第2話:敗北と順応1



「魔王、どういう事だ‼」

勇者は自分が死を悟った場へと戻り、王座を睨む。

最後に見た時と変わらぬ姿の魔王は気怠げに瞼を開いた。

「静かにしろ。埃が舞う」

「ふざけるな。説明しろ」

ズカズカと遠慮なく魔王の眼前へと歩を進めると、勇者は魔王の胸ぐらを掴む。

魔王に積もる埃が落ちた。

「まったく、私はまだ眠いのだが」

「何故俺は生きている‼」

「自分が生きていることに疑問を持つとは、人間は業が深い」

「説明しろ‼」

魔王は溜息をつくと勇者の手を払ったが、勇者は手を離さない。

「まったく、煩いやつだ。貴様との約束は何一つ反故していない」

「ならば何故、俺は生きている」

「勘違いしているようだな。……手を離せ」

魔王に促され、ようやく勇者は魔王の胸元から手を離した。納得できていない勇者は眉を寄せ魔王を睨み続けるが、魔王は口元に手を当てると一つ欠伸をした。

「私が反故したのは契約だけだ。貴様との約束は完璧に履行している」

「契約……、契約を反故したのか⁉ 何故……」

「貴様等は何か勘違いしていたようだな。お陰で契約を釣り合わせるのに苦労した」

「駄目だ、理解できない……。お前は何を言っているんだ……?」

額に手を置くと勇者は頭を振る。死の間際と違い淀みない動きは意図を読みやすいものであった。

「仕方ない。貴様のこれからにも関わるからな、説明しよう。先ず前提となっている貴様の作った契約だが、そもそもがズレている。私はこの呪い自体にさしたる興味はなかったのだ。貴様が命を懸けて釣り合わせた対価は、私にとってはどうでも良かったのだ」

「なっ、そんな馬鹿な。貴様は呪いのせいで世界を滅ぼせないと……」

「私は一度もそんなことは言っていない。人間が勝手に解釈したのだろう」

「そんな……、いや。だとしてもだ。お前に損はない契約だったはずだ。何故同意しなかった」

「時に勇者よ。貴様は対価の契約を同意する前提で話を勧めているが、同意しなかった場合はどうなるか知っているか?」

「どうなるか……?」

勇者の視線が敵意より疑問が勝り、僅かに柔らぐ。

「契約が破棄されるだけだろう」

「違う。契約者……、契約の約定者が定めた契約と同等の契約内容を対象者が再約定して、元の約定者に提示することができるのだ」

「……まさか」

「私は貴様の契約を破棄して、作り直した契約を貴様に同意させた。まったく、迂闊が過ぎるな。勇者よ」

くつくつと笑う魔王は口角を歪ませて、勇者を見上げた。

「ふ、ふざけるな。そんな嘘を……‼」

「貴様が知らない事を嘘で片付けるとは狭量だな。まぁ、この辺は貴様との約束に関わることだ。面倒だが説明しよう」

微睡みの魔王は眠気を堪えつつ、瞼を閉じて緩慢に口を動かす。

「先ずは大前提となった私の呪いを解くだな。私は元より呪いに興味はない。世界を滅ぼさない事と同義として扱えたので契約の枠を書き換えた。呪いを解けば世界を滅ぼすと勘違いしていた貴様らの過失だな。そして私が世界を滅ぼさない事と釣り合う対価として、貴様の仲間の完全な治癒。仲間を世界の適当な場所へ転移。睡眠時間の大幅な減少。勇者の不老。そして勇者が私へ向ける危害の不可。並びに危害を向けるものからの保護だな。以上の内容に書き換えて契約をさせた」

「理解が追いつかない……」

「貴様の頭は何の為にあるのだ……。まぁ良い、端的に言おう。私は世界を滅ぼせない。貴様の仲間は全員無事だ。貴様は私に危害を加えられない。私に危害を加える存在から守らねばならない。それと私に合わせて不老にした。どうだ、貴様の約束は完璧に履行しているだろう?」

まだ何か言いたげな勇者は、魔王の吐き出した言葉を咀嚼するように目を閉じると頭に置いていた手を離し、力なく垂らす。一つ確認したいと、困惑していた先程までとはうって変わり真っ直ぐに魔王を見据えた。

「本当に仲間は無事なのか?」

「安心しろ。勇者の死の間際の願いだ。確かに聞き届けた。貴様の仲間も完治した状態で、世界のどこかで生きている。家族も……、まぁ私が世界を滅ぼすことはない。私が関わることで危害は与えないという意味では無事に生きるだろう」

