第21話:魔剣と聖剣1 ベルジ編 走るケルザ

ベルジダットは不意に湧き上がった過去の夢に酩酊する。

吸血鬼に生理現象は存在しない。そもそもが魔力を元にした生命体であり、休息が必要な肉体が存在しないのだ。その為、寝る事がなければ夢を見る事もない。しかしながら生物同様何もしない時間は存在する。そう言った思考が緩む時間、過去の強い体験が今の体験の様に想起され、過去の思考と今の思考が同時に処理される現象。吸血鬼はそれを夢とした。


在りし日の魔王様。その存在感は対峙するだけで他を圧倒した。隔絶した魔力、絶対的な強者、望まぬとも形成された支配体制。あの頃の魔族は人間社会同様に今よりも未熟であったとベルジダットは考える。その未熟さ同士は互いを侵すことでのみ満たされ、短絡的な思考は共存という道に見向きすらしない。未熟であった魔族社会は唐突に現れた魔王様を心酔し、あの頃の状況を打破できる存在として魔王様を社会の頭とし魔族を統率していた。魔族も幼子の様に不安だったのだろう。だからこそ安寧を求め魔王様に縋った。それが過去の魔族社会である。自分自身、何の疑問もなく社会に属する卑小な魔族であった。社会の安寧と母親に抱く安堵感、どこか共通するその感覚に過去の魔族社会は魔王様を母とする子供のようだったとベルジダットは嘲笑した。


今の魔王様は穏やかである。

その穏やかさは魔王様が封印されるまでの間に疲弊しきった社会同士が休戦し、結果として互いを侵さなければ共存できると気づき今に至った経緯に似ている気がした。だがそれだけではない。恐らく、あの人間による所が大きいのだろう。今の魔王様も昔と変わらず色鮮やかではあるが、穏やかと評した通り鮮烈さとも呼べる外界への刺激が和らいでいる。その最たる理由は人間に施している魔力の譲渡だろう。昔の魔王様からは抑えられない魔力で空間が焼かれ続けていた。それは魔力の器である肉体に収めきれないものが常時溢れていたものである。その収めきれなかった分を人間に譲渡した結果、今のように穏やかで居られるような気もした。理由の一つとしては、人間が最後に扱った魔王様の魔力。あの魔力が自分に対して発揮された時、私は確かに在りし日の魔王様を想起してしまった。あの頃の、数百年前の魔王様が放つ抜身の刃。きっと溢れ続ける魔力を収める為の発散する場が必要で、その場として魔族から祭り上げられた魔族社会の頭という立場を利用していたのだろう。そう思える程に今の魔王様の情緒は落ち着いていた。記憶の中の魔王様が苛烈だったのは、その場にいるだけで溢れ出る魔王様の隔絶された魔力を浴び続けていたからだろう。その苛烈さに惹かれたのは自身の魔力特性が破壊だった事も関係するかもしれない。ただ、よくよく思い返せば私自身、魔王様が戦う姿を何度も見た記憶はない。それは魔王と呼ばれる魔族の長ということもあり、配下が攻め入る人間を処分していたからと言うのも理解はできるが、そも魔王様は私達魔族に寛容だったように思う。ともすれば、魔王様は元々穏やかな性格だったのかもしれない。しかしながら幼き日の私はそんな魔王様の気質など毛ほども知らず、ただただ絶対的な強者である魔王様に憧れ心酔していた事は確かであった。

幼子とは時として末恐ろしい事を躊躇わずに行うものだ。

「魔王様、どうして人間を滅ぼさないんですか?」

ほとほと呆れ果てる言葉を魔王様に向けているかつての自分。この様な恐れ多いことを臆せず言える胆力は今の自分には持ち合わせていない。

「……そんなものに興味はない」

ただ一言、いつもと変わらない何かを耐えるように眉をしかめ、押し殺した声で魔王様は答えてくださった。

その言葉にどこまでの意味が込められていたのか、今の自分でも計り知ることはできない。魔王様が何を考え、何を求め、何の為に魔王で在るのか。……その一つが今の魔王様なのかもしれない。今の魔王様には昔の様に何かに耐えるような素振りは見えず、心安らかに見えた。魔族が安寧を求め魔王様に縋ったように、魔王様も安寧を求めていたのかもしれない。

