第27話:魔剣と聖剣7

店主は一向に帰ってこない。

だからと言って自分が一人で外に出てもここへは戻ってこれないだろう。だがそれは時間があるとも取れる。研いでは魔力を注ぎ直しながら、指先で刃先に触れる。本来刃として磨かれる部分は曲面を描くが、やや角がある。それを研ぎ直しては確認して研ぎ直す。やがて指先でも角を感じなくなった頃、ようやく店主が帰ってきた。

「わりぃな、久し振りで迷っちまった。んで、調子は……順調そうだな」

「あぁ、コツがわかった。刃も丸い」

「見ればわかる。俺はこれから柄と鞘の作業に入る」

研ぎ終えた素体を手に取り、棟、鎬地、平地、刃先と切先にに指を這わせてやるじゃねぇかと店主は呟く。

「自分の剣を研いだ事も何度かある。多少の経験が活きたようだ」

「こんだけ出来てればもう最初から合わせて鞘も作れるな。中心は後でいい。刀身も丁寧に魔力を込めて研いだみたいだな。よし、一気に魔力を込めてくれ」

手渡された素体を受け取り、改めて自身の魔力を均一に注ぎ込む。それが染み込んだのを感じた後に一気に魔力を込めた。それが抜かりのない方法だと感じた行動であった。店主はそれを受け取り刀身の方を手早く取ると型を取る。

「あんたは結構マメな性格みたいだな。時間もある。献上品の刃が白いままでは質素が過ぎる。少し装飾を施そう。今度は砥石じゃなく、この銀紙を使う」

「それで刀身を磨くのか」

「そうだ。こっちは魔力で研ぐ訳じゃなく、普通に磨けばいい。研ぐ前に銀紙に自分の魔力を込めてくれ。魔力の質によって磨いた刀身の色が変わるがそれも味だ。目は細かいから、あんたが研いだ形が大きく変わることない。それで磨いて刀身に光沢を出してくれ」

そこから互いの作業に入り、作業音だけが工房に響く。ケルザは刀身の根本から切先に向け、魔力を込めた銀紙を何度も走らせ磨いていく。色がつくというがその気配はない。磨いたところを触れば鉱石のようなざらつきはなくなり、金属のような滑らかさがあった。色もつかず終着点がわからないまま磨き続けた刀身の変化にケルザは気づく。磨いた刀身の薄い部分の色が抜け、透過していた。

「色が抜けたんだが」

「あん?」

言葉に反応した店主は手を止めて、ケルザの元へ来ると刀身を覗き込む。

「……まじか、初めて見た」

透けた部分を指で触れ、皮鉄が確かにある事を確認した後に魔法の槌を出現させ刀身を叩いた。

「はぁー、こんなんになるんだな。いや、ちゃんと刀身もあるし魔力もきれいに込められたままだ。色がつくはずだったが、色が抜けただけで魔剣の効果に影響はなさそうだな。いや、これは珍しい。献上品に相応しい仕上がりになりそうだ。そうだな、棟から刃先にかけて透明になるように仕上げよう。白から徐々に透明にして刃先を透き通らせる。これ自体は触れた物質の表面から浸透する物だから、恐らく別の物質である圧着した接着紙に効果は及ばないはず。想定どおりであれば白い棟、半透明の鎬地、心鉄が見える平地、透明な刃先になる。いい出来だ、勇者の魔力が作用したか、それとも守護の質がそうさせるのか。もしかすると守護ってのは護ると言うよりは透明になった刀身のように、全てをあるがままに透過させるような、どこまでも澄んだ水で包み込むような寛容さなのかもしれないな。まぁ、問題はなさそうだし、そのまま仕上げてくれ。いや、やっぱり刃先の方は薄く白が残る程度に抑えてくれ。そこまで行ったら次の指示を出す」

透過したとはいえ、ほんの表面が透過しただけである。これを心鉄付近まで透過するとなると魔力を込めた紙で一日は磨くことになるんじゃなかろうか。しかしながら献上品に珍しい品を差し出すのは当然とも言える。完成形が想像できたことで、ケルザの手は自然と刀身を磨き始めていた。



