まったばかりである。これから彼は私の里へ行くのだ。私の里はそれこそ私の独擅場。口裏を合わせるのもお手の物、幾らでもおもちゃにできる機会もあるだろう。なれば、始まりはこの位にゆっくりな立ち上がりでも悪はくない。

この方の役割は魔王様の護衛と城の営繕、運営、街の人との折衝など多岐にわたる。そして魔王様がお休みのときに限っては私の従者なのだ。彼はその自覚がないのか、今回が私の従者として初めての仕事となる。彼は魔王様の元に帰るまでは私の護衛なのだ。とは言え、何も彼に身の回りの世話をさせたいわけではない。ただ、普段と違って私に意識を置いて行動して欲しいだけなのだ。それが生まれながらにちやほや慣れした自分にとって当たり前な要求なだけであり、他意はない。それでもやはり慣れた扱いとは違うぞんざいさにはやきもきするのも確か。この距離感は新鮮で良くも悪くも嫌いではない距離感であった。然しながら欲を言えば、私が優越感と安心感を得る為にもっと甘やかして大事に扱うべきだとは……否、訂正しよう。この方は自身の身分を言わずに私から自分たちの情報を引き出そうとする危険人物なのだ。一時の甘さを演じて私を騙すことなど、必要であれば躊躇わないのだろう。それを考えるとらしさもあるが、少しだけ……ほんの少しだけ寂しさを感じた。もし私が人間であれば今よりも彼を信用できたのであろうか。


「さぁさぁ、行きますよぅ」

どことなく普段よりも張りのあるシィラの声に、里への郷愁を感じた。今の自分に行く宛などない。名前を捨て、立場を捨て、魔王の元にいるのだ。人類を裏切ったと言っても過言ではない。人間として他人と接する事は、それこそ魔族相手の時だけなのだ。……種族の違いとは何なのだろうか。魔族における人間種、魔王の元にいる人間。元来生物とは社会性を構築して生活する生き物である。幼少期は家族が社会であり、成長して学舎、職場へと社会は拡張されていく。大人になれば職場という年齢や出身の関係ない空間が社会として機能する。しかしそれは人間のみに限った話だ。人間と魔族が隣人として同居する社会は聞いたことが無い。否、魔王の下にあっては種族の違いなど些細な事なのだろう。人間であろうと魔族に組みすれば敵である。魔族でもなく人間社会から外れた自分には、魔王の配下という立場以外、社会性を持った選択肢を見つけられないのが現状であった。

「もしかしてお寝坊さんですかぁ? 馬車では私の護衛をほっぽりだしていっぱい寝てましたよねぇ?」

少し先を歩いていたシィラが、これみよがしに口をとがらせて横に並ぶ。

「良いですかぁ? 魔王様の所に帰るまでは、せんぱいは私の従者何ですからねぇ。しっかり魔王様の命令にも従って私を守ってくださいよぉ?」

「従者になった記憶はないが、護衛に関しては善処しよう」

「……本当ですかぁ? 私なら守る必要ないとか考えていませんかぁ?」

自身の肩ほどの高さから睨めつけるシィラに考えを見透かされた事を反省し、取り繕うかと考えたが破棄をする。

「気のせいだろゔ」

「良いですかぁ? 今回の主題は私の帰省ですからねぇ。無傷で帰るなんで当たり前の事でぇす。帰省が終わった後、魔王様に何か言われたくなければ、しっかりと身のふりを考えてくださいねぇ」

不機嫌そうな態度をしつつも、シィラはケルザの袖を掴んで引っ張るように歩き続ける。近場の村で馬車を降りたが、それなりの時間も経つが未だ里にはつかないらしい。

あまりある事ない事言われても生活がしにくいのは確かである。合理性を取ればシィラに従うのが良策に思えるが、そこまでの労力を使いたくないのも確かだ。

「まだ着かないのか?」

「もぅ、わがままですねぇ。合間に一つ人里があるので、そこで一泊しまぁす」

「……そんなに遠かったのか」

「ふふん、考えが甘いですねぇ。エルフの隠れ里ですよぅ。そんな簡単に人間に見つかるような場所にはありませぇん」

得意満面のシィラは袖から腕を抱き寄せるに至り、より強く引っ張り始める。やはり里が恋しいのか、足取りが軽いというか強い。この郷愁感はきっと未来の自分には感じられないものだろうと、漫然と考えていた。


──名もない人里。

今日はここで一泊するらしい。村に一つしかない宿屋兼民家でシイラは手続きを進めていく。案内されたのは安物のベッドが2つ並ぶ一室。魔王のもとでの生活になれてしまった為か、安物と判断した自分に辟易した。騎士団時代と比べれば今の方が贅沢をしているようであずましくない。人間と敵対する立場の自分が、未だ人間時代の生活を骨子とするのはお笑い草ではあるが、やはり簡単に抜けるものではない。その程度には自分は人間なのだろう。……環境が人間を作るのならば、魔族と共に育つ環境があれば人間だろうと魔族なのだろうか。シイラは安物のベッドに腰掛けるとケルザを見上げた。

「せんぱぁい。わかってると思いますけど身分違いの恋愛なんてだめですからねぇ?」

「ここ以外にはないのか」

「ありませんねぇ」

「そうか、野宿でも問題ない」

「おやぁ? 魔王様の命令の無視ですかぁ? ちゃんと主人である私を守ってくれないと困っちゃいますねぇ」

「貴様は主人ではない」

「魔王様に自分が寝てる時は好きにしていいって許可はもらってまぁす。なのでせんぱいがどう思おうと、今は私がご主人様ですよぅ?」

「知った事か」

「あぁ、そうなんですねぇ。無理を言ってすみませんでしたぁ。私みたいな可愛い女の子と一緒に一晩過ごすなんてせんぱいには無理ですよねぇ? 普段から頑張っているせんぱいにはご褒美として添い寝してあげましょうかぁ?」

口元を手で隠したシィラは、伏し目がちに蠱惑的に嗤う。自分を挑発しているのは百も承知だが、それでも尚神経が逆なでされた。自分が短気なのかもしれない、もしかすると無意識でも男としてのプライドがあるのかもしれない。だが魔王の命令がある手前、従わざるを得ない状況である事に違いはない。

「……わかった。ここで寝よう」

「んふ、せんぱいと寝るなんて看病以来ですねぇ。いっぱいお話しましょうねぇ」

「……寝るまでなら」

「少しは素直になったようですねぇ。生意気なせんぱいは卒業ですかぁ?」

言葉にイラつきが隠せなくなってきたのか、無傷な腕が持ち上がりかけたことを見て、シィラは話題を変える。

「夜までどうしますかぁ?」

「好きにすれば良い」

「まだお昼過ぎたばっかりでちょっと時間が余りすぎですよねぇ」

腰掛けたベッドに倒れ込むシィラを尻目に、ケルザも空いているベッドに腰を下ろし、携えた剣を壁に立てかけるとベッドに横になろうとしたが、それを遮りシィラが体を起こした。

「あぁ、そうでした。まずは包帯を変えましょう」

「……すまない」

この一言も信頼の一部なのだろう。シィラは頭の片隅で考えつつ雑に体勢を変えてケルザとは反対側のベッド脇に置いた籠を、無防備にベッドをよじよじして腕を伸ばして開け、包帯を取り出した。無造作に腕をたてて体を支え、膝を立てる。そこからぺたんと座り込み、ケルザに背を向けたまま少しだけ呆けた後に、座った状態で足を動かして方向を修正した。向きをケルザの方に直したシィラは膝を曲げて座っていた態勢から、ベッドに腰掛ける態勢へと変える。

ベッドの上で引きずる様に態勢を変えた為、衣類の裾が体の下に潜り込んでいた。普段は足首まで隠されている白い足が、太ももの中程まで露わになっている。それを気にした風もなくシィラは、自分の隣に座る事を催促した。少しだけ躊躇った後にケルザはシィラの横に座り直す。

「はぁい、それじゃあお手手を拝借しますねぇ」

ゆっくりとした動作で支えとして首に巻いた包帯を解く。丁寧に降ろされた腕を慣れた動作で自身の太ももの上に置き、今度は腕に巻かれた包帯をすべて解いた。痛みは引いてきたが未だに違和感が残る腕に柔らかい感触と熱が伝わる。艶がある肌は触れていると何となくくすぐったい気がしたが誤魔化す様に、腕に視線を落とすシィラを見やった。

伏し目がちな深緑の瞳が柔らかく腕を見下ろしている。包帯を巻き直す動作に合わせて揺れる亜麻色の髪からは仄かに花の香を感じられた。やや膨らんで見える頬からは幼さが見て取れ、年の割には甘やかされて生きてきたのが見て取れる。そんな幼さと自分には何も出来ないという自覚が今の性格を形成したのだろう。自衛手段として発達した処世術は甘えるような猫なで声と、やや神経を逆なでするような性格。しかし付き合ってみれば。何も出来ないという自覚を払拭するように面倒見が良い。魔王の世話が主とはいえ、気がつけば城における家事に分類される仕事は勝手にこなしていた。それに踏まえ、彼女にされる看病は二回目である。一回目は彼女と戦闘後に倒れている自分に対して、二回目は吸血鬼との戦闘後。それを嫌な顔もせず、頼まれもせずに行っている。根本的に彼女はお人好しに分類されるのだろう。エルフは本来排他的と考えれば、里から出たことの無かったシィラは幼い子供のように何でもやってみたいという好奇心も強いのかもしれない。

「せんぱぁい?」

声に呼ばれて漫然と眺めていた視界が改めてシィラを捉えた。

小首を傾げてやや見上げる様な深緑の双眸、頬にかかる一房の亜麻色。細く白い指が頬に触れた。

「そんなに私の足に触れていたいんですかぁ?」

力を入れられない腕を押さえるように、包帯が巻かれ直された腕の上には優しく手が置かれている。

「……すまない」

「いいんですよぅ? 触りたいんですよねぇ?」

「……目と髪は自由に色を変えられるのか?」

「色ですかぁ? 自由って訳ではありませんけどぉ」

首を傾げるのをやめて頭を元の位置に戻すと一度瞼を閉じる。再度瞼を開いた時には薄い紫がかった緑色に変色していた。だが、特に束縛を感じない。

「魔法を発動する必要もないのか?」

「はぁい。何と言いますか普段と違う魔力を使っていると言いますかぁ。せんぱいで言うと魔王様の魔力を使っている感じですかねぇ?」

「確か疲れると言っていたな」

「そうなんですよぅ。あくまでも自分の魔力なのでせんぱいみたいに倒れたりはしませんどねぇ」

「二種類の魔力があるのか?」

「そうですねぇ、たまにいますよぅ? 私の場合は祖先が夢魔と交わってましてぇ。隔世遺伝でしたっけぇ? そんな感じで私にも夢魔の魔力が発現しているみたいですぅ。私はたまたま可愛い女の子なのでぇ、せんぱいみたいな男の人に効果がある魔法も使えるんですよぅ」

「同性には」

「使っても効果は薄いみたいですねぇ」

普段見ることの無い紫の交じる瞳は反射した陽光に透かされ、青みがかった部分を奥に映す。

「髪の色が変わるのも同じ原理か?」

「詳しい原理はわかりませんが込める魔力の量によってですかねぇ。見たいんですかぁ?」

「せっかくだ、見せてくれ」

「……珍しく積極的ですねぇ」

意識を集中させやすいのか、シィラは瞼を閉じた。綺麗に整った長いまつ毛、緩く結ばれた薄桃色の唇。こうもしっかりと彼女を見るのは戦う相手として対峙した時以来に思えた。とは言え、一度は殺されかけた相手を隣に座らせ、目の前にいるにも関わらず瞼を閉じるのは些か無警戒が過ぎるのではないか。静かな呼吸が繰り返され、視界の端で変化に気づいた。以前は気づかなかったが、毛先から色が変わるらしい。亜麻色の髪が一度黒に近く濃い色になった後に紫へと変異する。眺めていると肩より下まで染まった段階で変化は止まった。

「……はぁ。せんぱぁい、疲れましたぁ」

熱のある息が首元にかかった。

「色が抜けるのも時間がかかるのでぇ。この位なら明日の朝には抜けると思いまぁす」

「面白いな。途中でも止められるのか」

無造作に、無意識に空いている手で色の変わった髪を掬い上げる。上はいつもの亜麻色、下は僅かに黒みがかった紫、境目は黒が中間色としてなだらかに色を変えていた。良く見れば毛先の方は色が薄くなっており、先端は半透明な白のようにも見える。

「あのぅ、せんぱぁい……」

「何だ」

「いくら私が可愛い女の子だからって、髪であっても無闇矢鱈に触るのは失礼かとぉ」

声の先を見れば、完全に紫色に染まった瞳が困った様なもどかしそうな表情を浮かべていた。その表情を見て対応に困ったケルザは髪をゆっくりと下ろす。

「……すまない」

「まぁ? せんぱいですしぃ? 女の子には慣れていないでしょうから特別に? 許してあげないこともありませんよぅ?」

若干拗ねたような口調でケルザの触れていた髪束を掬い上げると、くるくると毛先を指で弄ぶ。面倒だなと思いはしたが城から離れているせいか、口が軽い。

「城に来てから大分経ったな」

「そうですねぇ。私も里から出たのが初めてでしたし、新鮮な毎日でしたぁ。せんぱいも生活がかなり変わりましたよねぇ。元勇者様が魔王様の従者ですからねぇ」

「……あぁ、そうだな。……そうだな」

改めて言われれば何だかんだ生きている自分に感慨深さや、過去の記憶に郷愁すら感じてしまう。どこまで行っても自分は人間なのだ。人間の世界で生き、様々な経験をし、色々な人間に会ってきた。それが今の自分を形成しているのは間違いない。そして今生きている環境は育ってきた環境と真逆と言っていい立場である。しかしながら存外悪くないと思っているのも事実だ。種族の違いも環境から来る考えの違いや文化が性格を形成するのであれば、それを踏まえて交渉すれば人間側が魔王側と和解するという事も考えられるのかもしれない。……いや、流石に楽観的すぎる希望的観測に過ぎない。現状、自分が魔王側に属しているからこそ願う人間との和平。自分が勇者だった時にはない思考。立場を理解して割り切っても、やはり人間を敵とは──。

「大丈夫ですかぁ?」

包帯の巻かれた腕の上に置かれていた手は、その手を柔らかく包み、髪を弄っていた手はケルザの首に添えられていた。握られた手と触れられた首に伝わる暖かさからは懐かしさを感じ、少しだけ胸が苦しくなる。そんな自分を覗き込むシィラは寂しそうに見えた。

「……すみません。今思い出しても辛いだけですよね」

「いや……」

「でも、でも……。泣きそうな顔してますよぅ」

「……そんなつもりは」

握る手に力が込められ、少しだけ腕に響いた。

「私は今の生活が好きですよぅ? 魔王様とお話をして笑ってもらって、一緒にせんぱいをからかって、ベルジさんに窘められてぇ。なのに私だけが楽しんで、せんぱいが今の生活に悲しい思いをしているのならそれは嫌です。だめなんです。認めたくありません」

シィラは稀にはっきりとした語尾で話す事がある。普段が間延びした話し方だからか意思の強さを感じられた。だが言葉以上に紫色の真摯な瞳がケルザの意識を捉えて離さない。それは魔法以上に強く不思議な感覚であった。

「ねぇ、せんぱい。せんぱいのお話を聞かせてくださぁい。きっと今のせんぱいは自分の事を理解できる人がいなくて寂しいんだと思いまぁす。だから私に、今のせんぱいじゃなくて昔の、勇者様の頃の話を聞かせてください」

「……トラウマなんだろう」

「せんぱいが思い出して泣きそうな思いするくらいなら、頑張って克服しまぁす。だから、ね? 夜まで時間もありますし聞かせてくださぁい」

「……わかった」

──どこから話そうか。

瞼を閉じて過去に酩酊する。過去に安堵を感じるのは、今の自分を孤独だとどこかで感じているからなのかもしれない。そうであればシィラの言葉も間違ってはいないのだろう。魔王と会敵するまでは孤独を払拭できる仲間がいたが、今はそうもいかない。人間でありながら魔王の従者である元勇者。柵を乗り越えるには、一人では心許ないのだと初めて気付かされた。




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