第51話 フランスの聖地モンサンミッシェルとスフレオムレツ
●モン・サン・ミシェル
モン・サン・ミッシェル 直訳ですが「聖・ミカエルの山」
海の小島の場所にある おもにゴシック様式の修道院
有名な話として
ある時に近隣の地アヴランシュにいた聖オベール司教
彼が聞いた 大天使ミカエルのお告げ
「岩山に聖堂を建てよ」
その後 708年に海上にそびえ立つ岩山に
ロマネスク様式修道院を建てたのです それが始まりと言われています
初期はロマネスク様式
また大天使象があって
修道院の塔上に 大天使ミカエル像
150メートルの場所です
11世紀~13世紀頃までに建設された おもにゴシック様式の荘厳な僧院
長い時間をかけたので 中にはロマネスク様式 ルネッサンス様式も
10世紀 ベテディクト会の修道僧が居住
英仏百年戦争の時はイギリスの侵入を防ぐ要塞として使用され
イギリス軍が残した大砲などが、現在もあります
フランス革命の頃には
修道院は廃止 1863年まで、国の監獄となります。
その後、見捨てられたように荒れた場所となった
モンサミッシエルの修道院の建物を
1865年に ナポレオン3世が再び元の姿を取り戻し復元
1979年には世界遺産になってモンサンミシェルは、フランスの観光名所でもあります
●モンサンミッシェルのスフレ・オムレツ
聖地であるモンサンミッシェルには 特にフランス中から
それは沢山の巡礼者が訪れていたのです。
当時 当時は時間をかけて 施設も少なく徒歩など過酷な旅
強盗 山賊に襲われる可能性 夏や冬の気候の辛さ
食料不足の事情などの中、旅の巡礼
カトリックの聖地でもあるモンサンミッシエルでしたが
遠い地で 安全性も食料も不安定
盗賊なども多い時代です
しかもモンサンミッシェルは小島で小舟の海難事故もありました
それでも無事にモンサンミッシェルに着いた巡礼者達
でも 当時は島に1軒しかなかったのです
年配の女性プラーさんが営む「ラ・メール・プラー」という宿屋兼食堂
宿屋の主人兼シェフでもあった年配の心優しいプラーさんは、
命がけで 大変な思いをして来た 飢えた辛い巡礼者たち
彼等に美味しい良く料理を用意しようとしました
しかし、モンサンミッシェルは
海に浮かぶ岩だらけの島で、段差のある場所
材料があまりに用意する事が出来ずに
それで彼女は、島内で手に入る卵で
叩きつけるように時間をかけて泡立てた泡立てた
卵の溶液からスフレの大きなオムレツを作り上げます
今もなお、モンサンミッシェルの郷土の名物料理スフレ・オムレツ
叩きつけるように時間をかけて泡立てる音がするそうです
(いまなら電動泡だて器もあるので・・ご自宅でも近い物は作れます かも?)
昭和天皇に欧州の首相なども訪れたようです
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