「ムゥちゃん、街はどうでしたかぁ?」

「里で見ないもの多くて凄い面白かったなぁ、特に里で見ない植物。ずっと南の土地から持ってきたんだって。欲しかったなぁ」

「じゃあお留守番と警戒役のお駄賃としてせんぱいに買わせましょう」

「ふむ、それは良い考えですな。ムゥマ殿の働きには感謝します」

「感謝なんてそんな……。シィちゃんと話しながら少しだけ見張り役をしただけですよ」

「なんてったってせんぱいはお嬢様大好きですし、ムゥちゃんの魔法を気に入ってるようですからねぇ。二つ返事で買ってくれるのではぁ?」

「何か悪い気がするなぁ」

「さて、そろそろ私もあの人間を迎えに行くとします。明日には魔王様も起きるでしょうし、次に眠りにつく前には戻ってこれましょう」

「はぁい、わかりましたぁ」

「気をつけて行ってきてください」

ケルザが抜け魔王が眠りについたあと、三人で歓談する日常が過ぎていた。エルフの二人は魔王や吸血鬼の話に興味を持ち、吸血鬼は魔王の話を伝える事に充足感を覚えていた。その間にムゥメルムゥマの警戒網にかかるのは目的地を魔王城に定めていない通りすがりのみ。後一夜を考えれば、問題ないと判断したベルジダットは宵闇に溶けるように二人と別れ、ケルザを迎えに出立した。



久しく夢を見た。

幼いベルジが飽きもせず自分の周りについて回る、そんな夢。遠い過去の記憶が泡のように湧いては泡沫に消える。畜生のように破壊衝動に負けた幼き過去、衝動に抗う意思を持った日、魔族に狙われ返り討ちにした日々、気がつけば魔王として利用され、魔王の立場を利用した日々、ベルジが私のもとに来た日、封印されたあの日。そして封印が解かれ勇者一行が私の前に現れた日。私の過去は封印される前であり、私の未来は封印を解かれた今である。ケルザを、シィラを、ベルジを迎え入れた未来。過去の様に破壊衝動による苦痛がないのは勇者のおかげか。そうであれば魔王である私は勇者に救われたことになるのかもしれない。泡沫と消える私の道程は今日を迎え、夢から目覚めた。目覚めは穏やかだ。破壊衝動の苦痛で起きる事はなく、それは遥か昔の何かの記憶違いかと思えるほど、今は破壊衝動に責め立てられることもなくなった。柔らかい布団の中、暖かな朝日が部屋を照らし、聞き馴染んだ可愛らしい声が私の目豚を柔らかく開く日々。夢想だにしなかった平和な日常。この平穏さを前にしては魔王に価値はない。元より魔王に興味はなかったのだ。そこに差し込まれたお嬢様という役割。敵意もなく恐れもなくへつらうことなく、お嬢様である私に好意を向ける街の人間。これが夢であれば現実はどんなに悲惨なことか。かつては魔王として自分の生きる意味を模索もしたが、お嬢様として私は家族等ともに平穏に生きる。もしかするとそれが望みであり、それを守る事が私の生きる意味なのかもしれない。だが、私は未だ魔王。魔王である限り魔族の責任は全て私のものである。その柵を解かなければ、私は死ぬ事でしか魔王を辞めることはありえない。もしそうであれば私を殺すのは勇者であり、ケルザであるべきだと願っている。例え人間が新たな勇者を祭り上げようが、私は認めない。私は微睡みの中、きっと夢の終わりは近いのだろうと重い身体を起こし、シィラとムゥマに運ばれる様に浴場へと連れて行かれた。


「これで完成か」

「あぁ、ここでの作業は終わりだ。これなら魔王様への献上品としても充分な出来だ。金銭に関しては名残惜しいが、良い仕事ができた。今生において最高の仕事だった。間違っても壊すんじゃねぇぞ。それはあくまで鉱石だ。物理的な衝撃には脆く簡単に欠けるし折れる。真価は魔法による障壁だ。それを忘れんなよ」

塚も鞘も誂えられ、ようやく一つの品として完成した。刃先を少し白を残した理由は、刃文を作りそこを透明にしたかったからである。平地から刃先にかけては透明な刃文が仕上がった。店主が中心を細工し、その際に許可を求められ店主の銘を刻む事を快諾し、最後に中心を柄に差し込み目釘で留める。不思議な色合いとなった刀身は鞘に収められた。鍔のない柄は白い柄巻きの下に紺の鮫肌、臙脂色の頭金。鞘は全体が白く小尻は臙脂色、下緒は紺。魔剣全体は白を基調に両端は臙脂色、一部を紺の三色でまとめられている。つけてみなと促され、腰にかけると愛刀と比べ長さは三分の二程度。所謂脇差と呼ばれる程度の長さの魔剣が完成した。

「抜いてみな」

言われるがまま鞘から刀身を抜き出す。艶のある白は刃先にかけ透明になり、心鉄の薄銀が透明な刃先に反射するように輝いていた。

「どうだい、抜きやすさは」

「多少硬さは感じるが扱っている内に馴染む程度だな」

「柄の握りやすさは」

「柄巻きが新しいから硬さも感じるが握りやすさは問題ない。普段の物と比べれば少しだけ細いか」

「あんたなら握った感覚で魔剣かどうか判断できると思ってな。少し細めにこしらえたんだ。問題ないみたいだな。一度戻して今度は魔力を込めて抜いてくれ」

取り扱いは慣れたもので、昔から扱っていたもののようにさえ感じられた。だか慣れた剣と比べれば短く、納刀時に少し違和感があった。細い柄から自身の魔力を込め、抜刀しようとしたが。

「抜けないぞ」

「あぁ、それでいい。鞘に細工した。刀身で攻撃を受けない補助機能だ。どうだ、自分の前に壁を作ることを想像して魔法は発動できるか。今までと同じように剣を媒介に魔力を魔法として変換して発動。水を操るように壁を作ってくれ」

言いたいことは分かるか元より魔法は不得手。普段であれば魔力は水に変換され、その水を操作して散る認識であった。しかし魔剣に関しては鞘から抜けなくなるだけで、鯉口から水が溢れることはない。何を操るのか理解できていない自分には、壁を作ることを想像するも発動出来ているのかすら判断できていなかった。

「確かに魔力は通る。だが、魔法が発動しているのかがわからない」

「ふぅむ、中心と鞘の調整が必要か? いや、これ以下にすると駄目だ、魔剣との調律が崩れる。ちょいまちな、ほれ」

工房で使った砥石の角を魔法の槌で叩き、小さく砕く。その破片をケルザに向かって放り投げた。放物線を描いた欠片は魔法の壁にぶつかることなく、ケルザに到達して床に落ちた。

「魔力は通ってる。中心を魔力が通過した時点で魔法にも変換されている。魔法に反応して鞘にも効果が出ている。抜いて試してくれ」

魔力を切ると不思議な程すんなり刀身は姿を表した。吸着紙のような効果が鞘にもあるようだ。今度は抜身の刀に魔力を込める。魔力は柄から中心へ、魔法は中心から刀身へと伝播する。その刀身を見慣れた魔法の槌で叩くと眉をしかめた。

「んん? 魔力は通ってるが魔法が発動していない? いや、鞘に効果があったなら魔法は発動してるはずなんだが」

切先から根本まで順次叩くも魔力が満たされてはいる。根本を叩いた時、魔力ではない反応が手に伝わってきた。そこを何度か叩き、中心に響く魔力から問題を探る。中心も作り自体は刀身と同じとした。つまり細くなっただけで魔王様の魔力で満たした心鉄の周囲を皮鉄で包み、その外側に柄という構成だ。柄に魔力は通っている。皮鉄部分にも魔力が通っている。そこから魔法として変換されている痕跡はある。だが刀身には魔力だけが通っている。もしかすると──。

「あんた最近はずっと弱い出力で魔力を出してただろ。普段の戦闘で使うくらいの魔力をこめてみろ」

言われてみて初めて気づいたが、確かに注ぐ魔力は最小限。それでも水は発動するはずの魔力量であった。

「少し待ってくれ」

ケルザは開け放たれた窓の前に立ち愛刀に柄を握り直す。脱力し何度となく発動してきた魔法を、空に向かって放った。窓枠のギリギリで止められた居合い。鞘から溢れる間もなく、水で描かれた軌跡は切先に指し示されるまま真っ直ぐに空を切り、効果範囲外で水となり霧散した。

「思い出した」

どの程度魔力を注いでいたか忘れる丁寧な作業工程を思い返し、戦闘でなければ魔力など大して必要はないのかもしれないと考えながら納刀し店主の前に戻ると改めて魔剣に握り変える。

「魔法によって使う魔力量が違うのは当たり前だったな。気づかなかった」

今度は水刃を放つ時と同量の魔力を込めた。無意識ではあったが、柄が僅かに鞘から離れた。壁を想像して発動した魔法。魔力を込めた一瞬ではあったが透明な薄い板の様な物が見えた気がした。しかしそれはすぐに消える。

