第26話:魔剣と聖剣6 かつての魔王と次元龍
──懐かしい魔力だ。
忘れもしない鮮烈な魔力。だが何かおかしい。封印のせいで変質したのか昔程の力強さがない。いや、単に力を取り戻していないだけか。いや、違う。誰だ、この人間は。何故人間がこの魔力を持っている。外はどうなっている。封印は解けたと聞いたが、それ以降街に情報がない。しばし様子見か。もしこの人間が敵であれば逃がす道理はない。私の世界で永劫迷わせ風化させればいい。なれば彼の者が何者か過去の道程を見て知るのも一興。過去も未来も夢も現も、私の世界は全てが交わる交差点。
あぁ、頭が痛い。慢性的な頭痛にも慣れたものだが、如何せん慣れないものがある。この湧き上がる破壊衝動は何なのか。一体何を憎み、何を壊したいのか。物心ついた頃からの付き合いではあるが一向に収まる気配はない。むしろ年月を経て増大する一方だ。根本的な解決策は未だ不明。それでも一時、この破壊衝動を収める方法は知っている。何の事はない。抗う事なく壊せば良い。目に映るもの映らないもの、生物非生物問わず壊せば良い。それを実行する力を私は持っている。私に壊せない物はない、私に殺せない物はない。三千世界を滅ぼすなど私にとって造作もない。いっその事、滅ぼそうかと何度思った事か。発生源のわからない衝動にを身を任せれば慢性的な苦痛から逃れられるなら、それも悪くはない。あぁ、頭が痛い。もう何度目かわからない自問自答。壊すことに意味はない。殺すことに価値はない。一時の平穏は、より強い破壊衝動に上書きされるのは身に沁みている。耐える事が最善なのだ。ここより北の地は、一時の平穏を求め吹き飛ばしてしまった。破壊衝動が収まれば頭痛も収まる。そして魔力を消費すれば破壊衝動は薄まる。そんな事はわかっている。だが、多少魔力を使った所で意味はない。
──私は何の為に生きている。
ただただ破壊衝動に脅かされ、一時の平穏の為に由来不明の破壊衝動に身を任せ、意味もなく世界を破壊する。
──それが私の生きている意味なのか。
仮に壊しきったとして、その先に何がある。本能の赴くままに行動するなど畜生でしかない。この破壊衝動に意味のない事は薄々ではあるが気付いていた。ただ破壊する事が目的なのだ。そしてその意味のない破壊衝動を満たす為だけに、私に苦痛を与えている。恐らく破壊衝動に自我はない。その癖、私が苦痛から逃れる術として、何かを壊すという逃げ道を用意している。この小賢しい性質に気がついた時、苛立ちを抑えるために海を割った。その愚行が頭痛を和らげ、更なる破壊衝動を呼び込んだ。小賢しい存在に振りまわされる不愉快さ。こやつは自身の破壊衝動を慰める為だけに私を畜生に貶めようとしている。こんな小賢しい存在に屈服するなどあり得ない。だが、実利が伴うのであれば多少の餌をやるのも許容しよう。私は私の生きている意味を知るために、一つ魔族の為と嘯いてみる事とした。
「魔王様、集まりました。顔見せをお願いします」
傍らに控えた魔族に促され、私は集められた全魔王軍の前に立った。用意されたみすぼらしい玉座に腰を下ろし足を組む。集まった魔族を睥睨した後に肘掛を使い頬杖をついた。良くもまぁこれだけ集めたものだ。
「──私は魔王の座に興味はない」
私を呼びつけた魔族は眉を顰めつつ、魔法で声を伝播させる。
「魔族は今、人間と戦時下にある。そしてどうにも生物として人間より優位にあるはずの魔族が人間を打ち倒すことが出来ず、大陸の支配権を奪えていない。何故か」
私が抑え込んでいる破壊衝動は、勝手に魔力として空間を満たし他者を威圧する。自分の声に応える者はいない。
「簡単な事だ。私はこれまで同じ魔族に命を狙われた事がある。単独だったり複数だったときもあるが、答えは後者だ。一般的な魔族など人間一人と比べれば優れていようが数人集まれば劣勢になる。所詮個体の優劣などその程度のものだ。だが魔族は傲慢なのだろう。多少他者より優れているだけで万能感に酔い単独で行動し、呆気なく人間に殺される。どうやら知能においては人間の方が上らしい。奴らは自身を弱者と理解し、強者との戦い方を心得ている。その結果が現状だ」
