第12話:再会と邂逅3 ベルジダッド編3

攻められ続けるケルザは徐々に呼吸を乱し始め、肩を上下させる。それでも一太刀たりとも当たることは無く、回避と同時にダメージを蓄積させていく。例え二体に増えようと魔力の絶対値は変わらないはず。的が2つになったと思えば、攻撃が通りやすくなったとも言えた。それでも疲労が見え始めたケルザと疲れの無いベルジでは、どちらが優勢かは明らかであった。

「そろそろ躱せなくなってきた様だな」

「的が増えただけだな。魔力の残りは把握できていないだろう」

「ふん、その前に貴様を倒せばいい。一太刀当てれば私の勝ちだ」

確信を持った言葉をケルザは聞き逃さない。やはり自分の直感は正しく、吸血鬼の持つ歪な剣は触れてはいけないものであった。止め処ない攻撃を回避し続けるケルザは疲労から集中力が欠け始め、自分でも気がつかないうちに意識は歪な剣だけに向けられる。常に挟撃するように立ち回る吸血鬼の立ち位置は容易に把握ができた。そうなれば問題は攻撃のタイミングだけに絞られる。前からは目視で、後ろからは刀身の反射と正面の吸血鬼の視線から推察し、攻撃範囲から離脱する。二人の吸血鬼を視界に納めると必ず一人は霧の海に消えた。その度に残った無防備な吸血鬼を斬りつける。斬られる吸血鬼は無造作に歪な剣を振り下ろすが、当たる事はない。その最中にタイミングを見て後ろからもう一体の吸血鬼が斬りかかってくる。それが一連の流れであった。足元が見えない事から大きな移動は避け、最小限の動作で立ち回る。限られた選択肢の中から攻撃と回避、正面の吸血鬼と後ろの吸血鬼、当たるわけにはいかない歪な剣。疲弊した気力と体力は攻撃と正面の吸血鬼への注意を薄め、歪な剣と背面の吸血鬼に比重を置いた。動き続けたケルザには全てを把握し続ける集中力は残っていない。背面からの横凪を回避する為、ケルザは屈んでしまった。それは明らかな判断ミスであり、それに気がついた時視界は黒い海の中であった。

「愚策だな」

頭上から落ちてきた言葉を受け止めるより早く、横からの衝撃で体勢を崩す。蹴られたと認識する頃には別の角度から踏みつけられる。手応えのない剣を振るい、無理に体を捻りその場から数歩駆けた場所で漸く黒い海から顔を出した。元いた場所へ振り返るが吸血鬼は一人、周囲を見回したが二人目がいない。

「なるほど、こう言った事も出来るのか」

吸血鬼は漠然と黒い海を見ていた。何かを理解した吸血鬼はゆっくりと人間を見やる。その瞳からは感情は読めない。その視線を見たケルザは改めて自分が肩で息をしている事を認め、自身の不利を感じ取っていた。

「何故剣で攻撃しなかった」

「手を抜いた訳ではない。この剣は私の霧の中では効果を発揮しないのだ」

「……何故答えた」

「隠す事でもない。今の攻撃も大したものではなかったはずだが、お前の疲労が目に見える。今なら怪我をしなくて済むぞ、人間」

「それはこちらの台詞だ。これ以上魔力を漏らすとマズいだろ、吸血鬼」

「怪我をしないと理解できないか、良いだろう」

吸血鬼は黒い海を進み始めた。


「ケルザも厳しそうだな」

「そうですねぇ、動き回る分体力も使いますよねぇ」

「ベルジも自分から攻めるようになって戦況は大分変わったな。今は優勢に見える」

「はぁい、名残惜しいですがそろそろ終わりそうですねぇ」

ケルザが黒い霧の中へ潜ってから、何があったのかはシィラには視認できなかったが、潜って直ぐに出てこなかったのを考えると中で何かしらがあったのは理解できた。出て来てから明らかに息が上がっているように見えるのも相まって、霧の中の出来事に妄想が進む。殴られたのか蹴られたのか、はたまた魔法的な攻撃があったのか。小さな笑い声が漏れそうになり、ゆっくりと息を吐く。

「シィラ、顔に出ているぞ」

「あは、すいませぇん。辛そうなせんぱいを見ると胸の奥が疼くと言いますか、くすぐったいと言いますかぁ」

「ふむ、他人の苦痛を喜べるのであれば魔王に相応しいかもしれんな」

「もぅ、何言ってるんですかぁ。私はせんぱいが辛そうなのを見るのが楽しいだけで、苦しそうな人を見るのが好きなわけではありませんよぅ」

「そうか、今後は見る機会があるかわからんからな。今の内、存分に楽しむと良い」

シィラはくつくつと笑う魔王に満面の笑みで返事をした。穏やかな表情の魔王を見て、ふと思う。魔王様は他人の苦痛に喜びを感じるのだろうか……。


ベルジダットは昂揚していた。補食対象の人間とは違う自身と対等以上に立ち回れる人間の存在に、その人間に負けるわけにはいかず自身の出来る事を模索し新たな発見が出来る事に。元来吸血鬼は強い魔族ではない。その中の一握りが長い年月を掛け人型になれるまで魔力を吸収した事で一定の能力を持った存在として認識されるのだ。そもそも吸血鬼が夜の世界に生きる魔族なのは霧が本体である事を踏まえ、外敵に狙われにくくする知恵である。ただ生きるだけであれば吸血鬼の習慣に倣い夜に人間から魔力を吸うだけで良いのだ。吸血鬼の生態上戦闘力は不要とも言える。だがベルジダットにはいつか魔王の元に馳せ参じる必要があった。一番恐れるべきは魔王が目覚めた時に自分が死んでいる事である。だからこそ生存を最優先し、ゆっくりと魔力を吸収し厄介な人間から目を付けられないように生きてきた。自身が物理的な攻撃に対して無敵とも呼べる性質を持つも、戦闘では有効な攻撃手段を持たなかった事。魔法に対しては殆ど耐性が無く、人型を象るための結界を飛ばされれば簡単に蓄積した魔力が消え去るという弱点。それらを含め正面切っての戦闘は数える程しかなく、それも生存を第一とした逃走が前提となっていた。その中で辿り着いた一つの答えは一撃必殺、魔剣である。

「如何に有利に進めるか……」

圧倒的に不足していた実戦経験は人間という個体の中で最上位とも呼べる存在と戦う事で加速度的に埋められていく。今のベルジダットに驕りはない。ただ前に立ち続ける人間を如何に攻略するかを考慮し、実践し、失敗し、改善し、自身の魔力や特性を効率化していく事に重きを置いていた。この場において、確かにベルジダットは成長していた。その中でも目下達成すべきは魔剣を当てる方法である。単純な戦闘技巧は間違いなく相手が上回っていた。今の状況を整理すれば黒い霧を発生させ、分身体を使い自身が有利な環境である。それでも倒しきれないのは練度の差に相違ない。であれば、次の一手を打つ必要があった。

「霧も自身の一部……」

いや、長く人型を象り人の思考に寄る事で忘れるが霧こそが本体である。思い出せ、人型になる前を。霧のまま生きていた頃を。有用性から人型を象っているだけで、本来の自分は不定形。形に囚われる存在ではない。

人間に向かい歩を進めながら周囲の霧を吸収していく。徐々に嵩が減る霧の海は、人間の前に立つ頃には全てを吸収していた。

「どういうつもりだ」

「貴様を倒すための手段を考えていた」

人間は警戒を強めるが答えない。

「甚だ不本意だが認めよう。貴様は私より戦闘経験が豊富なようだ」

「……」

「だが使える手段は乏しいと見える。人間である以上仕方がない。だからこそ私は魔族として、吸血鬼として、魔王様の忠臣として人間に出来ない事をする必要があり、それを履行する能力がある」

「何を言っている」

「何、ここからは終わるまでは会話も出来ないだろうからな。貴様を倒す為の覚悟とでも取ると良い」

ベルジダットは霧になると距離をとって仕切り直す。眉を寄せたケルザを余所に目を閉じた。細部の再現は難しいが不可能ではない。自身の結界を解き黒い霧の集合体となり、波打つ。それは次第に膨張し無形だった霧の固まりは程なくして明確な存在となった。人間よりも三倍以上の巨躯、長く延びた首と尾。鋭い牙と爪を携え、背中には二対の翼。実際に対峙した人間は限られても誰もが知る姿。

「な……」

「ほぅ」

「あれぇ、ベルジさんって吸血鬼ですよねぇ?」

そこにいたのは黒い霧を滴らせる漆黒の竜。

漆黒の竜は重さを感じさせない静かな動作で宙に浮き、胴体から垂れた一筋の霧が地面と繋がっていた。鎌首をもたげ勢いよく前に降ると同時に口から複数の塊を吐き出す。それらは全て歪な形をした魔剣であった。眼前の出来事に意表を突かれたケルザは剣を抜こうとしてから、選択を変更して回避する。その判断の遅れが、魔剣と腰の鞘の接触を許した。腰に伝わる振動は軽微、視界の端でも掠めた程度なのを確認していた。だが魔剣の触れた鞘は、斬られた傷ではなく接触した周囲が砕けるような妙な壊れ方であった。


「魔王様ぁ、吸血鬼って何にでも変身できるんですかぁ?」

「ふぅむ、出来なくはないのだろうな。現にベルジが竜となった。だが道理でもあるな。元々霧状の生命体なのだ、人型も結界をその形にしているから人型になるだけの話だ」

「では今回は竜の形に結界を作ったということですかぁ?」

「恐らくは同じ事をしているのだろう」

「その割には何と言いますかぁ」

シィラは宙を羽ばたく竜を見上げて言葉を切る。人型の精細を欠いた造形の竜は至る所から黒い霧を滴らせては地面を黒く染めていく。その光景は手にすくった水が指の隙間からこぼれ落ちるような不出来さを感じさせた。上下に動くように浮く竜は確かめるように魔剣を吐き出しては様子を窺うように移動する。

「結界が不完全に見えるな」

「はぁい。人型の時とは完成度がぁ」

「ベルジ自身、初めてなのかもしれん」

「手探りと言った所でしょうかぁ?」

「ふむ、どこまで出来るか自分でも把握できていないようだ。なれば、どこまで出来るのか私達が見届けてやろう」

腕を組んだ魔王は足を崩したまま城壁に体を預けた。やや目を細め、変貌したベルジダットを捉えている。それは少し前までケルザに向けられたものであった。元はケルザの能力を見極めるつもりで始まった手合わせは、ベルジダットの能力を把握する事に遷移する。

「このままだとせんぱいは防戦一方ですねぇ」

「元々相性が悪いのに加え、空を飛ばれては有効な攻撃がない。白兵戦しか出来ないケルザの弱点と言えるな」

一度の咆哮で数本の魔剣がケルザへと打ち出され、ケルザはそれを走り回って回避すると一度鞘に収めた剣を弾くように抜き虚空を切る。その軌跡は陽光を反射する一閃となり、ベルジダットを切り裂いた。が、距離が遠く表面を切ったところで水となる。その大した効果を感じない裂傷からは一塊の黒い霧が、ずるりと零れ落ちた。


黒い巨躯は羽ばたく事無く宙に浮いている。

吐き出される歪な剣は恐らく触れた物を砕く、又は破壊すると言った効果が付与されているのだろう。目の端で鞘の先端を見て砕けた部分から水がこぼれているのを認める。これが人体に触れれば威力に関係なく体が破壊されるのは容易に想像できた。しかし、不意を突かれない限り予備動作の多い攻撃を受けることはない。如何せん浮かれては水刃を飛ばすしか攻撃方法はなく、ギリギリ触れる程度だが届いたらしい。薄皮を切った竜の腹部からは内蔵のように霧の固まりがずり落ちた。

「……愚策だな」

明らかに特性が弱まっている。その上で的が大きくなった。これならば自分の間合いに入ればなます切りに出来──。浮いているだけの黒い竜が羽ばたいた。肩辺りの翼が空気を押し付け、一拍遅れて腰の翼が後を追う。二回風を起こしては翼を持ち上げ、再度風を起こした。その動作は巨躯を浮かすには不要で緩慢。しかし、次第にぎこちなさを置き去りに滑らかさを得ていく。程なくそれは違和感のない羽ばたきとなった。

ケルザは舌を鳴らし、自身の甘い考えを改める。ベルジダットのぎこちなさは明らかに経験不足から来るもので、それは人型の時と同様戦闘経験の未熟さである。これが敵であれば好機として攻めるべきだが、ベルジダットは敵ではない。相対する黒い竜は今、成長している。

鎌首をもたげた竜の目線はケルザを捉えてぶれない。ただ浮いていた時よりも羽ばたく事で重量感が増し、実体が霧とは思えない。また歪な剣を吐き出された時に備え身構えたが、黒い竜が地面に落ちた。──否、勝手を掴んだ竜は地面に触れそうな高度で滑るようにケルザを強襲し軌跡は黒い霧を引いている。不意を突かれ咄嗟に横に飛びながら、魔法の付与されていない剣を振るった。その一刀で容易く片腕を落とした竜は崖の先まで飛び、吹き上がる海風に乗って上空へと舞い上がる。上空から吐き出された歪な剣は雨のように降り注ぎ、崖の端を砕いた。良くも悪くも狙いを定めない範囲攻撃はケルザにとって回避をしにくい良手であった。


「ふむ、成長が目覚ましいな」

「でもせんぱいに腕落とされましたよぅ?」

「見えないか? もう再生しているぞ」

シィラは太陽を背にしたベルジダットを見上げるが、逆光と体色が合わさり仔細は判然としない。

「見えませんよぅ」

拗ねるように言葉をこぼしたシィラは魔王に視線を移す。その楽しそうな横顔はシィラを安心させた。視線に気づいた魔王は彼女を見やり目尻を下げる。

「なんだ?」

「……ベルジさんは魔力で霧を操作して結界を作って変身しているんですよねぇ?」

「だろうな」

「じゃあ零れ落ちてる霧の塊は魔力みたいなものですよねぇ? 常に魔力を消費してると考えれば、もうかなりの量消費してませんかぁ?」

シィラはベルジダットについて考える。自分達のような魔族は通常魔法を使う時のみ魔力を消費するが、彼の様な吸血鬼は長い年月を掛けて蓄積させた魔力を使い人型となる。それは結界を維持し続ける必要があるという事だ。それだけで魔力を消費し続けているのに、今は結界の再生も間に合わず霧の塊をこぼし腕は簡単に切り落とされている。はっきり言って魔力の浪費に他ならないが、魔王様が視認する限り切られた腕は既に再生している。再生速度が落ちているだけで再生する魔力はあるという事だ。更に自分の魔力で生成する魔剣を複数同時に撃ち出し、未だに魔力の衰えを感じさせない。魔力が切れるまでは常に十全の能力を出せると言うが、そうであれば恐らく最後は自身の結界が綻び形を保てなくなるのでは無いか。また再生速度が落ち、結界から霧の塊が零れ落ちるのは魔力の残存量が心許なくなってきたのではないか。

「そうさな、吸血鬼は本来表立った戦闘は行わない。魔力を蓄積するのは自身の生存の為だ。ベルジの様に正面から戦闘し魔力の浪費をするのは吸血鬼の生き方としては愚かしいのかもしれん」

魔王の柔らかい声音は風に流されシィラの髪を撫でる。

「だが奴は私の臣下だ。私が封印される前からの臣下だ。封印されていた数百年魔力を蓄積し続けていたとなれば魔力の総量は破格であってもおかしくは無い。何より奴は私に仕える為、私を守る為に来たのだ。むしろ破格であって然るべきだろう?」

「……うふ、そうですねぇ。それだけ慕われているのは羨ましいでぇす」

「くくっ、他人事ではないぞ? 私は魔王だからな。私の下に居る限りは相応しい能力を求めるぞ」

「お任せくださぁい。立派なお嬢様に仕立てますよぅ」

「全く持って心強いな。お主もベルジも私の為に仕えているというのにあやつは」

「可愛いじゃないですかぁ、素直じゃない子供みたいですよぅ」

「その辺は今後に期待するとしようか」

諦めたように溜息を付いた魔王は薄く笑いながら交戦する二人に目線を戻していた。



──思考はやや不明瞭。

意識は形を保つ事に終始し、動きはぎこちない。


──視界はやや不明瞭。

意識は動きに終始し、魔力が零れていく。


──現状はやや不明瞭。

意識は人間だけに向けられ、倒し方を模索する。


──私の目的は何だ?