「そうか、良かった……」

勇者はその場に座り込み、安堵したように笑う。

「……貴様は魔王の言うことを信じるのか」

「嘘なのか?」

「……嘘ではない。恐らくいつか、また仲間達は集まって此処に来るだろう。それまでは証明できないが」

「俺はお前を信じるよ、魔王。俺が気を失う前に見たお前は、聞いたお前の声は確かに信用できるものだった。だから俺も契約を持ち出したんだ」

「貴様の契約は反故したがな」

くつくつと魔王は笑い、目を閉じる。

「勇者よ、すまないがもう限界だ。呪いは大幅に緩和したが解けたわけではない。ここ最近の様子から一日もすれば私は起きるだろう。続きはそれからだ。それまで私を守ってくれよ、勇者様?」

頬杖を付く魔王は小さく頭を垂らすと、間を置かずに寝息を立て始めた。残された勇者は薄暗い石室の中、多くのことを考えながら微睡む魔王を見下ろしていた。





「……ふむ、私は十日寝ていたのか」

「まだ聞きたいことは沢山ある。まさか何百年も起きないかと不安になったぞ」

「何だ、私の事を心配してくれたのか」

魔王はくつくつと笑う。勇者はため息を零し、魔王の言葉を無視した。

「説明の続きだ。仲間と家族が無事なのはわかった。俺がお前に危害を加えられない様にしたのも理解はできる。だが何故、お前に危害を加えるものから守る必要がある。勇者以外からは危害を加えられないのだろう」

「その通りだ。そしてそれが答えだ。貴様は物を知らなさすぎるな。勇者は何人も存在している。魔王を倒せる素養のあるものは複数存在しているが、その中で最も魔王を倒せる可能性があるものを人間は勇者として担ぎ上げているだけに過ぎん。貴様が居なくなった今、新たな勇者を探しているだろう」

「……つまり俺の仕事は新たな勇者の迎撃か」

「その通りだ。簡単だろう? それに伴い私の寿命を考え貴様を不老にした。悠久と呼べるほどの私の寿命に対して人間の寿命は刹那的すぎる」

「不老不死ではないのか」

王座にて気怠げに頬杖を付く魔王は重い息を吐く。

「貴様は戦闘力に関しては勇者かもしれんが、如何せん頭は鈍いようだな。この世に朽ちないものなど無いであろう? 私も長命なだけでいつかは寿命が尽きる。私ですら寿命には抗えん。私の命を持ってしても不死には釣り合わん。対価の契約では不死を賄うことができんよ。不老に関しても正確には、ほぼ不老だ。私を守らせるために、肉体のピークを長持ちさせるただけだ。恐らくは私の寿命より先に効果は切れる」

口元に手を当てると小さな欠伸をする。起きてこそはいるが魔王は目を細めて微睡んでいた。

「あぁ、あくまで不老なだけだからな。今までと変わらず怪我もするし、場合によっては死ぬこともある。それだけは忘れるなよ」

「対価の割には存外多く契約内容を決められたな」

「それだけ勇者だった貴様の命に価値があったのだろう」

うつらうつらと小さく頭を揺らす魔王は無防備で、いたく儚い存在に見えた。

「私が寝ていた間、貴様は何をしていた?」

「城の中の散策と魔物討伐、食料の確保と寝床の準備だな」

「貴様の順応性は勇者らしいと言うべきか。魔物も一応、配下の可能性もあったが……まぁ良いだろう。今後は不要に城の魔物は討伐するなよ」

「何故だ」

「……貴様はここが何処かわかっているのか?」

「お前の城だな」

「そうだ、魔王の城だ。どこに自分の城内の家臣を殺す奴がいる」

「ここにいるが」

「わかっててやったのか。……貴様の豪胆さには感服するよ。まぁ、城の攻略なんてあってないようなものだしな。貴様がいれば事足りる」

「それについて聞きたいことがある」

「何だ?」

「契約の内容はお前に危害を加えるものからの保護だったな」

「そうだ」

「つまり、お前に危害が及ばなければ侵入者の処遇は俺に一任されてると解釈して構わないな」

「あぁ、なるほど。好きにしろ。別に殺せとは言わん。あくまで私が平穏に暮らせるように計らえという意味で理解してくれ」

「了解した。時に魔王、この城は随分人間の様式に近いな」

「近いというか、その通りだ。幾分古いものではあるが、人間の城を頂戴した」

「ふむ、通りで。古いが修繕すれば使えるもので助かった」

「……私が言うのもおかしいが、逃げようとは思わないのか?」

「城の外へか」

「そうだ」

「魔王の城へ行き、無傷で帰っては不審だろう。人間からすれば操られてると思ってもおかしくはない。下手をすれば投獄、疑わしければ死罪すらある。俺は世界に興味はないが死にたいわけでもない」

