第3話:敗北と順応2



私が勇者と戦う以外で王座を立つのはいつぶりか。

魔王は自分の城を勇者に案内敗北と順応1、ぼんやりと思う。

「先ずはここだ」

勇者は一室の扉を開く。甲高い音を立て軋みながら開いた扉の先は綺麗に整えられた厨房であった。最後の記憶は埃に塗れた部屋で使えるものではなかったはずだが、眼前には新造したかのような部屋が広がっていた。

「……これは驚いた」

「だろう。お前の寝ている間の2日間は人を雇い、大半の部屋は綺麗に掃除をさせた。その次に設備を新造するために設備屋に下見をさせて設置した」

次の部屋に行くと勇者は扉を締め、歩き出す。素直に感心した魔王は改めて廊下に出ると埃臭さが鼻についた。程なくして付いた部屋は浴場であった。こちらも綺麗になった脱衣場の先を開くと、既に広い浴槽には湯が張られている。

「風呂場だ。こっちは存外に金はかからなかった。大半が元々の設備の修繕のみで済み、源泉も近くに通っていたらしく直ぐに使えるようになった。温泉が枯れない限りはお湯は張ったままになるそうだ。浴槽から溢れる分は側溝から流れて簡単に濾過した後に、元の源泉に戻る」

次は厠だがお前には必要ないだろうと、前を通り過ぎる。そのまま倉庫、綺麗に掃除をされ窓を開放した部屋をいくつか案内され、その度に廊下の埃臭さが鼻についた。

「なぁ、ケルザ」

「何だ」

「何故廊下は埃にまみれたままなのだ」

「……ここは魔王の城だ。城に侵入した勇者が廊下が綺麗だとおかしいと感じるだろう」

何を言っているのかと勇者は眉を寄せる。こやつは何を言っているのか。ここまで好きに改修しておいて、出てくる気遣いが侵入者におかしいと思われないための最低限の配慮なのか。……駄目だ、こやつに私の常識は通用しない。こやつはこういう畜生なのだ、考えるだけ無駄だ。魔王は呆れながら勇者の後を歩く。

「最後はここだな」

勇者の立ち止まった部屋の扉を見やる。ここだけは扉も新調したのか、真新しい木製の扉が備えられていた。勇者が扉を開けるが軋む音もなく静かに開く。入口の正面には大きなガラス張りの壁があり、テラスへと出る両開きのガラス戸が兼用されていた。床も石畳のままではあるが赤い豪奢なラグが敷かれて、上には小さな白いテーブルと椅子がある。入り口から見て右側には天蓋付きの豪華なベッドがあった。

「はぁ……、これは凄いのぅ。貴様の部屋か、ケルザ」

「そんな訳無いだろう。ここはお前の部屋だ、魔王」

「……私の部屋だと?」

「そうだ。お前は曲がりなりにも俺の守る対象、主だ。俺が仕える以上、最低限の生活水準を満たせ」

陽光に満たされた部屋は、主の不在を勇者によって守られていた。

「ほう、なるほど、なるほどのぅ。初いぞ、初い奴よ。私が寝ている間にここまで仕上げるとは。中々どうして、貴様は勇者として前に立つより従者として誰かに仕えた方が向いているようだ」

嬉々として部屋に踏み込もうとした魔王を勇者は静止する。

「待て」

「何ぞ?」

「最低限の生活水準を満たせと言っただろう。何より、俺が誂えた物を最初から汚す気か」

「私の部屋なのだろう?」

「……その前に案内しただろう、風呂に入れ。お前は俺の主だ、最低限の身だしなみを整えなければ部屋の使用に値しない」

「意趣返しのつもりか?」

「それもあるが単純に埃塗れで異臭のするお前に、この部屋を使われたくない」

「……異臭とな」

魔王は汚れた袖を鼻に近づける。埃臭さとカビ臭さが鼻についた。伸びた髪をすくい、匂いを嗅ぐ。埃臭さと形容し難いこもった匂いが鼻腔を刺激し、咳き込んだ。

「うぐぅ、気付かなんだ」

「あんな埃に塗れた部屋で椅子に座ったまま寝ていれば、そうもなる。早く風呂へ行け」

「しかし、そうなると……」

魔王は視線を落とし、埃と血が固まった服を見る。折角湯浴みをしてもこれではと勇者を見ると、部屋の主を静止したくせに躊躇わず部屋に踏み込み、ベッドの脇にあった小さな棚から何かを取り出すと入り口へ戻って来た。

