第6話:再会と邂逅2 シィラ篇1 おしかけシィラ
「だからぁ、魔王様に会わせてくださぁい」
「そんな奴はいない。帰れ」
城の門前、ケルザは見知らぬ女と問答していた。
「嘘つかないでくださぁい。最近は定期的に起きてますよねぇ? ちゃんとわかってるんですからねぇ?」
間延びした話口にケルザは苛立ちを覚える。それ以前に、この女は何故魔王が起きていることを把握しているのか眉を寄せた。
「貴方からは魔王様と同じ魔力を感じますしぃ、魔王様の従者なんでしょ〜?」
「仮に魔王がいたとしよう。お前は何の用があって魔王に会うつもりだ」
「何の用ってぇ……。魔王様のお手伝いに決まってるじゃないですかぁ」
「魔王の何を手伝うんだ」
「それは魔王様が決めることですよぅ?」
その程度の知恵はあるようだ。魔王の意思を無視して世界征服と宣うのであれば切り捨てようかとも思ったが思い留まる。
「……お前は何のために魔王の手伝いをしにきたんだ」
「……何の為ぇ?」
「魔王に奉公しても賃金は出ない。魔王は手伝いを求めていない。お前はどういった理由で魔王の手伝いをしに此処へきた」
魔族の女は黙り込む。腕を組み、目を閉じて首を捻りながら声を漏らす。
「理由、理由はぁ……ありませんねぇ」
「理由がない?」
「ん〜。もう昔から魔王様が起きたら手伝うようにって言われ続けてきたのでぇ」
「誰にだ」
「誰っていうか、先祖代々ですかぁ?」
「先祖代々?」
「はぁい。私の祖先? がぁ、魔王様が呪いにかかる前に従ってたみたいでぇ、魔王様が呪いで眠ってからは代々魔王様の呪いが解けたら手伝うように言われてきましたぁ」
「理由もなく言われたことに従った結果、ここにいると」
「そうでぇす」
知恵はあるが考えは無いようだ。魔族というだけで人間の驚異に変わりない。せっかく人として都市の住人に認知され迎えられているのだ。不要に魔族をお嬢様の従者として迎えては、住人の信頼を損ねかねない。やはり、切り捨てるか。ケルザが柄に手を置いたところで、城内の方から声がかかる。
「ケルザ、何をしている」
入口の門戸を開き、魔王は外へ出る。数歩歩いたところで、客人を認め足を止めた。
「そやつは誰だ?」
「気にするな。追い返している所だ」
「えっとぉ、魔王様ですかぁ?」
「ふむ、元だな。今の私はお嬢様だ」
ふふん、と鼻を鳴らして魔王は堂々と答える。
「聞いた通りだ、魔王はいない。帰れ」
「えぇ〜? 魔王様ぁ、ですよねぇ?」
困惑した女は、確認するように魔王を見る。
「元と言っただろう。ケルザ、こやつは何なんだ」
ケルザは溜息をつくと重い口を開く。
「……魔王の手伝いをしに来たらしい」
「私の手伝い? 何を手伝うのだ」
「それはお前が決める事だと言っていたな」
「ふむ、なるほど、なるほどのぅ。そやつの目的はわからんが、要するに貴様と同じ従者になりたいということか」
「はぁい、そうですぅ」
「不要だろう、帰らせろ」
「まったく、独占欲の強い従者を持つと主として困ってしまうな。ほとほと度し難い。いくら私が大好きとはいえ、私を私物化するのは如何なものかな、ケルザよ」
「黙れ」
「まぁ、せっかく来たのだ。中で詳しい話を聞こう。案内しろ」
魔王は銀色の髪を翻し城内へと消えていった。勇者は黙ったまま、城の扉をくぐる。それに従い、女も城の中へと入っていった。
魔王は定位置に付き慣れた動作で頬杖を付くと行儀よく足を揃え、しなだれる様に頬杖をつき体重を預ける。女を魔王の正面に立たせると、勇者は魔王の横に立った。
「して、貴様は。人間ではないな」
「エルフのシィラと言いまぁす」
「ほう、エルフか。懐かしいな」
「覚えがあるのか」
「私が呪いに掛かる前、そんな魔族も配下にいたな」
「はぁい。その配下だった魔族の子孫でぇす」
「そうか。そんなに時は経っているのだな……。それで何用で此処に来たのだ」
