第13話:再会と邂逅3 ベルジダッド編4

意識を取り戻したのは自分の部屋だった。

あぁ、敗けたのか。幸いだったのは頭痛もなく意識が途切れた所である。意識を保てる体力も残っていなかったのだろう。ケルザは肺に溜まる重い息を吐き出し体を起こす。開かれた窓から入る潮風が心地良い。一心地ついた思考は記憶を遡る。敗因の最たるは相性だろう

。物理攻撃を無効にする体質に一撃必殺とも言える剣の特性。そこで漸く腕を折られたことを思い出し、掛け布団を避ける。肘から下の折れた利き腕は添え木を当て包帯が巻かれていた。思った以上に簡素な治療は大した怪我ではなかったのかと安堵する。手を握ってみるとぎこちないが指は動き、力無く拳を作る。同時に包帯でくるまれた部分が痛んだ。折れた骨が筋肉を傷つけたのか、手を開き弛緩させると痛みが引く。鞘と比べ綺麗に折れたのか、これならば治癒もそうかからないはずとベッドから立ち上がった。体を捻り、屈伸する。腕を持ち上げ、肩を回す。利き腕以外は倦怠感こそあれ、怪我はないように思えた。利き腕は肩から下の筋肉が連動する為か腕を持ち上げると痛みが走り、無理はすべきではないと動作確認を諦めた。

ケルザは負けた後の事を確認すべく、自室を出ると魔王の間へと足を向ける。


利き腕が使えないのは煩わしい。

ドアを開けるにせよ、一瞬の迷いがあり怪我をしていない腕を動かしてドアを開ける。そこには誰もおらず、窓から差し込む光だけが満たされていた。

「いないのか」

誰もいない部屋から出て、廊下を歩く。コツコツと石床を足で叩き、光と影の縞模様の中を進み外へと出た。城の裏手に周り、敗戦の跡を見る。周りには大した被害もなく、変わった所はベルジダットに崩された崖の端程度であった。

「……一人だと厳しかったなぁ」

過去に不定形生物と戦った事はあったが、それは勇者として仲間と共にである。白兵戦しかできない自分と違い、魔法を主とする仲間もいた。相手によって有効な手段を切り替える事で、単体で見れば自分達よりも格上の戦闘能力を持つ魔物を倒してきたのだ。そんな事を考え頭を振る。此処に居るのは自分の選択であり、後悔はない。この感傷は未練だ。俺と魔王の契約は対価として成立したのだ。今更過去を振り返るのは不義理のように感じた。しかしながら役割の分担は必要である。魔法を使えない相手には吸血鬼が強く、防御面においてはシィラが強い。一定以上の戦闘技能がある相手には自分が対応する。魔法面に弱い布陣ではあるが、魔法さえ掻い潜れば俺だろうと吸血鬼だろうとどうにか出来る。むしろ近接攻撃を無効化する吸血鬼は前衛を無視して後衛を攻められると考えれば優位ですらある。それに加え、今回の戦闘でわかったが吸血鬼は範囲攻撃等、攻撃方法も多彩で魔力も豊富だ。……魔王の配下である自分達が単体で戦う必要はない。先陣は吸血鬼に任せ、補助はシィラ、自分が疲弊した敵の数を一人ずつ減らしていく。これが現状考えうる堅実な役割分担であろうか。

「せんぱぁい」

開かれた窓越しにシィラが小さく手を振っていた。あの後の事を聞く為に歩み寄ると、いつもの甘ったるい言葉が続く。

「もぅ、何で倒れた後はいっつも勝手に出歩くんですかぁ? 大人しくできないお子様なんですかぁ?」

「俺が敗けた後はどうなった」

「そうですねぇ、せんぱいは丸2日寝てまして魔王様もお休みに入られましたぁ。ベルジさんも魔力をだいぶ消費したからと今は回復に専念しているようですよぅ?」

「吸血鬼は城にいるのか」

「えぇ、魔王様が起きるまでは警護してくれるようですねぇ」

忠犬の名は伊達ではないようだ。その点に関しては信頼できると言っても過言ではない。

「腕は大丈夫ですかぁ?」

「力を入れない限りは問題ない。傷はどうなっていた」

「外傷は目立ちませんでしたねぇ、骨だけ折れている感じでしたぁ。ベルジさんに聞きましたが、ある程度の硬さがある物にしか効果はないようでぇす」

皮膚や肉体の様に柔らかいものには効果が低いらしい。形こそ剣ではあるが切るというよりは衝撃で砕くと言った特性が正しいのかもしれない。

「そうか、2日経ったのはわかった。この治療は医者が?」

視線を腕に落としたシィラは口角を歪めた。

「そうでぇす。気絶したせんぱいを、また私がお部屋まで運んでお医者さんを呼んで看病したんですよぅ? 本当にせんぱいは仕方がない人ですねぇ。私が居ないと何も出来ないんですかぁ?」