「一着しか買っていないが、先ずはこれに着替えろ」

「……ほぅ、準備がいいな。ケルザよ」

差し出された布を手に取り広げる。質の良い、シンプルな黒いワンピースのドレスであった。

「これは貴様の趣味か?」

「気に食わなければ後日、新しい物を買えばいい。今は先ず身なりを整えろ」

「いいや、気に入った。従者からの贈り物だ。有り難く着させてもらおう。して、ケルザよ。ここまで用意した貴様が忘れる訳もあるまい。下着はどうした」

服に絡まっているのかと思い振るが落ちてこない。見上げた勇者は顔を背けている。

「……すまない」

「ふむ、なるほど、なるほどのぅ。貴様はそういう趣味で、主である私に自分の趣味を押し付けたかったということか。いやぁ、度し難い。とんだ変態だな、貴様は」

くつくつと魔王は肩を震わせる。存外、自分の気まぐれは正しかったのかもしれないと魔王は笑う。自分が従者となるきっかけを与えたのは確かだが、この生真面目な畜生は私との口約束を果たす為に此処にいる。面白い畜生を飼えたものだと満足気に勇者に背を向けた。

「では、身を清めるとしよう。後の話はそれからだ」

「……必要なものは全て準備しているから探せ。それと風呂では寝るなよ」

「そうさな。貴様の助けは期待できん」

埃の舞う廊下を魔王は軽い足取りで進んでいった。





「これでどうだ、ケルザよ」

部屋の前、壁に背を預ける勇者に魔王は問う。腕を組み、品定めするように検めると勇者は魔王を部屋に通した。

「ふふん、これで貴様も納得する主になったようだな」

「俺は最低限の要求しかしていない」

埃と汚れにまみれていた髪はくすんだ灰色ではなく、本来の銀色の髪を取り戻し、部屋も主を歓待するように陽光を魔王に注いでいる。薄汚れていた肌も本来の白さを取り戻し、纏うドレス以上に映えていた。

「……見違えたな。これでは魔王には見えん」

「ふむ。勇者ではない勇者と魔王に見えない魔王。なかなか釣り合っているのではないか?」

「好きに言え。着ていたものはどうした」

「捨てようにも捨てる場所がなさそうだったのでな。燃やして灰は温泉の側溝に流しておいた。して、ケルザよ。すまないが限界のようだ」

「……わかった。そこのベッドで眠れ」

「貴様が誂えたものだ。この服と同様に質の良い物なのだろう。楽しみだ」

「明日には起きるのだろう」

「恐らくな。どうも3日程度は起きていられるようだ」

いそいそと肌触りの良い布団に魔王は潜り込み、顔だけを掛け布団から覗かせる。閉じた瞼を開く事はなく、寝息を背に勇者は部屋を後にした。



仄暖かい身体が、意識が覚醒するよりも早く心地よさを伝える。瞼は閉じたまま、微睡みから徐々に意識が浮き上がってきた。覚えのない心地よい覚醒に瞼は開くことに抵抗を示す。その抵抗を甘んじて受けながら魔王は寝返りを打った。サラサラとした肌触りの良い服が心地よい。王座で呪いから醒めた時とは違う、心地の良い目覚め。肌寒さも硬い服の不快さもない心地よい微睡み。眠るという行為が、こんなにも気持ちの良いものだった事を魔王は初めて知った。瞼は閉じたまま、上体を起こす。長い髪は溢れる砂のように肩から滑り落ちた。無意識に袖を鼻に近づけて匂いを嗅ぐと柔らかい優しい匂いがした。ゆっくりと、瞼をこすり目を開く。口元に手を当てて欠伸を一つ、涙が頬を伝った。

「……ふぅ、よく寝たな」

言葉の通り、椅子で座るのとは充足感が違う。もしかすると今までの様な呪いで眠るのとは違う感覚が働いているのかもしれない。触り心地の良い布団を撫でると、布団から抜け出す。ここ数日、眠る間隔が短くなった為か脳が覚醒するのが早い。体を動かす事に気怠さを感じない。

「ケルザ」

勇者の名を呼びながら扉を開くが、誰もいない。埃の舞う廊下を軽い足取りで進み、王座の間に向かう。勇者は王座に座り、頬杖を付きながら目を閉じていた。

「何だ、その椅子に座りたかったのか」

声に反応した勇者は目を開くと立ち上がる。

「違う、掃除の成果を確認していただけだ」

「掃除?」

「そうだ。お前が永らく座っていたからな。新しく買った服が汚れるのは忍びない。小汚いが汚れがつかない程度には綺麗になった」

「貴様は潔癖症なのか?」

「そうではないが、俺の主が汚れるのは気に食わん」

「そうか。では、私自ら成果を確認しよう」

薄暗く埃臭い部屋には似つかわしくない銀色の髪を靡かせる魔王は、慣れた動作で王座に腰掛ける。勇者は立ち位置を変え正面から……、魔王に対して願いを請うた場所に立ち魔王を見据えた。微睡みの魔王と呼ばれていた埃を被った魔王には不気味さを覚えたものだが、今の魔王と寂れた椅子では釣り合いが取れない。魔王の確かな存在に椅子が負けていた。

「今度からは部屋で寝ろ。次に長く眠る時に椅子も修繕させる」

「そうか、貴様に任せよう」

肘掛けに肘を付き頬杖を付きながら、魔王は目を閉じた。不気味だった存在は、見てくれが変わっただけで厳かな存在に変わる。

「……魔王、街へ行くぞ」

「用事か? 好きにしろ」

「お前もだ、魔王。共に街へ行くぞ」

「は? 何を言っているのだ貴様は」

「言葉のとおりだ魔王、買い出しに付き合え」

正気なのか、この畜生は。この明るい中、魔王に街へ行けと。いや、この畜生だ。本気で言っているのだろう。意図がわからない言葉に魔王は眉を寄せる。そして思い至った。

「あぁ、なるほど。理解した。私に趣味を押し付けたいのだな。自分の趣味にあった私を守りたいのだな?」

「五月蝿いぞ。そのままではお前も困るだろう」

「そうさな、確かに困る。我侭な従者に部屋を使うなと言われかねん。あのベッドは心地の良いものであった」

「満足したのなら構わない。行くぞ」

返事を待たずに背を向ける勇者を追うように魔王は席を立つと足を踏み出した。



「なかなかどうして、貴様は頭は悪いが知恵は回るようだな」

勇者は近くの街で噂になる程度に有名になったようだ。それもそうだ。今まで魔王が住んでいた城に行ったがもぬけの殻で、散策を含め数日城内を見回ったが誰も、何も居なかったとのたまい、物好きな自分の主が誰に対してか城を買い取ったと嘯いたようだ。これまで魔王の城に入る者はいても、出てくる者は魔物しかいなかったと言われる場所だ。そんな所で数日生活して、何も居なかったからと街の職人たちに大枚を叩いて清掃と設備の修繕を公に行ったのだ。それから何度も街に訪れては様々な雑務を済ませていたらしい。この街では灰色の髪をした顔に大きな火傷痕ある男といえば、魔王城で生活する不気味な男に違いない。大枚と交換した鎧も、とてもじゃないが一般人が身につける物では無かったようで金銭だけでは釣り合わないと、買い取った店主は不慣れな街で困ることも多いだろうからと手助けを申し出てくれたようだ。その事もあり、街の人間には広く周知され上手く人脈を構築していた。

「本当に貴様は優秀な畜生だな」

生来の生真面目さなのか、大枚を払って仕事を依頼する勇者は商人たちには信用もあるようだった。私の城に躊躇わず住み着く事といい、この畜生の順応性は計り知れない。世渡り上手という言葉は、この畜生の為にある言葉だと魔王は一人納得した。