憮然とした表情の勇者からは感情は読み取れない。が、最低限自分の立場は弁えているようだった。

「まぁ、外へは行っているがな。食料の調達はもとより、こんな陰気臭い城に四六時中居たくはない」

「……貴様は何なんだ。思考しているのか? 迂闊が過ぎるでも言葉に余る、その行動は。本能に従うだけの畜生か?」

「なんとでも言え。魔王城の周辺に人なんていないだろう」

普通は勇者が戻らないことに警戒して監視を増やすものではないのか。人間の知能は勇者ほどに低下しているのか。微睡む魔王の思考は、さも当然のように言い放つ勇者の言葉に負け始め、自分が考えすぎなのかと一抹の不安をよぎらせるも頭を振るう。違う、考えすぎではない。この勇者だ。いや、勇者と呼ばれる畜生だ。こやつの行動に考えがなさすぎるのだ。落ち着いた思考を巡らせれば、考えるまでもない。この勇者は頭が弱い。有り体に言えば馬鹿なのだろう。だからこその純粋さか、戦闘能力については折り紙付きだ。自分を守る盾には充分な能力を有している。なれば使い方次第、自分次第でどうとでもなる。

「……不老にはしたが、貴様は人間だ。確かに食料も必要だな。そこは私の尺度で考えていた落ち度、認めよう。何なら街への買い出しも許可しよう」

「お前は俺の話を聞いていたのか?」

「貴様に言われると無性に腹が立つが許そう。無論、そのままでは無い。最低限の変装と偽名を使え、それが条件だ」

「俺であるとわからなければ問題ないのだな」

「そうだ。……そうだな、いっそ別人にするか。その方が早い」

「何を言っている」

「先ずはその無造作に伸びた髪だな」

緩慢な動作で持ち上げた腕を勇者に向けると人差し指を伸ばし、横に動かした。その動作だけで無造作に伸びていた髪は散り、首元で切りそろえられた。

「そのままでは不格好すぎる。街で揃えてもらえ」

そのまま人差し指を勇者の頭に向けると魔力を込める。元来、髪は魔力を貯める触媒として優秀な素体であった。だが、人の身に置いてその貯蓄量は無いに等しい。その貯蓄料を満たす事で、魔力に影響され髪の色が変わる。勇者の黒かった髪は鈍い灰色へと変わっていた。

「高名な魔法使いの髪色が独特なのは知っているな。それは長年培った魔力が髪に蓄積され、髪が魔力に応じて変化した結果だ。今、貴様に私の魔力を譲渡して色を変えた。後は……そうだな。近くへ来い」

