第22話:魔剣と聖剣2

空が白んでいく。

死んでいた視界は機能しており、瞼も開いていたようだ。掛けられた水で僅かに潤っていた瞳は明るくなった空から逃げるように瞼を強く閉じた。枯れていたと思っていた水分が目の奥から溢れ、まだ生きている事を実感する。

「……死んだか」

「水をくれ」

「はぁ、全く手間のかかる」

呆れた声は既に準備していた木製の筒に入った水を、ケルザの顔の前に置く。それを見てようやく、体を動かす気力を取り戻した。両腕を地面につけ上体を持ち上げる。ここまで体が重いのは初めてかもしれない。押しつぶされていた肺が地面から離れ大きく膨らんだ。持ち上げた体の下に膝を滑り込ませるが、未だに疲労で麻痺して力が入らない。どうにか体勢を整え地面に座り込むと二、三度、ゆっくりと深呼吸をした後に顔についた土を払い落とし、ベルジダットが準備した筒を手に取って、蓋を外すと少量の水を口に含む。ぬるい水を口の中で転がし、ゆっくりと体温に近づけ口内に水分を染み込ませる。仄かに冷たさの残る水を少しずつ喉を通し、乾きを潤わせた。それを何度も繰り返し筒の水が無くなると大きく息を吸い、声と共に吐き出す。

「ああぁぁぁ……、死ぬかと思ったぁ。助かった」

「……実際死んでいたようなものだろう」

「あぁ、人間には限界がある。良くわかった」

「……そろそろ頃合いだな。立て」

言葉に応じて立ち上がろうとするが足が固い、固まっている。股関節からは何とか動くが、膝が動かない。どうにか頑張った結果、膝で立つ事に成功した。

「すまん、立てない」

「……よくこんな人間の面倒が見れるものだ。シィラ殿の面倒見の良さ、心労。感服する」

呆れたベルジダットは自身の霧を体外へと溢れさせた。それはゆっくりとケルザの体に巻き付き、体を持ち上げる。膝が曲がったままだが、地面に足裏がついたのを確認して霧を解いた。目に見えて膝が震えているが、立っている。両膝に手を置き体を支える事で倒れることを回避した。

「来い」

これ以上は面倒を見ないと態度で示すように、ケルザに背を向けて村へと入っていった。ベルジダットを追って、ようやく視界に収めた村は苔生した、誰かが住んでいる気配のない廃村であった。膝で体を支えながら、一歩一歩前進するがはっきり言って進まない。一度振り返ったベルジダットは見せつけるように溜息を履き、村の奥へと向かっていった。10分程かけただろうか、どうにか辿り着いた先は村の中心。昔は噴水の様に水が湧いていたのか、石造りの低い壁が円を作り中央の台座には龍を象った像が鎮座している。石造りの壁に腰掛け、足を組んでいるベルジダットは露出した石造りの底を見つめていた。

「運が良いな、まだ少し早いようだ」

「……そうか、ここには何がある。人は住んでいないようだが」

恐る恐る膝から手を離し、両足で立つ。膝の震えは弱くなり、無理やり動かしたおかげで膝自体も柔らかくなったのか多少なりとも伸ばす事が出来た。だが、まだ完全には伸ばせない。

「ここは魔王様が封印される前、魔族が、私が拠点としていた村だ。まぁ、それも魔王様が封印される前の話だ。魔王様を失った魔族に統率を取れるような求心力は無かった。瓦解した魔王軍は人間から敗走し、この村に辿り着いたした。数十年前には住人はいなくなったがな」

「……そうか。その彫像に意味はあるのか」

「これか、これはそうだな。私の不出来な龍の元になった、村の守り神のようなものだ」

「魔王以外に神のような存在がいるのか」

「知性があれば多かれ少なかれ思考する。思考をするのであれば意識、無意識問わずな思想も存在する。魔王様を魔族全ての神とするならば、この龍は限られた土地に祀られる土着神だ」

たどたどしい足取りで倒れないようにケルザは足で地面をこすりながら前に進むが、ベルジダットの視線の先にめぼしいものはない。一体、ベルジダットは何を待っているのか。視線を上げ龍の彫像を見る。その姿は確かに、以前対峙した黒い龍と似ていた。この龍が記憶の根底に刻まれていたからこそ、咄嗟に龍へ変化すると言う発想を得たのかもしれない。

