第5話:再会と邂逅 前篇2

「昨日は来ませんでしたね」

「嘘でもつかれたかね」

「いや、街の人間とも親しいし普段から使っているのは確かだ。街の人に聞く限り4日か5日に一回は顔を見てると言っている。昨日は来なかったが、わざわざ俺たちを避けるために買い物の頻度を減らすとも思えない。恐らく、昨日は買い物に出る必要がなかったのだろう」

「一応、街の出入りとかは見てますが、見逃した可能性も否定はできませんね」

「何、今日はそんな心配はいらないぞ。小僧」

「何か良い考えでも?」

「何、昨日ちょっとな。酒場にいる若い兄ちゃん数人に小遣いを渡して、今日の監視の手伝いを頼んでおいたんだ」

「いつの間に……」

バルトは呆れつつもジレンを咎めることはしない。自分たちのような街の外の人間より、普段から生活している人間のほうが街に溶け込めるのは確かだ。

「まぁ、見つけたらもう一度小遣いを渡すって約束してるからな。兄ちゃんたちもしっかり働いてくれると思うぞ」

「抜け目ないですね」

「まぁ、これでも二人よりは長く生きてるからな。多少の老獪さは持ってるさ」

「助かるよ。あまり俺達が調べるように歩き回っても街の人に不信感を与えかねない」

「だろ? そろそろ一回様子を見てくる」

ジレンは席を立つと外へと出ていった。

「ハイラ、昨日は途中で寝ていたが体調は大丈夫か?」

「はい、大丈夫ですよ。お酒は好きなんですが弱くて……。お恥ずかしい限りです」

「ほどほどにな」

「バルトさんは飲まないんですか?」

「いや、俺は酒癖が悪くて……。コルド達から飲むなって言われてるんだ」

バツが悪そうに苦笑するバルトは、どこか楽しそうに見えた。

「そうなんですか。皆さん無事だといいですね」

「ああ。それを確かめるためにも今回の仕事は早く済ませて王都に戻りたい」

「僕達も外に出ますか。昼前ですし、人も多い。見逃す可能性は減らしたいですし」

「そうだな。ジレンは店の前で待つか」

二人は席を立つと店の前に立ち通行人を眺めていると、よくもまぁここまで栄えたと思えるほど人がいた。都市の人間は魔王城が近くにあるのは当たり前のように知っている。それでも魔王が起きていたのは数百年前。今ではほとんど飾りとしか思っていないのだろう。魔王への危機感のなさに辟易しつつも、逞しく生きている住人に人間の強さを感じる。

「なんか平和ですよね」

「そうだな」

「近くに魔王城があるのも、少し前に魔王が目覚めていたのも嘘のようです」

ハイラは呟く。自分が無責任なことを言っているのを自覚しつつ、それでも街の住人を見るとそう思ってしまう。程なくして人混みの中からジレンが現れた。

「戦士殿、馬車小屋へ行こう」

「来たのか」

「いや、もう着いているみたいだ。馬車に乗ってきたみたいで直接は見てないが、誰かが話している会話で従者の名前を聞いたらしい」

「わかった。向かおう」

三人で人混みに溶け込み馬車小屋へ向かう。

「どの位前についたかはわかるか?」

「正確にはわからなかった。ただ、最初の馬車は一時間くらい前に通ったらしい」

「最後は?」

「俺が着く少し前らしい」

「最低限の買い物だけなら、もう帰る頃でもおかしくないな 」

馬車小屋へつくと3人の若者がジレンに声をかけた。

「おじさん、聞いておいたよ。やっぱりもう従者は来てるって」

「おお、そうか。ありがとよ、兄ちゃん達。ほら、小遣いだ」

ジレンは気前よく自分の財布から出したお金を手渡す。三人は受け取ると楽しそうに話しながら立ち去っていった。その自然な行為は気前の良い親戚の叔父が、子供に小遣いを渡しているような光景だった。

「戦士殿、まだ従者は街にいるようだ」

「ああ、わかった。助かったよ」

「ジレンさん、何か親戚の叔父さんみたいですね」

「ちょうど、同じくらいの歳の甥がいるからな。慣れてるんだ」

日光が心地良い。バルトは自分の立場と乖離した平和さに目を閉じる。柔らかい暖かさが肌に染み込み、街中の環境音が違和感なく鼓膜を叩いた。目を開くと一瞬だけ陽光の眩しさに焼かれたが、すぐに順応する。雑踏の中、灰色の髪が見えた気がした。考えるより早く足が動く。動作に遅れて足が動いた理由を理解した。

「あ、おい、戦士殿」

「ジレンさんは、待っててください」

鈍く動き始めた思考は雑踏の中灰色の髪を探し捉えた。人の波を無視してバルトは一直線に進む。バルトの前から歩いてきた住人たちは、バルトが自分たちを見ずに歩いていることに気付くと自然と避けていく。後を追うハイラは頭を下げながら歩行者を避けつつ進んだ。灰色の髪と距離が縮まらない。恐らく、向こうも自分と同じ方に歩いているのだろう。それに気付きバルトは歩速を上げた。少しずつだが距離が近づいていく。灰色の髪が遠ざからなくなった。立ち止まったようだ。人混みを抜けた先、腰に剣を携えた灰色の髪の男が店の前で待つように佇んでいた。それを認めるとバルトは何故だが足を止めてしまった。遅れて追いついたハイラが横に立つ。

「早いですよ。何で立ち止まって……」

バルトの視線を追って、目的の男がいる事に気付いた。

「あ、いましたね。すみませーー」

声をかけて足を踏み出そうとしたハイラを、バルトは手で制して、もう片手を肩越しに背中へ回すと大剣の柄を握る。声に気づいた男が二人に顔を向けたあと、体の向きを追従させた。

「おや、この前の方ですね」

「バルトさん?」

笑顔を貼り付けた男は穏やかな口調で語りかける。その男から感じる気配にバルトは怖気を感じていた。

「気付かないのか?」

「何をですか?」

一般人には感じ取ることが出来ないようだ。見事に溶け込んでいる。だが、勇者と共に旅をして魔物や魔族を討伐し、魔王の前に立ったバルトには否応なく、理性ではなく感覚で、本能で理解できた。

「あぁ、彼が会わせたかったと言う人ですか」

男が一歩踏み出すと、バルトは重い言葉を吐く。

「動くな」

「え、え……? バルトさん?」

約2ヶ月、共に旅をしたバルトが初めて見せる雰囲気、威圧する言葉にハイラは困惑する。

「どうかしましたか?」

「お前が今、魔王城に住み着いている従者だな」

「えぇ、そうですよ」

「腰の剣はお前のか」

「はい」

「……嘘を付くな」

隣りにいるハイラが自分に向けられた言葉でもないのにも関わらず、威圧され動けなくなった。歯をむき出しに噛み締め、睨むだけで射殺せそうな眼光。その動作全てに敵意が込められていた。周囲の人間がざわめき始める。

「それは、その剣は……。俺の友人の、コルドの、勇者の物だ……」

怒りに震えるバルトは絞り出すように声を出した。

「貴方の勘違いでしょう。私が魔王の城へ行ったとき、魔王も勇者もいませんでした」

「嘘だな。その辺の人間なら幾らでも騙せるだろう。だがな、俺は魔物にも魔族にも、魔王にも接触している。特に魔王に会ったときの感覚は忘れない。あの見る物を押し潰すような存在感と、相対するだけで感じ取れる異常な魔力。お前からは魔王と同じ薄気味の悪い魔力を感じる」

ハイラは何も言えずに絶句する。魔王に会敵するに至った戦士バルトが眼前の男に、魔王と同じ危機感を抱いているのだ。その証拠に自分を静止すると同時に片手は大剣の柄を握り離さない。バルトは街なかで大勢の住人がいる往来で、臨戦態勢になっていたのだ。

「………………。恐らく城に染み込んでいた魔力が纏わりついたのでしょう」

男は表情を変えずに涼しく答える。

「剣を抜け。それが勇者の剣であれば、刀身の根本に同じ紋様がある」

バルトは大剣を抜くと、側面を見えるように地面に突き刺した。大剣の根本には紋様が刻まれていた。

「これはこの武器を打った刀匠の入れたものだ。自身が作った証の代わりに刻まれている」

「真似することくらいできるでしょう」

「理由がない。彼は無名の刀匠だ。それによって紋様を模倣したところで、作った物が高く売れるわけではない」

「……しつこい方ですね」

一瞬だけ、ざわりとした空気がハイラの背を撫でた。バルトの威圧に当てられたままのハイラは、不意の不気味な感覚に短く声が漏れた。

「今の俺に余裕はない。応じ無いのであれば力づくで行くぞ」

バルトが地面の大剣を抜こうとしたとき、勇者の立っていた近くの扉が開いた。

「あら、ケルザ。遅いと思ったら騒ぎの原因は貴方ですか」

柔らかい赤いドレス。陽光に反射して滑らかさが視認できる質のいいドレスは、所々に白いレースが施されている。目を引く綺羅びやかさがあるはずのドレスが、完全に少女を飾る舞台装置になっていた。白い肌、流麗な銀色の長い髪、透き通るような銀色の瞳。全ての人間が彼女を見ていると思えるほどの存在感。男は声に反応して、バルトから目を離す。少女が数歩歩き男の元へ寄ろうとするよりも早くバルトは、彼女を認めた瞬間、柄から手を離し、胸元に隠した殺傷目的の鉄針を掴み、流れる動作で彼女の頭を狙い投げていた。それは幾千もの命のやり取りをしてきた戦士の反射行動、敵を無力化する最善の方法。魔王と会敵した一室は薄暗く、確かな姿は視認できなかった。だが、それが功を奏したのかもしれない。お陰ではっきりと魔王の存在が身体に刷り込まれていた。投げた後に確信する。見た目は少女だが、間違いなく魔王そのものであると。──だが、投げた鉄針は魔王には届かない。横目でバルトを警戒していた男が剣を抜き、針を叩き落としていた。その剣の刀身の根本には、バルトの大剣に刻まれた紋様と同じものが刻まれていた。

「お嬢様、私の後ろに」

「……はい」

「な、バルトさん‼ 何を……‼」

「何がお嬢様だ。間違いない、あいつが魔王だ」

バルトの視界から背景が消えていく。地面に刺した大剣を抜きながら数歩前に出ると両手で構えた。

「聞きたいことは多いが余裕がない。ここで魔王は殺す」

「貴様、魔族だな。今更魔王の城を乗っ取りに来たか。安い演技だ」

灰色の髪の男も抜刀した剣を構え直す。それと同時にバルトの大剣が赤く、男の剣が青く、仄かに光を帯びた。それを見てバルトは自身の骨が砕けそうな程の力で柄を握りしめた。バルトと勇者の剣には魔法が込められている。持ち主が共に戦意を持った時共鳴し、互いを強化し続ける魔法。それは共に強敵に立ち向かうために二人が考案して込めた魔法で、男の持つ剣が勇者の物であるという明らかな証明に違いない。

「てめぇ、コルドの剣を……」

答えない男に痺れを切らし、一歩で眼前に肉迫し躊躇わずに大剣を振るった。赤い軌跡は乱れることなく、大上段から男の頭へ落ちた。両手で剣を持った男は下段から青い軌跡を描き、迫る赤い滝を受け止める。確かに互いの光が衝突した。が、音が遠い。互いの剣がぶつかりあった衝撃が伝播して空気を震わせる。一拍遅れて、バルトの大剣を受け止めた衝撃が男を伝い、地面に流れ、周囲を震わせた。

「……ちっ、受けるか」

「身体強化……。強化してこの程度か、魔族」

「てめぇも、その剣の効果で強化されてんだ。勘違いしてんじゃねぇぞ‼」

数度、赤い軌跡と青い軌跡が衝突する。怒号と共に距離を取ったバルトは大剣を水平に構え、大きく後ろへ剣先を送る。刀身の光が強くなり、全体が炎に覆われた。その炎の熱は容赦なく空間を焼いていく。頭に血が上っているのか、ここが街中だと忘れている技をバルトは選択した。

「……厄介な。お嬢様、出来る限り離れてください。周りの人たちの誘導もお願いします」

「わかりました。皆さん、離れてください‼ 危険です‼」

周囲に声を掛けながら少女は男から離れていく。その声に我を取り戻した住人も、少女の声に従い慌ただしく離れていった。ハイラだけは様子を窺いつつ、ゆっくりと距離を取っていた。

「魔王より先に勇者の剣を返してもらう」

「ふん、こんな街中で襲ってくるとは如何にも魔族らしいな」

空気を焼く炎がバルトに付き従う。一度目より遅く、より力を全身に力を充填して男に迫った。切るのではなく圧殺する。全身に込めた力を、全体重を込めた一撃を、持ち上げるように跳ねると全てを男に叩きつけた。



──獄炎瀑布。炎を纏った刀身で叩きつけた場所を中心に、刀身から吹き出した炎の波で周囲を焼く範囲攻撃だが、例え刀身を受けようとも炎の滝に打たれ焼かれ続ける単体攻撃としても優秀な技であった。

(直接受ける事がは避けたい。避けながら周囲の被害を抑えるには……)

男は舌を打つ。下手な事はしたくないが、選択を増やす余裕がない。青く光る刀身に魔力を込めると水が溢れ始めた。水を纏った刀身が、炎を纏う大剣と頭上で触れた刹那、炎の滝が落ちてきた。受けた大剣を濡れた刀身に滑らせらせる様に水を操作し、落ちてくる大剣の角度を反らして絡め取り横へ凪ぐ。着地点を見失った大剣は横に炎を撒き散らしたが体制を崩したバルトを、身体強化された状態で男が蹴り飛ばすと炎も消えた。撒き散らされた残り火だけが男と周囲を僅かに焼き続ける。

「……っ!!」

肌が焦げた匂いがする。残り火は僅かに肌を焼き、衣類を焦がすと自然と消えた。

「バルトさん‼」

ハイラは蹴り飛ばされたバルトに駆け寄るが、バルトは蹴り飛ばされた事を意に介さず、立ち上がると再度握る大剣に炎を灯す。口内が切れたのか、血を吐き出す。

「ハイラ、下がってろ」

「ですが……」

バルトの視界には男しか入っていない。大したダメージもなく、向かう足は止まらない。蹴り飛ばされた事で僅かに理性を取り戻し、熱くなりすぎたと自省する。

「……おい、お前は誰なんだ」

バルトの問いに男は答えない。

「何故、コルドの技を使える。お前がした対処法は俺の技を知っているように思える」

無造作に距離を詰めているように見えるが、バルトに隙はない。男が動いても対処できる位置に立つと、大剣を片手で抱えるように後ろへ構えた。交差するように空いた手は軽く肘を曲げ、男に向ける。

「俺はお前の髪と、顔の火傷痕、腰の剣しか見ていなかった。だが……」

「無駄口は不要だ、魔族。私の主を殺そうとした報いは受けてもらう」

男は青い刀身を鞘に隠し、引き抜く。溢れていた水は刀身にまとわれ、透明な膜を形成する。一歩踏み出した状態で半身になると、青い光を乱反射させる透明な刀身を胸の高さで水平にし剣先を後ろへ向け、反対の手の甲に刀身を乗せ構えた。

「…………」

バルトは男の構えを認めて、柄を握り直す。纏っていた炎は次第に鎮火され、残された刀身は赤熱し輝いていた。一切の障害を許さない断罪の刃。触れた物を焼き切る灼熱の太刀。発動している自身すら焼き付く空気に取り込まれ、陽炎と化す。呼吸するだけで喉が焼け、瞳の水分が飛んでいく。

「その剣は返してもらう」

如何に勇者の剣であれ、この一太刀を受ければ刀身が焼け切れるのは必至。前に出した足に体重を乗せ腰を落とす。男に向けた肩は下がるが、剣先はそのままで上方を向く。男に動く素振りはない。ゆっくりと息を吐き、体を後ろにひねる。目線だけは男を捉え、背中を向けた。前の足から後ろの足へ体重を移動する。強化された身体能力だからこそ出来る力技。バルトは前に置いた足を持ち上げ、男の方へ頭から力なく倒れる。極限まで体にかかる抵抗を重力に合わせる事でゼロにした。全身で重力を感じながら、体が抵抗を感じなくなった瞬間、ひねっていた身体を腰、肩、腕へと連動させ開放した。未だ重力に縛られた体を、腕から大剣にかけて開放した力によって、全ての指向性を男に集約する。刹那、重力が水平にかかった。垂直にかかる重力から解き放たれる瞬間、振り抜いた大剣が遠心力でバルトの体を牽引する刹那、全体重を掛けていた後ろ足がバルトを一つの弾丸として打ち出した。

バルトは確かに自身を打ち出す瞬間、男の後ろに魔王が駆け寄ってこようとしているのを捉えていた。



──灼火断刃。防御不能の突撃技。身体強化する事で自身にかかる重力を一時的に開放し、直線上の対象を全て両断する。視認出来ない速度で斬り抜く事で、対象は赤い残光だけしか認識できない。回避も防御も不可能な初見殺しだが、バルト自身も発動する瞬間に対象を固定する必要があり、発動後は直進しかできず狙いを外すと修正は効かない。自身の体の動作を正確に把握し、一切の無駄を省いた力の伝達により身体強化を最大限活かした剣技の極地。

「ケ──」

眼前の敵のみに意識を向けていた男の耳に、自身を呼ぶ声が聞こえた気がした。その一瞬が敗着の要因、自身の死を悟らせるに充分な程、男は敵の技を熟知している。そのはずであった。この距離、範囲であれば後ろにいるかもしれないお嬢様も間違いなく射程範囲だ。声を認めた瞬間、自身の死と同時に主の死を連想する。眼前には死の瞬間、赤い残光が目に焼き付いた。走馬灯、思考が加速する。死の瞬間が引き伸ばされ、もう対処が間に合わない腕を振るった。

「がっ……‼」

理解が追いつかない。男を切り抜けて、魔王の眼前に自身がいるとバルトは認識していた。そう誤認した。自身の大剣は柄から切り落とされ、灼熱した赤い刀身は水を纏う青い刀身に叩き落されていた。刀身に触れたのは一瞬だったのか、何一つ視認できなかった動作は蒸発した透明な膜と残された結果を認識する事で推測することはできた。そして、まるで転移したように、魔王の前に男が立ち塞がっていた。人間を超越した速度の剣技を、正面から認識できない速度で対処され、魔王の前に先回りれている。バルトが最後に見た景色はどこか悲しそうな男が振り下ろす青い残光であった。



バルトの身につけた鎧は背中から砕かれ、途端重力を思い出したかのように、地面に叩きつけられる。人間であれば潰れてもおかしくない力が落ちてきたが、身体強化が余程強力なのか、バルトの意識を刈り取るだけに留まっていた。

男は 剣先を下に向け、首に狙いを定める。刀身からは水が零れ落ち抜身の刃が現れる。青い光を失った刀身は鈍色に染まっていた。

「待て、ケルザ」

「何だ」

「……そいつは、知り合いではないのか」

「俺はケルザだ。主に仕える従者でしかない」

「殺す必要はあるのか」

「こいつは、またお前を狙いに来るだろう」

「私は貴様に対処を一任した。その時に殺す必要はないと貴様は確認しただろう」

「覚えていないな」

「……やはり、貴様は頭が鈍い。ここは街中だぞ。住人達に遠巻きながら見られている。貴様が生活するために築いてきた全てが、貴様の手で崩れると言っているのだ」

剣先は首に狙いを定めて離さないが、男はようやく後ろへ振り返る。腕を組んで、感情の読めない表情の主が、真っ直ぐに男の目を見据えていた。

「貴様は私の従者だろう。城の設備類や調度品の仕入れ、手入れはどうする。貴様の考えなしの行動で、私の快適な生活を阻害するつもりか」

「……それは」

遠くから叫び声が聞こえた。同時に大声が響く。

「どいたどいた‼ あぶねぇぞ‼」

街の入口側から暴走する馬車が一台迫っていた。

「……今なら、貴様は私を狙い襲ってきた魔族を返り討ちにしたと街の人から思われるだろう。だが、ここで殺したらどうだ。貴様が笑顔を貼り付けてまで築いてきたものが水泡に帰すのではないか。魔族だろうと生物を躊躇いなく殺す人間に、街の住人は今まで通り接することは出来るのか?」

男は主の言葉に答えない。土煙と騒音を立てる馬車は速度を落とさずに、逃げようとした青年を拾い上げ、そのまま男と少女へと突き進む。

「あの貴様と私に突っ込んでくる馬車ごと切り捨てるか? 奴はそこに倒れ伏す男を救いに来たようだが。私の命を狙っていない以上、貴様は奴に手を出せないのではないか」

「…………」

「ほら、早く決めろ。私は貴様の主だ。貴様の如何なる愚行も私に責任がある。貴様が仕えるに相応しい主に背負わせるべき責任なのか。それすらも判断できないのか」

滔々と語りかける少女は、暴走する馬車など視界に収めない。ただ、揺るがずに男の双眸を見つめ、男の視線を捕えて離さない。男は唇の端を噛み切り、溜飲を下げると納刀し、主を抱き抱え駆け足でその場を離れた。振り返ると乱暴に方向転換し、倒れるバルトを拾い上げ、切り落とされた大剣を回収して街の外へと走り去って行くのが見えた。

「……すまない。冷静ではなかった」

「まったくだ。貴様の方が強いのであれば、来る度に返り討ちにすれば済むことだ。私に興味のない他人の命を背負わせようとするな」

事が済んだのを理解したのか疎らに住人が現れ始め、走り去る馬車や、お嬢様を守りきった従者を各々が好気を隠せずに見ていた。

「ところでだ」

男に抱えられる少女は、抱かれたまま腕を組み男を見上げる。

「貴様が直接私に触れるのは初めてではないか。どうだ、大好きなお嬢様の身体は? 貴様の両腕に収まる小さくて華奢な身体は。柔らかいであろう?」

くつくつと少女は笑う。遅れて主を抱き上げていたことを思い出し、ぎこちなく主を地面に立たせる。

「今日、貴様は初めて従者として私を守り仕事を完遂したのだ。褒美だ、好きなだけ貴様だけの主を抱きしめて良いぞ?」

髪を靡かせ、目を細める。目に見えてからかってるのが分かる表情で笑う少女の言葉に、自分は主を守ったのだと、ようやく実感した。

「うるさいぞ」

「ふむ、そうさな。貴様は年の割に初心なのであった。こんな街中では私の言葉にも素直に従えんよな。今日の私は気分が良い。続きは城に帰ってから……な?」

楽しみにしていろと言わんばかりの少女を無視して、男は方方に頭を下げて回る。今まで築き上げた信頼は伊達ではなく、お嬢様が襲われたのを見ていた人達もいたお陰で主と従者が責られる事はなかった。むしろお嬢様が狙われた事で男の嘘に真実味が増し、街では噂に尾ひれがついていた。 亡国のお姫様が国を守る騎士と駆け落ちしたという有りもしない噂が──。



「戦士殿、気がついたかい」

連日連夜、馬車を走らせたジレンは都市から幾ばくか離れた街の宿で起きたバルトに声をかけた。

「ここは……」

「グアンザットから街をいくつか戻った。3日以上寝てたんだ」

「そうか。ハイラは?」

「城への報告を送りに行ったよ。あれから休まずにここまで来たからな」

起きたバルトは自分でも意外なほど冷静だった。自分は従者に負け、ジレンとハイラに助けられここにいるのを直ぐに理解できた。

「すまない、助かった」

「気にしなさんな。俺は現場にいなかったからな。どうも騒がしくなってきたから馬車を無理やり返してもらって、駆けつけたら戦士殿が倒れてて驚いた。顛末だけはハイラから聞いたよ」

「とりあえず、予定は達成できなかったが王都に向かっているんだが問題ないよな?」

「ああ、問題ない。仲間と合流する必要がある」

完敗だった。正面から打ち負かされた。これでも勇者と共に魔王と戦った自負はあったし、腕に自身もあった。一対一で戦って負けるなんて考えてすらいなかった。ハイラが話していないだけかもしれないが、予定の一つは達成できた。それだけでも収穫は充分であった。

「しかし、戦士殿が負けるなんてな。それで従者の持っていた剣は……」

「確認した。間違いなくコルドの物だった」

城の現状は確認できなかったが、それ以上に謎が増えた。街に溶け込む魔王、勇者の剣を持ち同じ技、体捌きをする従者。何より、髪の色と顔の火傷痕に目が行っていたがあの顔は間違いなくーー。

「ジレン。すまないが帰りは可能な限り急いでほしい。一刻も早く仲間と合流して情報を共有したい」

「任せてくれよ、戦士殿」

そして今度は、今度こそは仲間と魔王を、あの従者を倒す。

「ハイラが戻り次第でるか?」

「いや、もう何日かは走りっぱなしだったんだろう。今日は休もう。俺もまだ体がだるい」

「わかった。ゆっくり休んでくれ、戦士殿」

ジレンは席を立ち、部屋を出ていった。

「……コルド」

恐らく王都に戻っても勇者はいない。予感めいた想像ではあったが、同時に確信もあった。あの男が勇者と無関係なわけがない。最悪、魔王と同行していたのを考えると洗脳されて見た目を変えられたとも考えられる。もし、そうならば状況は絶望的だ。魔王と対等な存在の勇者が、魔王と肩を並べる。それは世界が魔王の驚異に対する抑止力を失ったことに他ならない。場合によっては新しい勇者を探し出す必要もある。いや、王都で勇者と合流できなかったならば国王に進言しなければならない。それ程までに状況は切迫していた。



国王との謁見後、一行は酒場にて話し合いの場を設けていた。ガヤガヤとした店内は意識を向けない限り、他のテーブルの会話は耳に届かない。

「……やっぱりコルドはいなかったか」

バルトは久方ぶりに集合した仲間を見て呟く。

「ねぇ、王様に新しい勇者の選定を進言したって事はさ。コルド……」

「生死はわからない。だが、王都で再会できなかった場合は進言するのを決めていた」

バルトは魔法使いに答える。

「一応、勇者さん以外は全員無事でしたね」

「あぁ、一先ずは安心した。ようやく時間も出来た。一度、情報を共有したい。魔王と戦った後から教えて欲しい。ユーリ」

「んー、私が最後に覚えてるのはコルドが何か巻物っぽいのを出した所かな。そこからは飛んで最東端の森にいたよ。怪我とかも全部治ってた。帰るのに時間掛かりそうだったから国に手紙を出してから、王都に戻ってきたね」

魔法使いは顎に指を当てて思い出す。

「そうか。フィーレはどうだ?」

「私は最初に気を失ったので参考にはならないかと。気が付いたら国境付近に飛ばされてまして……。私は教会の人間なので、近くの支部で保護してもらいながら戻ってきました。ただ、戻る道中で魔王城に住み着いた人達の噂は教会の人間から聞きましたね」

「俺より早く話は聞いていたわけだな。もう少し詳しく話せるか?」

「詳しくと言われても大した話は……。見慣れない男がグアンザットに現れて、魔王城に出入りしてると。街の人も最初は関わりたくなかったみたいですが、金払いもよく、人当たりの良い人と聞きました。城の改修に職人を招待して以降は街の人達も魔王は居なくなったと判断して、珍しい隣人として上手く付き合ってるようですね」

「……なるほど。確かに街に上手く溶け込んでいた。男ではなく、女の話は聞いてないか?」

「お嬢様ですね。話だけは聞いてますが、詳細は特に聞いていません」

「そうか、わかった。デリダは?」

「僕も大差ないけど、最後に魔王が何か羊皮紙を見てた気がするなぁ」

「……羊皮紙。ユーリの巻物と同じものか?」

「周りを見る余裕なかったから、誰が意識あったとかはわからないよ」

「仮に同じ物とすれば、コルドは魔王に何かを渡したということか?」

「かもしれないね。僕は王都には近かったんだけど、一般人が立ち入っちゃ駄目なとこに飛ばされてね。嫌疑が晴れるまで拘留されてたよ」

「出れてよかったな」

「まる一ヶ月はかかったね。国王の使いを呼んでもらってどうにかって感じだし」

「どこに飛ばされたんだ?」

「いや、言ったら今度こそ捕まっちゃうから」

「バルトさんはどうだったんですか?」

フィーレの問いに、これまでの経緯を話す。

「……混乱を避けるために、あの場では報告してなかった事がある。そしてそれが、取り急いで合流したかった理由だ」

「報告しなかったこと?」

「王様の前では言えないようなことだったのですか?」

「あぁ、そうだ。俺の手に余るが今国王に報告すべきではないと判断した」

「その代わり僕達に手伝ってほしいって事だね。どんな話?」

「先に言っておく。騒がずに落ち着いて話を聞いてくれ」

一拍、全員に言葉を理解させるように間を置く。仲間を一瞥してバルとは口を開いた。

「まず初めに、魔王は生きている」

各々の表情が険しくなる。眉をひそめ考え込むように、自分たちの敗北を理解して歯噛みする。

「お前たちの気持ちはわかるが、まずは最後まで話を聞いてくれ。俺達が戦った時とはだいぶ身なりが変わってお嬢様と呼ばれていたが、間違いなく魔王だ。あの異様な魔力を直接味わったお前たちも、接触すれば間違いなく魔王だと理解できるはずだ」

「お嬢様が魔王って……。ただ自分の城に住んでることを街の人に周知させただけじゃない」

「そうだ。現状は何も変わっていない。いや、悪化している。理由はわからないが魔王は普通に起きて生活しているようだった。呪いが解けた可能性もある。それとこちらは勇者が欠けたが、向こうは従者を手に入れている」

「噂でも聞いていた男の方ですね」

「下手をすると魔王よりも厄介かもしれん。未だに俺も理解できないことの方が多い。あの男は、髪は灰色で顔に大きな火傷痕があったが……、あの顔は恐らくコルドだった」

「コルドさん、ですか?」

「そいつはコルドの剣を持って、コルドと同じ体捌きで、コルドと同じ技を使う従者だった」

「……それって、もう答え出てない?」

「最悪の答えだな。コルドは魔王に洗脳されてるのか、魔王の従者になっている可能性が高い」

「あんた、それがわかってたから新しい勇者の選定を……」

「それもあるが、単純に魔王を倒す上で圧倒的に障害なんだ。今回、俺は一対一で挑んで完膚なきまでに負かされた。俺一人では従者には勝てない。だから、お前達と合流する必要があった」

「え、バルトさん。撤退じゃなくて負けたの?」

「そうだ。正面から挑んで完全に負けた。一緒に都市へ向かった二人に助けられて、敗走して今に至っている」

「仮に従者がコルドだとしても、あんたがそんな完全に負けるなんであるの?」

「そこもわからないところではある。もしコルド本人だとしても、あの時俺は完全に殺すつもりで刃を向けた。いや、間違いなく殺していたはずなんだ。だが、結果としてコルドでは対応できない速度で対処され、敗北した」

「バルトさんが完敗するなんて……。私達で倒すことは出来そうですか?」

「わからない。最悪戦うとしても、その前に皆に従者と魔王を確認してもらいたい。俺も頭に血が上って冷静ではなかった。全員の見解を知りたい」

「なんにせよ、もう一回魔王城の前まで行く必要があるのね」

ユーリの言葉にバルトは頷く。

「ああ。今回は失敗したが、次は実際に魔王城にも入りたい。俺が冷静でいられるように、手伝ってほしい」

「わかりました。では、出立の用意を……」

「いや、急がなくて良い。今回は俺を助けてくれた二人に同行してもらうが、二人の都合を合わせる必要がある。一週間程度、調整に使う。連絡ができるように王都で好きにしてくれ」

「わかったよ。バルトさんの連絡を待てば良いんだね」

「ああ。決まり次第連絡する」

「そう。じゃあ、私は私で準備しておくわ。家にいるから適当に連絡して頂戴」

「私も教会にいますので」

二人は席を立ち、店を後にする。残された二人は改めて食事を頼むと、先に来た飲み物に口をつけた。

「バルトさん、実際どうなの? 僕達がいたら従者には勝てるの?」

「恐らく、だな。ユーリに魔法攻撃、フィーレに魔法補助、俺とお前で前衛。コルドの抜けた穴をお前が埋める事になるな」

「いや、穴埋められないでしょ。それ」

「埋めろ。俺だけだと、精々従者の足止めにしかならない。他の攻撃の手が欲しい」

「んー、じゃあバルトさんが攻撃兼盾役で僕が隙を見て近接攻撃、ユーリさんが遠距離攻撃って感じ?」

「そうなるな。もし戦闘になると俺に余裕はない。俺と従者のやり取りに割り込んで攻撃しろ」

「ユーリさんは牽制できたとしても、僕は辛すぎない?」

「俺とコルドの戦い方は見てきただろう。合わせろ」

「強引だなぁ」

「俺達の戦い方を間近で見てきたお前に出来ないなら、他の奴にも無理だ。それなら諦めもつく」

「信頼が重いよ……。まぁ、頑張ってみる」

「頼む。ただ、今度こそ現状を把握したい。俺個人の暴走は止めてくれ」

「それはユーリさんとフィーレさんに任せるよ」

店員が出来上がった軽食を給餌すると、テーブルを離れていく。

「バルトさん、負けたって言ってたけど従者はそんなに強かったの?」

「それもあるが、俺の技を知っているような対処に見えたな」

「余裕のある対処って感じ?」

「……最初は出し惜しみしてた様に思う。たぶん、コルドの技を使うかで躊躇したんだろう。ただ、一度使ってからは、躊躇わなくなった」

「そもそもバルトさんの技って防いでも炎でダメージ受けるし、大剣の熱で焼き切るから防御もできないよね?」

互いに軽食に手を伸ばし、口に頬張る。薄くスライスされたパンは、焼きたての香ばしさが鼻を抜けた。

「炎はおまけだけどな。それも初めから受ける覚悟だったんだろうな。最小限のダメージで受け流された」「えぇ……? あの使い勝手が悪いって言う突撃技は?」

「それを正面から破られた」

「……マジ?」

「俺は本気で殺すつもりだった。使った瞬間までは、間違いなく従者は対処できる様子はなかった」

「いや、だってあれ大剣を超高温にする魔法かけて、攻撃を防げなくしてるよね? それに身体強化を掛け合わせて、使ってるバルトさんですら目が追いつかない速度で突撃してるんだよね?」

「そうだ。俺も切り抜いた後、速度が落ちてからしか結果は視認できない」

「そんな目で追えない防御不能の技、どう対処するのさ」

「常人には無理だな。だからこそ、従者がコルドなのかが疑わしい。いくらコルドでも、攻撃範囲を予測して回避が関の山だ。だが、あの従者は何をしたのか結果だけ見れば、俺が技を使った後に、俺の剣を壊して地面に叩き落とし、そのまま俺の正面に回り込んで、俺を地面に叩きつけやがった。そこで気を失ってな。もう正面から敗れたのを、俺自身が認めてる」

「それバルトさんの速度完全に上回ってますよね。そんな速度で動ける相手に勝てる気がしないって言うか……。え、武器壊されたんですか?」

「器用なことに柄から切り落とされた。それの修理も含め一週間程度の時間を取った」

「もう戦うのは悪手ですよね。最後の手段にしましょうよ」

「そうだな。例え倒せても魔王が残っている。対策を講じる必要があるな」

「うわぁ、怖いなぁ。戦いたくねぇー」

頭を抱えるデリダを尻目にバルトは食事を続ける。

「お前にはコルドの代わりを努めてもらう。少しでも俺の動きを理解させるためにも、空いた時間は俺と実戦形式で稽古してもらう」

「うあー、それもやだなぁ」

デリダは大きくため息を付きつつ、内心自分の為に時間を割くバルトに感謝していた。


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