チリチリと、破壊衝動の鬱憤を晴らすように興味のない責苦を口にするが誰も反論しない。
「……さて、最初にも口にしたが私は魔王の座に興味はない。だが魔王として祭り上げられた理由はわかる。事、戦時下において最も必要なのは外敵を排除する能力。智謀など歯牙にもかけず、力を持ってしても打ち崩せない存在。つまり圧倒的な強さだ。私はその強さを持って魔王として担ぎ上げられた。もし魔王になりたければ私を殺せばいい。今において強さは全てに優先される。私を殺せるものが魔王になればいい」
今でこそ破壊衝動に抗い生きる生物であろうとしているが、過去にはただの畜生であった自覚もあり、ここにはその頃の自分を見たものもいるだろう。
「私は今、魔王としてここにいる。貴様らの行為全ては私の責任である。だからこそ許可しよう。人間を殺し、土地を奪い、討ち死にする事を。殺したければ殺せ、逃げたければ逃げろ。不安になる事はない。私一人で貴様らを殺すなど容易いことだ。人間を滅ぼすなどいつでもできる。だからこそ武勲をやろう。貴様らの働きで魔族が大陸を支配した暁には、その功績に応じて私が大陸の一部を譲渡しよう。そこで好きに生きるといい。だがまぁ、人間を全滅させるよりは屈服させる方が賢いとは思うがな。魔族が魔族の世話をしては同じ魔族で使う側と使われる側になってしまう。どうせ大陸を支配するなら人間を使われる側、つまりは奴隷として飼った方が我らは己の欲求に従い生きられるのではないか?」
くつくつ。何て馬鹿らしく低俗な発言だろうか。こんな言葉を自分で使う時が来るなど思わず、嘲笑を漏らす。
「貴様らの蛮行は私の名を持って正義とする。貴様らに責任はない、全ての責任は魔王である私にある。もし魔王の座に興味があるなら私を殺せ。話は終わりだ」
傍らに立つ魔族が、魔王全軍に何かを伝えていたが耳には入らない。その何かを受けて集まった魔族は鼓舞するように各々が声を上げ雑音を作り上げた。
──あぁ、頭が痛い。今では破壊衝動に起こされるまでの一時の睡眠だけが私の救いであった。
……今のは魔王の記憶だろうか。
原理は分からないが、魔王の魔力に記憶が残っていたと言う事か。だが夢は夢。明日には忘れてしまう他人の記憶。きっと記憶は本人だけのものであり、俺が覚えておくものではない。そう考えたケルザは夢を思い起こすことなく、硬い布団から身体を起し立ち上がった。ここにきて一番しっかり眠った気がする。工房に向かうと店主が既に作業をしていた。
「おう、起きたか」
「ああ、しっかり休ませてもらった」
「それは何より。んじゃまぁ、続きをしようか」
作業台の上には刃先の形まで整形された薄銀の魔吸石と、幅を伸ばされた白い魔吸石。薄く色づいた白い紙の様なものが置かれていた。
「こいつが心鉄、今回の魔剣の核だ。んで、こっちが皮鉄。心鉄を覆う。でもって、こいつが糊の役割だ。魔力に反応して2つの物質をくっつける事ができる。例えば石と木の枝でも両方に魔力があれば、この吸着紙を間に挟む事で接着できる代物だ。これで心鉄と皮鉄をくっつけて叩いて鍛える。最後に緩く刃をつけて完成だな」
「しっかり刃を付けないのか?」
「それはあんたの普段使ってる剣で充分だろ。俺は魔力の質に合わせて魔剣を打つ鍛冶師だ。魔王様の魔力はあるとはいえ使用者はあんただ。あんたの魔力の質は守護。守る事に特化してるんだ。それに刃をつけて他人を害するものにするつもりはない。言わば護り刀だな、刃は剣の体裁とあんたの扱いやすさを考慮して付けることにした」
「その剣で防御するという事か?」
「言っとくが物理的にじゃないからな。使い方は同じで魔力を込めればいい。普段の方は剣を媒介に魔力を変換して水にして操作してるな。こいつは物理も魔法も防ぐ盾として機能する仕様だ。片手は普段どおりに使って、もう片手はこっちを掴めば同時に盾を展開出来る様になる。硬度や範囲はあんたの練度次第だ」
「なるほど、慣れれば便利そうだな。それはどっちの魔力でも使えるのか? 俺は守護で魔王は破壊衝動だが」