「そのぅ、そこの方には言いましたが魔王様の配下だった祖先からの言伝でぇ、魔王様が目覚めたら手伝いをするようにと言われていましてぇ……。それに従って来ましたぁ」
「そうか。貴様は私に従うことに異論はないのか」
「もちろんでぇす。魔王様の配下というだけで私達の種族に箔も付きまぁす」
「ふむ、未だ私の名も捨てたものではないようだな。だが今の私は魔王ではなく可愛らしくてか弱いお嬢様なのだ。魔王として何かしらの行動をすることは無い。故に魔王に仕えたいのならば貴様の希望に沿う事はない」
「事情はわかりませんが魔王様は今、お嬢様なのですよねぇ。例えお嬢様であろうと貴女が魔王様であるなら、私はお嬢様に仕えることに異はありませぇん」
「……どう思う?」
魔王は気だるげな視線を傍らに立つ勇者に投げかける。
「今のままで不便もないだろう。上手く住人達に溶け込めているんだ。改めて魔族を従者とする必要はない」
「シィラだったな。貴様は従者として何が出来る」
「大したことは出来ませんが〜、同性だからこそできるお手伝いもあるかとぉ」
「そうさな、思い当たる節がある。私は気にしないのだが、ケルザが恥ずかしがって仕事を放棄することが多々あるのだ。まったく、困った従者だ。どうだ、ケルザよ。貴様に判断を委ねよう。これまで貴様が放棄してきた仕事を、今後は貴様が文句を言わずに履行するなら新たな従者は不要だろう。だが、貴様の放棄する仕事をこなせる従者が必要であれば、こやつを従者として迎えよう。さて、どうする?」
これまで自分の放棄した仕事を思い出す。放棄というよりは魔王が俺に押し付けようとした我儘だが、何れも魔王自身がすれば済むことで俺がする必要がないことしかなかった。やれ服を選べ、下着を選べ、体を洗え。ここで女を採用しなければ、魔王の我儘に対して逆らえない理由が出来てしまう。──いや、人手が増える利点で見よう。城に魔王と自分だけでは、城の主の威厳も弱い。不必要な人員を従者として迎えるつもりはないが、いくらかは増やす必要があるのも確かだ。それに人手が増えれば単純に出来ることも増える。街の住人との付き合い方は徹底させれば良い。ここで女を帰すのは存外、利益がない。
「……わかった。従者として主に仕えろ」
「何だ、今の間は。自分だけの主ではなくなって寂しいのか? まったくもって初い奴よのぅ」
魔王は気怠げな瞳を細め、くつくつと笑う。
「では、そやつに必要な案内をしてやれ。私も貴様が従わないお願いは、今後そやつにしよう。それで良いな、シィラ」
「は、はぁい。わかりましたぁ」
「……行くぞ。城内を案内する」
「はぁい。お願いしますぅ、せんぱぁい」
二人は魔王を残して部屋から出ていった。
「……随分甘ったるい奴だったな」
魔王は妙に耳に残る声に疲れを感じつつ、きっと今後も似たような魔族が幾らか現れるのだろうと、柔らかい微睡みに沈んでいった。
「お前の部屋だ。ここを使え」
一通りの案内を終えた後に勇者は、シィラに魔王の隣の空き部屋をあてがった。同性を近い部屋に置いた方が自身に不要な仕事を回さないだろうと判断しての采配だ。最低限のベッドと小さな棚しかない客室は改めて見ると殺風景ではあるが、生活に困らないと口には出さない。
「ここを使って良いんですかぁ?」
「どうするつもりだったんだ」
「何も考えてませんでしたぁ」
この女は今までどうやって生きてきたんだ。そう思いたくなるほど、適当な返事が多い。
「まぁいい、ここは好きに使え。内装も変えたければ変えろ。隣は魔王の私室と空き部屋だ」
「せんぱいの部屋はどこですかぁ?」
「知る必要はない」
「私は魔王様に仕えるんですよねぇ? わからない事を主である魔王様に聞くんですかぁ?」
間延びした声が癪に障る。こいつは人の神経を逆撫でするのが得意なようだ。
「新人の教育を放棄するなんてぇ、せんぱいに採用を一任した魔王様も呆れるんじゃないですかぁ?」
「……通路の一番奥の部屋だ」
「はぁい、わかりましたぁ。何かあったら伺いますねぇ」