「……何だったか。私の名は」

「キルシェだ」

「ふむ、どこから取ってきたのだ」

「お前が言っただろう。俺の名前を決める時に」

「ふむ、そうだったな。それで私は遠い地の良い所のお嬢様で、貴様は私の従者なのだな」

「そうだ。お前は魔王と勇者に関しては口にするな。俺は街の中ではお前をお嬢様と呼ぶ。いいな、街の中ではお嬢様と従者だ」

「なんだ、今と何も変わらないではないか」

くつくつと魔王は笑う。

「街の住人たちの信頼度が変わる。ここまで大枚を叩いて金銭に余裕のある人間だと思わせた。俺は居もしないお嬢様に仕えている従者だと話の節々にちらつかせた。最後にお前がお嬢様として俺と共に街に現れる。お前が失敗しない限り、魔王の消えた城に住む物好きなお嬢様と従者だと信じ込むだろう」

この畜生は事、人間に関しては強かなようだ。人間の社会で上手く生活するのに戦う力はいらない。力だけが全ての魔族とは違う社会に、私だけでは上手く溶け込む事は出来ないだろう。この畜生の自分の生活基盤を整える能力は認めざるを得ない。

「安心せよ、ケルザ。途中で眠ることはあっても人間を謀るくらいは問題ない」

「信用するぞ、お嬢様」



「うふふ、何だあの人当たりの良さと丁寧さは。何処に仏頂面と吐き捨てるような話し方を落としてきたのだ、気色悪い」

ガタガタと音を立てる馬車の荷台で、魔王は機嫌よく口を開いた。

「五月蝿い、街では良い所のお嬢様の従者だ。品位を疑われる行為は出来ない」

「呉服屋の店主に聞いたぞ? この服一着を買うのにも苦労したようだな」

「黙れ」

「そうさな、女物の服を買うだけで苦労する男だ。下着なぞ買えんよな?」

くつくつと魔王は笑う。

「それにしても存外に容易く信じたものだな、私が良いとこのお嬢様なんて与太話を。これも貴様の根回しの成果か」

それもあるが腐っても魔王。容姿以上に浮世離れをした存在感があった。身なりを整え、質の良い物を身に纏った浮世離れをした存在。見ただけで日常で関わらない存在だと住人も理解できたのだろう。百聞は一見に如かずと言うが、根回しによる前評判も功を奏した。今まで想像だけの存在だった架空のお嬢様を、圧倒的な存在感で想像以上の存在として認識させる事が出来たのだ。これでもう、この街に関しては魔王の存在は払拭され、物好きなお嬢様と従者が住む城として認知されただろう。

「そうかもしれんな。もう城に着く、静かにしていろ」

程なくして馬車の揺れは治まり、ガタガタとした音は止む。物音を立てると、馬車の主が荷台の後部から顔を出した。

「旦那、お嬢様。着きましたよ」

「ありがとうございます。降りますよ」

率先して荷台を降りると、笑顔を貼り付けた勇者は魔王に手を伸ばす。魔王も勇者の手を取り荷台を降りた。魔王の体制が崩れないように勇者は腰に手を回して、魔王を受け止める。

「では、私はこれで。またご利用ください」

「はい、またお願いします」

魔王から手を離した勇者は好青年を装い小さく頭を下げた。魔王も小さく頭を下げ、礼を述べる。

「ありがとうございました。また近いうちに街へ行かせてもらいますね」

「えぇ、是非。それでは」

馬車の主は深々と頭を下げると馬に跨り、街へと走って行った。

「気持ちの悪い話し方だな、どこで覚えた」

「貴様も大概な表情だぞ、どこで拾ったのだ」

「まぁいい。食料も確保できたし、椅子の修理も依頼できた」

勇者が城の扉を開けると、何食わぬ顔で魔王は中へ入る。

「ご苦労、ケルザ」

「……いつまでお嬢様のつもりだ」

「魔王の従者も似たようなものだろう?」

勇者は答えずに扉を締める。埃が宙に舞い、カビ臭さが鼻についた。

「なぁ、ケルザ。いつまで廊下は埃塗れなのだ」

「……そうだな。街の信用は得た。これなら客人を迎えてもおかしくない。清掃しよう」

「勇者は良いのか?」

「物事には順序がある。誰がいるかわからん場所が奇麗では不審だろう。だが、今は街の住人もお嬢様が住んでいる事を認識した。今度はそんなお嬢様が住む城が埃塗れのままでは不審だろう」

「ふむ、そうさな。任せるぞ。私は少し眠い。風呂に入ってから寝るとしよう」

「そうか、好きにしろ」

「その前に服を片付けねばな。ケルザよ、貴様も部屋に来い」

歩き出した魔王に勇者は付き従う。埃の匂いが充満した廊下を抜け、清涼な魔王の私室につくと魔王は服を白いテーブルに置いた。

「さて、買ってきた物だが私は疎くてな。店主に見繕って貰ったのだ。貴様の趣味に合う物はどれだ?」

「お前は馬鹿なのか」

「なるほど、やはり下着はいらないのか」

「待て、そうはならないだろう」

「時にケルザよ。今日下着を買ってきたわけだが」

魔王は黒く柔らかいドレスの裾を両手の細い指で上品につまみ、ゆっくりと持ち上げる。白い太ももが露わになる所で手を止めると銀色の瞳を細め、蠱惑的な笑みを浮かべた。

「ちゃんと下着をつけているか確かめるか?」

「……寝る前に早く風呂を済ませろ」

魔王の言葉を待たずに勇者は部屋を出て行く。残された魔王はつまんでいた裾を手放すと、肩を震わせて笑う。

「初い、初いぞ……。何だあの顔は。まったく、可愛げのある畜生だ」

魔王は適当な下着と服を手に取ると、自室を後に浴場へと消えていった。





「おぉ、私の椅子が綺麗になっておる」

新品同然とは言わないが、薄汚れて埃で塗れていた椅子は職人の清掃と修繕により見違えた。新しさが無い代わりに古いながら手入れの行き届いた、厳かさがある出来に仕上がっている。その厳かさが魔王の存在感と相まり魔王……、もといお嬢様に泊をつけた。王座の主は機嫌よく腰を下ろす。

「おぉ、硬くない。ふかふかだ。肘掛けもくすんではいるが汚れではない。経年劣化も味がある。ふむ、実によく馴染む。しっかりと手入れをしていると、こうも変わるとは」

魔王は何時もの場所で何時ものように頬杖をつき、珍しく足を組んだ。新しく見繕わせた白いドレスに身に纏う姿は魔王と言うには清廉で、聖女と言うには怪しい雰囲気を孕み過ぎている。どこぞの新興宗教の教主あたりが型に嵌まっていた。もう物好きなお嬢様が住み着いたと周知させた為、廊下や王座の間の埃も完全に清掃し城も本来の姿へと戻り始めていた。

「ふむ、貴様を仕えさせてから環境が目まぐるしく変わっていくな」

傍らに立つ勇者は無表情に魔王を見やる。

「俺は最低限を満たしているだけだ」

「もうこれでは魔王の城とは呼べぬ」

「ここは物好きなお嬢様の城だからな」

「貴様の趣味が垣間見えるな。そうかそうか、うすうすは思っていたが……。貴様は勇者として世界を守るのではなく、可弱い少女に奉仕したかったのだな」

魔王はくつくつと笑いながら白い袖で緩やかに口元を隠す。楽しそうに細めた銀の瞳は流れるように勇者を見た。少女とも淑女とも取れない、未完成だからこそ表現できる曖昧な容姿。本来であれば、どっちつかずで壊れそうに脆く見える存在。眼の前の魔王は曖昧な容姿だが、誰にも侵されない圧倒的な存在感を放っていた。

「……視線が熱いぞ、ケルザ?」

「勝手に言っていろ」

「しかし、自分の部屋に慣れると薄暗いな」

「元はお前の寝室だろう」

「寝室であった訳ではないのだが、まぁ似たようなものではあったな」

「……だが、俺も同じ事を考えていた」

「後ろの壁の向こうは外だ。穴でも開けるか?」

「場所は良いな。窓を作るのも良い。問題はお前を最も効果的に魅せる方法だが……、考えておこう」

「うむ、任せよう」

「そうなると、今後は魔王の居た王座の間ではなく、これからはお嬢様が応対する場にするのが相応しいか。いや、お嬢様ではなく城の主として対応する場だな。街でのお嬢様の評判は上々だ。そのイメージは崩せない」

「私以上に私の扱い方を考えてるとか素直に気持ち悪いぞ?」

「俺は空間を最大限効率的に運用する方法を模索しているだけだ」

「貴様は自分が行動するより、誰かの為に行動する時に有能になるな。やはり勇者より従者の方が適職だ。良かったな、貴様の大好きなお嬢様の従者になれて。天職だぞ?」

「……勇者は柄じゃないのは初めから知っている」

だから俺は魔王の気まぐれで生かされ、ここにいる。きっと世界を優先して死に瀕した仲間を見ても動じず、満身創痍でも魔王に挑める本当の勇者であったならば俺は、仲間を含め全滅していたと改めて思う。俺の出した最良の行動は、存外最善の結果を出していた。

「時にケルザ。貴様はここに住み着いて、どのくらいになる?」

「大凡、2ヶ月程度だ」

「そうか。なるほどな……」

魔王は組んでいた足を解き、行儀悪く座り直すとソファの上に両足を乗せ横になり、肘掛けにおいた腕に頭を乗せる。銀色の髪がサラサラと滑り落ちていく。

「それがどうした」

「いや、何……大した事ではない。貴様が住み着いて2ヶ月程度で、何百年も魔王の城と呼ばれ魔物の蔓延った城が随分と様変わりしたと改めて思ってな」

「俺を生かした貴様が悪い」

「別に悪く思ってはおらん。むしろ、思い返せば良くもまぁあんな埃とカビが支配する空間で生きていたものだと自分自身に感心している。何より、ベッドだ。あれを発明した人間だけは認めざるを得ない。もう椅子に座ったまま埃に塗れるほど寝たくはないからな」