「ベルジさん、いらっしゃいますかぁ?」

ベルジダットを夢から引き戻したのはシィラの声と控えめなノックであった。急に過去にない声が割り込んできたせいか一瞬思考が乱れ返事が遅れる。開けますよと声をかけたシィラは小さく開けた扉から顔を覗かせると眉を下げた。

「おはようございまぁす」

「えぇ、おはようございます。シィラ殿、いかがされました?」

「珍しいですねぇ、もう普段なら集まっている時間だったので、魔王様に見てこいと言われましてぇ」

「これは申し訳ない。少しぼんやりとしていました」

「うふ、大丈夫ですよぅ。いつも通りの感じなのでぇ。それじゃあ先に行ってますねぇ」

そう言ったシィラは扉を閉め、パタパタと足音は遠のいていった。

夢に浸りすぎていたようだ。

ベルジダットは立ち上がると、自分の立つべき場所へと夢を部屋に置いて行った。



「ほぅ、お主からその様な申し出があるとは思わなんだ」

魔王はさも意外だと言わんばかりに目を丸くする。

「そこの人間は確かに白兵戦は強い。ですが魔法に関しては回避する程度しか対処の仕様がありません。それでは同じ護衛として心許ない。ですので、何かしら能力を増やす手段の一つとして考えたまでです」

「ふぅむ、確かに。ケルザ、お主は現状を鑑みてどう思う。私から見ればお主は既に自分で出来ることを研鑽しているように思う。私の魔力を多少なりとも扱えても普段使っておる魔法を扱うのが関の山、悪くない話だと思うが」

ケルザは腕を組み思案する。吸血鬼の提案は自分と同じ様に魔剣を作ってみてはどうかと言う物であった。話の中で説明があったが魔剣を作る際に抽出される魔力特性とは元来生物が持つ生命の根源から生成される、言わば魂の向かう最終到達点であり、その生物が根源的に願う価値基準の価値を担う部分だと言う。

「……それは人間にも可能なのか」

「魔剣を精製するのに必要なのは本人が保持している魔力だ。魔族であろうが人間であろうが魔力があるならば作れない道理はない。その魔剣の性能や能力の程度は保証できんがな」

魔力の根源、魂の最終到達点。人間を裏切り魔王に仕える立場のはっきりしない自分自身。もしかすると、その立場を明確にするきっかけに足りうるかもしれない。何より今今更戦闘において出来ることを増やしても付け焼き刃にしかならないと考えを放棄していた。

「一考の余地はある」

「ほぅ、お主もベルジの言葉に耳を傾けられるようになったのか」

「お二人とも素直じゃありませんねぇ」

先程と同様に驚きを隠さない魔王と、くすくすと笑うシィラ。四人しかいない閉塞的な王の間だが閉塞感を感じていない自分に気づき、ケルザ自身自罰的に居心地の悪さを感じていた。

「……何、ただの戯言だ。作ってはみても使えるものではない仕上がりを見ては自身が成すべき事を曇らせるだけかもしれん。さもあれば作らない方がマシだろう」

「破壊する事に何の価値がある」

「破壊する事に価値はないかもしれん。だが私は魔王様の臣下だ。仇成すものを排除し魔王様の望む世界を築く一助となる。生涯において唯の一度、唯の一振り、魔王様の為に私の破壊を行使できたのであれば、破壊する事に価値など無くとも魂の本懐である」

「まっこと心強いではないか。例え壊す事しか出来ずとも分を弁えておる。良く言うであろう、道具を活かすも殺すも使用者次第と。安心せよ、ベルジ。私とおればお主の本懐、必ず叶う時がくる」

「はっ、ありがとうございます。このベルジダット、魔王様に仕えると決めた時より一切の懐疑を持ち合わせておりません」

「清々しいですねぇ。それに比べてせんぱいは、何とまぁ曖昧な事でしょうかぁ。ベルジさんみたく全ては魔王様の為にみたいに、はっきりした生き方はできないんですかぁ?」

「……そう言うお前は断言できるのか」

「当たり前ですよぅ。自分の生き方は自分で決めるんですよぅ? 引いてはどこまで行っても自分の為、私は私の為に生きていまぁす」

「くつくつ、お主も清々しいなぁ。その自分本位の奔放さ、お主の憎めない愛くるしさはそこから来ているのかもしれんな」

目を細めた魔王は膝下に置かれているシィラの頭を慣れた手付きで撫でる。御満悦な表情のシィラは誰にでも向ける甘ったるい声で感謝を述べ、魔王の膝に頭をのせていた。

「魔王、貴様はどうなんだ」

「まったく、自分が答えられないからと誰にでも噛み付く癖は治した方がいいぞ? 一度噛み癖がつくとなかなか治らんらしいからな、まったくもって難儀な奴だ」

溜息を一つこぼした後、魔王はそうさなと呟いた。

「最近まで寝ていた私は今の世界を知らん。今でも起きている時間より寝ている時間の方が多い。私が私の為に成したい事を見つけるには少しばかり時間も情報も足りん。とは言えだ、生き方を探さずとも今の生活も悪くはないぞ?」

「どう言う事だ」

「人間が皆、お主のような考えかは知らんが頭が硬すぎる。お主が整備した住みよい城で、封印される前からの臣下が駆けつけてくれ、私の身の回りの世話をしてくれる甲斐甲斐しい娘を可愛がる。生き方を探さずとも手元に集まってくるではないか。今も昔も性質は違えども探すより先に自分を理解すべきではないか?」

「……参考にならん」

「それも単に魔王様の御人徳かと」

「くつくつ、冗談も上手くなったではないか。人間の敵である魔王に人徳など」

「魔族にも社会がある故、多少なりとも」

肩を震わせる魔王は愉快さを隠しもせず、細めた瞳でベルジダットを流し見る。それに表情をほころばせた吸血鬼は小さく頭を下げていた。

「せんぱいの魔剣の出来は知りませんがぁ、それで少しでも割り切った考えができるようになるのであれば悪くないのではぁ? 難しい話はわかりませんが、魂がこのために生きているぞって価値を提示してくれるなら、いい歳して迷子になっているせんぱいでも少しは生きやすくなるかとぅ」

「……癪に障るが一考の余地はある」

「戦力強化と生き方で各々一考の余地を得たな。もうひと押しではないか?」

「せんぱいは弄れたお子様みたいな思考してますからねぇ。合理的な考えに見せかけて意外と単純な事を複雑にして、勝手に合理的に考えてるつもりになってるんですよぅ」

「ははは、それは愉快ですな。それでは清々しい生き方もできますまい」

「おお、そうだ。生き方において煙に巻いたが、一つ実践中のものがあったではないかな」

歓談の最中、魔王が思い出したように声を上げ意地の悪い笑みを浮かべてケルザを見やる。

「どこぞの奴に強制され、嫌々、渋々しておったが慣れとは恐ろしいものだ。人間の街で顔馴染みの人間にちやほやされるのも悪くはない。私は今、お嬢様として生きている」

「……それは仮初だろう」

「ほぅ、では私のお嬢様らしさに不備でもあると? 申してみよ、曲がりなりにもお主の主は魔王だ。人間については疎い故、貴様の望むお嬢様とやらを言ってみろ」

「んふ、魔王様ぁ。あんまりせんぱいをいじめちゃだめですよぅ。ただでさえお嬢様が大好きなのに、これ以上自分の要求を言ったら自分がどんな女の子が好きなのかばれちゃいますよぅ」

「はん。自分が押し付けた生き方を履行し、その中ですら楽しみを見出して生きる魔王様の寛容さ。それを押し付けた人間が仮初とのたまうなど笑止千万。捨て置けばいい貴様を拾い、従者として生きる場を与えた魔王様に対して不敬この上ない。されば仮初のお嬢様の元でしか生きられぬ貴様の生は仮初か? 魔王様、人間との折衝は私やシィラ殿で出来ましょう。如何に不快な人間であれ、魔王様がつかわすと決めたならこれ以上口を挟む気は御座いませんでしたが、大恩ある魔王様に対しこの口振り。これ以上──」

「──待ってくれ。今のは……忘れて欲しい、すまない。魔王には不満も不備もない。今のは、今の言葉は……。人間にも魔族にも属しきれていない半端な奴が、自分を守る為だけに吐いた何の価値もない言葉だ」

絞り出した言葉は懺悔。魔王もシィラも吸血鬼も、自身が求めている答えを手にしている。それを認める半面、認める事で自分が劣っていると言われているような劣等感。吸血鬼の言葉は全てが魔王の為の言葉であり、これが魔王達の言う清々しさだ。その清々しさの前に太刀打ちできる言葉を自分は持ち合わせていない。……仮初。それはお嬢様を演じる魔王ではなく、勇者として生き、勇者として死に、仲間を捨て、魔王の従者として今を生きているが未だ割り切れずにいる己自身。誰の為とも何の為とも自分自身で理解できずに現状の環境に漂うだけの生を演じる自分に他ならない言葉であった。