「取り敢えず、今日は部屋にいろ。俺からの仕事はないが、魔王からは何かあるかもしれん」
間延びした返事を背中で受け、部屋を出る。自然、溜息が出た。会話をするだけで疲れる。今後はアレに色々と教える必要があるのを考えて憂鬱になった。
王座へ戻ると魔王は目を閉じて小さな呼吸を繰り返していた。
「おい」
返事がない。魔王の前に立ち見下ろす。無防備な魔王は呼吸を乱さず、肩を上下させた。
「起きろ。寝るならば部屋へ行け」
肩に触れ軽く揺するが、起きる気配もない。勇者は、はたと気付く。ここしばらくは普通に生活しているように感じていたが、半日は呪いで寝るのだ。声を掛けようが、揺すろうが起きるはずもない。そもそも最近は普通に生活していると感じた理由は、魔王も眠気を感じると自分で部屋に戻り寝る習慣がついていたからだ。その慣習で部屋に戻ると寝ていると思いこんでいた。逆説的に、部屋以外では起きていると勝手に判断を下していた。
「……本当に寝ているのか」
頬を軽く叩くが、やはり起きる気配もない。本音で言えば、放置したい。だが、仮にも自分の主なのだ。主をこんな所で眠らせるのは従者のプライドが許さない。頬杖を付く腕の下から背中へ手を回し、行儀よく揃えられた膝裏に腕を通して持ち上げた。軽い主は成されるがまま、力無く寝息をたてている。歩くたびに主の肩から銀色の髪が零れ落ちる。ゆらゆらと髪を揺らしながら、主を部屋へ運ぶ。真新しい扉を開きベッドに降ろすと、僅かに乱れている服を整え掛け布団をかけた。何の気なしに椅子に腰掛け魔王を見る。こうして無防備に寝る姿を見ると、ただの寝ている少女であった。
勇者は妙な心労に息をつくと、廊下へ出た。そのまま部屋に戻ろうとして、足を止める。先程部屋にいろと言ったが魔王が寝た今、部屋に逗留する理由もない。今日は好きにして良いと伝えるか面倒だから放置するかを悩み、仕方無しに部屋の戸を叩いた。間延びした声のあとに甲高い音を立てて戸が開き、新しい従者が顔を出す。
「どぉしましたぁ?」
「今日はもう好きにして良い」
「魔王様は〜?」
「今日は起きない」
「……呪いですかぁ?」
「そうだ、完全に解けたわけではない。前と比べれば数日起きないのは大した問題でもない」
「明日は起きるんですかぁ?」
「恐らくな。数日は普通に生活して半日は寝るのを繰り返し、その後に十日程眠るのが今の周期だ」
「……そうなんですねぇ、わかりましたぁ」
「俺も今日は休む。後は好きにしろ」
勇者が自室へと足を向けると後ろで戸の閉まる音が聞こえた。自分以外の足音が後ろから聞こえる。自分の部屋の前で諦め、後ろへ振り返った。ニコニコと微笑む女が黙って立っている。
「何だ」
「せんぱいの部屋、見たいなぁ」
「却下だ」
「えぇ〜? でもぅ、後は好きにしろって言ったのはせんぱいですよぉ?」
「知らん」
「せんぱぁい。もしかしてぇ、人に見せられないお部屋なんですかぁ?」
「黙らないと殴るぞ」
「そんなことしたらぁ、明日魔王様に言いつけますよぉ?」
反射的に女の頭を叩いていた。力こそ籠もっていなかったが、遅れて叩かれたことを理解した女は頭を片手で抑えながら、あいも変わらず間延びした言葉を吐き出す。
「いたぁい、せんぱいに叩かれましたぁ。これがパワハラなんですねぇ。賃金も出ないブラックな職場に手をあげる上司ぃ。魔王様に言いつけますからねぇ」
「……勝手にしてくれ」
どうも自分とは噛み合わない性格だ。自分でも手が出たことに驚く。相手をするだけで疲れが蓄積されるのが体感できた。もう相手をするのをやめて、部屋に入る。腰の剣を棚に立て掛け、ベッドに腰を下ろした。
「はぇ〜、これはこれは予想外でしたぁ。せんぱいは意外にお洒落さんだったんですねぇ」
女は我が物顔で部屋に入り不躾に見渡した後、何食わぬ顔で椅子に座った。
「部屋に戻れ」
「良いじゃないですかぁ。初めての場所で不安なんですぅ。少しでもせんぱいと仲良くなろうとする新人の健気な努力ですよぉ?」