ニヤニヤと猫なで声で、神経を逆撫でするように話すシィラに若干の腹立たしさと諦めを感じ、自分の聞いた質問の答えを聞き流す。未だつらつらと何かを話しているが脳が内容の理解を拒み、シィラのにやけづらだけが情報として処理されていく。これはこれで精神衛生上よろしくないとケルザは口を開いた。

「俺が最後に斬ったのは効果はあったのか?」

気分良く話していたのを邪魔されたからか、一度むっとした表情になると口を尖らせた。その後、包帯に巻かれた腕に視線を落とす。

「むぅ、まぁ良いですよぅ。お話の続きは食堂でぇ」

ぷいっと顔を背けると腰まである髪を翻し、廊下を歩いて行く。

ケルザは機嫌を損ねたシィラを気にも止めず、大人しく食堂へと向かう事にした。


食堂のドアを無事な腕で開き中へ入ると、先に着いていたシィラは椅子に座って待っていた。

「遅いですよぅ」

「話の続きだ」

ケルザはシィラの正面に座る。テーブルの上には巻かれた包帯が準備されていた。

「……うふ、包帯を替えましょうかぁ。清潔にしないといけませんからねぇ」

そう言うとケルザの利き腕側の椅子に座り直し、巻かれた包帯を自分の前に引き寄せる。だらりと下げていたケルザの腕を救うように持ち上げ、自分の太腿の上に載せた。包帯の結び目を解き腕に巻かれた包帯を丁寧に外していく。添え木を外した時点で思い出したのか、腕を持ったまま立ち上がりテーブルに置くと、そのまま炊事場へ行き布を濡らし水を絞る。もう一枚乾いた布を持って席に戻るとケルザの腕を太腿の上に戻した。ゆっくりと袖をまくり傷口を露出させると内出血が起こっていたのか楕円状に、紫色に変色していた。手首側からゆっくりと濡れた布で拭いていく。その度に腕が押され、シィラの太腿の熱と柔らかさが腕に伝わった。傷口に近づくにつれ拭く力を抜いていくが、指先が触れた時頬が引きつった。その一瞬の強張りを感じたシィラは一度手を止めてケルザの顔を見ると、布越しに指で軽く叩く。

「……っ」

「自分の立場がわかりましたかぁ?」

満面の笑顔を浮かべたシィラは機嫌を取り戻したのか鼻歌交じりに腕を拭き終え、次いで乾いた布で水分を拭き取った。

「えっとぉ、お話の続きでしたねぇ」

「……あぁ、頼む」

使い終えた布をテーブルに置き、太腿の上の腕に手を置くと撫でる様に動かす。ひんやりとしているが、徐々に仄暖かさを持ち始めた手のひらは傷口に近づけては遠ざけた。傷口付近は敏感になっており、否が応でも感覚が刺激され頬が引きつる。

「その前に言う事はありませんかぁ?」

人差し指だけ伸ばし変色した部分を優しく撫で回すが、シィラの表情は見えない。

「2回目ですよぅ、せんぱいの看病するのぉ」

つんつんと傷口が刺激され、反射的に指が曲がる。

「……っ、すまない」

「謝られても嬉しくありませんよぅ?」

「……助かった」

「んふ。私が居ないと駄目ですねぇ、せんぱいはぁ」

最後に傷口を指で押し付けるとケルザはくぐもった声を漏らす。クスクスと笑うシィラは添え木を当て直すと新しい包帯を巻き始めた。

「……最後にせんぱいがベルジさんに剣を振りましたねぇ。あれ、危なかったんですよぅ? ベルジさんを切った後、そのまま私達の方に飛んできたんですからねぇ」

「大丈夫だったか」

「大丈夫じゃありませんよぅ。でも魔王様の魔力を使っても効果範囲はほとんど変わらないみたいですねぇ。私達の所に届く頃には魔法の効果も切れかけてて私の障壁で防げましたぁ」