「あん、当たり前だろ。とはいえ、正味正確な効果は実際に発動しないとわからん。魔王様の破壊衝動を抑える意味でもあんたの守護を皮鉄にした」
とんとんと厚い革手袋で、白く伸ばされた鉱石を指で叩く。
「まぁ、出来てからのお楽しみだな。よし、やるか」
店主の指示に従い、ケルザは作業を始めた。まずは試しに吸着紙の端を指で触れてみろと言われ触れる。そのまま持ち上げるとたしかに紙は浮いたが簡単に落ちる。
「大丈夫なのか?」
「問題ない。心鉄と皮鉄にこれを挟んだ後、俺が上から槌で叩いて癒着させる。この手袋つけてんのは俺の魔力が吸着紙に吸わせない為だ。吸着紙は糊って言ったが、同時に複数の魔力を喧嘩させずに均一に分散させる効果もある。あんたの魔力と魔王様の魔力の緩衝材の役目があるってわけだ。だからまずは密度の低いあんたの魔力をある程度入れてくれ。その後に魔王様の魔力。後は勝手に魔力を撹拌してくかは、それを糊として使う」
やり方は今みたいに指で触れてで問題ないと言われ、次は紙の角に触れて魔力を込めた。そのまま持ち上げて見ろと言われ、持ち上げると今度は落ちることが無い。触れる魔力の量によって吸着力も変わるようだ。その様子をじっと見ていた店主が指示を出し、魔力を切り替える。少しだけ魔王の魔力を注ぐと、それで十分だったようだ。そのまま作業台に指を戻すと、指の触れていた部分の際の紙を店主は躊躇いを見せずに切った。
「……指についたままだが」
「ほっとけばとれる。吸着紙は魔力がすぐに逃げんだ。そうなれば緩衝材として効果がない。皮鉄の上に敷くからあんたは心鉄を乗せてくれ」
店主は素早く、丁寧に皮鉄の上に吸着紙を乗せる。空気が入らないよう端から置いて少しずつ貼り付け、角から合わせ全面貼り付けると幾分か紙が大きかった。そのまま指示された場所に心鉄を置き、位置が決まると心鉄の上から魔法の金槌で数度叩く。どこかずれて聞こえた反響音はすぐに一つの音となり、圧着できたのだと理解できた。
「皮鉄も細工してある。そのまま心鉄に合わせて折れ」
鉱石を折っては砕けるのではと思いつつ、折り曲げてみると少し硬いがすんなりと折れ曲がった。
「隙間できないように折れよ。一体にならねぇからな。吸着紙にも触んなよ」
折り曲げながら指先で新鉄の端部を探り密着するように折り曲げる。意外と神経を使う部分が多いものだと考えながらも無事に心鉄を挟み込む。間を置かずに振り下ろされた槌は複数の反響音を響かせた。
「変に反響してるだろ。しっかり一つの物としてくっついてないからだ。魔力を扱うとこの多少が色んな所に影響を与える。本来の効果が発揮できなかったり、一部だけ魔力が溜まりやすくなってそこから壊れたり。魔剣を打つ鍛冶師と言っても吸血鬼みたいに魔力を直接加工するほうが少ない。その分、魔力に適正がある素材や工法を模索する。どちらにせよ魔力を扱うからには魔力所有者の協力が不可欠だ。あんたの協力を無駄にしないのが鍛冶師として最も大事なことだと思っている。あんたが十全に協力したなら、俺も十全に腕を振るう。そこに瑕疵はない。それでようやく最高の品ができるんだ」
ずれていた反響音が次第に統一されていく。店主の魔法の鎚が魔力を叩き、鉱石を叩き、魔剣を調律する。
「あんた、理由はわからねぇが魔王様の従者でいるんだろ。生半可な奴なら鉱石に魔力を注ぐ時点で嫌気が差すだろうし、終わったとしてももっと期間がかかって質も悪かったと思う。俺はあくまで鍛冶師だし、あんたとは数日だけの付き合いで会話も殆どない。だがな、鍛冶師だからこそ協力してもらった素材の質で人となりがわかることもある。元勇者で今は魔王様の従者、あんたにしかわからん悩みも多いんだろ。それでもここにきて最高の質の素材を準備した。今の環境に不満があれば、ここまで魔王様の献上品として真面目に取り込むこともなかったろう。それを考えれば、あんた。あんたが守りたい物、あんたが魔王様の従者になってまで達成したい目的があるんじゃないか」
叩かれる魔剣は微かに音がずれている。
