微睡む魔王は夢を見る

kazuki( ˘ω˘)幽霊部員

1章

第1話:Prologue


「……つまらんな」

微睡みの魔王と呼ばれる女は王座に腰を掛け、頬杖を付くと気だるげに呟いた。

「ふざ……けるな……」

勇者と呼ばれる男は震える声を絞り出しながら血溜まりに伏していた。痙攣する体にムチを打ち、剣を強く握り、蹲る。血の塊を吐きながら震える両腕で上体を起こし膝を立てた。周囲から仲間の呻き声が聞こえる。まだ死んではいない。

「……ほう、また動けるのか。人間は斯くも脆いと憂いていたが流石は勇者。人類最強の男よ」

冷やかな目をした魔王は心にもない称賛を口にする。浅い息を吸い血を吐く勇者は剣を床に突き立てた。両手で柄を握り、剣に縋るよう身体を預ける。微動が激痛に繋がる満身創痍、失血の為か視界も霞んでいた。脳が激痛を激痛として認識できず身体は痛覚を無視して強張る。それでも尚、稼働できる場所を稼働させて周囲を確認した。霞む視界でも誰が誰かを特定できる程度に信頼する仲間達は掠れた呼吸だけを繰り返す。それもいつまで続くかわからない弱く脆い一筋の糸。その糸だけが仲間達の命を繋いでいた。

「私を前に視線を外すとは豪胆なものだな、勇者よ」

勇者は、魔王の事など眼中に無かった。ただただ仲間を守れない自身に、痙攣する顎で歯を噛み締めていた。悔しさが、情けなさが、仲間を看取ることしかできない己自身が……。全てを許せず涙が頬を伝う。

「何が、勇者……だ」

自分は何の為に此処まで来たのか。魔王を倒すため。──それは結果だ。自分は、俺はただ……。ただ、手の届く範囲で世界を、仲間を、家族を……守りたかっただけだ。たまたま普通の人より手の届く範囲が広かったから此処まで来れた。それは俺だけの力じゃない。伸ばした手を支えてくれる、動かない脚を進める為に背中を後押ししてくれる、一緒に歩いてくれる皆がいたお陰で此処まで来れたのだ。そして、その結果がこれだ。仲間は全員死に瀕して……、時間の問題だ。俺にできる最善の行動……、違う。俺の望む最良の行動は何だ……。

「ふむ、漸く言葉を交わせると思ったんだがな」

此処には何体知能のある魔族が残っているだろうか。これから動かなくなる塵芥が風化するまで放置しても構わないが、臭いには耐えられん。半ば微睡みながら眺める塵芥が霞み始める。呪いの大部分は経年による劣化で解けたが、完全な解呪は出来るかもわからない。古の人間も馬鹿には出来ず、生物として劣る能力を魔法と知恵を持って補ってくる。事これに関しては勇者以上に厄介な存在だった。しかしながら問題の先送りは失敗した。魔王である自分を消滅させられる勇者は、私が目覚めた後に現れた。もう少し早く現れていれば眠る私を苦もなく消滅させられたというのに。

「……微睡みの魔王。頼みがある」

片膝を立て座り込む勇者は剣を支えとして縋るように、祈るように、溢れる涙を堪える事もせず魔王を見上げていた。

「まともな会話もせずに頼みとは礼儀を弁えない奴だな。……しかし、私の元に辿り着き私に命を奪われる者の最後の言葉だ。貴様を死へと導いた責任として聞いてやろう。申してみろ」

勇者の命が途切れる瞬間、今際の際の言葉に少なからずの興味を抱いた魔王は目を閉じ、子守唄を聞くように安らかに言葉を待つ。

「俺はもう……、保た、ない」

血を吐き出す言葉は粘性を持ち聞き取りにくい。

「お前が何故、世界を……滅ぼ、そうとしているのかも……知ら、ない」

途切れ途切れの言葉は咳と混じり、拾い集めなければ意味を持たない。

「もう、俺にはお前を、止められない……。だから、頼みだ……」

呼吸も困難だろう。吐き出した血が口元を赤く染め、縋る両腕に、剣に赤い飛沫を撒き散らすが徐々に言葉には力が込もっていく。魔王の重い瞼が、僅かに開いた。

「世界を滅ぼすなら、好きにしてくれ。だが、今だけは……。俺が死ぬまでは……、世界を、仲間を、家族を……。お願いだ、殺さないで欲しい……‼」

強張る顎では力加減も出来ず、噛み締めた奥歯が砕けた。

「つまり貴様は、此処まで来た努力を無駄だと思いたくない為に、安堵して死にたいと言うことか」

最後の頼みが自己満足のための行動とは勇者として見下げたものだ。私を殺しに来て負けた挙げ句、頼み事。恥も外聞もない。これから死ぬからこそ出来る愚かな行為。

「そうだ。俺は世間が言うような勇者じゃない。俺はただ、仲間と、家族と、平穏に生きたいだけの……、ただの人間だ」

「私からすれば勇者も人間も大差ない。もう数刻もすれば途切れる命。……良いだろう、聞き入れよう。貴様が死ぬまで私はしばし眠る事とする」

改めて目を閉じる魔王には見えない涙が勇者の頬に伝う。それは先程の涙とは違った。

「ありが、とう……」

魔王は答えず、世界から乖離しかけた意識が次の言葉で繋ぎ止められた。

「でもこれじゃあ……、釣り合わない、よな」

勇者は吐ける血もなくえずきながらも、自分を見ない魔王を見据える。

「魔王、貴様の呪いも解こう」

「……何だと?」

「これは、本当は……。最後の交渉に使う予定だったんだが、もうどうでも良い。俺はお前を倒すより、今だけでも仲間を救いたい。そして、微睡みの魔王。お前は俺の願いを聞き届けてくれた。これはその礼だ」

勇者は柄から手を離すと、弱々しく指で印を切った。

それに伴い虚空から丸められた羊皮紙が落ちる。羊皮紙を掴み、最後の力で魔王の足元に投げると勇者は気を失った。足元に転がった羊皮紙はふわりと浮き上がり、ひとりでに広がると魔王の眼前に漂う。

「対価の契約か……」

これ自体は大したものではない。契約を提示するものが、己の持てるものを対価にして対象に同意を求める魔法だ。魔王は視界の霞を振り払い内容を検める。

──なるほど、呪いを解く対価は勇者の命か。

私を殺せる者の命を持って対価として釣り合うか。

こんな単純な魔法で消せる呪いであれば、私も労することはなかったが、この魔法は契約者自身が契約内容を決め、契約者個人が払えるものを代償として成り立つものだ。つまり、私の呪いと釣り合う個人は勇者でしか有り得なかったという事か。魔法の効力も契約者である勇者が死ぬまでの僅かな猶予。後は自分が同意すれば契約は履行される。勇者と呼ばれる男は、本当に世界に興味がないようだ。くつくつと魔王は笑う。さて、如何様にしてやろうか……。

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