ベルジダットの本体は霧であり、本能は生存する事である。

長い時間をかけ人間から魔力を吸収し、利便性から人型を形成する。外見が人型の為、人としての思考が形成されていく。そうベルジダットは思っているが、それは違う。霧は不定形であるように思考も本来は不定であり、特定の思考が形成される事はない。その思考が特定の形を取るのは霧である本体が特定の形を象る時である。今までの慣れ親しんだ思考は人型となる事で、思考を人型に合わせた結果でしかない。その慣れた思考と本来先行するはずの外形が齟齬を起こし、自身の想像した竜の姿が不完全となっている事にベルジダットは気づけない。長らく人型で培った理性と知性は残るも薄霧の中。不明瞭な思考の中で、生存本能は欠けている結界を優先して埋め始めた。

原因は自身の覆える結界の大きさを超えていた事。竜の形を生成する本体を流動させ再形成。一回り二回りほど小型の竜になる事で結界は霧の全てを多い生体としての形を確かにする。それにより形に意識を割かない分、動作に余裕が生まれた。滑らかな動作は生体と遜色はない。晴れ始めた思考は自身の爪を魔剣とする。晴れ始めた視界は人間を確かに捉えた。晴れ始めた現状は自身の動作を再確認し、戦闘を継続。目的だけは未だ不明瞭。人としての思考が薄いベルジダットはただ、自身を見上げる人間を倒すべく再始動する。



上空の吸血鬼は距離が遠く逆光で視認が難しい。

この状態で歪な剣を吐かれても判断は遅れざるを得ない。今の自分に出来るのは追い詰められないように崖際から離れることだけだ。ケルザは吸血鬼から視線を外す事なく立ち位置を調整する。その間吸血鬼は動かない。向こうはこの距離でも攻撃できるが、こちらに手段はない。──否、自身の魔力が尽きかけている今奥の手とも呼べる硬い魔力に指先は触れていた。出来れば使いたくないが想定以上の長期戦、想定外となった対象に対して現状の魔力は心持たないものであるのも事実。使えば自分は戦闘不能になる。それによる対象への損害は不明。一時的な切断でしかなければ使う価値は低い。

見上げていた吸血鬼を見て変化に気付く。先程まであった零れ落ちるような霧が無くなっていた。考えられる理由は落ちる程の霧がなくなったか、不完全さを克服したか。どちらも考えられるのであれば、最悪の事態を想定すべきなのは今までの経験から即断できた。納刀した剣の柄を掴むと鞘の壊された部分から水を滴らせる。


──黒い竜は脱力して落ちた。

二対の翼を広げ宙を滑り落ち、淀みなくケルザの頭上を通り過ぎる。勢いを殺さずに上昇し、城の上まで舞い上がると減速して振り返った。振り向き様に凪いだ首に追従して、放射状に歪な剣を吐き出す。そのまま止まることなく吐き出した歪な剣を追うように竜は宙を滑った。広げた翼の先は歪な形に変化しており、軌跡はケルザを捉えている。一波目とほぼ同時に翼がケルザに到達した。打ち出された歪な剣を斜めに前進して回避し、二波目は翼の下を掻い潜りながら抜刀する。水を纏った刀身は竜の突進も伴い翼の根本を刹那で通り過ぎた。だが先程とは異なり翼が切り落とされることは無い。宙で翻り間伐を入れずにケルザに迫る。首を横向きに捻り大きく開いた顎は歪な牙を上下2本ずつ携え、躊躇わずに喰らいついた。待つ事なく駆け出したケルザは抜刀と同時に身体を捻ると地面を蹴り、宙で歯車のように回転する。水の剣は大きく開かれた口の端から竜を両断したが、切り抜いた時点で魔力が切れ鈍色の光を反射していた。それでも追撃する為に宙で納刀し、眼下を過ぎる竜の頭を見据え再度抜刀しようとした時、竜の尾の先が腕に触れた。


──パキ。

音が聴覚ではなく、骨伝導で伝わった。途端に力が入らなくなり柄から手が滑り落ちる。骨が衝撃を伝えた瞬間、思考が飛んだ。それは生命の危機を感じた際に起こる防衛本能であり、何度も経験した感覚。折れた腕の確認など考えも及ばず、鞘をつけた側の腕が反射的に動作し逆手に柄を握る。鞘からは銀色の液体が溢れ、引き抜いた銀の刃は虚空に線を引く。直後視界と共に意識は暗転した。

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