第37話 お砂糖の歴史

砂糖の名前は インドのサンスクリット語

サルカラが由来


●南国でサトウキビを栽培されはじめ 液体(ジュース)にして扱われていた


やがて中国南部や東南アジアへと普及してインドまで伝わる


インドでサトウキビを液体にしたものを結晶状態(砂糖)に精製を始めました

紀元後に改良されてゆきます


そうして やがてインドに中国の使者が訪れ耕作と砂糖精製について学び


6世紀にはペルシャに伝わります


そこから更にアラブへと波及する事になります


●様々な御話


紀元前 インドのマハーパージャには 砂糖を加えた料理などが記録されている

ライスプッテング、発酵飲料の作り方

当時は 衰弱、疲労の回復に効く薬であるとも考えられて インドの塩と呼ばれました


※当時は栄養状態が悪く疲労回復には大変、効果的でした


ダイレオレス1世(ペルシャの大王)はインドに遠征してサトウキビを持ち帰り

輸出と栽培を独占しましたが やがて混乱期などに漏れ 黒海、中東など他の地域に

伝わってゆきます


フェニキア人 エジプト人は薬 香辛料として扱いました


中国で 唐の時代 学者 蘇敬の記録 太宗は砂糖の製造法を学ぶのに

リュー(インド)などに使者を派遣したと書物に記録を残しており


古代ギリシャでは砂糖の事を「茎から取れる蜜」と表現しています


アレクサンダー大王がインドに遠征して 再び砂糖と出会う事になります



砂糖はまだ貴重で 古代では甘味は蜂蜜がメインでした


ローマでは ワインはまだ現在のようなワインでなく 多少 濁りなどがあり

ムルムスという 蜂蜜で割ったワインが好まれてました


また食事は大麦の御粥に蜂蜜を入れ 食べていました


砂糖が貴重な時代は 大量生産が出来るまで長く続きます



ポルトガルの王女が英国に輿入れの際

紅茶やまだ珍しい白磁の中国茶器とともに 大量の砂糖も持参金の一つとして

持ち込みました


大量の銀を要求されたのですが 用意出来ずに


当時 銀と同等の価値のある砂糖を代用したのです



貴族階級などではお茶に砂糖は ステイタスの象徴

※ココアもですが・・


同じく砂糖菓子(人形など)を飾る王室もありました

※のちに経費削減の為に 陶器で代用されます



大航海時代 後に植民地化が進み 

そこで大量生産の可能なプランテーション(農園)が

作られて 


当時貴重な胡椒、コーヒー、紅茶、ココア(カカオ豆)などと共に

生産され 



砂糖は一般市民が手に入る金額まで下がり ようやく欧州では一般市民が

砂糖がお菓子や料理、紅茶などの飲み物などに大量に使われるようになりました


また

1745年ドイツ人科学者達により甜菜(てんさい)などの砂糖が採れる

サトウキビ以外からの植物の発見、製造などもあります



国家間の争い ナポレオン1世による大陸封鎖で


砂糖が手に入らなくった時に 大いに甜菜は役に立ちます



◆日本での砂糖の歴史



奈良時代


唐の大僧侶 鑑真和上が持ち込んだという説があります


貴重なので上の位の者しか食べられなかったものです



15世紀になると茶の湯が流行り 貴重品ながら砂糖菓子も好まれました


その後 南蛮貿易が盛んになると 

ポルトガルから金平糖、カステラも入ってきました


日本が砂糖を手に入れるのは

おもに中国(当時は明・ミン)沖縄(琉球)からの輸入でした



余談ながら 長崎の出島資料館に

オランダ人達を相手をする芸者などの女性たちは

当時まだ貴重だった砂糖をもらい それを街で交換したとの記録がありました

高価な砂糖ですが 銀と同等の価値がありました


現在では 更にサトウキビ 甜菜以外からも 羅漢果など 低カロリーの砂糖が作られて

発見もあり まだまだ砂糖は新たな展開をみせてます

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