第9話:再会と邂逅2 シィラ篇4

気が付くと見慣れた天井、自室であった。布団が肩までかけられ全身が温かい、……いや暑い。窓から入る陽光の明るさから昼前後だと見て取れた。倦怠感を引きずりながら重い体を起こす。掛け布団のずり落ちた部分が外気に触れ肌寒く感じた。起こした体から落ちるように頭が前に垂れる。もう一度強く目を閉じることで、気分がわずかに晴れた。どうにも記憶が曖昧だ。シィラと戦闘したのは覚えているが、最後はどうなったのか。もしや負けたのだろうか。鈍い頭は記憶を遡る。断片的な記憶を拾い上げ、最後は廊下に倒れたことを思い出した。記憶がないだけで自分でベッドまでたどり着いたのだろうか。数度呼吸を繰り返した後に頭を上げる。日課をこなしていない。いや、まずは風呂に入ろう。火照った体が気持ち悪い。布団をよけて床に足をつく。頭を上げ前を見るとシィラが備えた椅子に座り、テーブルに突っ伏すように倒れ寝息を立てていた。何故こいつはここにいる、ここで寝ている。一瞬だけ不快感を得たが、どうでも良くなる。それよりも今は風呂に入りたかった。音を立てないように着替えを手に取り、ゆっくりと部屋のドアを開くと浴場へと向かう。体は重いが正常に動く。記憶が途切れた場所でふと足を止めた。そこはシィラの部屋の前であった。

「……俺はここで気を失ったのか」

そうであれば、もしかするとシィラが自分が倒れているのを見て部屋へ運び込んだのだろうか。いや、恐らくは俺に負けた後のはずだ。それならば自分を殺しかけた相手を部屋に運び、丁寧にベッドに寝かせたことになる。シィラはそんな奴か。再度足を動かしながら考える。あいつならば、廊下に放置してもおかしくはない。鼻で笑いながら皮肉の一つでも言いそうだ。記憶の欠片だけでは正しい情報が得られない。考えながら歩いた足は無意識に王座の横にたどり着いていた。ここに立つことになってから随分と経った。主のいない王座を見るに魔王はまだ寝ているのだろう。室内を見渡す。広い部屋だ。魔王と戦闘したのもこの部屋だ。まさか他の存在とも同じ部屋で戦うことになるとは思わなかった。自分が立っていた位置を見ると設えた上等な絨毯が破れ、入り口脇の壁が二か所抉れていた。存外にシィラは強かった。部屋の入り口から廊下に出て足を進める。攻撃魔法が不得手と言っていたが、他にも使える魔法はあるのだろう。むしろ攻撃魔法が得意な相手の方が対処もしやすかった。幻影に分身、自身の攻撃を受け付けない魔法障壁。そして思考を乱してくる精神魔法に、乱した思考を都合よく導く誘惑魔法。魔王の魔力がなければ間違いなく自分が負けていた。そうなれば自分はシィラの従者も兼任することになってただろう。いや、それで済んだとは思えない。脱衣場についたところで、今更ながら改めて自分の置かれていた立場を理解して危機感を覚えた。着替えと着ていた衣類を棚に置くと、遅れて理解した危機感とべたつく体の不快感を払拭する為に浴場へと入っていった。



浴場で洗い流された体と倦怠感は爽快感に代わり、軽い足取りで自室へと戻る。出ていく時の気遣いは忘れ普段通りに音を立てドアを開いた。開いた先でうつぶせていたシィラは顔を反射的に上げる。口を開いては閉じる不毛な行為を繰り返すと、今度は瞳に涙を溜めると頬に流しながら、えぐえぐと泣く。人の顔を見るなり泣き出すのは如何なものかと、シィラを横目にベッドに腰を下ろす。流れる涙を袖で拭いながらシィラは勇者の方を向いた。

「……せんぱぁい」

「何故部屋にいる」

「そんなのはどうでも良いんですぅ。体は大丈夫ですかぁ、痛い所はありませんかぁ?」

涙目で不安そうな、心配そうな声を出しながら縋るように上目遣いで勇者を見やる。

「あぁ、やはり気絶してたのか。お前がここまで運んだのか」

「そうですよぅ、魔王様も寝ちゃって大変だったんですからぁ」

「そうか、意外だな。お前なら廊下に放置しそうなものだが」

「せんぱいは私の事何だと思ってるんですかぁ?」

グズグズと泣いているシィラに対して、応えあぐねる。

「まぁ、良いです。負けたのは私なので素直な後輩のフリはしまぁす」

「ふりなのか」

「簡単に性格は変わりませんよぅ、なので猫を被りますねぇ」

「……そこまで明け透けだと清々しいな。もういい、気にするな。今さら猫をかぶられても気持ちが悪い」

「失礼ですねぇ、こんなに可愛い猫なのに」

猫が毛繕いをするように涙を拭き取る。ようやく落ち着いたのか、目は赤いが涙は引いていた。

「とりあえず、礼は言おう。助かった」

「やっぱり、まだ不調ですかぁ? 無理しないで言ってくださいねぇ」

好意が皮肉か判断に困る表情のシィラに溜息をつく。

「大丈夫だ、それよりどれくらい寝ていた?」

外を見る限り丸1日は寝ていただろう。

「一週間くらいですねぇ。魔王様が起きてぇ、とりあえず説明してぇ、また昨日寝ちゃいましたぁ。後、お医者様も呼んだんですよぅ」

「……一週間?」

「はいぃ、死んだかと思いましたよぅ。お医者様も極度の疲労だろうから、近い内に起きるだろうと此処で休ませて様子を見るとの事でしたぁ。明日、またお医者様が来ますので検査とお支払いお願いしますぅ」

「……そうか、わかった。俺が倒れている間に何かあったか」

「いいえ、特にはぁ」

「わかった、もう大丈夫だ。手間をかけた」

「それだけですかぁ?」

「他に何がある」

「お礼に素直で可愛い後輩を可愛がるとかぁ」

「意味が分からない」

「とにかく疲労が原因で倒れたとの事なので、しっかり休んでくださぁい。何かあれば私がやりますのでぇ」

「妙に優しいな。猫を被る必要はない」

「失礼ですねぇ、本気で心配したんですよぅ。私は生意気なせんぱいにお仕置きしたかっただけで死んで欲しいわけじゃありませんでしたしぃ」

「そうなのか」

「そうですよぅ。せんぱいが死んじゃったら誰が魔王様と私を養うんですかぁ?」

「自立しろ」

「その為にも、まずはせんぱいに元気になってもらわないと困りますぅ。何かして欲しい事はありませんかぁ?」

「正直、気色が悪い」

「魔王様が寝ている間、誰が甲斐甲斐しく看病したと思ってるんですかぁ? せんぱいは寝ている間、私に面倒を見られていたんですよぅ?」

「知りたくないことを聞いたな。だが、確かに休む必要がある。言葉に甘えよう、まだ倦怠感が残っている」

勇者は体を倒すと、布団の中に潜り込む。

「うふ、素直なせんぱいは良いですねぇ」

「寝るから部屋に戻れ」

「はぁい、わかりましたぁ」

いつもと変わらない気の抜けた口調で返事はしたものの動く気配はない。勇者は黙って目を閉じる。シィラは下手に構うと反応する性格だ。そのうち出て行くだろうと体を休める事に専念する。程なくして衣連れの音がして、シィラが席を立ったのがわかった。柔らかく温かいものが勇者の頭に触れる。

「うふふ、せんぱいは言う事を聞けて良い子ですねぇ」

子供をあやすように頭を数度撫でると満足したのか手を離す。

「おやすみなさぁい」

シィラは柔らかい声を置いて部屋を出て行った。



先日診察に来た医師に問題はないが、まだ疲労が残っていると言われた勇者は養生するように告げられるも、数日もすれば回復するだろうと太鼓判をもらっていた。医師の言葉を受け数日は日課の訓練は軽く済ませ、城の周囲を見回るに留めていたが徐々に体を持て余していることに気付く。そこで今日からは普段通りの日課に戻した。疲労感はあるが慣れた動作は淀みなく終える事ができた。王座の間へ向かうと見慣れた景色が勇者を迎えた。

「おぉ、元気そうではないか」

「おはようございますぅ、せんぱぁい。朝から無理はいけませんよぅ?」

「むしろ今まで動かなかった分、不健康だった」

勇者は定位置に立つ。

「シィラから粗方は聞いたぞ」

「そうか」

「生意気な先輩にお仕置きされて従順な後輩に教育されたそうだ」

「……本当に従順になっているのか」

「なってますよぅ。せんぱいには逆らえませぇん」「先輩にめちゃくちゃにされて嫁げないとも言っていたな」

「責任とってくださいねぇ」

「従順とは思えない発言ばかりだな」

「なるほど、お前の言う従順は自分に都合がいい女という事だな」

「はぁい、私はせんぱいに都合のいい女の子ですよぅ。ちゃんと責任は取ってもらいますがぁ」

「……関わるのが間違っていた」

「と言うか、せんぱい人間ですよねぇ? 何でそんなに強いんですかぁ? 私、負けるとは思わなかったんですがぁ」

「何だ、言ってなかったのか」

「必要がないからな」

「本当なら今頃、私無しでは生きられない体のはずだったのにぃ」

いつもと変わらずぶっきらぼうに答える勇者に、シィラは口を尖らせる。魔王はくつくつと笑いながら口を開いた。

「まぁ、私を殺そうとするくらいだ。魔族の一匹程度、倒せる能力はあるだろう」

「一人では搦手に弱い事がわかった。今後、シィラと似たタイプには一人で戦わない事とした」

「えぇ? せんぱい魔王様殺そうとしてたんですかぁ? 魔王になるつもりの野心家ですかぁ? ん、あれぇ……? せんぱいは人間でぇ、魔王様を殺そうとしてぇ、魔王様が起きるようになったのが勇者と接触した辺りでぇ?」

「中々に聡いではないか。野心家ではなく英雄のなり損ないだ。こやつは勇者だぞ」

「元だ」

「元勇者……。勇者?」

ニコニコとした表情のシィラは短い悲鳴を上げると、魔王の頬杖を付く肘掛けの裏に隠れて怯えた顔だけを覗かせた。

「ま、魔王様ぁ‼ 勇者、勇者ですよぅ‼ 殺されちゃいますよぅ⁉」

魔王はシィラの行動に笑い、返事を返さない。

「魔王様は寝てたから知らないんですよぅ、勇者達の悪逆非道の限りを‼」

「ほぅ、それは聞き及んでおらんな」

「い、良いですかぁ。まず勇者は徒党を組んで襲ってきまぁす‼」

「うむ、襲われたな」

「しかも私達魔族が一人の時を狙うんですよぅ⁉」「確かに一人の時だったな」

「勇者なのに卑怯ですよぅ‼」

「目的を達成するのに手段を選べる立場ではなかったからな」

「いったい、どれ程の罪のない魔族が殺された事か‼」

「俺達以外は知らないが、俺は襲われたか邪魔をした魔族を切り捨てたまでだ」

「聞きましたか、魔王様ぁ‼ この非道さ、凡そ勇者と呼べる者ではありませんよぅ⁉」

「自分の邪魔を許さないのは今も変わらんよな、ケルザ」

「わ、私も気に食わないからって殺されかけましたぁ‼ いえ、死んでましたよぅ‼」

「喧しい死体だな」

えぐえぐと泣き喚きながら魔王に抱きつく姿は従者とは言えない姿だった。魔王は宥めるようにシィラの頭を撫でる。

「安心しろ。もしこやつがお前を本気で殺そうとするなら私が守ってやろう。こやつは私に危害を加えられん」

「あうぅ……、そうなんですかぁ?」

「そうだ。魔王との契約で危害を加える事はできない」

「ほ、本当ですかぁ? 私を殺しませんかぁ?」

「今は殺さない」

「勇者はそうやって魔族を騙すってみんな言ってましたぁ。騙して複数人で一人を不意打ちをするってぇ。魔族は一人残らず根絶やしにするってぇ。見つけた村には火を放つってぇ……」

「そうやって聞くと確かに悪逆非道に聞こえるな」

「魔族の間での勇者がどんな存在か初めて知った」

「わ、私は悪い魔族じゃありませんよぅ……? なので命だけはぁ……」

ビクビクと魔王を盾に怯えるシィラは弱々しく命乞いをする。

「本当に気付いてなかったのか」

「人間だとはわかりましたよぅ? 強いのも良くわかりましたぁ。でもだからってぇ、勇者が魔王様の従者になってるなんて思いませんよぅ……」

「そうさな、本来なら勇者は死んでいる。そうだったなら、最初の従者はシィラだったな」

「何が怖いって自分が勇者なのに、何食わぬ顔で私から勇者達の情報聞き出してきたんですよぅ? その時に何回腰の剣に手を置いた事かぁ。私、知らない内に何回も殺されかけてたんですよぅ? 今になってせんぱいが怖いんですけどぉ」

「ケルザ、私の従者を手に掛けようとするな」

「善処しよう」

「うぅ、せんぱいの邪魔したら殺されますぅ」

「こやつは以前、私の配下を勝手に殺しているからな」

「配下というよりは城に住み着いていた魔物共だろう。俺が住む以上、邪魔だから片付けたまでだ」

「ひぃぃ、前科持ちでしたぁ‼ 邪魔したら本気で殺されちゃいますぅ‼」

「シィラ、耳元で騒がないでくれ。お前は私に必要だ。殺す事は私が認めん。だから落ち着け」

「はいぃ、すみません魔王様ぁ……」

「まったく、勇者に対して恐れ過ぎだ」

「うぅ、すいませぇん。でもでもぅ、せんぱいが強いだけの人間ならまだ信用できて、ここまで怖くもなかったんですよぅ? でも勇者は駄目ですぅ、小さい時から勇者に遭ったら殺されるって言い聞かせられて育ったんですぅ。それに見てくださぁい」

シィラは抱きついていた魔王から離れると首元を見せる。

「ん? 怪我をしたのか?」

「せんぱいに切られましたぁ。私、あの時本当に死ぬんだなって初めて感じたんですよぅ。これがただの人間なら我慢できましたぁ。でも刷り込まれた勇者像と死を実感したことが結びついちゃって、せんぱいが勇者と知った今、せんぱい自体がトラウマになってますぅ」

「良かったな、ケルザ。従順な後輩が出来たぞ」

「……俺は別に怖がられたい訳ではない」

「では、トラウマの克服が必要だな。このままでは生活にも支障が出るだろう」

「……まぁ、そうだな」

城内ならまだしも、外に出ても同じ調子では町の人達に余計な疑惑を与えかねない。それは避けたい。

「シィラ、ケルザが怖いか?」

「せんぱいというより、勇者ってことが怖いですぅ」

「それは昔から言われ続けた勇者の話が原因だな?」

「たぶん、そうだと思いますぅ」

「ふむ、ではその考えを上書きできれば解決だな」

「上書きですかぁ?」

「そうだ。勇者に対する恐怖をケルザより下になる様にする」

「おい」

「それには実際の勇者は怖くないと知る必要があるな」

「身内に勇者がいるなんて恐怖でしかありませんよぅ、いつ殺されるかわかりませぇん」

「その恐怖を克服するために、ケルザはしばらくの間シィラには優しく接してもらおう」

「せんぱいにですかぁ?」

「やらん」

「そうだ。今までケルザとは普通に接することが出来ただろう? 今は刷り込まれた勇者像を思い出して恐怖が勝っているが、勇者と知らなかった間は問題なかった」

「問題はあっただろう」

「だから勇者に対する恐怖より、ケルザへの信用が上回る様に甘やかしてもらうと良い」

「何故甘やかす必要がある」

「いっそ勇者とケルザは別物として割り切れ。勇者だったと言うことを忘れるくらいに、ケルザに甘やかされると良い」

「せんぱいにですかぁ?」

「そうだ。勇者などただの肩書だ。勇者と呼ばれたケルザが怖いのであれば私の従者であるケルザ、お前の先輩であるケルザ。ケルザ個人をより理解して信用すると良い。それが勇者への恐怖を凌駕できればトラウマは克服でるだろう」

「それが何故甘やかすになる」

「一般に甘やかすというのは他人に対する度が過ぎた優しさだ。度が過ぎた恐怖を植え付けられているシィラには、同様に度が過ぎた優しさが必要だろう?」

「せんぱいに我儘言っても良いんですかぁ?」

「構わん」

「言うな」

恐る恐る、恐恐とシィラは肘掛けの影から這い出してくると定位置に座り込む。不安そうに魔王と勇者を見た後に口を開いた。

「私、村では蝶よ花よと言った感じに大事に育てられましたぁ。危ない事や痛い事から遠ざけられて生活してきたんですぅ。だから私の人生の中で一番怖いものが勇者でしたぁ。ですがぁ、せんぱいに殺されかけて死を実感したときの喪失感は今思い返しても、勇者に対する恐怖感すら忘れさせるものですぅ。それを考えると、きっと他の感情でも恐怖心は克服できると思いますぅ。ですので頑張ってトラウマは克服しようと思いまぁす」

「うむ、前向きなのは良い事だ。これなら早く克服できそうだな。ほれ、ケルザ。甘やかしてやれ」

「確かに支障が出るのは困るが、他の方法もあるだろう」

「代案を出せ」

魔王の言葉に口籠る。そんなものがすぐに出る様な経験はない。

「それにケルザ、貴様はシィラに報いる必要がある」

「何の話だ」

「貴様がシィラと争ったことに関しては互いが互いの理由で行ったことだ、口は出さん。だが、その後に貴様が倒れてから回復するまでの間、献身的な看病をしたのはシィラだ。貴様はその礼を済ませていないのではないか?」

「……言い返せないな」

「シィラは貴様の面倒を見たのだ。今度は貴様がシィラの面倒を見て然るべきだろう?」

「……わかった。トラウマの克服には協力しよう。そうしなければ今後に不安が残る。だが、甘やかすのは無理だ。極力優しくしよう。それで妥協してくれ」

「ふむ、だそうだ。シィラ、問題ないか?」

「せんぱいが甘やかしてくれないなら、私が頑張って甘えるので優しくしてくださいねぇ?」

「……善処しよう」

「村でも一番甘やかされて育てられてので、甘えるのは得意なんですぅ」

「誇れないな」

「あぁ……。頑張って普段と同じように話してますけど内心、怖くてドキドキしてますよぅ。この言葉に表せない感覚はなんて言うんでしょうかぁ?」

「さて、とりあえずの展望は決まりだな。ケルザよ、シィラのトラウマ克服にしっかり協力しろよ。私は少し眠い。部屋で休むとしよう」

シィラの頭を撫でると魔王は席を立つ。勇者とすれ違いざまに「任せるぞ」と言い残すと部屋を出ていった。残された二人は硬い空気だけが残る部屋で、意図せず目を合わせた。

「せ、せんぱぁい……」

「何だ」

「あの、えっとぅ……。勇者様とお呼びした方がぁ?」

「今まで通りで良い。俺はもう勇者ではない。名前も仲間も捨てたただの人間で、魔王に拾われた従者に過ぎない」

「本当ですかぁ? 敬わないと殺すとか言いませんかぁ?」

「言わないから安心しろ」

「だってぇ、元とはいえ勇者で私を殺しかけた人ですよぅ。怖いに決まってまぁす」

「俺も魔王に殺されていたはずが、今はこうやって従者として仕えている」

「せんぱいは図太いだけですぅ、厚顔無恥なんですよぅ」

「そう考えれば俺もお前も誰かに殺されかけているが、その対象は共に生活する相手だ。中々に奇異ではあるが似た立場だ」

「それは殺そうとした側が言う台詞じゃありませぇん」

「一先ずはお前を殺すつもりはない。と言うより、今回俺が勝てたのは魔王の魔力があったからだ。無ければ負けていた。お前の能力は充分に勇者を倒せるものだ。過度に恐れる必要はない」

「……本当ですかぁ? 慰めならいりませんよぅ」

「本当だ。お前は、お前が言われ続けた勇者を倒せる程度、ほぼ同程度の能力を有している。特に誘惑は強い。魔王の魔力を使っても最初は抗えなかった。普通の人間であれば、ほぼ防げないだろう」

「せんぱいは魔王様だけでは飽き足らず、私にも誘惑されているってことですかぁ?」

「……殴るぞ」

「ひぃっ、やめてくださぁい。わざとじゃないんですぅ。何も考えないで話すとこうなっちゃうだけでぇ……。せんぱいが私のことを好きなら、私は殺されないって安心できるんですぅ」

「……言っていることに一定の理解は示そう」

「魔王様も大好きだから自分色に染めあげて、守る対象にしてるんですよねぇ?」

「それは違う」

「私もせんぱいの言うこと聞きますからぁ……、せんぱいの趣味にも合わせますからぁ……。殺さないでぇ……」

言いながら殺される場面を想像したのか、涙ぐみながら肘掛けの裏に這いずりながら再度隠れる。

「……はぁ、わかった。殺さない。約束しよう」

シィラあまりの怯えように勇者は息を吐く。

「勇者は嘘つきって習いましたぁ」

「俺が嘘をついたか」

「せんぱいはぁ……、自分本意な利己的な人間ですか嘘はついてないと思いますぅ」

「引っかかる物言いだが聞き流そう」

「魔族を虐殺するって習いましたぁ」

「降りかかる火の粉を払い除けるだけだ。俺の邪魔をしないなら不要に干渉しない」

「だから私達の村を襲わなかったんですかぁ?」

「勇者に与えられた役目は魔王を倒すことで、魔族を滅ぼすことじゃない」

「村に火を放つってぇ」

「それは過去の勇者の行動から来たのか噂に尾ひれを付けたのか判断できないが、少なくとも俺はそんな事をしない」

「うぅ、信用しますよぅ? いいんですかぁ?」

肘掛けの裏から、肘掛けに両手を添えて不安そうな表情のシィラが顔を出す。

「あぁ、今までの問に関しては嘘ではない。信用しろ」

「わかりましたぁ。私は従順な後輩なので、せんぱいの言葉を信じますぅ」

「もう克服はできたな」

「そんな簡単に出来ませんよぅ、何面倒だからって放り捨てようとしてるんですかぁ。泣きますよぅ?」

「もう充分泣いただろう」

「確かに泣いてばかりですねぇ。こんなに泣いたの初めてですよぅ」

幾度目の動作かシィラは袖を濡らして鼻をすする。

「魔王様は優しいですがぁ、せんぱいみたいに私をぞんざいに扱う人は村にはいませんでしたぁ」

「こんな面倒な奴に付き合うなんて、余程お人好しの集まりだったんだな」

「それもありますけど私は族長の娘なのでぇ、みんながちやほやしてくれたんですぅ。ちやほや慣れしてるんですぅ。せんぱいみたいなぞんざい慣れはしてないんですぅ」

「……立場があるのに此処に来たのか」

「立場があるからですよぅ。族長の娘が魔王様の配下となれば、そうやすやすと族長の地位を奪えないじゃないですかぁ」

「政治的な考えに種族は関係ないんだな」

「今までの周りの人が何でもしてくれて甘やかしてくれて……。来た日にも言いましたけど、本当に不安だったんですよぅ? 甘やかされてきたのに急に一人で魔王様の配下になって来いってお父様に命令されてぇ……」

勇者はシィラの考えが足りない行動の理由に対して一部理解することが出来た。族長の娘という立場上、箱入り娘だったのだ。望めば与えられる生活をしていたのであれば、確かに考えずとも生きてこれただろう。

「……せんぱぁい?」

「何だ」

「私、せんぱいの好きなお嬢様ですよぅ?」

「そうか」

「魔王様みたいに私も甘やかしてくださぁい」

「魔王を甘やかした覚えはない」

「まぁ、自分の趣味を押し付けるくらいですしぃ。自覚がないだけかとぉ」

「……いや、そんなことはい」

無いはずだ。勇者は自身の過去を振り返る。魔王と共に城に住んでから、それなりの期間は経っている。だが、魔王が連日起きるのは3日程度。その後は10日程度まとめて眠りに就く。そろそろ3ヶ月程度経つと考えても魔王が起きていたのは30日程度。シィラが来てから一月近い。実質関わっている期間はシィラと大差なかった。

「甘やかすほど、起きている魔王とは接していないな」

「そうなんですかぁ?」

「もう一月も経てば、お前の方が付き合う日数は多くなる」

「あぁ、そうなんですねぇ。ほとんど寝てますからねぇ、魔王様」

「だから、お前が思うほど魔王と共有している時間は多くない」

「んふ……。それじゃあ、もう少しで私の方が長い付き合いになっちゃいますねぇ」

「実際に関わる時間はそうだな」

「ほらぁ、それなら私の従者になりましょうよぅ?」

「断る。魔王は3日従者をすれば、10日は好きに出来る。その10日をお前に使う気はない」

「その断り方は少しショックですよぅ」

「この生活は割と気に入っている、お前に割く時間はない」

「……もしかして、せんぱいって私のこと嫌いですかぁ?」

ようやく情緒の落ち着いてきていたシィラが、また瞳に涙を蓄える。

「嫌いではないが……」

「ないが?」

「面倒だとは思っている」

「酷いですよぅ……」

溜めた涙を流しながら、シィラはさめざめと泣く。

「確かに私は生粋のお嬢様なんでぇ、多少人を見下したような言い方はしますよぅ?」

「自覚があるのか」

「でもぉ、本気で思ってるわけじゃないんですぅ……。ただ、何も考えないで話すとそうなっちゃうだけなんですぅ。自分だけでは何もできないのをわかってるんでぇ、その劣等感を紛らわす為の自衛手段なんですぅ」

楽な生き方をしているように聞こえたが、シィラ自身思う所はあるらしい。

「誰かに嫌われたこともないので、嫌われるのが怖いんですよぅ。不安なんですよぅ。嫌われたら陰湿ないじめをされるんですよねぇ?」

言っていることはわからないでもないが、少し思い込みが強いようだ。

「せんぱいに嫌われたら陰湿ないじめをされるんですよねぇ? 魔王様に有る事無い事吹き込んで私をいびるんですよねぇ?」

「そこまで陰湿ではない」

「うぅ、じゃあ心が折れて逆らえなくなった私に意味もない暴力を振るうんですかぁ?」

「被虐思考甚だしい。例え嫌いだったとしても必ずしも攻撃対象になる訳ではない」

「それじゃあ、無視ですかぁ? 無視するんですかぁ? 私は話すのが好きなので一番心に来るんですけどぅ……」

「そもそも何故いじめられる事を前提に話を進めるんだ」

「だってぇ、いきなりされたらショックじゃないですかぁ。それなら少しでも心構えができる様に何をされるか把握したいじゃないですかぁ」

生き物は害意のない空間で生きると、ここまで自分に対する害意に弱くなるのだろうか。

「……わかった。いじめない、安心しろ」

「本当ですかぁ? せんぱいの目を見ると不安になるんですよぅ。私はせんぱいにとって価値のないゴミなのかなぁってぇ」

「これは生まれつきだ。俺の考えとは関係ない」

「じゃあ、私の事は嫌いじゃないんですよねぇ?」

「そう言っただろう」

「いじめませんかぁ?」

「……いじめない」

「じゃあ、私の事好きなんですよねぇ?」

泣き止んではいるが不安そうな双眸でシィラは弱々しく見上げてくる。

「そうは言っていない」

「だってぇ、嫌いじゃなくて私をいじめないんですよねぇ? それって私のことが好きってことですよねぇ?」

改めて口にすることで不安を払拭したのか普段以上に、嬉しそうにニコニコとした笑顔を浮かべるシィラに眉を寄せる。甘やかされ続けて生きてきたシィラは対人関係において、もしかすると、好きか嫌いの二極しか存在しないのではないか。今までの執拗な嫌いではないという確認は、消去法で自分は好かれているという残された選択肢を確定させていく為の地固めだったのではないか。

「うふ、そうなんですよねぇ。もぅ素直じゃないんですからぁ」

シィラは自分を安心させるためか、自分が好かれているという確証を得ようと……。いや、もう得たつもりで口を開いている。それもそうだ。こいつの中では好きか嫌いしか存在しない。俺自身嫌いではないと言った結果、もう好かれているという選択しか存在していないのだ。

「そんなのだから面倒と言われるんだ」

「照れ隠しですよねぇ? 魔王様もせんぱいは初心だって言ってましたしぃ、恥ずかしいんですよねぇ? 大丈夫ですよぅ、私の事を好きでいてくれるなら私も好きでいますよぅ?」

「自分が安心したいだけだろう」

「それの何がいけないんですかぁ? 私の精神衛生上とても大切なんですよぅ。それに私を好きになってぇ、私に好かれてぇ、何も問題はないでしょゔ? お互いに嫌な思いをしないなら幸せですよぅ」

対人的な経験が圧倒的に足りない。甘やかされ続けた弊害だろう。思考が短絡的すぎて自分に対しても他人に対しても発生する感情が複雑なことを理解できていない。それは幼い子供のように純粋ではあるが、シィら程度の年の女として考えれば自衛能力の欠如に他ならない。が、それは自分が教えることでもないと勇者は溜め息と共に思考を放棄した。

「そうだな、それで良い。俺の言葉を信じられるなら、これで生活に支障はでないな」

「はぁい、せんぱいを信用しますねぇ」

言葉が軽い。真意が読めない、読む真意があるかもわからない。たぶん、存在しない。今に限っては言葉の通りだろう。ニコニコと微笑む彼女の笑顔は子供のものと変わらない。

「うふ、せんぱいは私が好きなんですねぇ。私もせんぱいの事好きですよぅ。これで安心して生活できますねぇ」

「それはお前だけだろう」

「それで良いんですよぅ。私は私が一番可愛いのでぇ」

「……そのはっきりした考えは好意的に捉えよう」

「せんぱいはいちいち言い方が硬いんですよぅ。私が好きなら好きって言って良いんですよぅ?」

「目的は達成した。これ以上優しくする必要はない」

「……今まで優しかったんですかぁ?」

「面倒なお前に付き合っただろう」

「ちょっと優しさのハードルが低すぎませんかねぇ? もっと優しくしてくださいよぅ」

「不要だ」

「魔王様はしばらく優しくするように言ってましたよぅ? それに普通に接する程度には割り切りましたが、せんぱいが勇者って考えるとまだ少し怖いでぇす」

「……それは目的が達成できてないと言いたいのか」

「わかってるじゃないですかぁ。勇者が怖いって刷り込まれている以上に、せんぱいが優しいって事をしっかり教えて下さいねぇ」

ニコニコと笑うシィラに勇者は心労を実感していた。


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