勇者は黙って従う。魔王に触れられる一歩手前で止まるが、更に近づくよう言われ、一歩だけ進む。

「屈め」

魔王の眼前で胡座をかき、見上げる。魔王の冷たい手が頬に触れた。

「火傷と切り傷、どちらが良い?」

「何をいっ……‼」

魔王が人差し指で撫でた箇所が熱く焼ける。肉が焼ける匂いが鼻につくが、それ以上にじんじんとした痺れるような痛みが、右頬から左のこめかみ付近まで大きく広がった。

「ふむ、なかなか男前になったぞ」

勇者は痛む顔を庇うように手で覆うと蹲り、魔王を睨む。

「傷のお陰で凄みも増したんじゃないか? これなら貴様を勇者とわかるやつも居ないだろう」

「……ちっ」

勇者は魔王の意図を理解して舌を鳴らす。唐突な痛みに苛立ちがあったが、意味のある行為だと理解して舌を鳴らすことで溜飲を下げた。

「後は名前だな」

立ち上がった勇者は魔王の前から数歩距離を取る。その行為に魔王はくつくつと笑った。

「逃げることはないだろう? もう痛いことはしない」

「黙れ」

「さて名前は大事だな……。貴様は何か名乗りたい名はあるか。私が気に入れば認めてやろう」

「……好きにしろ」

「ふてくされおって、初い奴よ。ふむ、そうさな……」

魔王は微睡みの中、古い童話を思い出す。魔王に恋した可愛い勇者の物語。女の名前ではあるが、そこから取るとしよう。

「では、貴様は今後キルシェをなぞらいケルザと名乗るが良い」

「ケルザだな、わかった」

「ふむ、これで要件は満たした。堂々と街へと行くが良い。魔王を守るものとして恥ずかしくない様相になって戻れ。私は寝る」

言葉と共に意識を断つと小さな寝息が石室に響く。勇者はしばし逡巡した後に魔王の足を、腰に携えた剣でなぞる様に薄く切ると、部屋を出て街へと向かった。



「貴様という奴は度し難い、本当に度し難い」

くつくつと笑う魔王は瞳に浮かんだ涙を拭う。笑われた理由のわからない勇者は眉をしかめた。

「急にどうした。微睡みの中で夢でも見たか」

「いや、何。今こそ夢を見ている気分だ。何故帰ってきたのだ、勇者よ」

「意味がわからない。それと勇者は止めろ。俺はもう勇者ではない」

「そうか、そうだな。失礼した、ケルザ」

王座で肩を震わせる魔王はひどく楽しそうに笑う。

「どうだった、自分の新しい姿を検めた気分は」

「完全に別人だな。自分でも誰かわからなくなる。髪は灰色になっているし、顔には大きい火傷の痕。確かに顔にこれだけの傷があって髪の色も違えば、勇者とは思われないだろう」

「そうか、そうだろう……、ケルザ。して、何故戻ってきた?」

「意味がわからない」

「……本当に頭がまわらない奴だ。自分でも別人だと思えるほど見た目が変わったのだろう? なれば、貴様を勇者と見抜けるやつはそうはいまい。街でも暮らしていけるだろう。何故そのまま逃げなかった?」

勇者はようやく得心して声を漏らす。

「……そうだな、確かにそうだ」

「今更……、今更気づいたのか」

堪えるように笑っていた魔王は愉快さを隠さない。

「うふふ、なるほど、なるほどなぁ……。人間が家畜を飼う理由が初めて理解できた。そうかそうか、うふふ、なるほどなぁ」

「気色の悪い笑い方をやめろ」

なるほど、本能に忠実な奴だとは思っていたが、よもやここまで畜生と変わらない思考回路とは恐れ入る。勇者はこの数日で私の城を家だと認識したらしい。放っていても帰ってくる畜生とは存外に可愛いものだ。

「それで何だ。私に言われた通り、身嗜みを整えて帰ってきたのか」

「それもあるが、契約を使いお前は俺との約束を果たした。それならば、今度は俺がお前との契約を果たす必要がある」

「あ? 契約?」

「そうだ。お前は世界を滅ぼさない、仲間を完治させて、この場から転移させた。確かに俺との約束は完璧に履行している。それならば、契約に従いお前を守るのが返礼になるだろう」

「なるほど、義理堅い。本来なら私に殺されていたはずの男が言う台詞とは思えないな」

「好きに言え」

「して、身に付けていた鎧はどうした」

「売って金にした。それで食料と髪を整え、城の修繕費に当てる。もう数日もすればお前はまた暫く寝るのだろう。その間に必要な箇所を修繕して人が住めるように改修する」

「本気で言ってるのか、ケルザ。ここは魔王の城だぞ」

「何、多少の金を積めば融通が利く。人間とはそんな生き物だ」

人間の思考は、一応人間である勇者の方が詳しいのだろう。金で買える人種がいるのは知っている。だからといって魔王城に人間を呼んで城の修繕をさせる。そんな考えがまともな人間から出る発想とは思えない。こやつの本質は畜生と変わらない。人間のように知恵をつけ、人間社会で育った畜生だ。人間という種族のふりをした畜生だ。ここが何処かなんて気にも止めていないのだろう。恐らくは、自分の住環境を良くしようと巣作りする畜生と同じ感覚で、人間社会に則った方法で魔王の城に巣作りしようとしている阿呆なのだ。

「……城のことは好きにしろ」

「初めからそのつもりだ。安心しろ」

何に安心すればいいのかわからない魔王は笑い疲れて瞼を閉じる。

「……楽しみにしているぞ」

「任せろ」

本当にこやつは勇者だったのだろうか。些末な疑問は微睡みに溶けて消えた。

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