「安心しろ。お前程の図太さなら、何処でもやっていける」
「わぁい、せんぱいに褒められましたぁ」
頭が痛い。どうすればこいつは部屋を出ていくのだろうか。
「私もせんぱいみたいな部屋にしたいなぁ」
「まずは魔王に許可をもらえ。その後でなら多少の手伝いはしよう」
「本当ですかぁ? それじゃあ、明日魔王様に聞いてみますねぇ」
「そうしてくれ。俺も今日は休みたいんだ。後の話は明日にしてくれ」
「しょうがないですねぇ、わかりましたぁ」
見るからに不服そうに席を立つと小さく頭を下げる。
「それじゃあ、おやすみなさぁい。これから、よろしくお願いしますねぇ」
ニコニコと言葉を伸ばして女は部屋から出て行った。
ようやく休めると横になり目を閉じると、妙に甘ったるい言葉が耳に残っており、疲労感に拍車をかけていた。
同性ということがあるのか、存外に新人は魔王と上手くやっているようだった。勇者が王座の間へ行くと、既に魔王と女は何かを話している場面であった。勇者に気づいた女はニコニコと微笑む。
「おはようございまぁす、せんぱぁい」
「おはよう、ケルザ」
魔王は勇者を見るなり目を細めてくつくつと笑う。
「あぁ、おはよう」
「ケルザよ、聞いたぞ。会って初日でこやつの頭を叩いたとな。すぐに手が出る男とは知らなかったぞ?」
「そうなんですよぅ、魔王様ぁ。パワハラせんぱいにお仕置きしちゃってくださぁい」
「まったく不要に手を挙げるなど主として恥ずかしいぞ、ケルザ。私に仕える従者はその程度なのか、悲しいなぁ」
「……手を上げたのは謝ろう、済まなかった」
勇者も王座の横に立つと頭を下げることなく謝罪の言葉を述べる。
「ほぅ、貴様は謝ることができたのか」
「魔王様ぁ、せんぱい反省してませんよぅ。見てくださいこの顔ぉ、私の事ゴミのように見てますよぉ?」
「何、気にすることはないぞ。こやつのこの顔は前からだ。これが常なのだ」
「えぇ〜? せんぱいはゴミに塗れた世界に生きてるんですかぁ?」
「殴られ足りないようだな」
「魔王様ぁ、せんぱいがパワハラしてきますぅ」
「やれやれ、仕方のない奴だ。すまないな、シィラ。主の私が謝ろう。今まで私を独占していたのに新しい従者を迎えたせいで、ケルザは嫉妬しているのだ。独占欲の強い男なのだ、こやつは」
呆れたように、憐れむように、嘲るように魔王は横目で勇者を見る。
「お前は何を言っているんだ」
「魔王様と話すだけで叩かれては困りますよぅ、せんぱぁい」
「私がお嬢様をしているのも、こやつの趣味だからな。どうもこの男は私に仕えているくせに、私を自分の趣味で染めようとしてくる変態なのだ。まったくもって度し難い」
ニコニコ、くつくつと二人は笑う。
「……お前と話しておきたい事がある。この前の男についてだが」
「あぁ、忘れておった。あの後、まとめて寝てしまったからな」
ふむ、と納得したように声を漏らしながら自身の髪を梳く。
「あ、魔王様ぁ。枝毛がぁ」
「枝毛?」
女は魔王の毛先を救うように持ち上げた。
「ほらぁ、毛先を見てください〜。二又に分かれちゃってますよぅ?」
「それがどうしたのだ」
「もぅ、駄目ですよぅ魔王様ぁ。魔王様といえ、女の子なんですから身嗜みには気をつけないとぉ。せっかく綺麗な髪なんですからぁ、毛先も少しだけ切って整えましょ〜?」
「ふぅむ、ケルザに色々と言われて気をつけてはいたが、ここまで細かくは言われなかったな。細かな事に良く気がつくものだ」
「せんぱいは男性ですからねぇ、女の子の見ている視点はわからないんですよぅ」
「では、近い内に街へ行くとしよう」
「……魔王様ぁ、折り入ってご相談がぁ」
「何だ?」
「昨日、せんぱいの部屋を見せてもらいましたぁ。私の部屋が殺風景すぎるので、少し物を買い揃えたいなぁと思いましてぇ」
「あぁ、客室を与えられたのだな。構わんが、どこの部屋だ?」
「魔王様のお部屋のお隣ですぅ」
「ほぅ、それは近くて助かるな。ケルザは何故か一番遠くに部屋を設けおったからな」