「発動したか?」

「あぁ、俺も見たぜ。透明で薄いが確かに魔法は発動していた。だが消えちまったな」

「今まで発動の瞬間しか魔力を強く込めていなかった。それを今同じようにやって消えたことを考えると一定量の魔力を注ぎ続けなければ盾として発現しないようだな」

「よし、もっかい試すぞ。今度は維持してくれ」

床に落ちた欠片を拾い直した店主は、欠片を放る準備を整えた。それに合わせて魔力強く込め続ける。再度発現した透明な板を確認して、欠片が投げられる。欠片は小さな音を立て透明な壁に阻まれると床に落ちた。

「触れてないのに防げるのは不思議な感じだな」

「……それにしても薄くねぇか? そのままでいろよ」

店主は無造作に欠けた砥石を手に持つと、躊躇わずに砥石で壁を殴りつけた。力任せな物理攻撃を前に容易く壁は砕け散った。

「おいおい、冗談だろ? こんな脆いか? あんた、ちゃんと魔力込めてんのか」

「確かに込めたが弱かったのかもしれない。もう一回頼む」

今度はより多く魔力を込めて魔法を発動する。だが、それも砥石を前には無力であった。

「まてまて、弱すぎる。これはおかしい。意味がわからん。こんな実益のない魔剣なんて飾りだぞ? 魔王様に献上する魔剣がただの飾り? 馬鹿か、俺は鍛冶師だぞ。俺が打ったのは魔剣だ。模造刀じゃねぇんだぞ」

狼狽する店主は頭を抱えた後に、魔剣を抜いて発動するように指示を出す。今度は顕現した壁には触れず、刀身自体を槌で叩く。病人を触診するように様々な位置、角度から魔剣を叩く。その間、魔力を維持しろと言われ、透明な壁を出し続けていたが不意に消えた。それに気づいた店主は魔剣を叩くのをやめた。

「……三つわかったことがある。一つは魔剣自体は正常は作動している。二つ目は俺の想定外の不備だ。中心から魔力を変換して魔法として発動するといったな。中心には充分な魔力が込められていたが、その魔力に対して刀身に発動する魔法が弱すぎる。魔力が魔法に変換される際、心鉄である魔王様の魔力が影響を与えているようだ。魔剣として一体にする為に吸着紙を使って圧着した弊害だ。これについては時間をくれ。こんな状態で献上できる訳がない。最後に3つ目だが、あんた魔法は不得手だったな。最低出力では安定してたみたいだが出力を上げると維持できないみたいだな。魔力のムラが魔法を発動する為の出力を下回った。魔法が勝手に消えた理由はそれだ」

店主はケルザの前に屈み込むと頭を落とし深いため息をついた。

「……あんたは一定の出力で魔力を出し続ける訓練をすれば良い。それで問題は解決する。問題は俺だ。どうする、どうすればいい。中心の細工は必要だが素体は調整済みだ、いじれない。外付けで対処するか? 駄目だ、魔剣は完成している。この意匠に外付けは蛇足だ。そんな野暮ったさは認められない。中心と刀身の切替部、魔力と魔法の変換地点。ここを揃えたのが問題か? 内部の変換構築をズラすか? いや、心鉄からの影響を考えれば変換位置をズラしても意味はない。勇者の魔力も魔王様の魔力も起点は同じ経路は同じ変換位置も同じ。そうじゃないと扱いにくい、慣れにも時間を使う。戦闘中のミスは死に直結する。ミスの可能性がある修正はできない。だった一部、そうだ一部だ。魔力を魔法に変換する場所、そこだけを心鉄と皮鉄で完全に分離させる。この変換地点だけ互いの魔力が干渉しなければ解決のはず。どうする、一度折って中を絶縁させるか? いや手遅れだ。一体にした物を折ってつけ直したら耐久が下がる。何か、何かあるはずだ」

ふらふらと立ち上がった店主は頼りない足取りで受付台へと向かっていく。

「あんたは魔法の扱い方を試していてくれ。壁を想像しろと言ったが何も真っ直ぐで平らな板である必要はない。水を操作するように自由な形で発動できる。俺は対策を考える。悪い、浮かれていた。必ず解決する。だから時間を、時間をくれ」

工房を出た先で、どさりと落ちるように座り込む音が聞こえ、パサパサと弱く疎らな金勘定が始まった。この無力感は察することができた。それは自負と自信を折られた際に感じる挫折感で誰かが救えるものではない。自分が折り合いをつけて解決する物なのだ。それがわかるからこそ、ケルザは店主の腕を信頼し魔法の盾の操作だけに意識を向けていた。


一日が経過した。

魔法の盾に関しては水を操作するのと感覚は変わらず、順調に馴染んでいた。少しばかり癖といえば、水の様に剣から繋がるように発動するわけではなく任意の空間に発動するという事であった。それも目測や間隔だよりになるため距離が遠い程、発動位置の精度が下がる。自分の身を守るなら問題なさそうだが、離れた物を守る場合には訓練を要するだろう。距離や発動範囲、硬度に関しては込める魔力の量で変動する。今は魔力の変換に問題があるせいかもしれないが、近距離以外の発動は現実的ではないのが現時点の判断であった。

「思い出したわ」

ふらふらと工房に入ってきた店主は奥へと消えていく。ガタガタ、ガザガザと何かを漁っては場所を変えて繰り返す。四回目の漁りで目的の物を見つけたのか、ケルザの元へ来ると作業台に一つの缶を置いた。

「昔珍しい物があると思って買ったんだが、使い道がなくて忘れてた。こいつは、あー」

目が充血している。普段は淀みなく始まる解説が続かない。本当に一日悩み続けていたようだ。

「一度寝た方がいい。失敗する程の疲労があるなら休んだ方が良いんだろう」

「あー、悪い。そうさせてもらう。起きたら続きだ」

頼りない足取りは私室へと消えていった。



──私は閉じた世界でのみ世界を全て見通している。

それは一重に己の能力を十全に発揮する為である。私の見通す未来を断ったのは永い時の中で一度だけ。外界にて世界に干渉した僅かな時間。それだけの一瞬とも言える、その瞬間。私は傍観者でしかないことを理解した。だが、その一瞬は未来に一雫を落とし波紋を呼んだ。私の見通せなかった未来の先に、今私は存在している。そして奇しくも、あの瞬間に彼女が言った言葉が実現した。勇者と呼ばれた人間の過去を見通したが彼女のような鮮烈さは欠片もない。そして見通せなかった未来の先では彼女と勇者は敵対するのではなく生活を共にしていた。かつて私は魔王に対を成す存在が勇者だと言った。しかしどうだ、勇者は魔王に祭り上げられた彼女と肩を並べている。私の考えが間違っていたのかもしれない。だが私の世界にいる以上、私は魔族として今一度魔族の為に傍観者をやめるべきだと判断を下す。今は彼女と肩を並べる勇者が未来において魔王様の敵にならないとは限らない。敵であるなら魔族の繁栄のため消すことに厭いはない。彼の者の未来はどちらか──。



「すまねぇな、もう大丈夫だ」

欠伸を一つ零した店主は確かな足取りで、薄明かりを灯した工房へ現れた。

「どうだい、なんとなく扱いはわかったか?」

「あぁ、扱うのに訓練は必要だが充分に使える物だ」

「そらそうだ。さて、続きだな。こいつは接着紙とは反対の効果がある魔力を剥離する塗料だ。塗った範囲の魔力に浸透し、底に沈殿する。だが魔力密度が高いと浸透しない。普通の魔力であれば問題ないが、魔王様の魔力であれば浸透できないはずだ。少しばかり不純物は混じるが、こいつでを魔力の変換部に塗布して心鉄と皮鉄を絶縁する。魔剣を貸してくれ」

受け取った魔剣の柄を外し、中心を露出させた。刻んだ銘の直上から刀身までの指一本程度の隙間。そこが魔力の変換部であり、塗布の範囲であった。そこを一回り全面を絶縁する。余計な不純物を増やさない為にも薄く塗っては魔法を発動する。その状態を調べる為に槌で刀身を叩く。一塗りごとに繰り返す内に、刀身を叩く位置が徐々に根本から切先へと移動していく。作業は単純なため、回数こそ多いが時間はそうかからなかった。切先をまで到達した槌は霧散した。

「柄をつけて確認する」

手早く付けられた柄を握り、魔法を発動させた。自身の前に壁を想像すると、目視できる厚く透明な板が出現した。すかさず店主が砥石で殴り付けるが壁に壊れる気配はない。何度か殴りつけるが壊れない。硬さを確かめた店主はもう一度、魔法の槌を手に持った。