──なるほど、魔王の魔力を使っても威力が上がるだけで効果範囲は術者に依存するらしい。そうなると遠距離攻撃をしたければ魔法を操作する能力自体を上げる必要がある。だが自分は複雑な魔法を使える程の適正はなかった。これ以上の性能は別の人間に任せるべきだと判断を下す。

「あいつはどうだった」

「ベルジさんは尻尾と片方の翼が切り落とされましたねぇ。魔王様の魔力が再生を邪魔していたようでくっつきませんでしたぁ」

「そうなのか」

「その後はバランスを崩して地面に落ちまして、人型のベルジさんに戻って終わりでぇす」

話と一緒に包帯を巻き終えた。じっとケルザの顔を見つめたシィラは包帯をケルザの首にかけ、太腿の上に置いていた腕の下に包帯を通すと緩く結ぶ。

「簡単ですが寝るとき以外はこの方が良いかとぉ」

首にかけた包帯で腕を支えて持ち上げる。確かにぶら下がっているだけでは不便であった。もう用は無いと言った様子でシィラは立ち上がる。

「良いですかぁ? 私も忙しいので手を煩わせないでくださいよぅ。安静にしてくださぁい。後、勝手に包帯も取っちゃだめですからねぇ。寝た後は包帯が緩んでるかもしれませんので、明日の朝に新しいのと交換しましょう。ちゃんとお医者さんから頂いてますので在庫の心配はいりませんよぅ」

そう言い残すとシィラは食堂から出ていった。その後ろ姿を眺めたあと、巻き直された包帯を見る。腕に無駄な負荷もかからず痛みはない。器用な物だと感心したケルザも席を立つと食堂を後にした。


以前に聞いた事を間違えていなければこの部屋だろう。コツコツとドアを叩くと数秒でドアが開かれた。

「……何の用だ」

「大した用事はない。世間話だ」

僅かに逡巡した後にベルジダットはドアを開いたまま部屋の中へ戻って行く。それを許可と判断したケルザは室内へと踏み入った。ベルジダットの部屋は久しぶりに見る質素な部屋で、ベッドに腰掛けたベルジダットが口を開く事なくケルザを見やる。向かいの壁に背を預けたケルザは意味もなく視線を逸して室内を見回した。言葉を探すように、ゆっくりと室内を見回し窓の外に向けて視線を止めた。

「……俺の負けだ」

「…………そんな事を言いに来たのか」

「大事な事だ。お前はお前の力を示し、魔王の護衛に恥じない能力を持つ事を魔王の前で証明した。お前はどうやら、俺が思っていた以上に魔王の臣下だったようだ」

口だけではない、それだけで信頼に足るとケルザは考えていた。魔王を利用しようとするならば敵である。だがベルジダットは自身を倒し魔王が眠りに落ちた後も警護として城に残っている。慎重な性格なのかもしれないが、今の所ケルザに疑念を抱かせない。窓の外から言葉を拾おうとしながらも口が重い。そんなケルザの耳にため息が届く。

「何を当たり前の事を……。お前が何者であろうと人間で私は魔族、遥か昔全盛の魔王様を知る忠臣だ。人間に負けるはずがない」

「……そうだな」

「一つ聞こう、貴様は何故魔王様に仕えている。人間が魔王様に仕える理由など下衆な企みを実現する為以外に思いつかん。シィラ殿にも聞いたが貴様はただ魔王様が困らない生活の場を整え運営していると言っていた。それは何の為だ」

「勘違いするな。俺は自分が快適に暮らせるように環境を整えただけだ」

「質問を変えよう、貴様は何故ここに住んでいるのだ。人間の街までそう遠くない。そこで人間として生きれば良い。何故人間でありながら魔王様と生活を共にし、魔王様を人間に仕立て上げている」

「魔王を人間として扱うのが気に食わないのか、吸血鬼」

見つからない言葉を探すのをやめ正面の吸血鬼を見たが、表情は読めない。落ち着いたと言うより興味が無い様な淡々とした言葉で吸血鬼は答える。

「貴様が魔王様を人間として扱いたいならば好きにしろ。ぞんざいな扱いをするようであれば始末するだけだ。……魔王様が今の生活を気に入っているのは貴様が倒れている間に理解した。それならば私に異存は無い。だが、だからこそ貴様の利益がわからん」

「本意が理解できない存在が怖いか。人間の強かさを舐めるな、吸血鬼。俺は自分の目的の為なら魔王を謀る事など厭わない。魔王を護りたいならば警戒を怠るなよ」

「……口を慎め、人間」

生ぬるい空気が産毛に触れる。押し込めた感情が溢れるように吸血鬼は黒い霧を結界から漏らし始めていた。その瞳には仄暗い敵意を宿している。ケルザも腰に下げた柄に手を置き──。

「……冗談だ。分の悪い戦いに臨むつもりはない。それと一つだけ答えておく。俺は魔王を裏切れない」

「信用ならん」

「魔王に聞くといい。邪魔をしたな」

柄から手を離すと壁に預けた背を離し、ケルザは部屋を出ていった。警戒を解かない吸血鬼は、去り際のケルザが口元に笑みを浮かべているのを見逃さなかった。

「ふん、いけ好かんな」

何が分の悪い戦いだ。奴は負けたと言ったが、あんな結果は贔屓目に見ても引き分けだ。本来なら相性を考えれば自分が圧倒的に優位な立場であったにも関わらず、あの体たらく。それも奴は全力であっても本気ではなかった。奴が本気で殺す気があったなら、先に魔力が切れたのは自分だったかもしれない。否、奴が魔力切れになったからこそ負けたとも言える。数日前を回想し、ベルジダットは強く歯を食いしばった。この私が、あの瞬間、確かに、在りし日の魔王様を感じたのだ。ただの人間如きが魔王様の魔力を行使するなど認められない。認めるべくもない。だが奴は確かに魔王様の魔力を使い私を戦闘不能に追い込んだのだ。その事実が否応なく感情を刺激する。嫉妬とも憎悪とも……、羨望とも取れるような綯い交ぜな感情を鎮めると共に溢れた霧を吸収して瞳を閉じると、ベルジダットベッドに腰掛けたまま頭を深く沈めた。



「くっくっく、お主らは仲が悪いと心配していたが存外問題ないようじゃあないか」

魔王は玉座に座り足元に控えるシィラの頭に手を置いて笑う。魔王のしなだれ掛かる肘掛け側に立つベルジダットは疲れたような笑みを浮かべて頭を横に降った。

「魔王様、御冗談を」

「意外と同性の人が来て嬉しかったのかもしれませんよぅ? せんぱいが世間話する為に部屋に来るなんて初めてかとぉ」

「シィラ殿まで……。まったくもって人が悪い」

「ふむ、しかし私の部屋にもシィラの部屋にも世間話すらしに来ないどころか、あやつが自分から世間話を振った事などあっただろうか」

魔王はシィラと互いを見て首を傾げた。小さく笑うベルジダットは思い出した様に口を開く。

「魔王様。つかぬ事を伺いますが、あの人間は魔王様を裏切れないと言っていました。それは本当でしょうか」

「ん? あぁ、その話か。それは信用して良いぞ」

「口では何とでも言えます」

「まったく疑り深いな。私はケルザと契約を済ませている。あやつの望みを叶えた対価に、あやつは私を裏切れない。それだけの話だ」

「契約……ですか」

「そうなんですよぅ。対価の契約書?って言うのを使ったみたいでしてぇ。それでせんぱいは魔王様を裏切れないんでぇす」

シィラに促されるように魔王が説明を補足する。それを聞いてようやく納得したベルジダットは、そうでしたかと言葉を零す。

「その契約で魔王様との繋がりができたお陰で魔力の譲渡も出来るようになったのでしょうか」

「譲渡だけなら無理にでも出来るだろう。だがあやつは曲がりなりにも私の魔力を行使する。それは恐らく互いを縛る契約の効力で、少なからず私と繋がりがあるからだろうな。そうでなければ人間など魔王の魔力に適応出来ず死んでいただろう」

「なるほど、理解致しました。ではあの人間が魔王様を裏切る心配はないようですね」

「元よりせんぱいは根無し草ですよぅ、行く所もないのに魔王様は裏切らないかとぉ」

「余計な事を話すな」

医者に傷を見てもらっていたケルザが王の間へと入ってくる。気に留める様子もなく会話を進めたシィラの言葉を制し、ケルザはベルジダットとは反対側の定位置に立ち止まった。腕はしっかりと巻き直された包帯に支えられている。

「腕の調子はどうだ?」

「悪くない。あと10日もすれば包帯も取れそうだ」

「それは重畳。存外に早いな」

「骨だけが綺麗に折れていたようだ。後は周りの筋肉が多少傷が

ついた程度。傷口の変色はそれによる内出血だそうだ」

「すぐに治りそうなら何よりですねぇ。確か魔剣の効果は抽出した魔力の特性によるんですよねぇ? ベルジさんの特性は何ですかぁ?」

砕けた鞘の隙間からは刀身が覗いている。その鞘を見た後にシィラ

はベルジダットを見上げた。腕を組み片手を顎に当てた吸血鬼は眉間にシワを寄せる。

「私の特性は破壊です。触れた物を破壊しますが、効果に差があります。柔らかい物には効果が薄く、硬い物には効果が大きいですな」

こういう時シィラは便利であった。自分が気になった事を気軽に問いかける。それは純粋な好奇であって裏がない。この間延びした話し方にも他人の警戒心を解く効果があるのかもしれない。もし自分が問い掛けても素直に答えないだろう。ケルザは口を挟むことなくベルジダットの情報を集めて行く。

「その人間の腕が落ちなかったのは皮膚や筋肉などは効果の対象外となる柔らかさだったのでしょう」

「だが戦力を削ぐだけであれば充分だ。不要に殺す必要はない」

「魔力の特性はどうやったらわかるんですかぁ?」

「方法は私にもわかりません。魔剣を作る際に職人が調べておりました」

「私も作れるんですかぁ?」

シィラの問に魔王が髪を掬いながら笑う。

「やめろやめろ、お主は戦う事が似合わん。私の側に控えていろ」

「はぁい、わかりましたぁ」

ニコニコと満足そうにシィラは微笑んだ。

「そうです、シィラ殿。その為に私も来たのですから」

「頼もしいですねぇ。せんぱいもこの位言えるようになれませんかぁ?」

「知った事か」

「シィラ殿、全快であればまだしも片腕が使えないとなれば酷でしょう。治った頃にまた言ってあげてください」

「わかりましたぁ、言えるようになるまで言い聞かせますねぇ」

ケルザはやめろ、という言葉を口から出す寸前に思い留まらせ別の言葉に変換する。

「……魔王、来た医者に話しは通しておいた。明日街へ行け」

「行け? お前も行くのだろう?」

「いや、俺は行かない。お前とシィラは街の住民とも問題なく交流できている。シィラに至っては自分で医者に連絡を取ることもできる」

「せんぱいのせいですけどねぇ」

「だからお前らで、そこの吸血鬼にルールを教えて街へ行け」

「ふむ、顔見せか」

魔王もシィラもケルザが引率する形で街の住民に認知させていた。それは功を奏し、今ではお嬢様と付き人だと思われている。それを理解して魔王は納得した。

「あぁ、いつものですねぇ」

シィラも街へ行く理由を理解してベルジダットを見上げていた。

「なぜ私が人間に顔見せなど──」

「何だ、魔王の警護は偽りか」

「それは悲しいなぁ。私が街に行くのにベルジは付いて来てくれないのか」

「喜んでお供致します、御安心を」

「お前の粗野な対応は魔王の評価に繋がる。人間に対してくだらん嫌悪感は見せるな」

「ふん、貴様に言われるまでもない。その為だけに街へ行けと」

「あは、違いますよぅ。せんぱいは素直じゃないから直接言わなかっただけでベルジさんの部屋を整えろって言ってまぁす」

「部屋を?」

意味を理解できない吸血鬼は眉を寄せ、今ある質素な物を差し替えると説明を受けて首を振る。

「何故そんなこと。急に来た私に部屋を与えて頂いただけで充分、それ以上など……」

呆れた様に息を吐いた魔王が口を開こうとしたが、それより早くケルザが言葉を押し付けた。

「勘違いをするなよ、吸血鬼。お前は魔王に仕えるんだろう。その魔王の警護役であるお前の生活環境が見窄らしいものなど魔王の評価を落とす要因でしかない。魔王に仕えるのであれば、それに見合った環境を整えろ」