「はい〜、何かあればお呼びくださぁい」
「貴様にはケルザが従わない、私の身の回りの雑務を任せることが多いだろう」
「お任せくださぁい。せんぱいは従者としての心構えが足りないんじゃないですかぁ?」
この女はもしかしなくとも、自分を馬鹿にしているのだろうか。間延びした慇懃無礼な女に苛つかない日は来るのだろうか。勇者は自分を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐く。
「……待て、お前達。話が脱線している」
「脱線? あぁ、枝毛の話でしたねぇ」
「そうであったな。丁度いい、私の髪を切るのと共に、貴様の部屋に必要なものも仕入れよう。恐らく明日からはまた数日寝ることになる。今日済ませるとするか」
「本当ですかぁ? ありがとうございますぅ」
勇者は理解した。この女がいると話したいことも話せない。機会を選ぶ必要がある。一度口にした話題を忘れるように飲み込み、改めて二人を見る。魔王はいつもの場所にいつもの格好で座っているが、女は魔王の前に座り込み、仲のいい友人と話すように両手を座面に揃えながらニコニコとしている。
「ケルザよ、馬車の手配を頼む」
「……待っていろ。その間に、そいつに街に行く際のルールを教えておけ」
この二人が揃うと普段以上に疲れがたまるのを、部屋を出た誰もいない空間に気軽さを感じて理解した。
程なくして迎えの馬車が来る。馬車の主も慣れたものでスムーズに迎えに来てくれた。
「いつも有難うございます。お嬢様に旦那。おや、初めて見る方が……」
「えぇ、こちらこそ助かっています。有難うございます、ご主人。この方は私の新しい従者です」
「何分、男一人では不都合なことが多いもので。同性の方を雇うことにしたんですよ」
「初めましてぇ、新しくお嬢様に仕えることになったシィラと申しますぅ」
「シィラさんですね。今後ともご贔屓に。それでは出しますね。揺れますので気をつけてください」
ガラガラと音を立てて馬車は走り出す。この揺れや音も幾度も乗ると慣れるもので、思いの外快適に過ごせていた。
「あのぅ、お二人共ぅ」
「何だ」
「まお……、お嬢様にお話は伺っていましたがぁ、違和感が凄いですねぇ」
「そうであろう。特にこやつの顔を見ろ。何だあの気持ちの悪い顔は」
「話し方も気持ち悪いですぅ」
「お前らは俺の気持ち悪い顔と話し方で、生活に困らないことを理解していないな」
「おいおい、私は感謝しているぞ? 貴様のおかげで快適に眠ることができるのだ。それを踏まえた上で気持ち悪いと言っておるのだ」
「……曲がりなりにも主だ、許容しよう」
「せんぱいは本当にお嬢様には弱いですねぇ」
「まぁ、こやつは私の事が大好きだからな。いつも愛してやまないという目で見つめられて困っておる」
「今もゴミを見るような目ですよぅ?」
「何、こやつは常にこんな顔だ」
「お前は自分の言ってることがおかしいと感じないのか?」
「細かいことは気にするな。私がその時、その場で言った言葉が常に正しいのだ」
「おぉ流石です、お嬢様ぁ」
「この傲慢さは見倣うべきかもしれないな」
カラカラと徐々に音が収まっていく。
「シィラ、もう街につくぞ」
「はぁい、わかりましたぁ」
不要な会話を聞かれないように言葉が少なくなる。見慣れた景色が緩慢に流れ、いつもの場所で止まった。馬車の主も自分たちも慣れた動作で事を済ませると、帰りも仕事を頼み街道を進む。
「せんぱいって気持ち悪いですねぇ」
「そう言うな。こやつの働きがあって街の住人には好意的に接してもらえるのだ」
「お前は変な事を口走るな、わかってるな」
勇者は女に念を押す。理解してるのかしてないのか、気のない返事が鼓膜を叩く。
「取り敢えず、私は髪を切ってもらうとしよう」
「わかった。最初だけ俺も行こう」
「なんだ、遂に私の髪型まで自分色に染める気になったのか?」