登り始めた朝日が龍の瞳を照らした時、彫像である龍の瞳から水が染み出した。その一雫は首を伝い、胴を流れ、前足から爪先に留まり、一拍の間を置いて雫が底へ落ちた。乾いた石の底に点を打つ程度の一雫。たったその一雫が水量を無視して噴水を満たすのに時間はいらなかった。

「これを待っていたのか、だが……」

「話は後だ、すぐに消える」

組んでいた足を持ち上げ、前に突き出した。それと同時にケルザは後ろから蹴り飛ばされ、ベルジダットは倒れ込むように湧いた噴水に沈んでいった。


ベルジダットは束の間の夢を見る。

ここに来ると必ず夢を見てしまう同じ夢。幼い頃の自分は今よりもモノを知らず、世界を知らず、その世界において魔王様が全てであった。そんな魔王様が人間に負けるわけがない、その絶対的な信頼は封印により侵された。どうしてこうなった、何故魔王様は負けた。どうやって封印した? その何一つも理解できず、自分は周りの魔族と共に敗走した。敗走した先でようやく、状況を理解して周りの魔族に何故負けたのかを聞き続けた。だが誰一人として理由を語らない。語れない。自分達は魔王様を裏切ったと訴えた。それは紛うことなき本心である。何が忠臣だ。口でなら何度でも言える。あの日、あの時、魔王様のもとにいなかった時点で自分はただの背信者に他ならない。だが、今だからこそわかる。魔王様を裏切ったものなどどこにもいない。魔族全てが魔族の世界を願っていたあの頃、魔王様は確かに神であった。だが神とは偶像でしかない。如何に魔王様といえ全知全能には及ばない。それを理解していた魔族と理解していない自分。無知故の憧れと羨望、そして自分の理想だけを押し付けた愚かな偶像。もし裏切り者がいるのであれば、それは愚かな理想に魔王様を落とし込み勝手に世界の全てと思い込み、勝手に失意を感じた己自身だろう。何度見ても吐き気がこみ上げる愚かさである。だが、この夢を見るたびに自分を戒め、今度こそ私が魔王様を守ると何度でも誓う事が出来た。封印はどう言う訳か解けていた、そして気付いて駆けつけた時には従者が二人、内一人が人間であった。……新しい記憶を持ちながら過去の記憶を漂い、過去の感情が再現される。あの頃の人間は魔族の敵でしかなく、魔王様を封印した諸悪の根源。魔王様の眠る永い時間、世界を知っては人間への憎悪は薄らいで行くのを感じていた。人間社会に迎合しようとする魔王様を見てからは封印した事を憎むのも過去に囚われ続ける意味のない感情に思える。そして今、魔王様を守る為に人間と共に魔剣作りに赴いていた。もしかすると、いつかは、ここを使用してもこの夢を見なくなるかもしれない。時の流れとは不思議なものだ。あれだけ魔族を裏切り者と思っていたはずなのに、今は自分こそが裏切り者だと思っている。憎んでいたはずの人間に対しても魔族と休戦し諍いがなくなれば、その憎しみも和らいだ。魔王様に至っては自分を封印した相手にすら憎しみを持つどころか交流を持ち、今の生活を楽しんでいる。……私の忠義とは、ただ過去に囚われているだけで遙か悠久の果てには、枯渇してしまうようなものなのだろうか。それにしても、ここの主は全くもって悪趣味が過ぎる。幾度となく体験した過去を流し見て、ベルジダットは夢の終わりを待つ事とした。



ゆっくりと覚醒した意識は状況を理解する為に体を起こした。ぎしりと安っぽい音を立てたベッドに懐かしさを覚え

、眠気と共に頭を降る。

「ここはどこだ……、俺は確か」

──誰かとどこかへ向かっていたはず。

「起きたか」

「あぁ、少し疲れが残ってるみたいだ」

「みんなも起きている時間だ。食堂へ行くぞ」

見慣れた顔と聞き慣れた声、騎士団の同期であるバルトと補給部隊と帯同してトトリナ戦線後方基地へと向かっていた。配給される食事を受け取り、空いている席に二人は腰を下ろす。

「今日の夜には後方基地に着くみたいだね」

「ああ、前線じゃないだけ気が楽だ」

「前線にいる人達もいるし、そう言わないでよ」

「別に後方支援部隊が楽と言ってる訳じゃない。前線ほど殺される可能性も殺す可能性がないから精神的に楽だと言っているだけだ」

それはそうだ、と味の薄い料理を口に運ぶ。戦場に出ると食べたい物が食べられない。その中でも安定して供給される食料は大事である。何より腹が減っては戦もできぬ、味以上に安心して腹に入れられる物があるのは有り難い事だ。

「次決まった?」

「いや、まだだな」

今回は補給部隊の護衛が任務である。後方基地で物資を受け渡した後、一緒に戻る。長期間戦線に拘束されない為、戻り次第次の任務があるはずだ。大抵の場合、騎士団の拠点である王国に長くいられない。良くて数日、雑務をさせられて次の任務へ駆り出される。夢想派、権威派は戦場に出る任務とその他が五分五分であるが、忠義派は八割方戦場へ送られる。良くも悪くも場数を踏ませられた結果、補給部隊の護衛は楽な分類として誤認されやすい。危険な事は常に臨戦態勢でいる戦場と違い、気の緩みが生まれやすい事だ。また騎士団も人員が余ってる訳もなく最低限の人数で配備される。騎士団の部隊を襲う野党は少ないが、それこそわかっていて襲ってくるのは護衛を倒せる算段をつけているからで、その最たるものは頭数を揃える事である。護衛の人数よりも多い数を揃えられれば、護衛を倒さずとも荷馬車を奪える可能性は格段に上がる。野党からすれば荷物を奪うことが目的なのだ、護衛の相手など時間稼ぎで充分。だが護衛は補給部隊の物資、人命の全てを守り、ひいては戦地の人間の生活を守る必要があるのだ。その恩恵を幾度となく受けている戦場生活の長い騎士団員は、補給部隊の護衛は戦場よりも楽だが戦場の方が楽だと挨拶のように矛盾を口にする。その点、バルトとコルドは戦場生活が未だ長いものではないと推し量れた。

「出立まで付き合え、続きだ」

「今一上手く使えないよね」

「魔法は発動している。効果が薄いのは何か条件が欠けているからだろう」


レモウルド戦線から三年後、騎士団に入ってから六年ほど立った頃。いくつかの前線に送り出されては生き延びた。その間、何度かイデン騎士団長とも同じ戦線に駆り出され、何度か騎士団長率いる部隊にも所属させられた。接点が増えれば記憶に残るのは当たり前で、気がつけば騎士団長から世間話を振られるようになっていた。半年前、王国に戻った際イデン騎士団長から命令が下る。

「お前ら死なないな。装備も古いんじゃないか?」

「手入れはしてますが、そろそろ新しい物を頼もうかと思っていました」

「うちもそれなりに金あるくせに出し渋るからな」

「権威派からの献金もありますが、それが下に回る事も少ないので以前からの要求が拒否され続けています」

バルトの不満を快活に笑い、そうだよなぁとイデンは力強く同意する。

「騎士団を抜ける気は?」

「今の所はないですね」

「抜けた所で出来ることもないので」

「用心棒とか傭兵とかやれば良いじゃねぇかよ」

「騎士団をした後にそれは泊落ちと言いますか」

「おぉ、言ってくれるじゃねぇか。しゃあない、お前らにはまた戦場で会いそうだからな。その時に死なれたら気分よく酒も飲めん」

そう言うと懐から紙を取り出し、一緒に出した筆記具を走らせるとバルトに手渡した。バルトとコルドが渡された紙を覗く。そこにはイデンのサインと"レヴェ・サレヴァ"と書かれていた。

「その店に行って紙を見せて忠義派だと伝えれば、後は店主が説明してくれる。今日中に行け」

「今日中ですか」

「今日中だ」

「わかりました、言ってきます」

おう、とっとと行けと追い出されるように二人は街へ出た。店名はわかったが、場所の記載すらない紙を眺めバルトは息を吐く。

「……どこだ」

「知らないよ」

「団長らしいな」

「団長らしいね」

明朗快活、豪放磊落、良い意味で適当。それが普段の団長の印象である。これが戦場に出れば清廉潔白、難攻不落、王国最高の盾となる。二重人格にも思えるが、何か守るものがある人間は必要な場面以外は存外こんなものなのかもしれないとコルドは街を眺めながら考えていた。

「今日中って事は街の中だろうな」

「久し振りだね、街の中ゆっくり歩くの」

「そうだな、急ぎでもなさそうだ。せっかくだ、また戦場に行く前に何か食べに行くか」

「いいね、そうしよう」

目的地を漠然と探しつつ商業地区へと赴く。城下町と言うだけあり、行商人や旅行者、大道芸人達が街を賑わせている。幼い時、村にも大道芸人が立ち寄った事があり楽しかったのを思い出したコルドは、つい大道芸を見に寄り道をしてしまう。コルドを追ったバルトも大道芸人の人だかりの前まで付いていく。

「珍しいのか」

「そうだね。しっかり見たのは村にいた時だけ」

「そうか、王都出身じゃなかったな」

「バルトはここ生まれだったよね」

「あぁ。騎士団に入る前は暇な時に見ていた」

行き交う人混みの中、ぼうっと大道芸を見る。騎士団に入ってからの日常は忙しかった。何をしていたかを思い返せば戦場にいたの一言、その戦場にいたとき以外の時間を埋めるように大道芸人に過去を重ねていた。

「さぁさぁ、お立会い。みなさん矛盾はご存知でしょう。えぇ、その通り。最強の盾と矛。何にも負けない盾と何でも貫く槍、それはどちらが強いのか。そういった誇張から生まれた言葉ですが、やはり盾は盾、槍は槍。矛盾と一つにまとめられては収まりが悪い。この感情を収めるにはどうしたものか、わたくし四六時中考えました」

大道芸人が観衆を前に声を張る。面白おかしく脱線しつつ、前口上の後ろでは盾と槍、そして刀身の幅が広い剣が準備されていく。

「さぁさぁ、お立会い。私の行き場のない気持ちを収める為に、大陸全土を駆け回り集めた特級品。最強の盾、最強の槍、そして最強の剣。え、なんで剣って? 言ったじゃないですか。盾と矛が一纏めなのは収まりが悪いって。ですので最後にズバッと矛盾を分断する為に用意しました。果たして最強の剣は矛盾に勝てるのか」

前口上が終わると仰々しい鎧を身にまとった人間が盾を構え屈む。全体重をかけ、正面から攻撃を受け止める意志がひしひしと伝わる重量感。対峙するのは前口上を述べていた大道芸人であるが、気安く槍を構える姿は扱い慣れている事を如実に表していた。急に静かになった大道芸人に、観衆達も結果を期待して固唾を飲んだ。

「ぬううぅぅんんんんああぁぁぁ‼‼」

妙に甲高く力が抜けるような声に押し黙っていた観客が笑い声を漏らす。

「ふうぅぅんんんうぅぅう‼‼」

何より声を上げるだけで身動きすらしない。早くしろとヤジを飛ばされるが槍の穂先は盾を捉えて微動することも無い。文字通り、大道芸人と槍は固まっている。彼が作り物ではないという証拠は気の抜ける声だけであった。その声がピタリと止まると力を抜き、彼は立ち上がり額にかいていない汗を拭う。

「いやぁ、思い出しました。わたくし盾恐怖症でして、盾を前にすると動けなくなっちゃうんですよ。いやぁ、失敬。失念しておりました。お、そこの方。その目はやる気に満ちていますね。どうぞこちらへ、わたくしの盾恐怖症を克服するためにも、一丁あの盾を懲らしめてくだせぇ」

指名された体格の良い男性が観衆の前に出ると、大道芸人は槍を手渡した。槍を受け取った男の体が目に見えて力む。

「おっ、結構重いな」

「えぇ、そちら西の果にて入手した一品でして、何でも魔物の牙を長い年月をかけて研磨し、刃の部分は砕いた鉄粉を打ち込み、刺す切るだけで無く削るを可能にした最強の矛でございます」

「へぇ、すげぇな。本気であの盾に突き刺して良いのか?」

「どうぞどうぞ、穴が空いた暁にはわたくしの収まりの悪い気分も通りが良くなりまする。ちなみにあちらは東の果てで手に入れた一品です。現地で取れる粘土と特殊な樹液で出来ております。この粘土が叩くと固くなるのですが、いかんせん脆い。とても盾として使える物ではございません。ですが不思議な事に特殊な樹液を混ぜますと脆さが消え、硬さのみが残ります。それに目を付けた鍛冶屋が作り上げたのがこの一品。中心部は粘土で包んだ樹液。その樹液が流れ出ないように粘土を叩いて形成しつつも硬度を出します。ついで粘土の周りを樹液を塗り、再度粘土で包み叩く。これを外側に行くに連れ強く叩き、高度を上げていきます。これを10層重ねた物が最強の盾でございます。内側に行くほど柔らかい分、衝撃を分散させるようです。さぁさぁ、お兄さん。お兄さんはこの最強の槍を持って、衝撃を分散させる最強の盾を貫けるのでしょうか。それではお願いしまあぁす」

一度も噛まずに口上を終えた大道芸人は頭を下げると、槍を構えた男から離れた。構えた槍の穂先は呼吸と共に上下し、重心が乱れている。力自慢であっても槍の扱いには慣れていないのだろう。狙いも定まらないまま走り出した男は脇も締めずに腕の力だけで槍を突き出し、遅れて押し込むように体重をかける。金属音ではない、鈍い音が雑踏の音に消されかけながらも耳に届いた。

「面白い音だね」

「あぁ、土をたたいて作ったにしても割れない物なんだな」

「槍もあれ一本全部魔物の牙だったら結構大物だよね。何の牙なんだろ」

「あぁ、何て事だっ‼ 曲がりなりにも最強同士‼ やはり矛盾‼ そうやすやすと最強の座は譲らなあぁい‼」

盾を貫けなかった男の無念を晴らすように大道芸人が叫ぶ。

「こうなっては最強の剣に頼らざるを得ない‼」

「槍が剣になっても変わんないよね」

「矛盾の意味としては変わらないな。ただ話のオチは矛と盾を分断したいから剣で切るのが都合が良かったんだろ」

今まで槍を持っていた男が今度は刀身の幅が広い剣を持つ。

「おっ?」

剣を持った男は意外そうに大上段に構えて軽く素振りをした。見た目では槍と大差ない重さに見えたが、明らかに取り扱いが軽い。

「おおっ? これは手応えを感じている? もしかすればもしかするかも!? 期待しちゃいますねぇ。ではでは、ズバッといっちゃってください!!」

大道芸人の軽い言葉にあわせるように、男は縦の前へと歩いていくと剣を大上段に構えた。

「今回は由来を言わないんだな」

「どうせなら聞きたかったね」

音もなく振り下ろされる最強の剣は音もなく最強の盾を両断し、縦を抑えていた男の纏う鎧すら切り裂いていた。最初に動いたのは鎧の男で、慌てた様子で鎧を脱ぐが切られた部分に怪我はない。幸い、鎧だけを切り裂いていたのだと無傷な腕と切り裂かれた鎧を見比べては重い息を吐いていた。次に動いたのは剣を振るった男だ。明らかに想定していなかった結果に、剣を振り下ろした体勢のまま呆けていた。遅れて観衆が「にいちゃん、すげーぞ」と色めき立ち、街の賑やかさに華を添え始めた。そこでやっと我を取り戻した男は剣を持ったまま大道芸人に詰め寄り、何かをまくし立てていた。それに答える為、ようやく大道芸人も声を張った。

「い……いやぁ、お見事‼ 素晴らしい‼ 見事に矛盾を一刀両断‼ わたくし感服いたしました。胸のつかえもとれて清々しい気分です‼ 同時にこの程度の盾に恐怖していた自身の情けなさに笑いが──」