「あんたの悩みとか迷いっつうのは、きっとこの魔剣とおんなじだと思うぜ。こうして叩いて一つにする。あんたは今、いろんな環境の中で叩かれている。未だあんたが目的を達成するための工程の最中だが、叩かれてる間に不純な悩みが炙り出されて解消していく。そんで残った最後の部分が、きっとあんたにとって最も大切なものなんだろう。安心しな、あんたはきっと目的を達成できるし、何を護りたいか理解できる」
ズレた音は調律され一つの音になっていた。
「後は研磨だ。あんたもこれから研磨して自分のなす事を見つけてくれ。それを見つけた時、それを達成した時、俺の打った魔剣は完成する。俺が手伝えるのは次が最後だ。後は俺の腕に落ち度がない証明に、あんたの手でこいつを完成させてやってくれ」
叩くのをやめると心鉄の分厚さを増した刀身の素体が出来上がる。話を聞けば研ぐのがメインで、その他の細かい作業は店主が補ってくれるとの事。渡された砥石で刃が出来ない程度に砥げと言われた。この砥石も魔吸石程ではないが魔力を吸収し、研磨の際に不純物を混じらないような作りらしい。ただ、研磨した際に皮鉄の魔力が抜けるから、刀身には自身の魔力を注ぐ必要もある。研磨しつつ刀身の魔力を補充し魔力の密度を維持するのが自分の仕事であった。
「砥石で研ぐのは鉱石だが、イメージとしては自分の魔力で自分の魔力を研磨するのがコツだな。柄も作るからそれを測らせてくれ。鞘も必要だな、大雑把に作ってあんたが研磨した刀身と合わせていこう。素材を買いに行ってくるが、その前に研ぎ方だけ教えないとな」
砥石に自身の魔力を込めた後、鯉口から出した水を器に溜めて砥石を浸す。十分に浸したあと素体にも水をかけ慣らす。その後に素体を中心《なかご》になる部分を残して片面の刃を薄く研いだ後、魔力を込め直す。反対面も同様で、それを何度も繰り返す。
「いいな、それは護り刀だ。護るのに刃はいらない。必要なら今まで通りそれを使えばいい。それじゃあ買い出しに行ってくる」
自分の魔力から作り出された魔剣、魔力の質は守護。その質に合わせた魔剣とするための言葉だろう。何を護るのか、それを見つけた時魔剣は完成すると言っていた。研ぎ澄ますのは魔剣ではなく己自身。何を護るのかさえ見つけられれば護り刀に刃はいらない。使い馴染んだ形に近づけるのはあくまでも自分が扱いに躊躇いを産まないためである。店主は俺の協力は十全と言った。であれば、ここで店主の言葉を守らないのは店主の腕を疑うようなもの。それは本意ではない。刃先だけ丸めて整形すると決め、ケルザは刀身をゆっくりと研ぎ始めた。
一昼夜が過ぎたが店主は戻らない。だが、それよりも刀身の素体が思った以上に削れない。片面ずつ研いでは魔力を込め繰り返すが時間がかかる。根気のいる作業ではあるが、研げない訳でもない。あと二日あれば想定の形まで研げるはずだ。そういえばコツは魔力で魔力を砥ぐことだと言っていた。もしかすると刀身に魔力を込めて研ぐと良いのかもしれない。直接触れた指から魔力を込める。皮鉄は自身の魔力を込めた鉱石だけあってか馴染んだ自分の剣以上にすんなり魔力を吸い、全体に染み渡ったように感じられた。そのまま先程までと同様に砥石に素体を当て、砥石の上を平行に滑らせる。指に伝わる感覚が、先程に比べて抵抗がない。何度か繰り返し、刃先を見ると今までと比べ明らかに研げれていた。思い返せばここは魔力を加工する鍛冶場。ここまでの工程は全て魔力を重視したものであった。魔力で魔力を加工する鍛冶の技術は、素材や工具にもこだわりがあるはず。そう思い至ったケルザは砥石に魔力を込め直し、砥石面に水をかけ表面に薄い膜を張った。その上から魔力を浸透させた刀身を、研ぐと言うよりは滑らせるように力を込めずに腕を動かす。平滑な物体同士を擦り合わせるような小気味いい音が響き、研いだ部分を確認すれば、力で研いだとき以上に滑らかに研がれていた。これであれば明日には研ぎ終わりそうである。想定よりも一日短縮できそうな見込みに希望を持つと、幾分単純作業も気が楽になる。ここが正念場とケルザは刀身に集中し、研ぐことに専念した。
「次元龍? なんだそれは」
「はい、何でも過去や未来のすべてを見通す龍だとか」
どこから聞き及んだ噂話が、私の傍らに控える魔族が語りかけてきた。
「それがどうした」
「魔王軍には属しておりませんが未来を見通せるならば、大陸の支配も盤石かと」
「いるかどうかもわからん奴をあてにする程、人間に追いやられているのか?」
「い、いえ……そんな事はありません。ただ、ここから西の森の奥深くに根城があると聞きまして」
「それを私に勧誘しろと」
「そういう訳では……。魔王様は総指揮官な為、ここを動けないのは百も承知です。そこでもし本当に見つけられれば謁見していただけませんか。もちろん、次元龍を捜索し私どもでこちらへ連れてきます」
「……好きにしろ。謁見程度、暇潰しがてら──」
「──お初にお目にかかる」
頭上の彼方より重い声と影が落ちてきた。それは巨躯の重さを感じさせない、ゆっくりと沈むように魔王の前に落ちてきた。
「なるほど、貴様が次元龍か」
「魔族に祭り上げられた魔王を一目見ておこうと思っていたのだ」
「ふん、本当に未来が見えるというのであれば私が許可するのを待っていたという事か」
翼こそ折りたたみ四肢を地につけ座り込むが、長い首を下ろすことなく鎌首をもたげ魔王を見下ろすように相対する。
「貴様、魔王様に対して図が高い。頭を地につけろ」
「お主は黙っていろ。それで物見遊山で見に来ただけか。貴様も私と変わらず暇なようだな」
魔王は一瞥を暮れてやっただけで目を閉じる。
「貴様、過去と未来すべてを見通すと聞くが真か」
「真であるが、魔王軍に属するつもりはない」
「負け戦か」
「魔王様、何をおっしゃいますか」
「勝敗の如何など傍観者に決められるものではない」
声音は諦観しているように感情を感じない。
「では何を伝えに来た。魔王を見たかっただけであれば充分であろう」
「魔王様はお疲れなのだ。用がないなら立ち去るがいい」
「1つ問いたい。何故魔王に担ぎ上げられた。全てはそやつが魔王軍の実権を握る為に過ぎない」
「な、魔王様。こやつの言葉は嘘にまみれてまする……!!」
「仮に過去と未来を見通せても個人の思考は読み取れんようだな」
戯れに魔王が腕を持ち上げた瞬間、次元龍は刹那の間すべての過去と未来を見失う。その後、力が抜けたように僅かに頭を下ろしていた。それを認めた魔王はくつくつと肩を震わせ、頭上の次元龍を見下す様に薄く瞼を持ち上げた。
「さて、何をしに来たのだ。私は暇であろうとおぬしの暇に付き合う道理はない」
「……世界は常に均等である。魔族と人間にも均等というものが存在する。魔族に魔王が生まれたとなれば人間にも対を成す存在が生まれるのは道理。そこに勝ち負けはない。今回の人間との争いも、魔族が勝とうと人間が勝とうと世界は均等に保たれる」
「不毛な戦だと言いたいのか」
次元龍は頭を垂れ答えない。沈黙を破ったのは魔王の溜息である。
「……相わかった。所詮お主は自分で口にした通り傍観者なのだ。過去だろうが未来だろうが横から見ているだけで干渉しない。なまじ個人ではなく世界と同等の視点を持つお主であれば、勘違いする事もあろう。世界が均等? 魔族と人間が均等? そんな訳あるまい。それならば何故魔族や人間など別の生物が存在する。真に世界が均等であるならば魔族や人間と言わず一つの生物でのみ統一すればいい。個体差や個人の思考など消せばいい。世界に意思などない。それは世界の視点で過去と未来を見通してきたお主の考えを、世界の意思と錯覚しただけだ。傍観者を語りながら何故私と接触した。私と接触した時点でお主は自ら傍観者をやめ、この世界に個人として踏み込んだのだ。まったくくだらん万能感で勘違いしていれば良いものを。個人の思考を読めない未来など夢と同じ。私の気まぐれ程度を観測できない未来など信頼に値しない。お主が横から観測するだけの今回の争いには魔族と人間の意思がある。観測結果では見えない意味がある。それを理解しろとお主に求めるのは酷であろう。お主に理解は求めない。だが、もし私達の邪魔をするならば、お主の首を落とし無意味な憂いを断ってやろう」