「終わる時間を確認するためだ。切られている間に、こいつと家具を見てくる」
「主を差し置いて逢瀬とな。まったく、好き放題な従者だな」
「えぇ〜。せんぱいはすぐ叩くのでぇ、私としてはお嬢様といたいなぁって」
「無駄な時間を使うな。効率を考えろ」
「せんぱいは女の子にもてませんねぇ」
「お前は俺に叩かれたいのか」
「お嬢様ぁ、この自分第一な考えどう思いますぅ?」
「私にすら自分の趣味を押し付けるやつだからな。自分に都合よく解釈するのが当たり前なのだろう」
「せんぱいは思いやりを学ぶべきですねぇ」
「ケルザよ、髪を切った店は何処だ?」
「もう着く。ただ、あの時はまだ俺が認知される前だったからな。不要な話はするな」
「まぁ、今なら貴様がいれば私が誰かがわかるからな。楽でいい」
くつくつと魔王は笑う。
理髪店の店主とやり取りして魔王を置いていく。30分程度で終わるとの話だった。女を連れて歩くと、顔見知りの住人が声をかけてくれる。それに愛想よく答えながら家具職人の店に訪れた。
「こんにちわ」
「おぉ、旦那さん。いらっしゃい」
店内に入ると店主の気軽い挨拶が出迎えてくれる。
「おや、そちらは……。もしやお嬢様のお姉様で?」
「いえいえ、似ていないでしょう? この方は新しい従者です。ですので、いつも通り部屋の物を見繕ってもらおうと思いまして」
「初めましてぇ、シィラと申しますぅ」
「シィラさんだね。どういった物が欲しいんだい?」
「そうですねぇ。取り敢えず、せんぱいと同じ感じに揃えたいですねぇ」
「うんうん、でもそれだと少しシンプルすぎるというか、落ち着きすぎてるというか。シィラさんは女性ですし、少し柔らかいデザインや色はどうでしょう?」
「良いですねぇ、何か参考になるものはありますかぁ?」
店主と女が店の奥の方へ移動していくが、勇者は目で追うに留める。二人の会話に興味のない勇者は、今後の展望を考えていた。取り敢えずの生活基盤は作ったが、これからの目的はなんだ。ただ、だらだらと生きることか? 今はまだ、整える必要がある事が多くていいが、一通り落ち着いたらどうする。俺のやる事は魔王の護衛。敵さえ現れなければ不要な仕事。それを鑑みて、お嬢様の存在を周知させている。これが広まって魔王の存在なんて噂話にまでする事が出来れば、俺の仕事も終わりの筈だ。丁度、従者も増えた。もう魔王の存在さえ薄れてしまえば、俺がここにいる必要はない。その後はどうするか……。もう元の場所には戻れない。ある程度の資金を貰って旅も良いかもしれない。見たことない土地へ足を運ぶのも悪くない。
「せんぱぁい」
甘ったるい声が思考を遮った。
「旦那さん、話はまとまりましたよ。いつも通り数日以内に運び込みますね。それで、お値段の方ですが……」
「……この程度なら問題ありませんね。支払いは搬入の時で問題ありませんか?」
「えぇ、もちろんです。では、また後日」
「はい、お願いします」
「お願いしまぁす」
店主に見送られながら二人は元の道を戻る。少しばかり早いが遅れるよりは良い。魔王の小言を聞く必要がなくなるからだ。
「せんぱぁい、ありがとうございますぅ」
「礼はあいつに言え」
「……せんぱいってお嬢様の従者なんですよねぇ?」
「それがどうした」
「従者っぽくないなぁって……。お嬢様にも口が悪いどころか命令しますしぃ」
「それを良しとしているのはあいつだ」
「ふぅん、気になりますねぇ。おいおい、お嬢様に聞いてみますねぇ」
「聞かなくて良い」
「うふふ、楽しみですねぇ」
癖の強い亜麻色の髪を靡かせてシィラは笑う。
そもそもこいつも素性がしれない。勇者は警戒までは行かずとも、不信感を抱きつつ女とは接するようにしていた。会話にならない投げやりな返答に飽きもせず、女は言葉を投げかける。それを繰り返すうちに理髪店まで戻ってきており、店内に入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます