第48話 ポチョムキン号の反乱 腐ったボルシチとレーニンとオデッサ港
ロシアの水兵の反乱 当時のオデッサ港で起きた
ポチョムキン号の反乱 初のロシア軍の反乱です(当時は最後の皇帝ニコライ2世)
1905年のロシア革命 その契機となった伝説的な事件
ロシア皇帝の時代末期 日本との戦争後 間もなく
レーニンは亡命中でした
1905年6月
レーニンの影響と士気の落ちたロシア黒海艦隊のポムチョキン号
(正式名称・ポチョムキン=タヴリーチェスキー公
パンテレイモン ポチョムキン=タヴリーチェスキー
ボレーツ・ザ・スヴォボードゥ
ポチョムキン公爵からの由来の名前
(公爵は当時、まだ独立状態だったウクライナの圧政者としても
知られている)
1900年頃 新しかった石油燃料を使用するボイラーを装備した船
腐った肉入りのボルシチに怒り 抗議した水兵(ボルシエギキ、共産党の一派)
彼バクレンチュークを将校の一人が射殺
それが契機となり
艦内部で反乱が起きる事になりました
水兵達は艦長や将校を殺害 その他の幹部は閉じ込められます
またチアックで同じく演習中の補助をしていたイズマール艦も合流
皇帝に反旗の印として赤旗をあげながら
偶然的に労働者のストライキ騒動の最中のオデイサ港に入港
一時はオデイサの労働者たちとデモ行進を行う‥などなりましたが
これらの動きを重く感じたニコライ二世が
派遣した艦隊からの攻撃を受け 兵站(食料、燃料等)も尽きて
ルーマニアなどに逃亡 多くはアメリカタイt力に逃れたものの
ロシアに帰った兵士達は死刑 重労働刑に処されました
後には 共産党のシンボリック的な有名な映画(モノクロ)
となります
その後 舞台となった
現在のウクライナ オデイサ港は ソ連となったロシアが
在住のロシア人達が危険ととの発言をして
ソ連が侵略する事になりました
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます