第15話:再会と邂逅 後編2

──魔法使いの家。通称〝家〟

王都建国時に助力した魔法使いが結成した組織である。

長い年月を経た家は老朽化するたびに補強し、継ぎ接ぎながら拡大した結果迷路の様な構造となっていた。大まかに新人や初級レベルとされる人間は比較的浅い所で研究を行い、数年家にいるか中級程度の人間は中頃。ここの管理を任される、又は教えを説く立場の人間は奥を住処とし引籠もって数年出て来ないことすらザラであった。その中でも家長である魔法使い、家の者からはオババ様と呼ばれる本名不明、年齢不詳、所在不明の人間かどうかすら怪しい存在は何時だって音も気配もなく現れる。

「ユーリや、ユーリ。無駄な事はお止めなさいな」

薄暗い工房の闇の中、ぼんやりと立つ人影はしゃがれた声で楽しそうに口を開く。一瞬だけビクッと体を強張らせたユーリは、溜息を付きながら振り返った。

「……オババ様。勝手に入らないでくださいって毎回言っているんですが」

「さぁて、そうだったかね? 歳のせいか忘れっぽくて困るよ」

──よく言うわ。ユーリは態度に出さず悪態をついた。腰の曲がった彼女は、正面に杖を立て両手を載せて体を支えている。ボロ切れを纏ったような風体で俯き加減の彼女の顔を、無造作に伸びてボサボサな髪が隠してしまう。ここに来て数年、何度彼女とあっただろうか。その度に思うが、やはり顔が見えない。今まで一度たりとも見た事がない。ユーリからしてみれば、家に住み着いている不気味な存在であった。

「何の用ですか?」

「なぁに、ちょっとばかし様子見さ」

言葉とは裏腹に彼女は置き物のように動かない。それでも部屋の中全てを歩き回り物色され、研究の一つ一つを見られているような不快感。しばし間を置くとしゃがれた声が鼓膜を叩く。

「それなりに順調そうだねぇ」

「それはどうも」

「どれ、見せておくれ」

そういった彼女は片手を杖から離すと手の平を上にして、手を伸ばす。ユーリも嫌々ながら彼女の前まで行くと差し出された手に応じて、首に掛けていた水晶を手渡した。オババ様に見せろと言われた場合、暗黙の了解として水晶を渡すことになっていた。これは家に来た初日に渡される物で、使い方は他の住人に教わった。その際にオババ様から見せろと言われた時はこれを出せと最初に教わるのだ。

「……もう20入れてるじゃないか。あんたは?」

「普段使う物を5つですね」

「なんだい、早くお言いよ」

どこにいるかもわからない存在をどう呼べば良いのかと考えて、思考を放棄した。この謎の存在だ。たぶん、誰もいない所に呼びかけても答えてくれるのだろう。ネチネチと何か小言を言っているが無視をしてオババ様の手の上の水晶を見る。それは彼女の手の上で内包する光を様々な色へと変えていった。この水晶はどうやって作るのかわからないが、自身の魔法を記録する事が出来るのだ。上限も不明でオババ様が検めた後、オババ様の采配で容量が魔法10個分増える場合がある。ユーリは一年前に一度容量を増やしてもらい現在20の魔法を保存することが出来ていた。それとは別に自分に魔法を保存する方法も教わっており、それを使用することで詠唱などを破棄して即座に魔法を発動できる。魔法使いにおいて、この自分に魔法を保存できる技術こそ家で学べる初歩であり、最大の利点であった。

「さて、今日はあんたにお使いがあってね」

「お使いですか?」

オババ様から受け取った水晶を首にかけ直す。改めて口には出さなかったが容量が10個分増えていた事には気づいていた。

「あんたはなかなかに賢しいからね。魔法に関しても努力してるのがわかる」

「はぁ」

「もう数年もすれば、あんたも奥へ行って表に出る機会も無くなるだろうて。その前に外を見せたい親心ってやつさね」

「あの、話がわからないんですが」

「歳のせいかねぇ、話が回りくどくなって。数年前から国に頼まれて占いをしていたんだけどね、どうにも近々魔王が復活する可能性が高くてね」

「魔王? 魔王って良く昔話で聞く?」

数百年前に世界を荒らし回って3分の2を魔族の土地とした張本人。お伽噺の存在でしかない魔王が復活すると不詳の存在が口にする。世界の大半を魔族の地とした魔王を封印し、人間が住む土地を取り返したというのが誰もが知るお伽噺。

「そうさね。そこで魔王討伐に際して家から魔法使いを出して欲しいって言われて誰にしようか悩んでいたんだよ」

「嫌です」

「良いかい、まだ時間はあるけどはっきりといつかはわからない。30個分の魔法は保存出来るようにしたけど使うのはあんただ。魔力がなければ魔法も使えない。無駄のないようしっかり整理しておくんだよ」

「嫌です」

「あぁ、なんて我儘な子だい。そんな子に育てた覚えはないよ」

大きなため息をついたオババ様は大げさに頭を振って、まるで自分が悪いかのように振る舞った。確かに多少は世話になっているが、育ててもらった記憶はない。そもここに来てから10回程度しか会ったこともないのだ。はっきり言って他人であり、そんな人に白々しい演技をされても心は動かない。

「はぁ、しょうがない子だね。首を縦に振らないなら、この部屋から追い出そうかね」

その言葉と同時に、ユーリに妙な力がかかった。重力とは違う横向きの斥力。不意にかかる力に数歩たたらを踏んだがどうにか留まった。

「おや、自分から出る気になったのかい? やっぱり若い内は外に行かないとねぇ」

カラカラと乾いた声で笑う彼女に加虐の色が見えた。

ユーリは自身にかかる妙な斥力に抗いつつも、現状の分析をしようとして気づいた。苦虫を潰したような表情になるのを耐えつつ、作り笑顔をオババ様へと向ける。それが精一杯の強がりであった。

「……流石です、オババ様」

「ようやっと気づいたかい。あんたが頑張ってくれたみたいだから使わせてもらったよ。魔法の効果は如何ほどだい?」

「……精進します」

「そうさね、それが良い。魔王討伐の手伝いも良い機会だよ。頑張っておくれ」

満足そうに笑ったオババ様は部屋に溶けるように消えた。

手段はわからないが自分が張ったオババ様退散魔法を乗っ取られ、対象を自分に切り替えられていたのだ。オババ様なら死なないだろうと威力度外視の炸裂魔法を張っていたはずが、効果すらも優しく外に弾き出されるように上書きされていた。

「……完全にお使いのノリじゃない」

もしかするとオババ様は魔王という存在を、その辺にいる害獣程度に捉えてるのではなかろうか。ため息を付きながら首にかけた水晶を手で救い眺める。容量が10個分増えた。恐らく魔王のことを踏まえ容量を増やしたのだろうが、改めて保存している魔法を組み直すとなると時間がかかる。日常生活、補助、攻撃。何をどう配分するか今から考えるのは億劫だと思いつつ、ユーリは乗っ取られた魔法を解除した。



「ええっと、私……ですか?」

「えぇ、貴方にお願いしようと思っています」

早朝の日差しが眩しく穏やかな掃除日和。教会周りの掃除をしていたフィーレに神父が柔和な表情で話しかけてきた。世間話の延長で自分が教会に来た時の話、ここで僧侶となった話、今までの話、これからの話。小首を傾げながらフィーレは何となく神父が自分に話したいことがあるのを察し、聞いてみた。どうにも話す事にも躊躇いがあるように眉をひそめ、歯切れ悪い言葉を幾つかこぼした後に本題を口にした。魔王の討伐に補佐役として帯同しないかと。聞いた時、思考が一瞬止まった。何かの間違いではないのかと。だが、確認すると自分で間違いないらしい。

「……何故私なのでしょうか」

「ええと、まぁ……その。何と言いますか……、何故でしょうねぇ」

困った様に笑う神父から悪意や誤魔化しを感じる事はない。本当に頼みに来た神父すら具体的な理由を持ち合わせていないのだろう。

「あはは、申し訳ない。何となく君が適任かと思いまして」

「適任ですか? 私なんて皆さんのように仕事も出来ませんし、回復魔法も得意な訳でもありません。とてもじゃありませんが私を選ぶ理由が思いつきません」

そんな事は自分が良くわかっている。だからこそ意味がわからない。そんな考えを否定する様に神父は首を横に振る。

「私なんて、と自分を卑下する言葉を使うものではありませんよ。貴女は貴女が思っている以上に皆から信頼されています。真摯さ、実直さ、誠実さ。貴女は自分を飾る事なく、嘘をつく事もない清廉さ。──あぁ、そうですね。国の方からお話を聞いた時に貴女が適任だと思ったのは、貴女がここに来てから今日までの行動が募り、貴女であれば勇者様達の補佐をするに相応しい思える程、私は貴女を信用していたようです」

優しい眼差しは揺らがない。心からそう思っているからこそ神父は朗らかに笑う。

「いきなり言われても困りますよね。もちろん断っていただいても構いません。旅は間違いなく安全ではないでしょう。自分でも貴女を選んだ理由がわからなくて気安く頼んでしまいましたが、私としては娘の様な貴女を危険な目に合わせたい訳でもないのです」

「……少し時間をください。一度考えてみようと思います」

「ありがとうございます。あまり時間もないようでしたが2、3日程度は問題ないと思います。ゆっくり考えてみてください」

小さく頭を下げると神父は去っていった。その去り際を見送りながらフィーレは自分の価値を考える。果たして自分に神父様が言うような信用を持ってもらえる何かがあるのだろうか。例えその何かがあっても勇者一行に自分が混じっては邪魔になるだけではないのだろうか。自分は決して我が強くない。そんな自分を信用して送り出そうとする神父様に答える自信もない。

「自分を卑下するな、ですか」

自分に言い聞かせる言葉に、難しいですねと答えると体はゆっくりと掃除へと戻っていった。

一日の終わり、夜半過ぎ。

明日も朝は早いのに寝付けないフィーレは、布団を頭まで被り丸くなっていた。瞼は重いのに頭は妙に意識をはっきり保っている。理由はわかりきっており朝に聞いた神父からの話がふとした時に頭に帰ってくるからだ。何か作業をしていれば忘れていられるが、手が止まり思考が緩慢になると台頭してくる話。眠ろうと力を抜くも無意識に自分の状況を考えてしまう。自分はどうしたいのだろうか。答えはそこにしかない。神父様に言われたからなど無責任な事は言いたくない。では自分は何のために勇者達と旅をするのだろうか。勇者一行に帯同して補佐をするというのはきっかけに過ぎない。このきっかけを活かして私は何をしたいのか、どうしたいのか。これをはっきりさせなければあずましくない。両手で上体を起こし、掛け布団をかぶったまま座り込む。夜の帳は室内をも飲み込み、明かりは窓から差し込む月の光だけである。ぼおっと静かな世界に思考を無理やり放棄して深く呼吸を繰り返す。冷たい空気を吸い、温かい息を吐く。目を瞑ると世界には自分しかいないような錯覚を覚えながら勇者と旅をする自分を夢想した。私がやるべきことは何か、私にしか出来ないことは何か。……いや、駄目だ。私に出来る事なんて誰にでも出来る。何度想像し直しても自分の必要性が見つけられない。

「自分を卑下しない……」

どうすればそんな自信を持てるのでしょうか。問いかけた月は笑うように欠けていた。



僕は自分に出来る方法で生きてきた。

それに言い訳をするつもりもなく、良し悪しで言えば悪い事をしていた。でも誰だって自分と他人を秤にかければ自分を優先するはずだ。優先した結果、それが悪い事であれ僕はそれを由とした。

僕は他人と比べて勘が良い方で、幸い捕まる事なく生きてきた。足も早く捕まる事もなかったが何より目が良かった。意識外の視界の端に写ったものの動きですら無意識に把握できるのか、それを感じた瞬間に逃げるか続けるかを判断できた。その判断の速さも僕が生きてこれた理由だろう。だが、ある時妙な男に捕まった。壮年の男は理由はどうあれ僕に近づいてきた。それを認識していながら僕はどうすべきかの判断が下せなかった。そんなことは初めてで自分でも戸惑ったが、敵意を感じなかった事から僕を知らない人間がたまたま近づいてきただけだと判断した。それが間違いだった。

「坊主、そろそろ真っ当に生きてみたらどうだ?」

「……誰だよ、あんた」

「あー、まぁ今日は休みだからなぁ。ただのお節介なおっさんだよ」

「意味わかんね」

訳のわからない男に絡まれたものだと内心舌を打つが、相手をする必要がないならと無視して歩き出そうとしたところで腕を掴まれた。

「なんだよ」

「まぁまぁ、そんな怖がんないでよ。少しおっさんの話に付き合ってほしいだけさ」

小馬鹿にするような物言いに腹が立ったが、その男を見ると何故か逃げられる気がしなかった。

「坊主、名前は?」

「……」

「答えないとずっと坊主って呼ぶぞ」

「……デリダ」

「デリダだな。俺はイデン=ザルバだ」

イデン=ザルバ。どこかで聞いたことがあるような名前だが思い出せない。

「そのイデンさんとやらが何の用さ」

「あー、慈善事業的な?」

「意味分かんないんだけど。もういいよね」

「あー、待った待った。坊主、お前に頼みがある」

「は? 僕に?」

全く意味がわからない。僕の評判なんて聞いても悪評しかないはず。それなのに僕に頼みがあるってことは、この男も善人ではないのだろう。

「僕が普段何やってるか知ってて言ってるの?」

「ああ、知ってるさ。捕まえてくれって言われてるくらいだからな」

「……おっさん、悪い人?」

「まぁ、良い人とは言えないなぁ」

苦笑する男からは変わらずに悪意を感じない。悪意を感じない悪い人などいるのだよううか。僕に頼みごとということは、僕を利用して何らかの利益をこの男は得るはずだ。だが彼の笑みには悪い人特有のいやらしさや裏側を感じる事ができない。だからこそ僕の勘が働かず対応に困った。

「それで何して欲しいのさ」

これを聞けばこの男の本性がわかるだろう。結局、人間なんて本人の欲求に動かされる。僕を使おうと考えた時点で本来は悪い人のはずなのだ。

「んー、しばらくは訓練してもらう必要はあるんだが……。坊主、真っ当に生きるつもりはないか?」

「僕の生き方に文句があるの? 僕は僕のできる生き方をしてるだけなんだけど」

「それを責めるつもりはない。ただ環境が、運が悪かっただけなんだ」

伏し目がちに、まるで僕の事をわかるように言う口ぶりには腹が立った。それが顔に出ていたのか男は言葉を続ける。

「坊主、お前は力の使い方を知らないだけなんだ。今のまま生きても碌な人生にならん。どうだ、ここは人生の先輩として俺の言葉に耳を傾けてくれまいか」

「……だから何させたいのさ」

「坊主、お前も男だ。一度は勇者に憧れたことはないか?」

「回りくどいんだけど」

「わかった。本当は俺はお前を捕らえに来た。でも俺の所感としてはお前は悪人ではない。ただ運と環境が悪かった。運は俺にはどうしようもないが、環境を変えてやることはできる。こんなつまらん事はやめて俺と来い。お前を世界を救う勇者の一人にしてやる」

何を言っているんだ、この男は。だがそれ以前に僕の生き方に同情するような言葉が気に食わなかった。もう話す価値もないだろうと自然と手が出ていた。完全に見ていない方から腕を動かし後頭部を殴る。それだけの単純な動作を失敗したのは初めてであった。いや、成功したが効果がなかったというのが正しい。男の後頭部を確実に殴ったが男は微動だにしない。

「坊主、お前は生きるのに懸命で余裕がないだけなんだ。本来ならお前はこんな事をする性格じゃないだろう?」

「あんたが僕の何を知ってるんだよ」

「さぁな、初めてあったから何も知らん。それでもこうやって会話が出来る。坊主、お前も生き方に悩んでるんだろう? これで良いのか、本当は悪い事をして生きていることに負い目を感じている。だから俺の話に付き合っている。お前は生来の悪人じゃない。俺とくればお前は今の生活とは違う生活をする事ができる。初めは慣れないだろうが、それでも今の生活と違って負い目を感じることはなくなる。お前に損はないだろう?」

その真摯な眼差しは、何処か一般人には出せないような確かな自信が見て取れた。そしてそれは見る側を安心させる力強さを兼ね備え、猜疑心しかない僕の心を揺るがした。本当にこの男を信用していいのか、信用して騙されたらどうする。恐らくこの男の監視下にある限り僕は逃げられない。……それは今の生活と比べどうなのだろうか。僕は今、世間から逃げるように生きている。逃げたくても逃げられない、逃げる必要がない環境はもしかすると今よりは安定した生活ができるのかもしれない。僕はなんの努力もしなかった結果、この環境に縋るしか生きる道はないと思っていた。だが、もし……。本当にこの男が僕の環境を変えられるのならば、それは今後来ることはないきっかけなのではないか。

「結局、僕にどうさせたいのさ」

「何、難しい事じゃない。ちょっとばかし他の人と一緒に魔王を倒してほしいだけだ」



コルドとバルトはイデン騎士団長に呼び出され、宿舎から離れた草原へと向かう。数年も前線にいれば騎士団長にも顔を覚えられ、何度も生き残るうちに話しかけられる事もあった。だがこうして呼び出されるのは初めての事である。戸惑いもあるが拒否できる訳もなく、コルドとバルトは並んで横を歩く。

「なんで呼ばれたかわかる?」

「わからん」

「怖いんだけど」

「行くしかないだろ」

しばらく歩くと見慣れた男が地面に胡座をかいて座っていた。片手に酒を持ち、煽った後にその手を上げた。

「おい、おせぇぞ」

すみません、と二人は小さく頭を上げる。それを認めたイデンはややふらつきながら立ち上がった。足元には数本の空き瓶と木刀が落ちていた。

「……いつから飲んでるんですか」

「あぁ? あー、二時間くらい前?」

「時間、あってますよね。15時で」

「おう、あってるぞ」

「……なんでそんなに早くここへ?」

「仕事したくないから逃げてきた」

カラカラと笑う男は悪びれもせず残った酒を一気に飲み干して、手に持った瓶を地面へと落とした。

「確かめたい事がある。使え」

イデンは足元にあった木刀2本を蹴って、二人の前に転がした。互いに見合ったあとに足元の木刀を拾い上げる。眉を顰めたバルトはイデンを見て口を開いた。

「コルドと模擬戦をしろってことですか?」

「あぁ、違う違う」

よいしょっと年寄り臭い言葉を発したイデンも足元の木刀を拾う。が、捨てた。

「あー、気が変わった。ベリア、出て来い」

その呼びかけに答え、何もない空間から見覚えのある人が現れた。彼女は事務仕事をメインとする役職であり前線に出ることはない。イデンの横に立ったベリアは何の用かと聞こうとして、二人に気づいた。

「何の用で……、あら? バルト君、コルド君、こんにちわ」

「ベリア。俺とこいつらの装備を出せ」

「はぁ……?」

言われるがまま、彼女は三人の装備一式を虚空から出す。それは騎士団の標準装備であったが、ちげぇよとイデンに否定された。

「専用の方出せ」

「……あれは許可が必要ですが」

「俺が許可する、早くしろ」

命令であればと彼女は渋々、戦地で使う装備を虚空から出現させた。非戦闘員でありながら重宝される彼女は、特定の空間内にある物を距離を問わずに自由に取り出せる魔法を持っていた。現在ではその魔法を騎士団の専用装備がある小部屋に接続されており、そこからイデンに指示されたものを取り出している。イデンの前には赤黒い重厚な甲冑一式と分厚く湾曲した鉄塊、盾と言うには取り回しを考えられていないのは見て取れた。コルドとバルトの前には同じ軽装の防具が現れ、大剣はバルトの前に、細身の剣はゴルドの前に出現した。黙って装備を身につけるイデンを見た後、互いの顔を見合わせて二人も装備を整える。

「ベリア、ちょっとあっち行ってくれ」

そう言ったイデンは腕を伸ばし、二人の方向を指す。黙って従うベリアも曖昧な指示に首を傾げながら二人の元へ行き振り返る。黙ったままのイデンは払う様に手首を動かし、更に奥へ行けと指示をした。しばし歩いて振り返るも再度奥へ行けと指示をされ、それを数度繰り返すとイデンは腕を下ろした。

「そこに線を引いてくれ」

足で引けば良いものを育ちの良いベリアはどうやって線を引くかで悩み動きを止め、それを見かねたバルトが彼女の元へと行くと大剣を振るい足元に線を引く。

「バルト、元の位置まで戻れ」

「何するんですか?」

コルドの問いにイデンは盾を自身の前に構えると口元を歪めた。

「これから俺が歩いて、今引いた線を超える。お前らは全力で俺の妨害をしろ。俺が侵略者でお前らは防衛軍だ」

コルドの元まで戻ったバルトも軽く大剣を構えた。

「本気ですか?」

「本気だ。俺はお前らの魔法に興味がある。俺も騎士団に在籍して長いが、揃うと互いを強化する魔法を使う奴らは見たことが無い。その効果が知りたい」

コルドも自分の剣を持ち上げ構えると、イデンは重厚な装備を感じさせる重く確かな足取りで一歩を踏み出した。


互いに目配せをしたバルトとコルドは魔法を発動する。バルトの大剣は刀身の根本から熱を帯び始め、追って炎が纏われた。コルドの剣は柄から染み出すように漏れ出した水が刀身をまとい、刃先から水を滴らせる。

──互いに強化を掛ける魔法〝二重奏〟

発動は自動だが条件は3つある。一つ目は二人が各々の魔法を発動し戦闘状態に入る。2つ目は互いが視認できる範囲にいる。3つ目は互いに同一対象を敵として認識する事である。

今、バルトとコルドはイデンを敵として見なす事で二重奏を発動していた。薄い光を纏う二人は、イデンを挟む位置取りへと歩を進める。ゆっくりと歩くイデンが二人の間合いに入った瞬間、バルトとコルドは駆け出して距離を詰めた。勢いのまま振りかぶった剣は同時にイデンに届くが、重厚な鎧は傷すら付かない。それどころか盾で防ぐ素振りすらなく、イデンは漫然と歩を進めていた。

〝不落〟のイデン。それが王都を守り続けた騎士団長の二つ名である。

もちろん二人も二つ名を知っており、積み立てた功績も理解していた。だが、こうして戦う相手として向かい合うのは初めてである。自分たちも弱い部類ではなかった自負はあるものの、こうして二人で同時に攻撃しても意に介さない事には驚きを隠せず目を見開いてしまう。

「おいおい、この程度か?」

鼻で笑うイデンから二人は一旦距離を取ると同時攻撃から波状攻撃へと変え交互に攻撃を繰り返すが、それでもイデンの足は止まらない。バルトの大剣から立ち上る陽炎は世界を歪めながらイデンの肩口に振り下ろされる。コルドの陽光を反射する煌めく刀身が脇腹めがけて切り上げられる。上段、袈裟、下段、逆袈裟。様々な方向から斬りつけるがイデンは意に介さない。イデンの指定した線まで5m程の場所まで来ると、状況が変化した。

「……っ」

間を置くことなく波状攻撃を続けていた二人の攻撃が、ここに来て重さを増してきたのだ。今まで一定の速度で歩いていたイデンの歩が遅くなり、残り3m地点で足が止まった。その頃にはバルトの攻撃は明らかに重く衝撃はイデンを後退させ、コルドの研ぎ澄まされた剣技を水の刃が追う事で、一人で同一箇所に二重攻撃を可能とさせていた。

「コルド、これで決めるぞ!!」

バルトが大きく距離を取り、線を超えた。

──不完全だが……、身体強化は上限に達した。なれば、ここで最高の攻撃を繰り出す以外に騎士団長に勝つ見込みはない。コルドに足止めを任せたバルトはイデンを見据えたまま、大剣に意識を落とす。熱を帯びていた大剣は更に熱を増して赤熱し、ジリジリと空間を焼き切っていく。二の次を考えない全力の一撃。足の力を抜き、ゆっくりと前に倒れ込む。体が地面とほぼ水平になった瞬間、強化された身体能力を開放した。大剣を振り抜くのと同時に地面を蹴ると、コルドは自身を一直線に打ち出した。


バルトが戦線を離脱した瞬間、イデンの足が持ち上がった。だが、コルドは正面からそれを潰す。足が持ち上げた瞬間に膝の上から三度衝撃があった。イデンから見れば攻撃の重さは明らかにバルトが上で、コルドは些細なものだと重要視していなかった。その些細な障害程度と思っていたコルドに正面から足を止められた事は考慮外の結果である。確かに一撃は軽く、この程度であれば前に進めると確信していた。だが、その軽い一撃が自身の足を止めていた。腕を持ち上げようとすれば腕を攻撃され動作が潰される。それは卓越した戦闘技能からくる行動であり、一般的な人間が持つような技巧ではないのは明白であった。バルトが距離を取ったのは何かしらの決め技があるからだろうとイデンは足を止め、重厚な盾を前に構えて腰を据えた。正面にいたコルドは視界の外へ移動し、通った視界の先では陽炎と炎が立ち上っている。だが、それは自身の盾で遮られた。今までよりも強い衝撃が腕の下から切り上げられ、そこにコルドは肩を押し込んだ。

「おま……」

「これが僕等の全力です」

コルドは腕の下に押し込んだ肩を滑らせるように抜き、納刀していた剣を抜刀しつつ回転し縦の横へと立ち位置を変える。抜刀した剣は明らかに鞘よりも刃の幅が広く、薄く研ぎ澄まされた刃となっていた。視界の端でそれを認めていた時、脇の甘くなっていた盾に強い衝撃が走った。刹那、緩んだ全身に力を巡らせ全身を地面に固定する。イデンは衝撃を受け止めた盾の感触に違和感を覚え眉を顰めた。普段であれば弾いて終わりのはずの斬撃が、未だに自分と拮抗している事。盾に刃が押し込まれているような感触。だが、それも徐々に弱まっている。これを耐え切れば──。

──甲高い音の後に、更に三度の衝撃が走り、手に持っていた鉄塊とも呼べる広くなった盾の下部。二人の男の腰から下が見えており、切断された鉄の塊が鈍い音を立てて地面へ落ちた。未だ互いの顔は見えない。つまり互いに死角である。人は得てして油断する生き物だ。イデンは切断された盾をやや前に出し、二人の死角を広げる。そして攻撃の手を止めた甘さを踏み躙るように大きく一歩を踏み出し、二人纏めて上半分の盾で地面へと押しつぶした。僅かな抵抗は感じたが、そんな物は盾の重量を増加させる魔法の前には無いに等しい抵抗であった。

常に動き続けスタミナが切れたコルドと、最後の一撃に全力を込めたバルトには上から伸し掛かる重い鉄塊をよける気力が足りなかった。ダメ押しとばかりにイデンは盾を踏みつけ、二人を踏み越えて勝利条件の線を悠々と超えた。


「団長、手を抜いてましたよね」

盾を除けてもらった二人は地面に座り込み、バルトはふてくされた声を出した。

「あん? 何でだよ」

「結局、最後だけだよね。攻撃されたの」

二人の正面に鎧を脱いで座り込んだイデンを気にも止めずに、ため息混じりのコルドは呻きながら後ろに倒れ込んだ。今までのやり取りを口も挟めずに見ていたベリアは握った拳を震わせていた。

「……団長」

「おう、ベリア。装備片付けて……」

見上げたベリアの頬が引きつっていた。

「……専用装備を使うのはまぁ、貴方の許可があったので由とします。ですが──」

言葉を区切って送る視線の先には真っ二つに切断された重厚な盾。

「こんな、戦地でもなく、ましては同じ騎士団と勝手に戦闘訓練した上に武装を破壊されるなんて……。なんて報告するつもりですか」

「あぁ、今回は問題ない。むしろ都合が良い」

「はぁ? 何言ってるんですか?」

意図を理解できないベリアはやや不機嫌に口を開きながら三人の装備を虚空へと収納した。

「バルト、コルド。お前ら魔王倒して来い」


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