「そのままでいろよ。刀身を強めに叩く」

コンコンコンと硬い音が小気味よく響き、次第に力が強くなる。

「まだだな。あと二回、塗って試す」

二回塗布すると確認作業に入る。またバラして今度は一部だけ塗布して確認する。それは次第に点のように極一部だけを塗るに至り、ようやく店主は一息をついた。

「これが限界だな。ほんの少しだけ心鉄から影響はあるが整えた。これなら最低出力でも発動できるはずだ」

言葉に従い、薄い壁を展開する。見慣れた砥石は壁に向け叩きつけられたが、壁は壊れなかった。

「はぁぁ、良かったぁ。これなら使い物になる。安心したわ。鞘に入れて発動してくれ。最低からで良い」

魔剣を納刀し、魔法を発動する。鞘を引けば僅かに刀身が姿を表した。

「これ以上抜けないのか」

「込めた魔力の量によって刀身が鞘から抜ける。その抜け具合で込めた魔力と障壁の性能を覚えてくれ。素材は軟性の木材。魔力を通せば内側は衝撃を吸収して刀身を保護しつつ、外側は薄い魔法の障壁で保護して攻撃を防げる、強すぎなければ、それで攻撃も防げて込める魔力で硬度も上がる。慣れたなら抜身にして任意の魔力量で使えば良い」

「込める魔力量を段階的に確認できるのは助かるな」

「俺は鍛冶師だからな、使用者が扱いやすいように仕様を考えるのも仕事の一部だ」

「魔王の方も試していいか」

「構わねぇが、最低出力で試せよ。気絶したら壁も消えて効果も調べられないからな」

ケルザの前に薄い銀を帯びた透明な壁が現れる。

「少し見にくいな」

「その辺は使い方次第だろ。瞬間的に発動するくらいなら大した問題はないだろうし。どれ……」

慣れた手付きで砥石を握り、店主は大きく振りかぶる。

「待て。私が変わろう」

音もなく受付代を通り過ぎた黒い霧が工房で人型となる。

無造作に振り上げられた破壊の魔剣。腕を降ろし様子を見る店主。黒く歪な魔剣が薄銀の障壁に触れた途端、障壁は砕け散った。だが、同時に魔剣も折れ霧散していた。

「……なるほど、最低限は使える性能か」

「随分な挨拶だな」

「おい、兄ちゃん。何であんたの魔剣が折れたんだ」

折れた魔剣を再構築し、問題はないと店主に見せる。

「私は自分の魔力で作っているから問題ないが、中々厄介だ。私の破壊で壁を壊すことは出来た。だが私の破壊が私の魔剣に返ってきた。攻性防御と言うべきか。恐らくは受けた攻撃をそのまま返す効果がある。私の特性上相打ちになったようだが、障壁の強度以下であれば物理だろうが魔法だろうが反射する魔法の様だな」

「破壊衝動と守護の折合いを付けた効果って感じだな。自分を守る守護に包まれた破壊衝動が攻撃に反応して反撃する。いいんじゃねぇか?」

「あぁ。使いこなすのに時間は使うが、防ぎながら攻撃ができるのは強い」

ケルザは久方振りに現れた吸血鬼に目を向けた。

「ベルジダット、悪くない献上品だろう」

「使いこなしてから言え。だが魔王様に献上するには及第だろう。店主、世話になった。礼は受付台に置いておいた。ケルザ、戻るぞ。街から出られる時間は限られている」

「わかった」

今度は数日の間世話になった店主へと視線を向けた。

「一つ頼みがある」

「何だよ」

「魔剣を打つ鍛冶師に言うことではないんだが、俺に魔剣は性に合わない。貴方が打ったこの魔剣、聖剣と呼んでも良いだろうか」

「あぁ? そりゃあまぁ、魔剣も聖剣も具体的な区別があるわけじゃねぇから好きに呼べばいいんだけどよ。あんた、聖剣を魔王様に献上する気か?」

「どうせ扱うのは俺だ。それに勇者と魔王の魔力で打たれた最高の魔剣鍛冶師による今生の最高傑作は聖剣で、それが魔王の所有物として献上される。こんな事は今生どころか未来永劫無いと思わないか?」

「く、くく……。そうだな、そんな奴いねぇだろうな。いいぜ、俺が打つ最初で最後の聖剣が魔王様に献上される。なかなか面白い事考えるじゃねぇか、あんた。それじゃあ俺からも頼みだ。その聖剣で魔王様を、あんたが護りたいものを護ってくれや」

「あぁ、任せてくれ。お世話になりました」

店主に一礼するとベルジダットを促して二人は店主の店を出ていった。愉快な奴だった。そんな別れを堪能した店主は受付台に腰を落ち着ける。吸血鬼が置いていった見慣れない袋に入れられた礼を手に取り、店主は久しぶりに金勘定が以外で心が富んだと感じつつ、指は自然に心の資産を増やしていった。



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