「……ふむ、私としてはこやつの憎まれ口は慣れておる。それ自体はどうとも思わん。むしろ自分から謝罪できる程に成長していた事を褒めてやりたい気分ですらある」

「そうですねぇ。せんぱいって死んでも死ななそうですし、魔王様の城を自分の生活しやすいように整えるくらい環境を適応させる行動力もありますからねぇ。別段、人間社会にいなくても生きられるでしょうし、ここを追い出されては生きていけないから謝罪して縋っているわけじゃありませんよねぇ」

「……お二人はこの人間の言った言葉に嘘偽りはないと」

「せんぱいは嘘つけるような性格じゃないのでぇ。都合が悪い事は黙っちゃうんでわかりやすいんですけどぉ」

「そうさな、こやつに嘘はないだろう。ベルジ、今回の失言は目を瞑ってやれ。だが、私としても忠臣であるお主の意も組みたい。今後私の前において、私を貶める言葉があれば処遇は一任しよう。ただ怪我程度にしてくれよ。どれだけ憎まれ口を叩こうが私の従者である限りは私の所有物だ。勝手に壊す事は認めん」

「……慈悲深いお言葉、その寛大さ。どんなに卑小な人間であろうと水の一雫、砂の一粒程であろうが理解できる事を切に、切に願いまする」

「……前言は撤回する、すまなかった」

魔王が目覚め、ケルザが城に居着いてからそれなりに経っている。その期間の中、一度として他者に対して下がる事のなかった頭を、勇者が魔王に対して深く下げていた。

「……なんと、お主。謝罪どころか頭を下げる知恵すら付いたのか」

「違いますよぅ、きっと知恵がついたから重たくて頭が下がっちゃったのかとぉ」

「ふん、卑小な人間らしく軽い頭なら生きやすかっただろうに」

「……ベルジダット、頼む。魔剣を作れる場所まで案内して欲しい」

下げた頭を持ち上げると、改めてベルジダットに向け下げ直す。下げながらほんの少し、なぜ人間社会で出来たことが魔族相手にはできなかったのか、そんな疑問を抱いては今となっては瑣末毎だと唾棄する。

「……そんな軽い頭に価値はない」

「そう言うな。生き物は多かれ少なかれ悩み間違う事もあるだろう。悩んだ後の結果が間違っていたとも正しかったとも事が済まねば判断も出来ん。今回はケルザがお主の言葉で自分の非を認めたのだ。お主もその非を認めたケルザを許してやれ。寛大な魔王の忠臣が狭量では私の面目が立たんだろう?」

「……元は自分が巻いた種、責任を取るのも私でしょうな。承知致しました。私が魔王様の顔に泥を塗るなどもっての外。人間、その軽い頭を上げろ。私達しかいない場だからこそ許される愚行だ。二度と魔王様の前で他者に頭など下げるな」

「えぇぇ? 次は私がせんぱいに頭を下げさせる予定ですよねぇ?」

「よいよい、貴様らは等しく私の配下だ。私の下において互いに頭を下げる程度許してやろう。これなら存分に頭を下げさせられるだろう?」

「はぁい、ありがとうございまぁす。もう二回、里でも一回倒れたせんぱいを面倒みてますからねぇ。つけはきっちり払わせますよぅ」

「まったく魔王様も戯れが過ぎますな。シィラ殿のつけを考えればいくら軽い頭でも地につく重さになりましょう」

「あはぁ、考えただけで楽しくなってきましたぁ。どうしましょう、つけを貯めればせんぱいは地面にめり込むのではぁ?」

「ほほぅ、それは興味深い。人間は罪悪感に押しつぶされると聞くが物理的な現象なのか」

「ははは、魔王様。そんな人間がいるとすればそこの人間だけでしょう。そうでも無ければ街が穴だらけになってしまいます」

「ふぅむ、それもそうだな。ほれケルザ、そこに沈め」

「……いい加減にしてくれ」

ゆっくりと持ちたげた視界の先には、勇者の頃と変わらず楽しそうに笑う声に囲まれていた。



目的地から戻るのは魔剣が出来てからだとベルジは言った。その期間は不明だがベルジダットが戻ることを前提に、出立は魔王が起きる予定の前日の夜とした。これに関しては魔王の提案である。自分が起きる事のない期間、護衛が二人共いないというのは認められんと、その日を指定。シィラには自分が起きている三日間、街へ行く雑務を作る様に言われた。その三日間は自分が寝てしまう時間以外は街の人と交流する事で他者の警戒を街の人に分散させようという考えらしい。確かに今では街人にお嬢様として周知されており、定期的に通う店からは懇意にされている。自然、お嬢様という大客を蔑ろにしても得はない。普段はあまり顔を出さないお嬢様が普段いるはずの男の従者を連れずに侍女と共に街を巡る。それだけでも声のかけやすさも違うだろう。それをきっかけに店によればお嬢様からの売上に期待が持て、同時にお嬢様の味方も増やせるかもしれない。逆にお嬢様相手に良からぬ事を企む輩もいるかもしれないが、その為の助け舟が顔馴染みの街人なのだ。魔王とシィラには極力人前での戦闘は避けさせたい。それも以前から伝えている為、問題ないだろう。お嬢様は街の中において巻き込まれる事件に関しては常に被害者でいなければならない。そんな善良なお嬢様相手に街中で襲える大義名分を掲げられる人間は限られる。街で作り上げたお嬢様を魔王と断定し襲ってくる考えなしの行動を、一度敗走しているバルトがやる訳がない。それを排除して考えれば大義名分を持つ相手はいないだろう。そうなれば街中において絡まれる輩には多数の街人が助けてくれるだろう。何なら自分や吸血鬼がいなくて不安だと顔馴染みの人間に言っておけば気を配るくらいはしてくれるはずだ。その程度の価値を今までの交流から築けているとは思う。何せ魔王の演じるお嬢様に不備はなく、侍女に関しては他人に甘えて生きてきた自称ちやほや慣れしているお嬢様。日程を決める話の中、自分たちを守る為に他人に甘えるのは得意だと鼻高々なシィラであった。そうなれば残る懸念は街と城を往復する馬車と魔王が眠る時間帯だ。往復に関しては馬車の主を除き干渉してくる奴は碌な人間ではない。自分たちが無力化し、シィラが倒したと馬車の主に報告すれば良いだけだと魔王は考える必要もないと懸念の一つを潰した。確かにお嬢様の侍女だ。最低限の護衛を出来て当然、野盗を苦もなく対処する侍女を持つお嬢様だと馬車の主が街に吹聴すれば、お嬢様としての箔も更につくだろう。最大の懸念は魔王が寝てしまう時間に戦闘力の低いシィラしかいない時間であるが、

「まぁ、魔王様が寝てから起きるまでの間なら、私と魔王様の部屋程度の範囲であれば性能を落とさず障壁は張れますねぇ。でも魔王様が起きる時間に力尽きて夜までは眠ってしまうと思いまぁす」

「ベルジとケルザがいる今までの間、夜間の客などシィラが呼んだ医者しかおらん。そんなに心配する事でもないと思うが。それよりも私が寝ている間に連日の疲労でシィラが力尽きる方が問題だ。無駄に魔法を使う必要はない。障壁だけで力尽きてしまっては、その機会を狙っている奴がいても私を護衛できないだろう」

「……やはり今回の件は見直してみては」

「再度、勇者を名乗る人間がいつ来るかわからん。それまでにケルザの能力を上げたいのも確かだ。であれば、最短で事は済ませたい。ベルジ、お主の進言は良い機会であった」

「……シィラ、里の人間と魔法で連絡は取れないのか」

「はい? 取ろうと思えば取れますよぅ」

「それで誰かを城に呼んだとして、出立日までに間に合うか」

「んー、片道丸2日かかるのとお父様の許可取るので数日。恐らく出立前の日には着くかとぉ」

「ムゥマを呼んでくれ。幸い城の周囲は草が生い茂っている。彼女の魔法なら魔力もほとんど消費せず、城の周囲を警戒できる」

「あらぁ、あんな短時間でムゥちゃんから魔法の話を聞き出していたんですかぁ。そんなにお嬢様が気になるんですねぇ。他に話す事があったのではぁ?」

「ムゥマとは誰だ?」

「はぁい、私のお姉ちゃんでぇす」

「ほう、それは会ってみたい。実益にも適っている」

「えへへ、わかりましたぁ。それではムゥちゃんに連絡してきまぁす」

シィラが退室することで日取りの相談や懸念事項に関する話は締められた。結果としてムゥマは5日後に城へ訪れ、しばしの同居人として魔王から迎え入れられた。後に聞いた話だが、里長が渋る中魔王様の命令でごり押しして許可を後回しにした事で予定より幾分早く着いたとの事であった。



日没を迎えた出立の日、魔王が眠ったのを見届けたベルジダットはケルザと共に、シィラとムゥマに見送られて城を離れた。

「走れ、刻限に猶予はない」

言葉と共に霧となるベルジダット。夜の帳に溶ける霧は走り始めたケルザにとって視認が困難であった。

「直進なら問題ないが、満足に視認できないぞ」

「……音を追え」

カキンと何かが砕ける音が走るケルザの前で鳴った。音からして石のような硬いものが割れた音に聞こえる。道筋を教える疎らな音に従い、ケルザは黙って後を追い走り続けた。一時間、二時間……、気合で乗り切った三時間。全力で走る七割程度の速度を維持し体力の消耗を最大限抑えたつもりでも、体力は有限である。さらに視界が悪い道を音だけを頼りに走る夜道、周囲を把握して走り続ける注意力も既に底をついていた。

「……ま、待て……。まだ、走るのか……」

「人間に合わせる道理はない。魔王様と交わした刻限が絶対だ。だが、喜べ。後はまっすぐ走れば小さな村につく。私は先に行く。朝までに辿り着けねば今回の件は白紙だ。魔王様には私から取り繕ってやろう」

最後に大きく何かが砕ける音がした後、不自然な破壊音は止んだ。

……朝までとはいつだ、日の出を指しているのか昼前までを指しているのか。吸血鬼の事だ、そんな甘い話はない。間違いなく日の出までにだ。では、あと何時間走る? 走り始めて凡そ三時間、大体後四時間程度もあれば日は登るだろう。体力も気力も既に限界を迎えている。果たして間に合うのか。いや、考えるだけ体力の無駄だ。奴の言ったことに嘘がなければ直進すれば村がある。ならば体力も気力も、底をつこうが乾き切ろうが、どんな欠片であれ全てを消費して朝までに村へつく。胃液が逆流する吐き気を抑え、揺らぐ視界に耐えながら糸で操る人形のように最低限の筋力と慣性で己を走らせ続けた。

だが慣性は万能ではない。自身にかかる荷重に自重、どれだけ気を払おうが消しきれない地面との間に生まれる摩擦による慣性の浪費。七割、六割、五割と次第に走る速さは落ちていき、それに反比例して体感時間は伸びていく。七割で残り四時間を走る予定が六割、五割と速度を落とす度に目的ちまでが遠のいていく。喉が渇き、目が乾き、全身が熱く背筋が寒い。呼吸の度に 肺が痛い。感覚の麻痺した足はもう膝を曲げているのかすらわからない。自分の体が横に落ちている錯覚。それに耐える為に左右の足を交互に出して何とか落ちずに耐えていたが、頭の片隅では諦めが霞んでいる。──バキン、と何かが壊れる音が後ろから聞こえた。

「……どこへ行く。村はここだ」

ぼやけた意識が起き始め、反対に疲労を実感してしまった体は数歩耐えたあとに横へ落ちた。視界が暗い、視力すらまともに機能していないのか世界が見えているのか見えていないのか。倒れた体で肺に息を送るも気道が狭く、咳が酸素を通さない。小刻みな呼吸を繰り返して、ようやく咳は収まり息を吸えるようになった。それでも欲しい酸素が吸いきれず、吐く息は更に酸素を求め吐くと同時に酸素を求めている。唐突に頭に掛けられた水は、過度な熱を帯びていた後頭部を冷やし相対的に冷えた背筋に熱を取り戻し始めた。

「……なんだ、死ぬのか。人間」

「ば、かに……。す、なよ。きゅ……けつ、き」

「ほとほと呆れてものも言えん。話せる様になるまで、そこで倒れていろ。考え無しの人間のせいで朝までにまだ二時間は猶予がある」

肉体を持つ生物の疲労など、肉体のない自分にわかる訳はない。だがそれは個人の限界に程度はあれ、生物として必ず上限があるのは自然の摂理。それを知らん馬鹿な人間がいるわけもない。そう思っていたが、それを知らん人間もいたようだ。これから目的地に行くための一歩目で死にかける人間。ベルジダットは深い溜息を吐いた。

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