「おい、こいつはいくらだ」

「えぇっと、そちらは最強の剣でぇ……」

「これも遠くで手に入れたのか? 今度は何だ、北か南か?」

「いえぇ、こちらは王都でぇ……」

「この街⁉ こんな凄いものが売っている店があるのか⁉」

バツの悪そうな大道芸人に対して、男は剣の性能に心を奪われていた。

「いえ、それがぁ……そのぅ」

「何だ、そんなに高いのか?」

「あの、レヴェ・ニーヴァって知ってます? パン屋さん」

「あ? おぉ、結構人気な店だな」

「店頭に訳あり品で並んでいた商品の中にありましてぇ」

「は?」

「最強の剣は折れるの前提で、折れたらパン屋さんの訳あり品で買いましたって言うつもりでぇ」

「……意味はわからんが、そのパン屋で買ったんだな?」

男はそれを確かめると持っていた剣を返し、恐らくはパン屋へと向かって行った。男から開放された大道芸人は胸を撫で下ろすと、本日の公演は終了ですと頭を下げ後片付けを始めてしまった。観衆も街の流れに溶けるように小さくなり、最後にはバルトとコルドが残っていた。

「なぁ、少し聞きたい事がある」

「はい、何でしょう?」

「レヴェ・サレヴァという店を知っているか?」

「レヴェ・ニーヴァではなく?」

「サレヴァだ。名前も似ているし近くで見た記憶はないか?」

怪訝そうに二人を見比べる大道芸人はどうしたものかと腕を組む。

「ふぅむ、見たか見てないか。私はしがない大道芸人、運命のように導かれたパン屋さん、そして手に入れた最強の剣。君達もあのお兄さんの様に武器が欲しくて?」

「欲しいと言えば欲しいが、今は上司に行けと言われたから探している」

「はぁ、上司から……。騎士団員の方?」

返事の代わりに騎士団長のサイン付きの紙を見せると男は納得した様に頷いた。

「あぁ、そうでしたか。それでしたら……、まずは昼食にパンなど如何でしょう? わたくし美味しいバン屋さんを存じております」

「バルト、バンでいいよね」

「あぁ、構わない」

「ありがとうございます。ではでは、少々お待ちくだせぇ。当方後片付けがある故……」

言い残した大道芸人はそそくさと後片付けに戻って行った。


辿り着いたのは運命に導かれたパン屋、レヴェ・ニーヴァ。来たのか来てないのが、実演していた男の姿は見えない。店内に通されたバルトとコルドは男に促されるまま飲食用のテーブルに案内され、椅子に座る。男は何食わぬ顔で店の裏へと言ってしまった。

「あれ、あの人この店の人なのかな」

「どう見ても客が入るような場所ではないだろうし、そうなんだろ」

「あの剣、すごかったね」

「あぁ、材料なのか製法なのか。あんな剣が作れるんだな」

「でも訳有品としてパン屋に並んでたんだよね」

「ここだろう? それならあの男の出任せだろう。客寄せかもしれん」

「いやぁ、手厳しい。ですがお陰で何人かはうちに来たようでして。ありがたい限りです」

奥から戻ってきた男はエプロンをつけ、手に持ったトレーには既に何種類かのパンがのせられていた。それをテーブルに置くと、一度奥に戻り二人分の飲み物を持ってくる。

「そちら、明日から出す予定の商品でして。良ければお試しください。こちらはおまけです」

そう言って手に持った飲み物を二人の前に置く。コルドは出された商品を眺め、何を食べるか品定めを開始する。

「新商品なんですね、どれ食べようかな」

「いくらだ?」

「お気になさらず。今回の代金はお爺さん経由で、実際の金額以上に回収しますので」

「そうか、それは助かるな」

「店員さんは何で大道芸を?」

「あぁ、あれはまぁ趣味でして。仕事の合間に楽しんでいます」

「それでレヴェ・サレヴァはあんたの祖父の店って事か?」

「そうなりますね。昼食後にご案内しますよ」

バルトの言葉をすんなり受け流すし、ごゆっくりと頭を下げて店の裏へと戻って行った。手近なパンを取るバルトと

どれにしようか吟味するコルドは戦場を忘れた様に呆けていた。

「ゴールは見つけたし、これで団長には文句言われないね」

「あぁ、見つけられなかったって言ったら何されるかわからん」

「……良い天気だね」

「……そうだな」

「バルトって家に帰ってるの?」

「たまに顔を出してる。お前は?」

「んー、遠いからね。帰ってないよ」

「そうか。帰れる機会があると良いな」

「……うん、そうだ──」

視界にノイズが走る。バルトと何かを話しているはずだが、内容が聞こえない。それでも何を話しているかもわからず、淀みなく何かを答えている自分。無理やり剥がされる様に、コルドの意識は運命のパン屋から乖離した。

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