「恐らく強制的に眠ることで仮死状態に近かったんだろう」

「ふむ、貴様のお陰で起きる時間も増えて目新しい事が多い。なかなかに愉快だ。今まで生きていた中でも最も愉快かもしれん。褒めて遣わすぞ」

「何もしないくせに偉そうな奴だ」

「魔王は偉いから何もしないのだ」

「今のお前はお嬢様だろう」

「そうだ、お嬢様だ。なればこそ、貴様を喜ばすために何もしないのだ。ほれ、喜べ。貴様の大好きなお嬢様を誰にも邪魔されず、独占して奉仕できるのだぞ?」

「好きに言え。俺は部屋に戻る」

「私のか?」

「何故お前の部屋に戻る必要がある」

「貴様にも部屋があったのか」

「当たり前だ」

「案内されていないぞ」

「必要がない。お前が俺の部屋に来る理由もない」

「何て奴だ。私は今まで気にも留めていなかったが、気付いてしまうと興味が湧いた。案内せよ」

ソファの上に揃えられた細い両足が、石畳の床につく。勇者はふと、床を見て絨毯も必要かと考えたところで魔王は完全に立ち上がっていた。

「どうした、床なぞ見て。……ははぁ、なるほど、相わかった。英雄色を好むと言うが、貴様もそうだったか。そんなに私の足が見たいのか。いや、見ていたのだな」

「何を言っている?」

「ドレスの裾から伸びる私の足に欲情したのであろう?」

「まだ微睡んでいるようだな」

「貴様を前に私も無防備過ぎた、謝罪しよう。本当はソファに横になったときから舐めるような視線には気づいていたのだ……」

「そうか、早く寝ると良い。できる限り起きないように努めろ」

眼前に立つ魔王を無視して、勇者は主の間を出る。後ろで何やら言っていたが、頭は雑音として処理した。廊下を進み、魔王の私室近くで追いつかれた。

「ふむ、部屋はこっちなのか」

「一番端の部屋を使っている」

「何故端なんだ。私の部屋の隣で良いだろう?」

「お前と距離を取るためだ」

「そうか、貴様も大変なんだな。私の近くには居たいが、理性が持たないから距離を取らねばならんとは」

魔王を無視することに危機感を覚えなくなった事に自分でも感動を覚えながら自室の扉を開く。ギシリと音を立て古い木製の扉は開き、部屋の主を出迎えた。

「……客室か?」

「俺の部屋だ」

魔王は黙ったまま、隣室の扉を開くと中を検める。そのまま戻ってくると、もう一度部屋の中を見回した。

「同じ部屋ではないか」

入り口正面には窓、簡素な棚、ベッドが一つ。空いている客室と何一つ変わらない部屋を勇者は自室とのたまっていた。

「当たり前だ。どうせ客人など来ないとは思ったが念の為に余った部屋は全て統一して、客室とした。俺はその一つを使っている」

部屋の主は簡素な自室に帰るとベッドに腰を下ろす。

「満足しただろう、部屋に帰れ」

「………………」

魔王は黙ったまま部屋に踏み入る。腕を組み、再度部屋の中を見回した後に勇者を見下ろした。

「時間をやろう」

「何のだ」

「また私は数日眠るだろう。その間に内装を変えろ」

「不要だ」

「勘違いするな。貴様は私に仕える従者なのだ。この様な物置部屋は私が認めない。いいな、これは主としての命令だ」

不機嫌そうな、つまらない物を見たといった表情で主は口を開く。

「もし次に私が貴様の部屋を確認した際に、私が納得する出来でなければ部屋の使用は認めない。私に仕える以上、最低限の質を保て」

「衣類と寝る場所があればーー」

「勘違いするな。貴様の最低限ではない。私の最低限に合わせて部屋を設えろ」

私も部屋へ戻ると言い残し、来た時とは違い冷淡な態度で扉を閉じて行った。理解できない命令に眉をひそめ、勇者はただ魔王の締めた扉を眺めることしか出来なかった。

「何が気に食わなかった……?」

部屋を一瞥するがおかしい所は何もない。かと言って、ここまで手を掛けて改修した城だ。愛着もある。どうせ使う部屋を変えたところで使用は認められないのだろう。魔王は俺の部屋に何を求めている?

主の間と同じ機会にまとめて設えるのは構わないが答えがわからない。何を基準に部屋を改めれば魔王は満足する?

勇者は答えのわからない問題を破棄するように、主の間ではなくお嬢様として応接する部屋も準備する必要があるなと、考える内容をすり替えて今後の展望に思考を巡らせることにした。



「ふむ、窓は高い位置に付けたのだな。明るくなった。床に絨毯は必要だったのか?」

改修した主の間を一頻り見渡すと、定位置に付き勇者を見上げた。

「人間は高い所から差し込まれる光に威光を感じる生き物だ。だから、より降り注いでいる風に見える様に縦長の窓を複数並べることにした。床も石畳のままでは味気ない。この場に来る人間はお前以前に、この部屋に圧倒される必要がある。絨毯はお前の部屋と同等な物を誂えた」

「そうか。運用の仕方は貴様に任せるから口は出さん」

肌寒さを感じる石室に不釣り合いな質の良い絨毯。その先には王座があり、銀髪銀眼の魔王が不遜な態度で頬杖を付き座している。室内に降り注ぐ陽光は魔王を照らし出し、柔らかく光を反射する銀色の髪は魔王自身が光りに包まれているように錯覚するものであった。

「して、ケルザ。わかっておるな」

「何をだ」

「貴様の部屋の件だ。確認する」

「この部屋の方が重要だ」

「貴様が誂え、納得するものにしたのだろう。私は貴様に一任したのだ。出来た時点で私が評価する必要はない。それよりも貴様の部屋だ。わかっておるな、もし何も変わっていなければ貴様は主の命令に背いた事になる」