人間には人間の、魔族には魔族の、私には私の思惑がある。私は破壊衝動の慰みものとして選ばれ畜生として終えるのか、何か生きている意味があるのか。この争いはそれを確かめる為の一つの確認作業に過ぎない。私が死ぬか大陸を支配するか。どちらかが争いの終着点だと私は考える。
「……私は傍観者だ。確かに魔族と人間の争いに口を出すのはお門違い。まさか何もされずに未来を閉ざされるとは思わなかった。私はまた傍観者に……いや、魔族の未来を見た私は魔族に肩入れをしてしまった。やはり私も魔族のようだ。魔王様、一つだけ願いを聞き入れて欲しい」
「ふむ、良いだろう。魔族に肩入れしてここに来たお主だ、敵ではあるまい。だがその前に私の問に答えてもらおう」
「なんなりと」
地面近くまで頭を下げた次元龍は、初めて魔王の瞳を見た。細く開かれた瞼から覗く切れ長の瞳も、次元龍を確かに捉えていた。自分よりも遥かに小さい存在から溢れ出る魔力の鮮烈さは、まるで見通す未来全てが魔王様の意のままであるように錯覚させた。魔王様と対を成す存在。果たしてそんなものは存在するのだろうか。腕と言わず指一本動かすだけで、私の未来を断つことも可能なのは体感してしまった。私は傍観者であるべきだった。この方と、魔王として祭り上げられた彼女と干渉してしまった事で何か取り返しのつかない間違いを犯してしまったような感覚。その間違いは見通した未来に影響を与えたのか判断は下せない。今の私には何が正しいのか判断が出来なかった。私は三千世界すべてを見通すが、私には扱い切れない能力だったのかもしれない。
「私には未来など見えない。今お主が見る未来の先、世界はどうなっている」
「……詳細はわからない。だが人間も魔族も存在している。争いはあるようだが、今回の様な魔族と人間が大陸の支配権を奪い合ってはいないようだ。だが……いや、何だ。私の見た未来には存在しなかった人間が存在する」
「誰だ、それは」
「勇者、と呼ばれている。人間側から見た魔王様のような存在……。私に見えるのはここまでだ。勇者と呼ばれる存在が魔王様の前に立っている」
「な、魔王様に対する人間側の切り札か。それはいつ現れる」
「わからん。だが、恐らく今回の争いではない。数百年の先、魔王様は勇者と出会う。それ以上は私の能力を持ってしても見通せない。未来はそこで断たれたように終わっている」
「……そうか、わかった。では遥か未来、その勇者と呼ばれる存在がどんな存在なのか心待ちにしようではないか。して願いはなんだ、申してみよ」
「私は西の果ての森の奥へと戻りそこで他者に干渉せず、閉じた世界を構築する。もし魔王様に何かあった場合、魔王軍や襲われる魔族、それらを私の元へ来る様に伝えて欲しい。これが最善手かはわからない。だが、未来の私は外界と隔離した世界を作り、そこに魔族達が街を興していた」
「ふむ、種の存続か。そこを中継し勇者のいる未来へと繋がるのならば、それは必要な工程なのだろう。わかった、お主の願いを聞き入れよう」
「感謝する。もう二度と会う事もないだろう」
「達者で暮らせよ。もしかするとお主が見えなかった未来の先、お主も勇者と相対するかもしれんぞ」
「そうか、そうだな……。では閉じた世界で私もその時を心待ちにするとしよう」
唐突に現れた次元龍は、翼を広げ数度羽ばたくと宙に浮き上がる。それは魔王への挨拶か、天高く首を伸ばし大きな咆哮を一つ世界に響かせると西の森へと帰っていった。
「……勇者か。なかなか楽しみではないか」
もし勇者か魔王に対を成す存在なのだとすれば、それはどんな存在なのか。私と対等に戦える存在なのだろうか。破壊衝動に対して同等の破壊衝動を持って対峙する。果たしてそれは対を成す存在なのだろうか。薄く開いていた視界は黒に染まる。幾星霜を経て、私の破壊衝動は風化する事はあるのだろうか。破壊衝動も勇者に興味があるのかもしれない。未来に思いを馳せれば頭痛が僅かに和らいだような気がした。
その魔王と次元龍の必然とも呼べる邂逅を、幼き日の吸血鬼は遠目に黙って見ている事しか出来なかった。
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