第50話 サリカ法典 女王がいないフランスとフランク王国

何故 フランスに女王はいないのか?

あるいはオーストリア帝国

マリア・テレジア女帝(マリーアントワネットの母(ベルばら))にとって

継承戦争などの戦争をしなくてはいけなかったのか?


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フランス王家などが王家の相続法としたのは原初の王国 フランク王国まで遡ります

フランク王国の祖 ゲルマン・サリー系のクロービス 彼等の使うサリカ法典


※ローマ人の法律家が編集を手伝ったので当時のラテン語などを使用

罰則、賠償金、継承などのゲルマン・サリー族の法律でした


ローマ帝国の末期には東西に分裂、衰退 ゲルマン民族の移動・・歴史の推移は

教皇庁の台頭、フランク王国(ゲルマン系)の成立となってゆきます


ゲルマン系フランク人の王クロ―ヴィス フランク王国の王で改宗します

(後に王国は分裂フランス、ドイツ、イタリア(北部)に‥王国、王家の起訴となってゆくのです)在位481‐511年


ゲルマン サリ支族のシルデリック1世の息子で

481年頃トゥールネー(ベルギーの南西部辺りを相続,ガリア全土の征服を進め 

486年には領土をロアール川まで広がり次にはライン川へ

 巨大なフランク王国が成立


続くカール大帝(シャルル・マゴーニ)では 教皇に寄進をして

東ローマ帝国の位を得ます


やがて、フランク王国は相続などで分裂して、後の仏蘭西、ドイツ、北部のイタリアなどに分裂 

カール大帝の王朝はカペー朝、次にはヴァロア王朝、ブルボン王家へと・・


●フランスの場合 (女王がいなかったフランス)

サリー法は欧州全体の王家に影響を与えてますが フランスが男系のみ

王位は男性のみとしてました これには大勢力だった諸侯に比べ

当時 パリ伯という弱い立場でもあった フランスのカペー朝が他の諸侯に王位を奪われない為にもサリカ法を重視したので これはブルボン王家にも引き継がれて

フランスでは女王は出ませんでした(王家の場合) 

また、男系が絶えた時に血縁関係にある他国の王達の侵略に対して サリカ法典は使われます

●英国イングランドは アングロサクソン族(ゲルマン人)で

サリカ法の男子のみに限定した法典は使いませんでした 故に女王が多数 

エリザベス女王、ヴィクトリア女王 等

●スペインの場合は微妙で スペインは幾度かイサベラ女王(正確にはカステイリア王国)、ファナ女王のように

女王は出てますが その後 フィリペ5世

「1578年5月に男系が絶えた時のみ女系を取る」と決定しました(基本継承法、準サリカ法)

●オーストリアのハプスブルグ家が一人娘の王女マリア・テレジアが女王、女帝となる事を反対されます

サリカ法典に血縁関係などの理由に他国、プロイセンの軍事侵入 継承権戦争などが

発生 最終的にはマリアテレジアの夫、フランツヨーゼフが皇帝となります

(ハンガリー女王で皇帝の妻・・しかし、歴史では君主として優秀なマリア・テレジアが上程と呼ばれる事に・・)こうした各国の戦争の理由の為に 後に

宿敵の仏蘭西と平和条約、娘の一人、マリア・アントニア(仏名マリー・アントワネット)がフランス国太子ルイに嫁ぐこととなります

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