第25話
レアンドルとの関係は見直した方が良いのかもしれない。少なくとも婚約者という枷を彼に付けてしまっている以上は恋人のふりをするのはどうかと思う。
ソレーヌと話してから一週間ずっとそればかりを考えていた。
「でも、お父様に真実を話すのも良くないのよね」
私に落ち度があったとしても父のことだ。全ての責任をレアンドルに押し付けてしまう恐れがある。
どうしたら良いのだろうか。
ぼんやりと考え込んでいると屋敷の前に見慣れない馬車が停まっているのが見えた。
よく見ればそれはエーグル公爵家の紋章が入っている。
「まさか来ているの?」
自室を飛び出して、玄関に向かうと父とレアンドルが一緒に屋敷に入ってくるのが見えた。
息を切らしている私を見た二人は驚いた表情をする。
「ヴィオ、そんなに慌ててどうしたんだい?」
父に尋ねられて返答に困ってしまう。
エーグル公爵家の馬車が見えたので走って来ましたというのはどうかと思う。
レアンドルに会いたかったからと言っているようなものなのだから。
ああ、でも、今は恋人のふりをしているのだからそう言った方が良いのかしら。
混乱状態の私に近寄ってきたのはレアンドルだった。一瞬怖い顔をした彼は私の前に立つとにこやかに笑いかけてくる。
「ヴィオ、もしかして私に会いたくて来てくれたのか?」
「え?あ、はい…。そうです、窓からエーグル公爵家の馬車が見えて…それで来ました」
思わず事実を言ってしまえば父は驚き、周りに立っていた侍女達は頰を赤らめる。そしてレアンドルは心底嬉しそうに笑った。
彼は私の手の甲にキスを落として、肩を抱き寄せながら父に振り返る。
「公爵。少しだけヴィオと二人になっても?」
え?お父様に用事があって来たのでしょう?
わざわざ私の為に時間を取らなくても…。
そう思うのに二人きりになれることを喜んでいる自分が心のどこかにいるせいで言い出せない。
父は深く溜め息を吐いた後じろりとこちらに睨み付ける。
これは許可を貰えないのでは?と思ったが父からの返答は違った。
「言っておくが変な事はするなよ」
「分かっております」
「なら良い」
「ありがとうございます」
え?お父様?
父を見ると諦めたような表情を見せていた。
肩を抱き寄せられる力が強まりレアンドルを見上げる。笑顔なのにどこか冷たく見えるそれに驚いていると「行こうか」と歩き出す彼に引っ張られるようについて行く。
辿り着いたのは私の自室だった。おそらく前に来た時に覚えていたのだろうけど、でも、ここで二人になるのは色々と不味い気がする。
「れ、レア、ここで二人になるのは不味いわ。見晴らしの良いガゼボに行きましょう?」
「駄目だ」
まさかの却下に戸惑う私を彼は部屋に連れ込んで鍵を掛けてしまう。
そのまま扉に押し付けられるように抱き締められて更に動揺が走る。
え、なに?どういうことなの?
レアンドルの行動の意図が分からない。
そう思っていると耳元に小さな声が聞こえてくる。小さ過ぎて聞き取れなかった。
「あの、もう一度お願いします…」
「どうして付けていない?」
「え?」
どうして付けていないってなにを?
訳が分からないといった表情を浮かべる。それを確認したレアンドルはゆっくりと離れていく。
そして徐に私の左手を持ち上げて…。
「いっ…」
薬指に思い切り噛み付いた。それだけじゃない噛んだところに舌を這わせているのだ。見せつけられるように行われるそれに背筋がぞわりと粟立つ。
な、なにしてるの…?
丹念に余すところなく薬指に舌を這わせた彼は左手に頬を寄せながら冷たい視線を送ってくる。
「どうして指輪を付いていない?」
「あ…」
完全に忘れていた。
本来ならレアンドルと会うのは来週予定だった。その時に付ければ良いと思って外していたことを思い出す。
「君は私の恋人だろう。ちゃんと付けておいてもらわないと困る」
「す、すみません…」
力なく謝った瞬間、左手を、全身を扉に押し付けられて呼吸を奪われた。
馬車の中でした優しいものとは全然違う噛み付くようなキスを贈られたのだ。
「んんっ…!んっ…!」
いきなりのことに思い切り首を横に振って彼から逃げようとするが顔を固定されてしまいされるがままだ。
どういうことなの?
なんでキスされているの?
訳が分からない。分かることは一つだけだ。
彼からのキスが嫌じゃないということ。
「ん……ぷはっ……はぁ、はぁ……な、なんで?」
長いキスから解放されて息絶え絶えにレアンドルを見上げると無表情でも、笑顔でもない獣のような目をした彼がこちらを見据えていた。
鋭い視線にぞくりとする。
「君は私の恋人だ」
「そ、そうね…」
正確に言うなら恋人のふりをしているのだけど。
「分かっているなら恋人の証を付けておけ」
恋人の証。
あの婚約指輪のことを言っているのだろう。
もしかしたらあれは父に見せつける為に付けておいてほしいという意味だったのかもしれない。
それなのに私は彼と会う時だけ付けておけば良いと酷い勘違いを…。
「恋人のふりをしているのだからあれは父に見せつけないと駄目よね…」
そう返すと彼は苦虫を噛み潰したような表情を見せてくる。
「そういう意味じゃない。君が他の男にとられないようにする為だ」
「え?」
「私の我儘だと分かっているがどうか普段から付けておいてくれ。じゃないと不安で夜も眠れない」
覆い被さるように抱き締められる。
本当にどういうことなのだろう。
彼の言動が何一つ分からず戸惑っていると耳元に熱い息がかかった。擽ったくて、全身がぞくぞくする。
「折角の機会だ、もう少しだけ恋人らしい事をしよう」
「そこで喋らないで…!」
ぐぐっと彼の肩を押し返してみるが体格差のせいか単純な力の差なのかびくともしない。
「嫌か?」
「嫌というか…。そもそも恋人らしいことってなに?」
ジタバタと暴れながら尋ねるとレアンドルは抱き締めたまま「こういう事だ」と言って軽いキスを贈ってきた。
「で、でも、私達は恋人のふりをしているだけで…こういうことは本当に好きな人とするべきかと」
「ふりでも恋人だ。しても問題ないだろう?」
「それは…」
「それに恋人らしい事をしておいた方が普段から雰囲気が出る」
そういうものなの?
エーグル公爵はそれで良いの?
見上げると優しく微笑む彼がいた。
まるで私を欲しがっているような瞳をする彼に胸の奥がぎゅっと締まる。ゆっくり手を伸ばした先にあったのはレアンドルの着ているジャケットの裾だ。
「……父に見つからないようにしてね」
裾を引っ張りながら言うとエーグル公爵は目を瞠り、そして笑って私に覆い被さってくる。
勿論、という言葉と共にくっ付いた唇が気持ち良い。
いけないことだと分かっているのに…。
求められて喜んでいる哀れな私を許してください。
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