魔王は立ち上がり、勇者を無視して歩き始めた。勇者も追って魔王に並ぶ。

「何が気に食わない」

「貴様は主の命令に対して、自分の感情を優先させるのか」

「そうではないが納得が出来ん」

「魔王だろうがお嬢様だろうが、主なんてそんなものだ。いつだって自分の我儘を通す。そこに他者の考えなど介在しない。それが自分の直接の配下であれば尚の事」

取り付く島もない。魔王は早足に自分の部屋を通り越し、勇者の部屋に辿り着く。扉の前で立ち止まると傍らに立つ勇者を見上げた。

「開けるぞ」

「……好きにしろ」

許可を得た魔王は躊躇わずに扉を開くと部屋に入った。追従するように緩慢に勇者も自室に踏み入る。部屋の中央で腕を組み仁王立ちする魔王を尻目に勇者は新しく設えた椅子に腰を下ろした。

「……ふむ」

部屋を見渡しながら、組んだ片腕を顎に添え、もう片腕で自分を抱くように脇腹に手をおいた。

「なるほど、なるほどのぅ」

「立っていないで座れば良いだろう」

「安心しろ。貴様の部屋に何故椅子が2つあるかなど言及はせん」

滑らかな青いドレスに気を払う事もなく、魔王は促されるまま無造作に腰を下ろした。背もたれに体を預けると足を組み頬にかかった髪を片手で後ろに流すと、両腕を組んだ足の上に置いた。

「まぁまぁだな」

「望む答えがわからなかったから、お前の部屋を参考にした」

床には落ち着いた色のラグが敷かれており、その上に塗装はないが磨かれた滑らかなテーブル。向かい合うように同じ仕上げの椅子が2つ。悪くはない。簡素な棚はそのままだが、用途のない収納を増やしても内装が良くなるわけでもなし。唯一気になるのはーー。

「何故、ベッドはそのままなのだ」

「天蓋など不要だろう」

「そうではない」

一度落ち着けた腰を持ち上げると、今度はベッドに腰掛け布団に触れる。自身が使う物とは違い反発が強く、幾分硬い材質なのを認めた。

「もう一度時間をやろう。天蓋はいらんが、もう少し質を上げろ」

「必要ない」

「命令だ」

「……善処しよう」

「貴様は期限を設けなければ間違いなく後回しにして、結果有耶無耶にするだろう。次にまた私が眠るときに直しておけ」

ギシギシとベッドの硬さを訴えるように、両腕に体重をかけて押し込む。倒れる様に肘を付きながら体勢を直し、肩をベッドにつけ横になった。そのままの体勢で後ろも見ずに、粗野な動作で枕を探り当て掴むと頭の下へ運ぶ。

「……何をしている」

「見ての通り横になっている。そもベッドの用途として正しいだろう。聞くまでもない」

「それは俺のだ」

「貴様のだろうと私のだろうと用途は変わらん」

魔王は目を閉じると、横になった際に僅かに捲れたドレスの裾を伸ばして整える。

「おい、寝るな。部屋へ戻れ」

「五月蝿いやつだ、硬さを確認している。次に買ってきたベッドがこれよりも柔らかくなければ認めん」

「何なんだ……」

しばし横になっていた魔王は目を開くと体を起こし、立ち上がる。

「目を閉じたら眠くなった。私は寝る」

「そうか。何年くらい寝る予定だ」

「私と一緒に寝たいのか? あの布団であれば一夜でも数年分の休息を取れるぞ」

「会話にならん」

「捻くれた従者だ。私が起きなければ、貴様がこれまで準備した部屋も設備も自分が使う為だけに改修した事になるぞ。それは嫌なのだろう?」

「……早く寝ろ」

「まったく、素直じゃない奴だ。口では何と言おうとも貴様は私に奉仕する事に、存外楽しみを見出しておるだろう。私も貴様を従者にした事を悪くない選択だったと思っている」

部屋を出る足に躊躇いはなく、ではなと告げる口調に勇者は心無しか柔かく感じてた。





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