「くくっ、そういう事だ。こやつは変な所で強情でな。私にすら見合った生活態度を要求するのだ、諦めろ。まったくお主の大好きなお嬢様を演じねばならない私の気苦労も理解してもらいたいものだ。なぁ、ケルザ?」

「魔王様に聞きましたよぅ? ベルジさんと似たような事言って、同じような事を魔王様が言ったってぇ。偉そうな事言ってもせんぱいだって魔王様に従ってますよねぇ」

「……確かに魔王様に恥をかかせるわけにはいくまい。魔王様、シィラ殿。御手を煩わせて申し訳ないですが、明日は宜しくお願いします」

「うむ、ベルジは素直で可愛いな」

「ですねぇ。明日は私達で見繕いましょうねぇ」

「いいか、ベルジ。人の前では私はお嬢様だ、間違えるなよ?」

「承知いたしました、お嬢様」

「あは、ベルジさんが言うと何だか執事さんみたいで良いですねぇ。せんぱいは人あたりの良い従者って感じですしぃ。私で練習して執事さんになっても良いんですよぅ?」

「相手にしてられん。用があれば呼べ」

怪我の報告と要件を済ませたケルザは部屋へと戻って行った。それを見送った魔王はベルジダットへ視線を向けたが、すぐにシィラへ視線を落とし髪を弄ぶ。

「お主とも話すタイミングを逃していたな。ケルザはどうであった」

数日前の手合わせの後、ベルジダットも短時間で想定以上の魔力消費に伴い、意識こそあれ疲弊していた。魔王もベルジダットを休ませる事を優先した事で自身も休息期間に入り、今に至る。

「……正直、ここまで手強いとは思いませんでした」

「だろうな。お主の特性とあやつの戦い方を考えれば、本来であればお主に負けはない」

淡々とした言葉は責めるわけでも慰めるわけでもなく事実だけを告げる。感情のない言葉だからこそ事実が浮き彫りになりベルジダットの心に刺さる。

「私はお主を過小評価も過大評価もするつもりはない。昔からの忠臣と今でも思っているが、それは貴様の忠義に対する評価であって能力に対する評価ではない」

「……はい」

それは昔から知る相手だろうと色眼鏡は使わないと言う宣言であり、魔王からの純粋な戦闘能力の評価へと直結する。

「まだまだ弱いな」

その一言がベルジダットに下された評価であった。魔王が封印されてから今までの長い時間をかけた評価は、魔王から見れば昔と変わらないまま。支えであった魔王への忠義に縋って生きた期間は誇りであり自尊心その物だ。それは本来揺らぐものではないが、唯一揺らがせることが出来る存在の一言であれば別問題。ベルジダットの視界が、何処か他人のように乖離した。

「だがな、ベルジ」

穏やかな声に意識が引き寄せられ、またたく間に乖離した視界が戻って来る。

「お主が弱いのは決して能力が低い訳ではない。圧倒的に自身への理解が足りていないのだ」

「自身への理解、ですか」

「そうだ。その一端を今回の手合わせで理解できたと私は思う。本来不定形なはずの吸血鬼が長い間人型になる事で思考が固着する。利便性によるのだろうが、その吸血鬼の常識がお主を自縄自縛に陥いらせているのではないか? 私のせいでもありそうだが、吸血鬼とはもっと自由な存在に思えるな」

「ベルジさん、竜にも変身できるなんて驚きましたぁ。他にも変身できそうですよねぇ」

「あれは、その……。恥ずかしながら思いつきでして」

人型と比べ不出来な事この上ない。それ以上に思考も乱れて使える様なものでもなかった。そうでもして手段を変えなければ結果はどうなっていたかもわからない。

「それで良いのだ。ケルザは強かっただろう」

「はい、ただの人間とは思えぬ程に」

「奴は自身に出来ることと出来ないことを理解しており、その中で出来る事を研鑽してきた結果だ。お主はまだそれを理解できていない。それは成長の余地があると言う事だ。人間であるケルザの強さはほぼ頭打ち、出来ることは多少増えても劇的に強くなることはもう無いだろう。だがお主は違う。まだ私にも、お主自身にも知らない出来ることがあるはずだ。今後は己自身の理解に励むと良い」

「……はい」

「何より私を守るのだろう? 強くなれ、期待しているぞ」

魔王の言葉を噛みしめる様にベルジダットは深く頭を下げ、上げることはなかった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る